作家心理と、ファンレター。
上記の知人編集者さんと最近久々に会話したのだけれど、色々と面白かった。
ご許可を頂いて、聞いた話の要点を箇条書きしてみる。例によって詳細はボカすし、一般化する気もない。
・最近は作家さんもtwitterや他のソーシャルブログをやっていることが多く、以前と比べて「ファンとの直接のやり取り」の機会が飛躍的に増えた。
・その為、以前ならまだぎりぎり可能だった「ファンレターを見せる際の、ファンからの声のコントロール」のようなことは、ほぼ完全に不可能になったといえる。
・昔、上のエントリーでも書いたが、作家さんの中には「悪評を見るとへこんで悪影響が出るのに何故か自分から悪評を求める」というような困った習性がある人がいて、そういう人がファンと直接やり取りをするのはやはり編集としては結構心臓に悪い。
・ただ、2ちゃんねる時代にあったような、ミもフタも正当性もない悪罵のようなものは意外と少なく、またたまにあったとしても「相手の普段の発言が見える」という透明感は大きく、場合によってはブロックすればいい訳で、その点でのモチベーション維持というのはそんなに大変でもないらしい。
・ただ、直接の悪評ではなく、普通のツイートとしての悪罵・悪評というものは当然色々あって、よせばいいのにそういうものをわざわざ探してきてしまう作家さんもいるらしい。
・百の好評よりも一の悪評の方が気になるし記憶に残るし反論したくなる、というのはプロもアマチュアも同じ。勿論、悪評を糧に出来る創作者さんもたくさんいるんだけど。
・「最近はTwitter検索が死んでることが多いのでその点ちょっと助かっている」と言われてコーヒー吹いた。
・サービスが落ちていることで救われる心も時にはある。
・ただ、芸能人とは全く意味が異なるとはいえ、失言による炎上リスクなんかも当然ある訳で、その辺も心配っちゃ心配。
・Twitterもいいけど仕事もしてください。>どなたか。
・「僕はヘンシュウシャ」「私がアイディア出しをしてあげる!」みたいなちょっと困った感じのファンの人もやはりちらほらいるらしく、そういう人は完全スルーする様お願いしてあるとか。
・ファンとアーティストのやり取りがほぼダイレクトで行われるなんて、今までのどの時代を見渡してもなかったわけで、時代が変わったもんだなあ。と感慨。
大体そんなことを話した。
時代が変わったなあ、というのはつくづくそう思う。昔は「創作物」という分厚いレンズ越しにうっすらとしか見えていなかった創作者さんが、直接会話を交わすことの出来る位置まで降りてきて、うっかりすると一緒に飲みにいっちゃったりすることすらある。凄い変化だとしかいい様がない。
創作者とファンが、創作活動を介してではなく直接繋がることも出来る、というのは素敵なことのようで、やはり素敵なことばかりではなくって。ファンの側にも、創作者の側にも、負荷や痛みが生じることがあるのだろう。
「ファンの声」というものは、エネルギーを生む源泉でもあるが、時には劇物になることもあって、直接摂取するのは結構リスキーだ。少なくとも私にはそういう意識がある。
けど、直接摂取するようになった「ファンの声」をちゃんと自分の糧にしている作家さんもたくさんいて、この辺はやっぱ距離の取り方がうまいかどうかってことなんだろうなあ。と思った。同時に、ある程度のスルー力とか、多少のテキストを寄せられてもダメージを受けない度量というのも必要なのだろう。
ファンの側にも「相手は血の通った人間で、職業人で、一人のTwitterユーザーだ」という認識と最低限の礼儀は、当然必要だ。これは、今後ファンと創作者の垣根がますます下がっていく中で、必須になっていく認識だと思う。この辺の話は、結局「礼儀を守って楽しく交流しましょう」というごく当たり前の文章に落ち着く。
ただ、「ファンと創作者の距離が近付いている」というのは、同時に「創作者側に行く為の垣根が下がっている」ということも意味しているのであって、今後プロとアマチュアの間の壁はますます低くなっていくのだろうな、と思わせられる。この辺の話はまたいずれ。
なんにせよ、今後とも、ファンと創作者の間にいい関係が築かれていくことを願ってやまない。
2011年02月08日

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というのが自分の中であります。
本人と作品は別…とちゃんとスルーはしますが、ツイッターブームだからって作家さんも安易に自己を開示しちゃうものに手を出して欲しくないなぁと思う次第です。