何回か、色んなところで書いているけれど。
私はいわゆるレトロゲームが好きだし、今でもレトロゲームを遊ぶ。かなり頻繁に遊ぶ。迷宮組曲を、ザナックを、ワルキューレを、イーアルカンフーを遊ぶ。
ただ私は、「昔のゲームはこんなに面白かった→それに引き換え今のゲームは」というテキストには、決して共感しない。
その文脈は、「昔のゲーム」を「今のゲーム」を批判する為の道具として扱っている、と私は感じるから。
今も昔も、面白いゲームは面白いし、それ程面白くないゲームは面白くない。「いわゆる昔のゲーム」にも、「いわゆる最近のゲーム」にも、それぞれタイトルごとに違った面白さがあると思うし、共通の面白さもあると思う。それらはそれぞれ個別に評価されるべきものであって、どちらかが面白かったらどちらかがつまらないといけない、などというものではない。それはおかしい。
何かを好きという時、その為に別の何かを批判する必要なんてない、と思うのだ。
そして、あるいはそれ以上に、何かを批判する為の道具として、別の何かを持ち上げるというやり方は不誠実だ、と私は思う。
「昔に比べて、最近の若い者は」というテキストを笑う人が、同じ口で「昔のゲームに比べて、最近のゲームは」というテキストを綴るという現象が、私には理解出来ない。

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批判を世の定義や正義の如く振りかざすことが不誠実なのであって、他者にわかりやすく比較しやすい事象を持ち上げることは親切とも取れます。
何かに対する批判は最後に「思います」を付けることで自分の意見としてまとめることが肝要かと。
無理に距離を詰めるのではなく、「あなたはそう思っている。しかし私はこう思っている。」
この形を一つの答えとしても良いのではないでしょうか?
未来への進化(変化)を否定することは未来を生きる人々を否定することになるのでは?←是非ともこれを質問したいと思いますね
昔の傑作を挙げて昨今の作品を批判する方はしっかりと今の自分が改めてその傑作をプレイした上で批判しているのか、微妙なのも問題かなと思わなくもないです。思い出による補正がかかった状態で再考証の余地があるのを無視して批判されたら、誰だって「懐古厨ウザイ」ってなりますからね
そして、比較した上でも『最近のゲーム』として挙げたタイトルがつまらなかった場合も、神崎さんの言うように新しくても昔のでもつまらないものはつまらないし面白いものは面白いのですから、「自分が買ったこの新しいタイトルが、ハズレだっただけ」という可能性を忘れてはダメですよね。それを考慮しないで一方的に批判をするのならば論拠に乏しいと思います
つまらないゲームに出会った不運を嘆いてそのタイトル以外の多くのタイトルを巻き込むような批判に走るよりも、自分に合う別の良いゲームに出会う努力(事前情報チェックするとか、ネットの評判チェックするとか)をしていた方が前向きで健全かと思います
昔のゲームにしろ海外のゲームにしろ元々ふるいに掛けられた名作、傑作が伝わっていると考えることもできるわけで、そういったことを考慮せずに短絡的な批判に走りがちな風潮はどうにかならないものかと思います。
倒産する会社を見て自社の欠点を探す
学業なら順位を見て自分の立ち位置を確かめる。
もし全く新しいタイプのゲームなら、買う前に情報の欲しい人なら「〜に比べて〜」という情報も重要になる。新しい情報という光によって未知のゲームの影を確認できる。
2chのレトロゲー板見ればわかりますが、MD・PCEは「キモヲタ向けハード」として嫌われています。
時代に取り残され、かつ、メジャーなゲームしかプレイしてこず、かつ、自分にあったゲームを探すということをしてこなかった連中が、メジャーなゲームの3D化やムービーゲー化を批判し、SFC以前の昔のゲームはよかったなどと言っているだけ。
PS・SS以降もSFC以前のようなゲームはたくさんあったのだが、メジャーなゲームしかしてこなかった連中はそれを探すという能力に欠けていたので、いわゆるネット界で言われる懐古厨が発生した。
俺に言わせれば、そんなのは懐古厨ではないがな。