2011年03月07日

「常識」棚卸しのススメ。

「常識」を一つ棚卸しすると6つくらい思考ネタが出来る、くらいの感覚かも知れない。ブログに書くネタが一個出来る、でもよろしい。

ここでいう「常識」というものは、割りと多くの人がなんとなく信じている事柄、くらいの意味になる。ちょっと「常識」をさらう機会があったので、思考過程をなぞってみる。


1.その常識の内容は妥当なのか?
2.その常識は何故存在する/形成されたのか?
3.その常識は本当に「常識」と称することが出来る程支持人数が多いのか?
4.その常識を否定するとしたら考え得る論拠は何か?
5.その常識に従った/あるいはその常識を無視した場合、メリット・デメリットは何か?
6.その常識に対して、自分はどの様なスタンスをとるか?


これだけネタがある。なんというネタの宝庫。


何でもいいや、例えば「食品添加物は体に悪い」という「常識」があったとしよう。飽くまで過程を追う為の例なので、ここではそこまで深くは考えないが。

この「常識」について、普段は「なんとなく正しいんじゃないの」くらいで脳内スルーしているところに、ためしに上記6つの検討を加えてみる。


1.その常識の内容は妥当なのか?

まずこれだ。妥当の程度もまあ色々だが、改めて「それホントに正しいの?」と考えると、大抵の常識は意外といい加減だったりする。

「食品添加物は体に悪い」の場合だと、まず食品添加物ってなんなのよ、という話から始めないと話がいい加減過ぎて進まないよね、というところにはすぐ思い当たるし、体に悪いってどの程度?であるとか、体に悪いのもあればいいのもあるんじゃないの、といった色んな疑問が浮かぶ。そこまで厳密な話でもないが、大体の場合、少なくとも「定義」と「程度」は明確にする必要が出てくる。


そういったところをとっかかりに色々調べてみると、結構色んな検証や意見が目に入る筈だ。ただ、この時、新しく得た視点を鵜呑みにしないこと。これ重要。「えーっ、そうだったの?」とか純真に信じてしまうと、「通説・権威を否定するメソッド」に覿面はまる。

取り敢えず、次。


2.その常識は何故存在する/形成されたのか?

自分に対して、でもいいし、一般的に、でもいい。自分はどうしてそう思うようになったのか。一般的には、いつくらいからそういう常識が形成されたのか。

常識が出来る過程というのは意外にあっさり風味なこともあり、例えばたった一冊の本がその由来になっていることもあれば、一人の人に教えてもらったことが根っこになっていることもある。「何故自分がその常識を持つに至ったのか」というのは、追いかけるのが難しいテーマでもあり、知ってみると意外と根拠薄弱でした、みたいな思考のトリガーにもなる。

一般的にはどうしてその常識が形成されたのか、というのは、大体歴史の話になる。食品添加物の話であれば、多分大いに煽られるに至った著作なり事件なりがあったのだろうと思うが、ここでは飽くまで例なので、そこまで細かくは追わない。Webでちょっと探せば色々引っかかるだろうけど。

チクロの回収に関してかなり世論が煽られた云々という逸話は聞いたことがあるが、まあ私が生まれる前の話だ。

なんにせよ、次。


3.その常識は本当に「常識」と称することが出来る程支持人数が多いのか?

それは本当に「常識」なのか、という話。

これは、調べられることもあれば、なんとなく、という程度のこともある。思考ネタではあるものの、そこまで厳密に追っかけることではないかも知れない。

食品添加物の例で言えば、もうちょっと範囲を限定して「合成着色料」とかそういうものだったら、「なんか体に悪そう」というイメージを持っている人は多そうに思う。特に厳密に区分せず、「添加物」という言葉だけで「体に悪そう」というイメージと結びつける人、というのも、もしかするとまだそこそこいるのかも知れない(特に年配の方には)。 まあ、なんにせよ印象論だ。添加物の件は単なる例である。

「自分の常識他人の非常識」ということがあるが、ここでの目的は「そう思ってるのは実は自分だけではないのか」というリスクを回避することだ。ある程度一般化が出来るのであれば、そんなにこだわる必要もないと思う。



4.その常識を否定するとしたら考え得る論拠は何か?
5.その常識に従った/あるいはその常識を無視した場合、メリット・デメリットは何か?


まとめていくが。この二つは、ある程度の掘り下げや、ちゃんとした調査が必要な項目。

色んな人が信じている常識というものがあって、それに対して「いや、これ違うんじゃね?」という視点と根拠を得ることが出来た場合、それは重要な武器になり得る。人に見えていないものが自分には見えている、という状態だ。

ただ、これは一歩間違えると完全な独りよがり、それこそトンデモさんになってしまうことなので、慎重に調べる必要がある。なにしろ常識を否定することにはコストがかかる。ここでいうコストには、物理的なものも、社会的なものも含まれている。ぱっと思いついた「常識否定論」を声高に喧伝して、トンデモさんに堕してしまった人のなんと多いことか。

ただまあ、1と同様「鵜呑みにしない」という鉄則を守る限り、思考テーマとしては「常識否定」は面白い。その常識を否定するとしたら、どんな論を張るか。否定することによって得られるものは、なにか。否定することによるリスクは何か。

食品添加物の場合、もう既に「危険じゃないよ論」というものは割と一般的になっているし、そもそも「食品添加物は危険」という一文自体が既にある程度穴空きのテーゼになっている観もあるので、ここではあんまり深く触れない。もうちょっと堅牢な常識に喧嘩を吹っかけてみたら面白いかも知れない。


6.その常識に対して、自分はどの様なスタンスをとるか?

最後に、今後。上記1から5を踏まえて、自分はどういうスタンスでいくか?文章ネタでいうところの「結論」だ。

私自身の考え方としては、どんなスタンスをとるにせよ、「それ一本」というのは避けた方がいい場合が多いんじゃないかなあ、と思う。折角複数の視点が手に入ったのだから、一つ以外全部捨ててしまう、というのも勿体無い話だ。色んな視点を比較対照しながら人生渡っていくのも割と面白いと思う。

ただ、思考ネタを何か形にする必要がある場合には、ある程度取捨選択をしなくてはいけない場合が多い。そういう場合には、なんか適当に理由をでっちあげて、「その常識に対する今後のスタンス」みたいなものを定めてみるのもいいんじゃないかと思う。


なにはともあれ、時折「常識の棚卸し」をしてみると、頭が柔らかくなるかも知れない。思考実験としておすすめです。
posted by しんざき at 22:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
・その常識は、誰の利益になっているか、
てのもありそうですね。
Posted by てんてけ at 2011年03月09日 07:15
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