思考の筋道を追うと、思い出したことが一つある。
昔お世話になっていた編集者さんが、こんなことを言っていた。
「作家は身内の厳しい言葉と、ファンからの甘やかしで育つもんだ」
曰く、厳しい声はどうせ編集者や作家仲間などの身内から聞けるので、ファンからはひたすら好意的な声だけを聞いて、それをやる気に変えていけばいい、と。創作者にはファンからの好意的な声がなによりも必要だ、と。
以前、ファンレターを渡す方針に困る編集者さんのことを書いたが、上記の編集者さんはそんな考えから、自分が担当する作家さんに決して悪評の声を渡さなかった。最近はどうなのか知らない。私の不義理もあって、あまり連絡をとらなくなってもう随分になる。
勿論、万事に当てはまることではないだろう。作家さんでも漫画家さんでも、ファンの声で増長してしまう人も、ファンに叱られて伸びる人も、好意的な声に慣れきってしまった人も多分いるのだろう。けれど、大部分の創作者さんにとって、受信する側の「あなたの作品が好き」という声がなによりも重要だ、というのは、多分そうなのだろうと私は今でも思っている。
上述のエントリーでも書いたが、「悪評」というものは強力だ。悪意というものはとても強力だ。100の褒め言葉があっても、たった一つの悪意ある言葉が、創作者さんの心に強いダメージを与えてしまうことは全然珍しいことではない。
ただ、だからこそ、100の褒め言葉が確実にその人に届くことはとても重要なんじゃないかなあ、と私は思う。あなたの作品を悪く言う人もいるけれども、あなたの作品が好きだという人も確実にいるんだよ、という事実は、いつか必ず創作者さんの力になると思う。
Twitterをやっていると、創作者とファンの敷居が低くなったなあ、とつくづく思う。漫画家さんやゲーム屋さん、アーティストの方々が、ごく普通に呟きを投げ合っている時代だ。彼我の距離がここまで縮まった時代って今までなかったんじゃないだろうか。
Twitterに限らず、今の時代、ファンの声は思いがけない程ダイレクトに創作者に届く。何の気もなしにつぶやいた一言が、めぐりめぐって作者さんの所に届く時代だ。その中には当然悪評もあるだろうし、悪評を読んで傷ついてしまう創作者さんも当然いるのだろう。
だからこそ、「この作品が好きだ」と思った時は、それを表明するべきだと思う。表現するべきだと思う。
あなたが好きな創作者さんの為に、一の悪評を百の好評で穴埋め出来るように。いつかめぐりめぐってその言葉が創作者さんの元に届く時の為に。
漫画やアニメや音楽やゲームに限らず。子育てでも人材育成でも、「褒め言葉を発する」「褒め言葉を受け取る」というのは、それだけで結構大変なものだ。多分褒め言葉のやり取りにも度量がいる。精神的瞬発力みたいなものが、多分要る。ただ、「適切に褒める」という行為には、それだけのコストをかける価値がある、と私は考えている。
これからも褒めよう。その言葉が、いつか誰かのプラスになる時の為に。
2010年09月21日

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最近は「ありがとう」を言えない人も増えましたからねぇ