Twitterを使われており、その中でもfav機能(いわゆるふぁぼり・ふぁぼられ)をご存知の方向けのお話。
最近の私はTwitterをやっており、ふぁぼ・ふぁぼられについて考える機会がたまにあるので、ちょっと私の中の考えをまとめてみる。幾つかのテーマに分かれているのでテーマ別に。既出なのかどうかは知ったことではない。
前提:そもそもfav機能とは何なのか。
Twitterで、ある人の発言に対し「お気に入り」マークをつける行為。一般的には、相手の発言を備忘的にブックマークする効果がある他、相手の発言に対して興味を引かれた・賛同する・面白かった、などの感想を表明するという意味でも使われている、と思う。はてなで言うはてなスター、既にWebサービスとしては古株となったWeb拍手、イイネ!ボタンなどと多分大体同じ。
●テーマ1:favにはどんな価値があるのだろうか。
端的に言うと、被承認欲求を満たす意味でのfavの価値は、ふぁぼったー等に代表されるfav収集・集計・閲覧サービスが生じさせている。
通貨は価値あるものである。だが、通貨が価値あるものになる為には、たくさんの人が通貨の価値を認めなくてはいけない。誰も価値を認めない通貨は単なる紙、あるいは金属片である。価値は承認を経ないと発生しないし、承認を得たフィールド内でしか通用/流通しない。
通貨とは全く存在の意味が異なるが、ふぁぼ・ふぁぼられもまた、たくさんの人が価値を承認することによって価値を持っていると思う。その価値を可視化させているのは、「誰が誰のPOSTをふぁぼったか」「どのPOSTがたくさんふぁぼられているか」というのを視覚化してくれる、ふぁぼったーの様なWebサービスだ。これによって、「たくさんのふぁぼを集めている人」がニアリイコール「面白い人」「人気のある人」という承認と結びつくことが、favの価値を保証している。favの広範な価値は、極端な言い方をすればふぁぼったーやfavstarあってのものなのである。
言い方を変えれば、ふぁぼったーやfavstarがなければふぁぼられの価値は発生しない。
当たり前のことだが、ブロガーが被はてブの数を自慢する為には相手がはてブを知っていなくてはいけないし、ふぁぼったーやfavstarを知らない人にふぁぼられ数を自慢しても「なにそれ」で終わりである。その程度のものだ。ふぁぼり・ふぁぼられの価値を全く理解しないし、特にそういった文化と関係ないところでTwitterを続けている人もたくさんいる、というのは忘れてはいけない事実だと思う。
まずは、「ふぁぼられが価値をもつためには、fav収集サービスが観測範囲に入っていないといけない」というのが一つの前提となる。いってみれば、「ふぁぼったー文化圏の住人であるかどうか」ということだ。
●テーマ2:では、ふぁぼったーがあることによって起きていることは何だろうか。
通貨は価値あるものであり、それを得ることが一つのモチベーションとなり、それを得る為の最適行動をとろうと考える人がいる。これは通貨に価値があるからである。
同じことがふぁぼられにも言え、ふぁぼられを得ることに対して最適化された行動をとろうと考える人は、恐らくたくさんいる。そういった人は、「どのような発言がふぁぼられ易いのか」ということを考慮して、それに特化したPOSTをし始める。
基本的には、ふぁぼられはその時その時の「面白いPOST」に対して集まりやすいものなので、そういった人は「面白いPOSTをする」ことに対してモチベーションをもち、またそのPOSTがふぁぼられることに達成感や満足感を覚え、また「面白いPOST」をしようと勤める。
ふぁぼったーを観測範囲にもっている人は、「面白いPOSTをしようというモチベーション」を直接的に与えられる、と言ってよい。これは、ふぁぼったーを観測範囲にもっている人を巻き込んで循環していく。面白いPOSTをする人を見た別の人が、その人をフォローし、また自分も面白いPOSTをしようとする。そうして、「面白いPOST」をしようという動機をもった人がTLに増えていく。ふぁぼったーが「面白いPOST」を誘導し、TLを方向づけているのである。
これは、とても面白い現象でもあり、Twitterのようなサービスにとって最も望むべき良循環でもあると私は思う。住人にサービスを使い続けようという直接的なモチベーションを与える、本体とは全然別のWebサービス、というのはなかなか希少だ。
この場合、面白さの基準に普遍性はないし、「昔の方が面白かった」「今の方が面白い」という議論も一切無意味だ。面白いかどうかはその場にいる人が決めるものである。ただ、「飽くまでふぁぼったーを見ている人達に対してふぁぼられやすいPOST」に全体的なPOSTの方向性が偏る、という側面はもしかするとあるのかも知れないし、それによる時代ごとのトレンドみたいなものもあるのかも知れない。
「ふぁぼったー文化圏」に存在しない面白い人、というのは埋もれているのかも知れないし、どこか別の文化圏で人気なのかも知れないし、どこか別のWebサービスで可視化されているのかも知れない。それは私には分からない。
●テーマ3:「ふぁぼられに対する皮膚感」に対して。
さて。通貨を稼ぐ方法に関して時に是々非々の議論になるように、それとは全くスケールが違うが、「ふぁぼられを得る方法」についても是々非々の議論になることがある。
この前、コピペでふぁぼを稼ぐことについての是非、みたいな話を見た。ちょっとリンクしてみる。
マックにて。
このネタPOSTの元はTwitterだとか2chだとか話が飛び交っているが、私はよく知らない。
取りあえず、全文コピペがどうとか著作権がどうとか、そういった問題については一旦脇に置いておこう。それぞれについてはそれぞれの問題点があると思うが、今はふぁぼられの話だ。要するに、全文コピペがたくさんfavを集めてしまったことに対して問題視する意見が結構あるのだが、問題にしているスキームが少しずつずれている様な気がしたのだ。
コメントを見ていると色んな考え方の人がいるっぽい。ものすごい乱暴な要約をするが、
1.ネタPOSTをコピペした行為自体に対して、「パクリ」「剽窃」に対する問題視と同じような問題視をしている人。
2.オリジナルではないPOSTが「ふぁぼを集めた」あるいは「ふぁぼられて喜んでいる」こと、つまりfavを得る方法論について問題視する人。
3.上記に関連して、「(話者・批判者共に)ふぁぼ数をそこまで重視・尊重する必要があるのか」という問題提起をする人。
大体上の三つくらいの問題点を読み取れて、それぞれ空気感が違う気がして個人的にとても興味深い。
1については、まあWeb文化に親しんだ人ならある程度問題視するのは当然といえば当然だろう。出典が分かる様にすればよかった、というのは妥当な意見だと思うし、実際そうすれば波風は立たなかったろうが、当該POSTがここまでふぁぼを集めることもなかったろう。
2については、「favを得る為にはこうするべきだ」といった皮膚感をもった人ともっていない人がいる、ような気がする。オリジナリティをもった人が賞賛されるのは当然だが、favを集めるべきなのは自分の頭で面白いPOSTをひねり出してPOSTする人であるべきであって、楽にコピペでfavを集めることには嫌悪感を感じる、とでもいうか。いや、これは上のソースだけから読み取った内容ではないが。
他の問題を一切とっぱらって、純粋にふぁぼられを得ることに最適化された行動をとるとすれば、「過去に注目されたテキストを再利用する」というのは、妥当な戦略なのかも知れない。ふぁぼられのみを目的とするのなら、そういうのもアリだと思う。
しかし、本来のfavというのはおそらく「面白いPOST」「興味深いPOST」という価値ある存在に対して共感を示す為の機能であって、そこから考えると、いってみれば「不労所得」に対する反感みたいなものが発生するのはわからないでもない。これは、ある程度favに対する価値を強く感じている人でなければ出てこない発想だとは思う。
3の問題提起をした人は、恐らく2のような皮膚間・問題意識をもっていないか、単純にfavに対してそこまでの価値を感じていない人なのだろう。これも分からないでもない。
私個人の「ふぁぼられに対する皮膚感」について書くとすれば。
私自身は恐らくふぁぼったー文化圏の端っこくらいにはいる人間だし、思いついたPOSTにfavがつけば割と嬉しいし、気に入ったPOSTを積極的にふぁぼってもいる。つまり、それなりにfavに対して価値を感じている。
ただ、人がどの様にfavを得るか、については特に意見もこだわりもない。剽窃とかの問題があるから全文コピペとかは自分ではやらないが、それがコピペであれなんであれ、何か面白いことを書いてそこにfavが集まるなら別にいいんじゃないの、程度に思う。ただ、これについては人によって全然考え方が違うだろう。人の考え方を否定する気はない。
まとめというわけでもないが、三つ程いえることは。
・「自分はfavに対してどういう距離感を持っているのか?」ということを認識して、それとは距離感が違う人もたくさんいるんだなあということを頭に入れておくと、色々と面白い気がする。
・ふぁぼられにこだわり過ぎない方が疲れない気はする。
・けど、ふぁぼったーは知らないよりも知っていた方がTwitterを色々な意味で楽しめる気がする。
そんなところだろうか。
と、最近ふぁぼ・ふぁぼられに関して考えたことは、大体以上のような感じである。書いてみたら思った以上に長くなった。血迷ってツイッターでPOSTしようとか思いつかなくて本当に良かった。
今日はこれくらいで。
2010年08月12日

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