「勝利条件」や「敗北条件」について考える機会、というのは割と多い。
ちょっと前、Twitterで「ゲームを楽しむってどういうことか」みたいな話になって、その時も私は「勝利条件」「敗北条件」について考えた。
私が考えるゲームの本質は、「勝利条件を満たすことを目指す」という、言ってみればハードルを越える楽しさだ。ゲームには所定の勝利条件、敗北条件というものがあって、勝利条件を満たす、あるいは相手に敗北条件を与えることが、通常ゲームの目的になる。
これは割と普遍的な話であって、例えば将棋では「相手の玉を詰める」ことが勝利条件だし、一般的なRPGでは「ラスボスを倒す」ことが勝利条件だし、普通の鬼ごっこでは「相手をつかまえる」「鬼につかまる」という勝利条件、敗北条件がある。こういった勝利条件、敗北条件と格闘するのが、多分ゲームの醍醐味なのだと私は考えている。
勿論これは「元々用意された」条件である必要はなく、楽しみ上手な人は自分で様々に「勝利条件」「敗北条件」を変容させたりする。例えば、シムシティで「人口100万人」という目標を設定することは勝利条件の追加だし、ロマサガ3で「セレクトボタンを押さない」という制約を課すのは敗北条件の追加だ。
条件をクリアすることは面白い。だから、私の中で、「ゲームを楽しむのが上手い人」というのは、「面白い条件を追加/提示出来る人」「それに他人を巻き込める人」なのではないかと思う。
子供は遊びの天才だ、と思う。彼らは「勝利条件」「敗北条件」を即座にいじくり、新しいゲームを想像する。以前も書いたかも知れないが、かつて私は、追いかけっこをしていた子供が「じゃあ今からこの滑り台から離れたら負けな!」という条件を追加しただけで、全く新しい遊びを新規創作していたのを目撃して驚いたことがある。新たなルールの導入と、そこに瞬時に全員が巻き込まれるという適応能力。アレは多分、子供の凄さなのだと思う。
一方、「条件を追加/提示出来る」というのは、恐らく優秀なマネージャーの要件の一つでもある。「ゴールを提示する」「目的を提示する」というのがそれだ。組織の構成メンバーに、共通の「勝利条件」を納得させること。そして、そこに向かうハードルを飛び越えさせること。それが多分、「出来るマネージャー」なのではあるまいか。その究極の形がナチスドイツなのかも知れないけれど。
まあ、ことほど左様に、「勝利条件」「敗北条件」について考えはじめると思考はなかなかとまらないのである。今後も、どんなゲームに対しても、色んな「条件」をこねくり回せるプレイヤーでありたいと思う。
2011年04月20日

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各スポーツ協会で定める、ルールを決める主導権争いの勝利条件・敗北条件とか。
日本が強くなるとルールが改定されてしまうって非難がありますが、バレーボールが7人制になったのは日本の勝利だと聞いたことがあります。