自分が書いた文章というものは面白い。
「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。
当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基本的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きな食べ物」というのも、本人にしてみれば基本的に面白い筈なのである。
文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」というものは脳内に生々しく刻まれている。
自分の書いた文章を読むということは、つまり追体験なのだ。それを書いた当時の自分の思考、感情、状況といったものの記憶が全て、文章を読むと同時に脳内で揺り起こされる。「行間を読む」という行為を最も無意識に実現出来るのが自分の文章であろう。文章自体には書き記されなかった筆者の思いまでが、ごくごくあっさりと読者(=自分)の脳裏に浮かび上がる。これは、様々な名創作物に共通する特徴である。というよりは、いわゆる「名文」というものの必要項であると言うべきだろう。
つまり、「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。
以上、当たり前の前提。さて、問題はここからだ。
ごくごくごくごく当然の話なのであるが、上記の様なバックボーンを、自分以外のあらゆる人間は持っていない。
この当然の前提を認識することは意外に難しい。自分自身は「バックボーン」持ちであるから、自分の文章を「完全に客観的に読みこなす」ということは事実上不可能なのだ。かなり書くことに慣れた人間でもこれは同じで、例えば作家でも、自分の文章を評価する為に他人(例えば編集者)に読んでもらったり、あるいは何か客観的・かつ厳密な基準にあてはめてみたりする。
「自分が読む自分の文章」と、「他人が読む自分の文章」は完全な別物である。このごく当然の、しかし意外に実感しにくい前提を忘れると、文章というものは単なる脳内完結の落書きと化してしまう。自分の脳内世界を幾ら書き記したところで、基本的にそれは他人に理解出来るものではない。その中に時折非常に面白いかけらが混じっていたとしても、それが他人の目に映ったときには違う姿をしていることは認識しておくべきなのだ。
例えば、「こんなブログは更新するな」様に、こんなエントリーがあった。ここ、毒舌系のネタブログの様でいて結構面白い視点のエントリーが多く、興味深い。確かに自分の夢の話ほど、開示して理解を得にくいものはあるまい。それが客観的に非常に面白い夢であったとしても、である。脳内世界の最も端的な例だと思う。
自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。これは揶揄でも皮肉でもなく、自嘲や自戒ですらない、文章を書く際に常に意識しておくべき大原則である。
この原則を意識した上での文章を書く方法論は大体三つくらいに落ち着く。開き直って他人を意識しない脳内語りに終始するか、他人にも理解し得る脳内世界の書き方を模索するか、最初から他人の視点にも無理なく理解しうる脳内世界のみの露出にとどめるか、くらいであろう(もちろんこの際「他人が理解し得る範囲」というものは人によって千差万別なのだが、これは取り敢えず置く)。これがまあ、世の中には二つ目三つ目を意識せずとも出来る人が結構いて、こういった人たちが書く文章は基本的に誰が読んでも大変面白い。が、私の様な凡人にはそれは到底無理な話なのであって、どうにかして二つ目を実現する為にあがく必要がある。まあこのブログ単体で言えば、そもそもテーマ自体が世間の絶対多数の人間の理解し得る範囲から隔絶しているのがちょっとアレだが、まあそこはそれ、というべきである。
私などは文章を書くこと自体からかなり遠ざかっていた人間であり、最近ブログを書き散らすにつれ、上述の様な本来基本原則である筈のことを意識し直すことしきりである。
取り敢えず、先年の書き散らし様を微妙に反省しつつ、今年こそは「他人が読んでも(微妙からそこそこ、という程度の範囲で)面白い」という文章を書くことを目指して(適当に)頑張っていくことを今年の目標としていく所存である。お見捨てなくお付き合い頂ければ幸いである。
2005年01月04日
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Excerpt: gooブログでは、オートトラックバック機能がついていていて、この機能を有効にしている方もいらっしゃることと思いますが、トラックバックスパマーと誤解されないためには、この機能を切ることをオススメします..
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Tracked: 2005-01-09 23:52
自分が書いた文章というものは面白い。
Excerpt: 『「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。』
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Tracked: 2005-08-15 00:16
>「自分が読む自分の文章」と、「他人が読む自分の文章」は完全な別物である。
>自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。
絶妙な名文句だなぁ。
個人的には「書いている本人でさえも面白いと思えない」ものは、ネット上で公開するな、と思います。
読みに来た人に失礼だろう、と。
まぁ、そうは言っても、その文が「他人が読んでも面白い」とは限らないわけですが。
いらっしゃいませ。TB貼らせて頂いた上、コメントまで頂いてしまって恐縮です。
>>その文が「他人が読んでも面白い」とは限らないわけですが。
全くですね。そして、「他人が読んで面白い」かどうかは「自分が読んでも分からない」のが最大の問題なのであって。難しい話です。
翻訳でも、最初は自分の脳内で、英文を分解したり、組み立てたりします。その作業を終えてから日本語を書くんですけど、行間を勝手に補間しちゃってますね。「これは入れなくてもわかるだろ」とか。読み返してみると「いい翻訳だ。うんうん」と満足するんですが、「分かりづらい」という感想をもらうことも多々あります。
気をつけなければ。
コメントありがとうございます。
>行間を勝手に補間しちゃってますね。
なるほど、翻訳でもそういうことありますか。一回自分のもににした脳の中身を文章で表現するってのはホント、難しいですね。
翻訳ですと、作者の意図を最初に読み取るプロセスでも、結構神経使われるんじゃないでしょうか。
原文の作者も脳内補間をしてますからね。それを読みとるのは至難の技です。難しいことですが、追求していきたいと思います。
>原文の作者も脳内補間をしてますからね。それを読みとるのは至難の技です。
あーなるほど。英語やドイツ語で脳内補完されてたら、正直自分なら手も足も出なそうですね。ホント、翻訳家の方々の語学力には敬服します。
私はレイ・ブラッドベリっていうSF作家が好きなんですが、あれもすげえ訳しにくそうだなあ。
■自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。これは揶揄でも皮肉でもなく、自嘲や自戒ですらない、文章を書く際に常に意識しておくべき大原則である。■
私もこれを肝に銘じて行きたいと思います。
ここのサイト、目からうろこが落ちる思いで読ませていただきました。これからも読ませていただきます。
コメントありがとうございます。
普段はもうちょっとテキトーなことを色々書いているテキトーなブログですが、よろしければごひいきください。
それが著しく間違った情報だとか、他者を傷つけるものでない限り。
お金とってるワケじゃあるまいし。
いちいち「ここはつまらん!」なんてケチつけていくのはナンセンスっぽい。
コメントありがとうございます。
>何書こうがご本人の勝手では・・・?
全くですね。
・・・あ、上記の文章は自分のブログにケチをつけてるんですが、それはご承知して頂いてますよね?
昔の手紙や日記などを読み返すと、腹が痛くなるほど笑ってしまいみんなにみせたくる。・・・が
他人にみせても面白くも何ともない。
芸人の面白くないコントも同じようなものなのだろうか。今からみんなに読まれる文章を書こうとしている私は考えさせられた。
もっと勉強しよう・・・。
コメントありがとうございます。
作家、って職業の凄みはそこにあると思いますよ。彼らが書く文章を読んでると、面白いんですよね。やっぱり。
人が読んでも面白い文章を恒常的に書きつづけるだけでも、とんでもねェ技術が必要とされると思っています
文章のみならず、何らかの「作品」を創っている人大抵に言えることでもあるでしょうし。(音楽の)アーティストでも、「全然売れると思ってなかった曲が大ヒットしちゃった」なんて話は結構聞きますよね。
ただ文章について言えば、読む際の自他の差をなるべく少なくするためには、文章の技術・扱う触れる内容も含めた「説明」にかかっているんじゃないかと思います。
りんかさんが仰っている「自分の昔の手紙や日記を読み返すと面白い」例で言うと、それは「他人が知らない・分からない自分の歴史」が背景にあるからだと考えられる訳で。
つまり自分で客観的に「自分の感じている面白さ」を把握できて、その構成要素を分解できれば、読み手に対しての情報として何が欠けているか分かるから、差は埋め易いんじゃないかと。
・・ていうか長いな。エントリーにすべきだったか(苦笑)
>客観的に「自分の感じている面白さ」を把握できて、その構成要素を分解できれば、読み手に対しての情報として何が欠けているか分かるから、差は埋め易いんじゃないかと。
うーん。おっしゃる通りではあるんですが。「自分の文章を客観的に読む」ということ自体が、プロでも手こずる難しい技みたいなんですね、どーも。
昔ゴーストライターのバイトをやっていた時に聞いた話なんですが、「客観視点で読む」なんてほいほい出来たら編集者要らないよ、とのこと。難しいところですね。
ただ、例えば「笑い」を考えて頂ければ分かると思うんですが、仲間内だけで盛り上がる笑いでもお笑い芸人が提供するお笑いでも、その場その場の言葉だけで独立して笑いが生まれている訳ではなく、送り手と受け手の間に何らかの共通認識(コノテーションを含む)の積み重ねや、それによって理解される文脈の流れがあって笑いになっているケースが多い。
ある人物を皮肉ってネタにする場合でも、その「ある人物」の情報やイメージがある程度共有されていなければ、感情だって共有できない訳です。
私が言いたかったのは、その共通認識(や知識レベルなど)の差を書き手の側もできるだけ意識した方が、書き手と読み手の差も縮まるのでは?って話です。
勿論、書き手の側にもターゲットとしての読み手を選ぶ権利はある訳で、「分からない・前提を共有できない人は読まなくてもいい」ってのはアリだとは思いますけどね。
それにしても、しんざきさんのゴーストライターの話は興味がありますね。どうやらカテゴリー設けられてるようなので、今から読んできます(笑)
ゴーストライターのエントリー、全て拝読しました。いや、正直言ってちょっと感動すら覚えました。ごちゃごちゃしんざきさんのエントリーにコメントしてた自分が恥ずかしくもありました。(ちなみに、五徹目と九徹目は大爆笑しました。鳴いた後リーチかけるんならその後はオートツモでお願いします、みたいな(笑))
感想を一言で表現すれば「壮絶」とでも言いましょうか。作家さんも勿論大変だけれども、作家さんの尻拭い(表現悪いですが)をすることもあるゴーストライターさんの方が別次元での苦労は半端ないな、と。
色々と勉強にもなりました。有難うございます。
>私が言いたかったのは、その共通認識(や知識レベルなど)の差を書き手の側もできるだけ意識した方が、書き手と読み手の差も縮まるのでは?
なるほど、その言葉通りですね。それが出来る様に私も昔っから頑張ってはいるんですが、なかなか。やはり難しいです。
>送り手と受け手の間に何らかの共通認識(コノテーションを含む)の積み重ねや、それによって理解される文脈の流れがあって笑いになっているケースが多い。
むう、なるほど。お笑いっていうテーマは、昔っから面白そうだなーとは思っているんですが、なにせ私の共通認識範囲が多少偏っているんでなかなか一般論に落とせません。よかったらまたご教示ください。
>感想を一言で表現すれば「壮絶」とでも言いましょうか。
お褒め頂いて恐縮です。いや、あっちのエントリーに関してはそれこそ書き殴りなので、正直こちらこそちょっと恥ずかしいのですが(汗
ただ、あれは実話ということにするとちょっと色々とごにょごにょとした事情がアレなので、フィクションとして読んで頂けると(笑
>ゴーストライターさんの方が別次元での苦労は半端ないな、と。
勿論作家さんの苦労っていうのはそれはそれで凄いんですけどね。ちょっと別種の苦労といいますか、後始末の大変さっていうのはなかなかの密度で思い知らされます。
なんか気に入らないけどせっかく書いたから公開しちゃえー、という人は、私以外にはあまりいらっしゃらないんでしょうか…。
>なんか気に入らないけどせっかく書いたから公開しちゃえー、という人は、私以外にはあまりいらっしゃらないんでしょうか…。
(ここにも)ノシ
これはブログ書いてる人なら大抵の人に言えることなのでは・・・編集者がいる訳じゃないですしねぇ。(でも結婚されてる方なら伴侶が一読者としてアップ前にチェック入れてる・・なんてあるかもしれないけど)
>いや、あっちのエントリーに関してはそれこそ書き殴りなので
やっぱりテーマ・内容が読む側からすれば余り一般的ではないものなだけに、面白さが倍増している部分はあったと思います。
「余り一般的ではない」けど、「読む側が、前提としてその分野に関する知識や経験殆ど持ってなくても読める(説明もなされていたし)」という絶妙なラインだったから良かったのかなぁと。
(すいません。生意気に分析してしまって)
ですから、えぇ、フィクションでも十分面白いです(笑)
>「余り一般的ではない」けど、「読む側が、前提としてその分野に関する知識や経験殆ど持ってなくても読める(説明もなされていたし)」という絶妙なラインだったから良かったのかなぁと。
お褒め頂き恐縮です。
なにせテーマがテーマですので、あんまり量産出来る様な項でもないんですが、またその内続きを書きますので、読んで頂ければ幸いです。
当方、もの書きですが、書き終えてから間を置いて読み返しても、やはり採点が甘くなっている部分はありますね。
自分の文章をいちばん読み慣れているのは、他ならぬ自分なのだということを、そのために読みやすく感じているのだということを、時々忘れそうになる。仕事柄、あってはならないことなのですが。
コメントありがとうございます。
本職の方にお褒め頂けるとは、光栄です。
>自分の文章をいちばん読み慣れているのは、他ならぬ
>自分なのだということを、そのために読みやすく
>感じているのだということを、時々忘れそうになる。
おっしゃるとおりですよね。
私の様な雑文書き散らし人間には、「オイオイ自分で読んでも読みにくいってことは、こりゃとても人様に読ませられる様な文章じゃねえゼ?」という方向の自戒となっています。
なんつぅか言語センスとかロジカルだけどもシニカルなスタンスとかその辺がツボに入ったっす
しんざきさんの昨今のネトゲとかソシャゲについての記事とか読んでみたいと思ったっす
別に叩くとかなんか鼻につくから荒らしを呼ぶ呼び水にしたいとかいう後ろ暗い動機じゃなくて単純な好奇心っす
もしも記事にするネタが無くてでも西野カナばりに書きたくて震えてるような時にでも書いてくれたら嬉しいことこの上ないっす
気が向かなかったらどうぞお気になさらずスル―したって下さい
もし既にあったらすみませんです 僕の怠慢ですおととい出直して来ます
確か、既にあったはずです。読んだ記憶があります。
探してみてはどうでしょう。
この辺でしょうか。
http://mubou.seesaa.net/article/227017645.html
わざわざありがとうございましたっす
そして返信遅れ失礼致しました
早速読んでみるっす