「マスコミは不公正である」「マスコミの報道姿勢は偏向している」という言説をWebで見る機会は多い。公正という基準をどこにおくかという問題ではあるが、マスメディアにはそれぞれのオピニオンがあり、かつ建前上は公器なのだから、「不公正」という言葉はある意味で正しいのだろう。
ただ、それとは別に思ったのは、昨今民主党や小沢氏に関するマスコミの報道に関して、民主党を支持する立場、支持しない立場、双方から「マスコミの報道は不公正」だという声が観測出来るなあ、ということだ。そして、これは民主問題に限らず、色んな対立軸がある程度共通して上げている声のような気がする。
以下のエントリーは、例えば、だけど。
不公平な権力。検察、メディア、そして国民、私たちは何を望んでいるのだろう。
異様なマスコミの小沢擁護
上の記事では、検察からのリークに関する報道を批判された後、マスコミ報道・民意全般の批判に落としこまれている。下の記事では、「ワイド」や夕刊フジ、日刊ゲンダイといった名前を挙げられた後、総括としてはマスコミの民主擁護、という言葉にまとめられている。筆致の違いこそあれ、方向性は真逆に近い。
これは何でか。
一般化する気はないが、こういう人もいるかも、という程度に仮説を考えてみた。
仮説その一。観測範囲及び立ち位置の問題。総体として「マスコミ」という言葉を使ってはいるが、言うまでもなく報道業界にも様々な立場、オピニオンがあり、見ている場所はそれぞれ違うし、報道姿勢も千差万別である。かつ、Webは非常に情報の取捨選択をしやすい構造になっているので、結果的にそれぞれの立ち位置からの観測だと「総体としてのマスコミが偏向している」ように見える。
仮説そのニ。「マスコミの偏向報道」という分かりやすい藁人形が、何らかの感情に対する受け皿的に使われている。これは特にWeb界隈に広範な気がする。右とか左とか民主支持とか不支持とか、思想的態度には色んな対立軸があるが、それ以外に「Web-マスコミ」という軸(本来は対立構造じゃないと思うんだけど)がかなり色んなものに関わってるんじゃないだろうか。
いや、私だって「(総論ではなく各論として)この報道姿勢はひどいな」と思うことはかなり頻繁にあるし、一部の理不尽な既得権益はどうにかならんかとも思うし、その他「総体としてのマスコミ」が批判されるべき点も色々あるとは思うけど。ただ、その報道は本当に偏向しているのかどうか、については慎重なスタンスで見なければいけない。でないと当の「偏向」と同じ轍を踏むことになってしまう。
この記事自体にもいえることだけど。自分の観測範囲はどこからどこまでなのか。そして、それによって導ける結論はどこまで適用出来るものなのか。これは常に自分に問いかけておくべきことだ、と私は思う。
あ、私の立ち位置を明確にしておきますと、かなり昔からの民主不支持です。一応。

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時には正邪ではなく善し悪しで論ずる事も必要ですね。仮にマスコミを「正しくない」と糾弾したところで誤まった報道でも無い限りハッキリとした改善は見込めないでしょうから。
民主支持者というより民主党としては、お前等俺達の味方だったくせに何批判してるんだコラッ、という裏切り者への不満として言っているのでしょう。
民主党はマスコミや論客にかなり接近してましたから、最低限の批判でも許せないということかと。