2011年06月29日

それは本当に「隠された真実」なのか。

「今まで○○だと考えられていましたが、実は××でしたよ!」という情報は、ウケる。とてもウケる。

何故なら、多分、その情報に触れた時の感情の振れ幅が大きいから。


何も知らない「0」の状態から「1」という情報を知った時、振れ幅は1である。ところが、「1」という情報が既にあるところに、「実は-1でしたー!」という情報が上書きされた時、振れ幅は2になる。

どうも人間は、感情を強く動かされることに何らかの快感を感じるようだ。「実は××だった!知らなかった!」あるいは、「実は○○だった!だまされていた!」という心の動きの、気付き、驚き、あるいは憤り。多分、それが気持ちいいから、そういう種類の情報は受けやすいし、注目されやすい。



で。



ちょっと問題になるのは、「実は○○だった!」という情報に触れる時、情報に対するガードが甘くなる人が一定数いるように思える、という点である。

もともと、「ある情報が妥当かどうかを判断する」という、いわば対情報防御力とでも言うべきステータスは非常に重要な能力値であって、これが低いとデマを広めまくってしまったり意味のない不買運動に走ってしまったり、まあとにかくいろんな実害が起きる訳なのだが。「隠されていた真実」系の情報に対して、特に防御力が低くなる人というのは、どうも、それなりの数いるようだ。


理由は色々なんだろうけど。やはり「感情の触れ幅」というものに対する欲求が大きいから、であるとか、「真実に気付いた自分」という像の魅力が大きいから、であるとか、あるいは元々「疑いたい理由」があるところにそれを補強する情報が投げ込まれたから、であるとか、まあ色々あるとは思うのだ。ある程度仕方ない部分もある、とは思うのだ。


ただ、気をつけないといけない。それは本当に「隠された真実」なのか。


実際のところ、世の中は案外散文的なものであって。「今までは○○と考えられていましたが、実は××ですよ!」といった、「隠された真実」的なものは、全くないわけではないにせよ、そんなに多くはない。


それは、もしかすると「今まで散々言われてきたけど、単に目立たなかったこと」の焼き直しなのかも知れないし、

もしかすると「実は直接○○とは関係ないことなんだけれど、表現テクニックでまるで関係があることのように描写されている他の事象」なのかも知れないし、

もしかすると、最悪の場合、まったくの的外れ、あるいはでっち上げだという可能性だってある。



情報発信者の人も「隠された真実」系の情報が受けることはよく知っているから、そういう演出をしたくなる。誰だって「受ける」情報を発信したい。「受ける」情報から利益を得たい。

ただ、「隠された真実」だと思って飛びついたら、実は全く違いました、という時、一番の不利益を受けるのは残念ながら「信じた人」だ。理不尽なことだが、世の中そういう風に出来ている。

だからこそ、われわれは「隠された真実」に対して自衛しなくてはいけない。



立ち止まって考えたい。

それは本当に「隠された真実」なのか。

「隠された真実」の更に後ろに、あなたを騙そうとしているものは隠れていないか。


posted by しんざき at 21:43 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
言いたいことは何となく判るけども、「0が1だった」物差しなので良いとして、「1でなく-1」の設定値は筆者が設定しただけで、その事実が「1でなく0」「1でなく-2」とみるかどうかは主観であって、客観的に測れるようなモノでは無いのでは?
冒頭のこの前提が崩れると続く下の文章が成り立たない気がするのですよ。
しいて言うなら、
新製品/新発見Aができました。(0→A)
そして、Aがという期待値を持っている状態のときに、(潜在的な期待がA→A+α)
 通常のニュースは
  Aに新機能がつきました。(期待通りのαの獲得、α分の感動)
  Aに予定されたαは中止になりました(期待されたαの損失)
しかし、
Aが実はBでした。
というニュースは、
 A→0、0→B
と考えれば、2つの事象が1度に起きてるので、感動の振れが大きいのではないかと。

長文コメすまん
Posted by 通りすがり at 2011年06月30日 07:53
0→1、1→-1は比喩表現ですよね?数式じゃない。論理表現でもない。論旨全体をみればわかるよね?
ここから「考える」のは我々。
Posted by 立ち止まり at 2011年06月30日 08:02
>通りすがりさん
「0→1〜は」比喩表現であって、驚きの振幅を数値化できるとか、客観的観測が可能な対象であるというようなことを言っているわけではないでしょう。
それとA→0、0→Bっていうのも、論理として破綻してますよね。これは暗黙のうちに一度、「0=知らない状態」に戻ることが前提になってますけど、それは「AがBだったって」こととは全然別物です。
少し、難癖をつけたいだけの書き込みな感じがしたので、訂正したくなりました。長文失礼しました。
Posted by 立ち止まり2 at 2011年07月14日 15:47
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