2011年02月07日

我々は日本の宗教観の懐深さを見習わなくてはいけない

散歩中、近所の神社で、「御仏はみんなのこころの中に」という張り紙を見かけた。

お寺で、ではない。神社で、である。

あなた方が祀っているのは八幡様ではナイノデスカ。ご本尊放っといて釈迦如来リスペクトとか余りにもrockだ。rock過ぎる。神道ろけんろーる。

日本の寺社マジフリーダムというか、懐深過ぎるというか、端的に言ってカオスだと思った。流石、聖☆おにいさんが怒られない国なだけのことはある。アレ、大英博物館に展示されていたとかいうし、キリスト教圏の人も笑ってみてくれているのかなあとは思うのだが、もう一つの三大宗教が影も形も気配を見せないのは流石にやば過ぎるからだと思う。中村光氏の空気の読み方が絶妙ということなのだろう。


元来日本の宗教観といえばやおよろずの神様である。

宗教の一番原始的な形は多分アニミズムなのだろうし、要するに「あっちにもこっちにも神様が」というのが八百万の神様の真髄なのだろう。それだけ神様がいれば、一人二人神様仏様が増えても特に問題ないというのは頷ける話である。

宗教が偏狭になって良い影響が出る、という話をあまり聞かないので、このゆるさは良いことなのだろうと思う。

私は昔、寺と神社の違いを教わった某国の留学生が、隣同士に建っている寺社を見て「ここの僧たちは何故戦争を始めないんだ?」と呟いたのを実際にこの耳で聞いたことがある。流石に冗談だと思うが、目は笑っていなかった。割とマジモードなのであった。

戦争が始まらないのは、勿論お寺の人も神社の人も特に相手を敵視していないというか、せいぜい商売敵程度にしか見ていないからであって、ここでうっかり比叡山焼き討ちとか始まっちゃうと近所の人が大変に迷惑する。お寺や神社が平和なのはいいことなのである。


ということで、まあ過去には色々あったかも知れないけれど、神様とか仏さまとか色々入り混じってててきとーな現在の空気は皆見習うべきだと思った。

所有しているゲームハードの違いとかで宗教戦争してる人達には是非見習って欲しいし、皆でセガサターン買ってガーディアンヒーローズ遊んだりするととても良いと思う。


posted by しんざき at 19:11 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
そこでガーヒーを選択すると別の戦争が始まりそうな気もしますが・・・

まあ、聖☆お兄さんとメガテンは日本以外では無理ですよねぇ・・・
Posted by 0-clock at 2011年02月07日 23:37
これ、「狩猟民族の欧米人と違って我々農耕民族の日本人は〜」言説と並んで、日本人のよく誇りたがる勘違いですね。
(欧米人だろうが、都市文明築いているのは基本的に農耕民族だって)
八百万なんて世界的に別に珍しい事でもないし
土着宗教と外来宗教の習合なんてどこにでもあります。
ローマ神話とギリシャ神話が同一視されているのも顕著な例だし、古代世界ではギリシャ神話とオリエント神話も普通に習合している。
ウェールズのケルト十字(十字にリングの被っているシンボル)は、なんと「あの」キリスト教にケルト信仰を乗せたものです。
多神教どころか、八百万と言ったって
ヒンドゥも道教(かの関羽まで神様ですわ)も古代エジプト神話も八百万です。
インドネシアは元来の精霊信仰にヒンドゥが加わり、さらに仏教がやってきて、最後にイスラーム教がやってきました。
が、世界遺産のボロブドゥル(仏教)とブランバナン(ヒンドゥ)がかなり近い時代の地理的にもすぐ近くにありますが、取り壊されもせず共存していました。
「この国では神様は喧嘩しない」と現世界最大のイスラーム教国(中東じゃないのですよ)となった現地のインドネシア人が寛容性を自慢しています。
ぶっちゃけ、逆に例の世界一神教の三大宗派(キ・ユ・イです。念の為)が殊更に排他的なんです。
そして島国日本人は世界に疎すぎです。
米とか箸とか農耕民族とか、すぐに日本独自のものにしたがる世間知らずさがある。
あと、日本人はイスラームに偏見持って怖がりすぎ。
歴史的にも利害的にも対立している欧米キリスト教圏のネガキャンを鵜呑みにしすぎですわ。
極端な原理主義や、辺鄙な田舎の慣習をさも全体の宗旨のように宣伝されてますしね(というか、全部未開の田舎宗教だと思ってそう)
実はイスラームってのは、例の一神教の「中では」平等と寛容を宗旨に掲げている方だと言う事を知らない人が大半です。
最早、世界でカトリックより信者数が多いんですから。
Posted by   at 2011年02月12日 00:02
まあ上で長々書いてる人がいますが、何と言うか、多神信仰と汎神信仰をごった煮にしてるような印象ですな。
(まあ、この辺誤解している人も多いので仕方無いかなとも思いますが)

「神様がたくさん居る」だけでは、日本で言うところの「八百万のカミ」ではないんですよね。
じゃあ何がそうなんだと言えば、「この世全てにカミは宿る」と言うのがそうかと。
仏教でもヒンドゥーでも何でもそうですが、「特定の神(とされるモノ)」を崇め奉ると言う点では、一神教も多神教も変わりません。
単にその対象が一柱きりか、そうでないかの違いだけです。

勿論日本にも、神話上の主神格と言うか、力の強い(メジャーな)カミも居ますが、それが全てではない。石ころ一つにもカミは宿るし、麦穂の一房にもカミは宿る。飛び散った水の一滴にもカミは宿る。だから、常に畏敬の念、感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と考える。
それが、上でも書いた「この世全てにカミは宿る」と言う事であって、それが、日本の宗教観の一番深い所にあるものなのだと思いますよ。
Posted by crow at 2011年02月13日 13:22
>>これ、「狩猟民族の欧米人と違って我々農耕民族の日本人は〜」言説と並んで、日本人のよく誇りたがる勘違いですね。

上記、コメントを読んで感じたのですが「日本人」とひとくくりにした文章を否定して、同じように「日本人のよく誇りたがる勘違い」と決めつける。・・・この文章自体が個人の決めつけだろう。
Posted by at 2011年05月15日 03:45
神道は八百万の神。
仏教は物事の真実を理解して悟りを開こうとする哲学。
そもそもの立ち位置として、十字軍みたいな血みどろの対立は発生しようがないので
うまく共存できているんだと思います。
もともと一神教ではない、という点が決定的に大きいんでしょう。

一神教では聖書に対して原理主義的にきっちりしようとすることが善とされますからね。(キリスト、イスラム、ユダヤ…全部そう)
ちょっとでも間違えば「火あぶりの刑」だとか「異教徒は人間に非ず」とか。まあそういう排他性というか、DQN性なんてひどいもんですよ。
昔の日本人は、そういう胡散臭さをきちんと判断していたんでしょうね。だから、隠れキリシタンなんて存在すらあるw
日本は、皇統だけでも2700年弱あります。よって、民族としてはそれ以上の歴史を持つ国です。
そりゃもう、善悪のなんとなくの部分なんかは、宗教の枠を超えてDNAの中に組み込まれてるんでしょうよ。
「和を以って貴しと為す」なんて、革命国家(大国でいえば、アメリカ・フランス・ロシヤ・支那あたり)じゃ何百年たっても理解できない感性でしょう。
農耕とか、狩猟とかって全然関係ありませんなw
Posted by ばしくし at 2011年05月21日 01:38
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