以前ちらっと書きかけた、2ちゃんのユーザー意識と特殊性について。企業と2ちゃんが関わるとろくなことが起きないみたいだが、これなんでですかね、というお話。徹夜明けで眠いのでざっくりと。めっさ手垢がついた既出議論だったらすいません。
いわゆる2ちゃんねらーという層には、ある種の帰属意識というものが強い様に見受けられる。「2ちゃんねる」というもの自体に対する思い入れというか忠誠心というか、あるいは一種の所有意識の様なものが一部のユーザーの内にあるのではないかと思うのだ。
コミュニティに対する帰属意識というもの自体は別段珍しくもない。どんな単位であれ、自分の所属している組織に人は何かしらの思い入れをもつものだ。
2ちゃんねるのそれが少々特殊なのは、「思い入れ」の対象が人ではなく、完全無欠に「場」であることに起因する。
SNS、例えばmixiを使用している人で、mixiというコミュニティに帰属意識をもっている人は勿論いるだろう。だが、それは「mixiそのものに対する」帰属意識ではなく、多くの場合mixi上で形成されている人間関係に対する帰属意識である様だ。
例えmixiがなくなったとしても、仮にmixi上のコミュニティの面子がそのままの形で付き合える別の場所を見つけられれば、mixiユーザーはそれ程悲嘆にくれないだろう。mixiがどこかのブログで多少感情的に批判されたとしても、mixiユーザーがそれに対して感情的に反発することは少ない(反発する人がいない訳じゃないが)
なにせmixiは1SNSサービスに過ぎないのだから、まあそれが普通だ。私はseesaaをそれなりに気に入っているが、seesaaがサービスを停止したらどっか別のブログサービスを探す。それだけだ。
ところが、本来は同じ「ネット上の1サービス」に過ぎない筈の2ちゃんの場合、話はそう簡単にはいかない。2ちゃんねるを感情的に批判した場合、ときとして「名無しさん」の大挙とした攻撃が襲い掛かってきたりする。2ちゃんねる消滅の危機には、時として2ちゃんユーザーの一部が一丸となって消滅を食い止めたりする(参照)。2ちゃんねると企業が対立して、エラい大騒動になることもしばしばある。
原因は多分ふたつある。
○純粋に、2ちゃんねるの代替となり得る場所がWebに存在しないこと。
○2ちゃんねるが匿名を基とした特殊な場所であること。
前者はそのまんま。サービスとして完全な代替が利かないものであるが故、ユーザーにとって2ちゃんねるの存在は極めて貴重である。この貴重さが思いいれの一因になるのは当然だろう(ある程度補完出来る場所なら、したらばとかメガビとか色々あるらしいが)
後者について。2ちゃんは基本が匿名である故に、「人間関係」に顔がない。大抵の場合、スレッドの参加者は自分も相手も同じ「名無しさん」である。2ちゃんにおける「人間関係」は、まさに2ちゃんでしか成立し得ないその場限りの関係なのだ。
そして、Webページやその他のコミュニティと異なり、大多数のスレッドにおいて「管理人」と呼ばれる人間は存在しない。参加者の立場は全てイーブンであり、匿名である限りスレ内の立場は一定しない。匿名で書き込んだ発言は、その他の匿名のレスにまぎれてスレッドに溶け込み、いわばスレッドは参加者群の著作物となる。
すなわち、2ちゃんのインターフェイスにおいては「自分」「他人」「参加者」「コミュニティ」「スレッド」などの区分がある程度以上不分明なのである(余談になるが、かつての「ネット」ではこの「不分明さ」は割とどこにでも転がっていた)。
この不分明さこそ、現在の2ちゃんの特殊性の源泉である様に思う。
この不分明さ故に、2ちゃんねるを批判されると自分が批判された様な気になる人もいる。2ちゃんねらーといわれると自分と同一視する人もいれば、「2ちゃんねる消滅危機」の様なオープンソースコミュニティの如き光景を生みもする。一般的なオープンソースコミュニティと異なるのは、人が集まる求心力の源泉が「匿名性」である点だ。これが、2ちゃんねるにおける帰属意識の対象が「場」である、ことの所以である。
先年から様々続いている、2ちゃんねると企業の色々な軋轢の原因の一つもここである様に思う。「不分明」な場所とそうでない場所が接触するから衝突が生じる。
人ではなく所属している箱への思い入れ、というものは、大抵の企業が従業員に望んでも得られないものである。企業の利益追求の源泉は「人」の連帯である一方、利益追求などとは全然縁遠い場所である筈の2ちゃんを構成する人々が「場」に対する強い思い入れを持っている。2ちゃんの存在をまともな企業の尺度で測れないのも当然だろう。
と、取り敢えずこの辺まで考えてみた。なんか対象物がでかすぎてよー分からん面もあるが、この続きでは、話を「スレ」という単位に落とし込んでもうちょっと考えてみたい。
関連記事:
mixiと2ちゃんの比較論
2006年04月25日
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ああいう2chみたいな、ラジカルな人達の集まりって、大抵所属する人たちから大事にされている気がします。
音楽で言えばパンクス達はパンク・ムーブメントに対する忠誠心は強いのが普通ですし、政治の事は明るくないのですが、政治的なラジカリスト・コミューンなども似たような性格を持つんじゃないでしょうか。
私が考える理由ですが、やはりそこを「駆け込み寺」と思っている人が多いからでしょうか。そこを追い出されると、もう自らのラジカルな部分を受容してくれる場がないという切迫感に拠っているのでは。もちろん、そういうラジカルさを受容してくれた場に対する一種信仰的な忠誠心も発生するでしょう。
それに加えて、そういうラジカルな場では、自由さが重んじられ、組織からの締め付けを厳しくせず場の運営を自治にゆだねるのが普通なので、「自分達で作り上げた場」という愛着も大きいのではと思います。
会社をはじめとする通常の組織では、どうしてもオーナー・運営側とユーザー・下部構成員は、多かれ少なかれ対立構造を持つのが普通だと思います。
上記にあげたような組織と、それ以外の組織の大きな違いはここだと思います。
うんと簡単にひとことで言うと「アウトサイダーの連帯意識」とでも言うべきものでしょうか。
例えば2chは超巨大サイトですが、参加者達は一貫してアウトサイド・アンダーグラウンドの論理・気分でそこに参加していると私は思います。
皆がそういう大袈裟な「信仰的」気分で参加しているわけでもないと思いますが、それを薄めたアウトサイド気分で自由さを満喫している人が多いという面はあると思いますよ。
気づけば、私はずっとそういうラジカルな場ばかり好んで参加しています。
上記の分析は、ほとんど自己分析みたいなもんですね。書くのが楽でよかったです(笑)
こちらこそ遅コメント返しですいませんすいません。
>政治的なラジカリスト・コミューンなども似たような性格を持つんじゃないでしょうか。
板によっては、おっしゃる通りだと思います。実態のない帰属意識って、ある種の思想・政治的なコミュニティ、もーちょっと極端な言い方をすると国家とかにも通じるものがあるなーと思いました。
ただ、2ちゃんって板によってまた全然性格が違うんですよね。そこも話をややこしくしているんではないかと。さいとうさんがおっしゃっているのは、例えばニュー速+とか社会系とか、割とユーザーの考え方がストレートに出る部分のことだと思うんですが。
>やはりそこを「駆け込み寺」と思っている人が多いからでしょうか。
それは強くあるかと思います。代替の場所って、無いんですね、多分。
>上記にあげたような組織と、それ以外の組織の大きな違いはここだと思います。
対立構造の有無、っていう点は検討不足でした。なるほど。確かに、通常の組織で言う対立構造っていうのは2ちゃんには殆ど見られないですね(皆無ではない様ですが)
というか、さいとうさんはブログは持たれてないんですか?こういう濃いコメントを頂いていると、是非さいとうさんのエントリーが読みたいんですが(笑
なぜか電子楽器の修理サイトなんかはやってますが。
しかも、なぜか自サーバー(笑)
http://saito7.mydns.jp/LSM/
ブログを持ってしまうと、また「毒を吐く人」になるのが心配で(笑)、ガマンしてたんですが、ガールフレンドにも「酒飲んでいつも喋ってる事と一緒じゃん」「人様のところで毒を吐いてる位なら、ブログ作ればいいのに」と言われてます。
やはり作るべきかなぁと、ちと考え中です。
ここはネタが面白いので、ついつい昔の血が騒いで書き込んでしまいます(笑)
ミクシでも同じ名前で出ていますんで、よろしかったら見てみて下さい。
もっともそっちも「ガマン」して、昼に食べたカレーが美味かったとか、新しい楽器買ったとか、そんな話しか書いてません(笑)
一本だけ「負け犬の遠吠え」評みたいのを書きましたけどね。
ムーバブルタイプの仕込みとか勉強しなきゃなぁ。自サーバーなもんで(笑)
おお、楽器サイトの方でもさいとうさんの論の片鱗が見えますね。
>ブログを持ってしまうと、また「毒を吐く人」になるのが心配で(笑)
>やはり作るべきかなぁと、ちと考え中です。
毒を面白く吐ける人は貴重ですので、勝手に期待させていただいておきます。
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