いつものことだが、特に一般化するべき話題ではない。こんな考え方もあるのか、という程度で。
先日、某テレビ局に勤務している知人と話す機会があった。というか、とある飲みの場で一緒になった。
あまり世評がどうとかメディアがどうとかいう話にはならなかったのだが、ふとした拍子に「インタビューに対するインセンティブ」という話題が持ち上がった。通常、たとえば街頭インタビューなどで顔を晒してインタビューに応じている人は、顔を晒すというリスクの割に殆どインセンティブを受けていない。これは何故なのか、あるいは遠からずインセンティブを生じないインタビューというものは難しくなるのではないか。そんなことについては以前から考えていた。
それに対する回答がこうだった。「いや、テレビに出られるってことが十分インセンティブになるだろう?」
直感的には、私はその回答は余りにも時代錯誤だと思ったのでそう指摘したし、それ程深まりもせずにその話題は立ち消えになったのだが、ことは思ったより根が深いような気がする。
私自身は、「テレビに出ること自体が報酬になる」という意識が未だに一部には残っているんだなあ、と思って、率直にいって驚いた。ただこれは、「自分をフィルタなしで(あるいは極めて薄いフィルタ越しに)広範囲に広める」ということをリスクと考えるかリターンと考えるか、ということなのであって、前者はかなりWebに偏った考え方なのかも知れない。
現在、Webでは、広範囲にわたって自分を発信するということが極めて容易に出来るし、それは既にリターンを通り越してリスクであるということがかなりの範囲で知れ渡ってしまった。昔出来なかった「自分の言葉の発信」は、今は既に当たり前のものであり、当たり前を通りこしてちょっと扱いに注意しなくてはいけないものになっている。
それに対して、「テレビに出ること自体が報酬になるんだから、映してやれば喜ぶだろう」というような意識が残留している部分がもしあるとすれば(重ねて言うが、一般化するつもりはない)、それはいわゆる「メディアとWebの意識の壁」の一因になっているのかも知れない。
2010年05月18日

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掲示板で何か問題が発生した場合、掲示板の管理者やプロバイダが責任を負うのは、まぁ利用者間での騒動程度で、2ちゃんねるでも裁判所がIPアドレスの開示を命令したらそのまま従いますし、ひろゆき氏の訴訟は民事訴訟ゆえの(ry)。
映りたくないと考える人なら、元からインタビューに声かけられても立ち止まりません。
将来、誰も立ち止まらなくなれば、街頭インタビューという方法も変わるのでしょうね。
マスコミ関係者にはまるでわかってないようなのに驚いた
むしろデメリットしかないんじゃないのか
変に目立っても陰口叩かれるだけだろ
私見ですが普通の人の自己顕示欲というのは必ずしも社会的地位と連動していなければならないというものでもなく、自分が肯定されているという手応えが得られれば、それが、例えばネット上での賛同や共感のような実益の無いものでも意外と満足してしまう場合が多いように思えます。
設定だけ作って満足してしまう素人の創作欲と似てるというか。
その程度なら、顔と実名を晒す危険を犯した上、他人のフィルタを通してしか自分の意見を発信できないマスメディアより、実益が無くても比較的安全に自分の主張を直接発信できるWEBの方が魅力的でしょう。
逆にマスメディアの世界に自分から飛び込むような人は良くも悪くも自意識の強い人が多いですから、世の中顔を出してなんぼだろうという感じでしょう。
ネットの匿名性に関する議論と同じ意識の隔たりを感じます。
大多数ではないが、現在もそのように思っている人が少なからず存在するのも事実
ただ製作者側が「出れる事がインセンティブ」この発言をするのは、明らかに傲慢かと
TV業界の衰退とは、そこに携わる人間の怠慢だと思っている
かのビートたけしさえが発言してる
「今後テレビからネットに移行するタレントが続出する」
と
TV業界の中の人たちは、自分の仕事を特別視・神聖化してきたのだと思う
「ギョーカイ」という言葉自体がその表れかと
もうそろそろ目を覚まさないと
TVなんてのはただの入れ物
重要なのはそこに映されるソフト
こう言った当たり前の事を受け入れる事ができないから、TVや新聞というのは衰退の一途を辿っている
まさに時代錯誤で、しんざき城主はその知人の性根を叩き直してあげた方がいいかもしれません。