前のエントリーに追記。まだ全然まとまってないので、メモ書き程度に。
スポーツに比べてゲームが非常に社会的認知を受けにくい理由。
・ゲームは趣味として細分化され過ぎている。
スポーツは、「スポーツ」という大カテゴリの中に「野球」「サッカー」「バスケ」などの中カテゴリがあり、その中にはせいぜい幾つかのの亜種があるのみである。
ゲームは、「ゲーム」という大カテゴリの中に「アクションゲーム」「シューティングゲーム」「RPG」などの中カテゴリがあり、更にその中に恐ろしい数のタイトルがある。そして、タイトル間の互換性が著しく薄い。
野球好きな人であれば、「何がお好きなんですか?」「野球です」と言えば、プロ野球が好きだろうと高校野球が好きだろうとMLBが好きだろうと、まあ一通り話は通じる。
だが、アクションゲーム好きな人が二人いたとして、「ファイナルファイトが好きなんです」という人と「スーパーマリオが好きなんです」という人の間では話が通じる要素が殆どない。例えゲーム好きな人が野球を知っている人と同じだけの人数いたとしても、「話が通じる」というレベルでの知識の総量は野球より遥かに低いことになる。認知度を高める上では、タイトルの多さは完全に障害なのだ。
故に、ゲームが社会的認知を受けようとすれば、ゲームといえば○○という様な、誰もが知っているキラータイトルが存在する時くらいしかそのチャンスはない。それは例えばスペースインベーダーであり、テトリスやバーチャファイターであり、事実その度にゲームの認知度は高まってきた。まあ、必ずしもいい方向への認知ばかりではなかったが。
ただ、今のゲーム市場を見るに、キラータイトルが生まれ易い土壌とはあまり思えない。これは全然別の話になってしまうのでまたの機会に。
2005年02月22日

この記事へのトラックバック
>故に、ゲームが社会的認知を受けようとすれば、ゲームといえば○○という様な、誰もが知っているキラータイトルが存在する時くらいしかそのチャンスはない。
まさにその通り。納得しました。
ただ、一昔前、それが格闘ゲームだった頃は逆効果でしたよね。
コメントありがとうございます。
スト2も評価は「暴力的」とかそんな感じでしたな。