別に反論という程のものでもないが、トラックバックを頂けたので。不倒城の様な零細ブログにはなかなかないことだ。補足を兼ねてお返事をさせて頂きたい。
「俺の道」様より
>なんで乱暴か思ったのは自分とそれ以外の中間の位置にリアルで情報をもってる
>知人(友人、親類、その他服務)ってのがあるのではないかなと。
>その人物のリアルの情報を持っているのならば、
>そのバックボーンを実際知っていたり、想像する事が可能なわけだから
おっしゃっているバックボーンの意味と、私が述べた「バックボーン」の意味とが、少々異なる。
私が前エントリーで述べた「バックボーン」というものは、いわば脳内の履歴だ。その文章を書いた当時の記憶、感情、思考といったものであるから、これを他人と共有することは不可能である。当然だ、自分の脳ミソの中身を他人にソーシング出来る訳がない。この意味で、知人だろうが兄弟だろうが親子だろうが、「自分」と「自分以外の人間」には圧倒的な、決して越えることの出来ない壁がある。
しかしおっしゃる通り、知人や友人が書く文章は、全く知らない人が書いた文章とはちょっと面白さの質が異なる。全く同じ内容を書いていたとしても、知人や友人の書く文章は多少面白く読める様に思える。
これは何故か。
意図的にという程のこともないが、前回のエントリーでは全く触れなかった要素が一つある。文章の「内容」と「表現」の違いについてだ。文章を書くには二つのプロセスがある、と私は直前のエントリーで述べた。脳内で書く内容をこねくり回す段階である、「発想」。こねくり回した内容を文章に変換する「表現」。「What」と「How」の違い、といってもいいだろう。
発想と表現両方が伴っていなければなかなか面白い文章にはなりにくいが、「自分が書いた文章を読む」場合には、「表現のハードル」というものは限りなく低くなる(また、表現したという記憶そのものも味わうことが出来る)。故に自分が読む場合には、自分の文章は名文である。
前回のエントリーの前半部分は、言い換えると大体上記の様に要約出来る。
そして、この続きを言い換えると大体次の様になる。
「表現のハードル」というものは他人にとっては結構高いから、発想が幾ら面白くてもそれが他人にそのまま伝わるとは限らない。多くの場合、「発想(内容)」の面白さは他人に受け渡す過程で「表現」の壁に阻まれて減ずる。故に、自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くない。
結構長くなった。つまり前回のエントリーは、自分と他人の間の壁について「表現」の側からしか触れていないのだ。こと「表現」の側から見る限り、知人だろうが赤の他人だろうがハードルの高さは全く変わらない。よって、何故「知人の文章も結構面白い」のかは、「発想」の側の問題であろうと推測出来る。
何が面白い表現かという問題は結構難しいが、面白い内容というものは割とシンプルだ。内容が面白いかどうかは、「興味」とか「関心」といったものにほぼ比例する。興味がある話題は面白い内容になる可能性が高くなるし、興味が全くない話題がその人にとって面白い可能性は基本的に低い。専門ブログが強いと言われる理由がまさにこれで、興味のある分野に関する話題や情報が山とあるのだから、興味がある人にとってそのブログが面白いのは当然だ。
「ある文章を読むことで、その分野に初めて興味を抱く」ということは当然あるだろうが、それは「表現」の側に助けられたレアケースと考えるべきだ。
ところで、「自分が読む自分の文章」というものは「面白い内容」の条件も満たしている。自分が書く文章というものは、基本的に自分にとって面白い話題ばかりである。全く興味がない話題をわざわざ文章にする訳がない。
これも当たり前の話なのだが、人間の趣味とか関心というものは、必ず「自分」を基点にしている。例えば好きな音楽とか、好きなスポーツとか、好きなテレビ番組とか、こういったものは全て頭に「自分の」という言葉がつく。他人の好きな音楽にしか興味をもたない人というのはあまりいない。むしろ、友人はこの音楽を好きだといっているが、自分にはいまいちその良さが判らない、という人の方が多いであろう。
しかし興味というものは伝染する。知人が好きなものには自分も関心を持つ可能性が結構ある。それはなんでかというと、その知人に対して自分が関心を持っているからだ。「知人に対する関心」という踏み台があるから、その知人が持っている情報に対しても関心が底上げされる。情報がご飯なら「相手を知っている」という事実がふりかけである。
そして勿論これは、「全く知らない人には興味を持ちにくい」ということを同時に示している。
前回のエントリーと同じ言い方をすると、自分が興味を持っている程は、他人は自分に対して興味を持っていない。
これも別に揶揄ではない。人間の興味の起点が自分である以上、他人に振り向けられる興味が多少減ずるのは当然だ。これも程度の問題であって、他人への興味を多く有している人も、他人にあまり興味がない人もいるだろう。とはいえ、自分が興味をもっているものには無条件に他人も興味をもってくれる筈だ、などと勘違いをするのは避けたいところだ。
ということで、文章を書く人間としては当然「他人にも興味をもってもらえる内容」に関しても多少は吟味をしなくてはならない、という結論になるのかも知れないが、この結論に達すると物凄い勢いで「お前が言うな!」という突っ込みが私のところに帰ってくる。カテゴリー一覧を見れば一目瞭然で、私が興味を持つ分野というものは基本的にマイノリティもマイノリティ、一体誰がこれに興味を持つんだこれに、というレベルの話題である為、実はあまりこの話題に触れたくなかったのだが、まあ書いてしまったものは仕方ない。粛々とした気分で、今後もマイノリティならではのマイノリティめいた内容の文章を書きつづけていきたいと思う。せめて表現の側では頑張らんとなあ、とは思うのだが。
ということで補足でした。
2005年01月16日

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Weblog: 俺の道
Tracked: 2005-01-16 22:13
自分語りのこと
Excerpt: 自分語りについてきれいにまとめられてました。 http://mubou.see
Weblog: エレメモ
Tracked: 2005-01-21 00:13
新たな動きがあったようですよ。
募金パーク運営者が問題提示者の実名を掲示したみたいです。もちろん、問題提示者の了承を得ずにです。
ボランティアをやっていて、NGO活動をやっているのに、個人情報をあっけなく公開しちゃうってのはどうなんでしょう?
なんだか昔同じドメインで割といかがわしい商売が行われていたというお話も聞きましたが。
って、良かったら募金パークエントリーの方でコメントしていただけると嬉しかったりもしますが。