「どちらでもいい」とか「どこでもいい」という言葉を、最近はなるべく使わない様にしている。
いや、大した話ではないのだが、どうも最近食事先を決める際に、「どこでもいい」という意見が多くてなかなか決まらない、という事象が多く見受けられる様に思えるのだ。
「どうでもいい」は別格として、何か判断を問われた時、「どちらでもいい」といった言葉は自然と口をついてしまいがちだ。だが、例えそれが非常に細かい問題に関する問いであり、心のそこからどうでもいい問題だと思ったとしても、「どちらでもいい」という言葉を放つのは寛容を装った判断の押し付けに他ならない。そこにはマイルドな言葉に隠されたネガティブが存在する。自分が判断するべき材料を持っていないのであれば、せめて相手に判断を任せる旨の発言を行うのが望ましいだろう。
という様な理由でなんとなく発言に気をつけてみる練習。
「飯どーするよ?」「どこでもええよ」
というのは最近の私のスタンスからするといまいちNGである。
「飯どーするよ?」「君が食べたいものでいいよ」
ふうむ。まあまあ。どっちかというとこちらだ。推奨。男同士でも別段気にしない。
まあ理想を言うと、
「飯どーするよ?」「今日の私の気分からするとイスラム料理を食べたいと断言して差し支えない」
ここまで言える気分なら更に問題はあるまい。もはやその集団の行く先はあなたの思うがままだ。ところでイスラム料理ってどんなんですか。
そんなことを深く考えこんでいた折、奥様に話し掛けられた。
「昨日のシュークリーム、チョコレート味とカスタードが余ってるんだけど、どっち食べる?」
「君が食べたい方でいいよ」
失敗。
精進あるのみ。
2005年02月01日
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