2011年02月15日

「最近の若者は」という言葉と「マスコミのせい」という言葉は、それ程レベルが変わらないんじゃないだろうか

「誰にとっても分かりやすい巨大な悪役」は、多分、存在しない。我々は、「分かりやすい悪役」が存在しない世界で生きていることを、いい加減認めなくてはいけない。


少年の非行「増えたと感じる」75% 内閣府が出した数字では減少 いったいこのズレは・・・

ちょっと迷ったが、ブーメランを承知で、上記ソースを読んで思ったことをそのまま書く。


忌むべきは「思考停止」なのだろう、と思う。


上記のソースが示唆する、「最近の若い者は!」とか、「インターネットのせい!携帯電話のせい!」といったテキストが何故批判や嘲笑に値するかというと、それはそこに「思考停止」があるからだ。

こういったテキストにはある程度の割合で、ポジショントークで「簡単な犯人」を誂えて、思考停止のままにそれらを批判する、という内容のものが混じっている。

そういった、「深く考えずに総括して非難」というテキストには、嘲笑されるべき理由と正当性があるだろう。実際に「最近の若者」や「インターネット」が要因になって悪影響を及ぼしていること、というのはもしかするとあるかも知れないが、そこに辿り着く為には慎重な議論と統計と考察が必要になる。そういった準備段階をすっ飛ばして「インターネットガー」などとやり出すから空虚なテキストになるのだし、上記ソースのようなアホらしい矛盾も出てくるのだ。


ところでここにはブーメランが埋めてある。


上記ソースを見ていると、「どう考えてもマスコミのせいだろ」「マスゴミが事実とは異なる印象操作、偏向捏造報道をしているからだね」といった、どちらかというと脊髄で書かれているようなコメントが散見される。ここに限らず、Web上には、なんらかのポジショントーク、あるいは思考停止発言に対して、カウンターのように「マスコミ批判」「メディア批判」あるいは「老人世代批判」を展開する向きが、ある程度の割合で存在するように思う。


マスコミが悪いのか?そうなのかも知れない。ただ、「最近の若者」という一言で若者を括ることに無理があるのと同様に、「マスコミ」という一言でマスコミを括ることにも無理はあるだろう。具体的には、誰が、どうして、どの様に悪いのか?

「マスコミのせい」という一言に辿り着く過程において、話者は「最近の若者は」と同じ轍を踏んではいないだろうか?


忌むべきは思考停止だ、と思う。マスコミが悪いとしたら、その結論に至る為には、やはり積み上げなくてはいけない過程というものがある筈だ。その過程をすっ飛ばして「マスコミが悪い」という結論にのみ拠って立つ人がいるとすれば、私にはその人と、「インターネットが悪い」という結論にのみ拠って立つ人の違いがよく分からない。


「○○が悪い」という言葉は、責任の所在を明確化する為にある。○○という言葉が明確に存在していれば、確かに我々は安心出来る。○○が変わりさえすれば、○○が改善しさえすれば事態は改善するのだから、あとは○○をどうにかしさえすればいいのだ。話は簡単だ。


ただ、この時、「○○が悪い」という言葉は妥当なのかどうか、ということについては、常に問い続けなくてはならない。その○○という言葉は、一括化し過ぎていてぼやけていないか?妥当な統計を欠いてはいないか?妥当な考察を欠いてはいないか?そう、丁度お気軽に口にされる、「最近の若者は」「インターネットの悪影響が」といったテキストのように。


「最近の若者が悪い」という一言が何の解決案も提示していないのと同じ程度に、「マスコミが悪い」という一言が何の解決案も提示していないことに、話者は気付いているだろうか。


明確な「○○が悪い」という言葉がないと、我々は時折不安になる。事態を改善する為に、誰を責めればいいのか分からないからだ。しかし、狼男を撃ちぬく銀の弾丸が存在しない様に、「分かりやすい責任者」などどこにも存在しない、という事態の方が、どちらかというと世の中多いように思う。そういう時は、一つ一つの問題点を、一つ一つ片付けていくしか改善に向かう方法はない。それしかないのだ。


「誰にとっても分かりやすい巨大な悪役」は、多分、存在しない。我々は、「分かりやすい悪役」が存在しない世界で生きていることを、いい加減認めなくてはいけない。そんな風に思う。


posted by しんざき at 17:41 | Comment(6) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
全然違うよ。もうちょっと勉強してから書いたら?
マスゴミがクソだってのは、色んな証拠が積み上がって出来た意見。
「朝日新聞捏造」とかでぐぐればすぐ分かるよ。
Posted by at 2011年02月15日 20:03
>名無しさん
もしかすると朝日新聞以外の報道機関がない国にお住まいの方でしょうか?でしたら失礼しました。

もしそうでなければ、「マスゴミ」を「インターネット」に、「朝日新聞捏造」を例えば「2ちゃんねる 犯罪予告」に換えてご自分のコメントを読んでみると面白いかも知れないですよ。
Posted by しんざき at 2011年02月15日 20:43
こんばんは。

あぁ、最近の「若者の◯◯離れ」とか「美人すぎる」とか見て、何となく感じてた違和感や、それに対する反発心とかがすとんと落ち着いた気がします。
なーるほど。

雑誌ひとつとっても、ちゃんとしたスタンスのところもあれば、目も当てられないテキトーに書いた事出版しているところもありますからね。

参考になりました。
それでは、失礼しました。
Posted by USHIZO at 2011年02月16日 02:34
いつも楽しんで読ませてもらっています。

マスコミが悪い点があるとも思いますが。


若い頃の教育(学校や親・社会)が思考停止に追い込んでいるのかもしれません。

そもそも、学校の先生ってのは社会経験をまともに経験していませんし(大学生→学校教諭)、雑用が多い事や教科書の問題・・・など社会的な構造などの面で適切な教育が出来ないっていうのもあるのかもしれません。

何にせよ細かいことを考えると解決するには社会的構造や意識を変えなければいけないと思いました。

大学院生を目指す大学生より
Posted by れお at 2011年02月16日 12:21
問題の本質を真摯に考えるよりも、分かりやすい巨悪を設定してそれを叩く方が気分的に楽ですからね。
本当は、巨悪なんてどこにもいないんですけどね。
Posted by at 2011年02月16日 12:59
マスコミのせいって言説は、マスコミが
「個別の発言にいちいち応えてはいられない」という、まぁ物理的に当然な理由で、
一切「素朴な疑問」に答えてくれないから言われているんだと思っています。
マス・コミュニケーションは1:多の関係で、多からの方向には「問題の矮小化」とか「取捨選択」という変換があって、切り捨てられる、無視される人がでるのは仕方がないんでしょうけど、
最近になって私は、報道姿勢で
デスクと取材陣とスタジオ現場の力関係に興味を持っています。
スタジオは時々取材者に
「なんでもっと突っ込んで聞かないんだ?」
とぼやくことがありますし、
下らないと思ったコーナーでは
「こんなこと、採り上げる価値あるか?」
とぼやくことがあるんですが、
取材陣は取材の現場で何を質問しているのか
(東国原氏が「何時間もの質疑応答があっても、私が怒ったり失言したら、その瞬間だけ何度も放映される」と語ったり)
番組チームのミーティングでどんな打ち合わせがされているのか、
部外者には知る術がないんです。
「マスコミのせい」の「マスコミ」には、どんな要素で構成されているのか。
Posted by てんてけ at 2011年02月17日 07:19
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