2006年08月16日
レトロゲーム万里を往く その58 アフターバーナーII
実はゲーセンの絶頂期ってこの頃だったんじゃねえかなあと、今になって思う。
およそ、「アフターバーナー」以上に「ゲーセンでしか出来ないゲーム」ってのは後にも先にも存在しなかったんではなかろうか。そして、アフターバーナー以上に「リアル」なゲームも、ゲーム史上にそうそう存在しないと私は思う。そこには、グラフィック面での「リアル指向」なんて軽く笑い飛ばす様な、何か圧倒的な存在感があった。
「最強のゲーム」という言葉に個人の感想文以上の実態はないが、私は幾つかのジャンルでは「最強のゲーム」を明確に表明することが出来る。私にとって、「最強のアクションパズル」はソロモンの鍵だ。「最強の横シュー」はダライアス外伝だし、「最強のRPG」というと多分Wizardryだろう。そして、私にとって「最強のセガゲー」は何かというと、バーチャでもファンタシースターでもアウトランでもゴールデンアックスでもなく、アフターバーナーIIなのである。
アフターバーナーII。3Dシューティングゲーム。1987年、セガより業務用発売。大型可動筐体ゲームの代表として位置づけられるゲームで、それに先立つ「アウトラン」や「スペースハリアー」、更には未完成であった「アフターバーナー」を発展・完成させたタイトルでもある。
映画「トップガン」のイメージで作られたというこのゲームにおいて、プレイヤーは自分の操作に即応してぐいんぐいん動き回る筐体に乗り込み、戦闘機を駆って群がる敵をミサイルとバルカンでどっかんどっかん撃ち落とす。音楽やビジュアルは言うまでもないが、上昇下降加速減速、全ての操作がダイレクトに身体に入力される感覚は、「衝撃」などという安い言葉では計れない程に衝撃的だった。
結果的にアフターバーナーは世界中で大ヒットを巻き起こし、後の「ウィングウォー」や「ナイトストライカー」などの3Dシューティング、更には「サイバースレッド」や「バーチャロン」などの3D対戦ものにも強い影響を与えている。
参照ページを挙げてみる。
移植ゲーム研究所
画面写真などを取り上げて下さっているページがあった。ゲーム内容についてのレビューもさることながら、こちらのページを見て頂ければ、当時の「家庭用移植」の空気を幾分か感じとってもらえるのではあるまいか。
まずはこの辺の話からいこう。
・移植タイトルいまむかし。
移植の話を本腰入れて書くと、それだけで万里三回分くらいにはなってしまいそうなのだが。取り敢えずさらっと。
以前源平でも取り上げたと思うが、当時の家庭用移植ってものにはどのタイトルにも悲喜こもごあった。これは業務用ゲーだろうがPCゲーだろうが異ならない。
家庭用ハードに移植されるタイトルというのは当然一定量以上の人気をもったタイトルであり、ユーザーからの人気も当然高い訳だが、技術的に原作をそのまま再現するのは不可能である。さて、どうするか。
この辺の命題を解決するという使命をもって生まれてきたのが、ゼビウスであり、サラトマであり、ウィザードリィであり、パックランドだった訳だ。
特にPCエンジンやマークIII→メガドライブの登場を見て、複数のハードに一つのタイトルが移植されるというのが当然のことになってくると、ハード間の性能差を示すのに移植タイトルは格好の素材になっていく。
これ、現在の「ハード間抗争」の、一つの直接的な根っこにもなっている様に思う。かつては「こっちのハードの方が○○の移植度が高いぜ!!」という深刻な争いがあったのである。ゲーセンでしか出来ないゲームがどれだけの精度で遊べるか、というのがハード所有者の一つのプライドになっていた訳だ。今ではすっかり考古学用語になってしまったが。
アフターバーナーに関していえば、具体的には参照ページを見て頂くのが一番であろう。残念ながら、アフターバーナーはどこまで言っても「ゲーセンでしか味わえない」ゲームではあった。FM-TOWNS版とか凄いことになっていたという噂は聞くのだが、残念ながら私は未プレイである。
そもそも大型体感ゲームを家庭用に移植した時点で結構「ムチャ言うなボケ」の範囲だとは当時も思ったのだが、それでもサン電子の手によるファミコン版や、移植ものの覇者X68000版などは、結構遊べるゲームに仕上がっていた様な記憶がある。
・レトロゲームの「リアリティ」
アフターバーナーは、もうもの凄い勢いで「リアルなゲーム」であった。
多分色んな人が言っていることだとは思うのだが、ゲームにおいて価値ある「リアル」というのは、「どれだけ本物に近いか」ではない。
「どれだけ本物みたいな気分になれるか」である。
勿論グラフィックや音声の様な細部が本物に近ければ近い程、感情移入のしやすさは上がるだろうが、それだけでゲームが「リアル」になる訳ではない。ドット絵だろうがスプライトだろうが、ゲームと一体化することが出来ればそれは「リアルなゲーム」なのである。スパルタンXを「リアル」と感じた人だって、R-TYPEを「リアル」と感じた人だって世の中にはいる。
アフターバーナーは、勿論決して「本物に近い」ゲームではないかも知れない。あんなにバカスカミサイルを撃てて、あんなにカクカク上下左右に動き回れる戦闘機はこの世に存在しない。
が、これを下手に「本物っぽく」した時に出来たであろうゲームに比べると、アフターバーナーは遥かに面白く、そしてリアルだ。プレイヤーはシミュレータを求めている訳ではなく、トップガンの主人公になって敵機をバカスカと打ち落とすことを求めているのだから。シミュレーター的な制限要因など、それこそプレイヤーにとってはどうでもいいことだったのだ。
ゲームの面白さ、そして「気分」があってこそのリアリティだということを、こんなに素直に体現しているゲームは、今でもそう多くはないだろうと私は思っている。
私個人の話をすると。
レースゲームで遊んでいる時、「車体が曲がるタイミングで一緒に自分も傾く」という人をたまーに見るが、多分それを凄くシャープな規模でゲームに反映したのがこのゲームである気がする。アフターバーナーIIをデパートの屋上で見かけた時、何よりも「おわあああああ」と思ったのが筐体の「横移動」だった私である。思わずゲームの展開に関係なく自機をぐりんぐりんと動かしまくり、あっさりと敵の弾幕に突っ込んだのも良い思い出とはいえる。
遊園地の乗り物の楽しさとゲームの楽しさ、二つの良いとこどりをした「大型筐体ゲーム」。筐体に「乗り込む」だけで胸が高鳴った当時の感動は、今でも鮮烈である。

この記事へのトラックバック
移植版の話は…確かに長くなりますわなあ。大学時代に友達んとこで、徹夜でダラダラとメガドラ版をやった思い出がよみがえります(意外と良く出来てた)。アタマがいって来ると、後ろに付かれた時の「Be careful!」が「逃ッげーろ!」に聞こえたりして。
ジャンボ機の夜間着陸シミュレーションなのですが、暗いコクピットカプセルに収まって、滑走路や街の灯りを頼りに、静かなノイズや無線を聴きながらゆったり・ごそごそと着陸していく様は不思議にリアリティがありました。
私は北海道⇔東京の空路往復が多かったのですが、旅行帰りの心地よい気だるさが蘇ってくる感じがありましたね。
んで、その後マシンパワーが上がって、昼間バージョンでちゃんと風景をモデリングしたヤツも出るのですが、これは全然ダメ(笑) チープなつるつるした風景(当時にしては頑張っていたが)が白けさせてくれることおびただしかったです。
「全部見えちゃったらリアルじゃないんだなあ」と強烈に実感したものです。
あ、そういやATARIアーケードが異様に好きでした。
アレもリアルの着眼点が全然違ってましたね。実在風景の再現を全然目指してなかったし。でも妙な「ヒリヒリ感」があってお気に入りでした。
洋ゲーって独特ですね。
やっぱし「リアル」って「体験」とはイコールじゃないんですね。実感。
>正直、すごいとかかっこいいとかじゃなく「怖かった」のを覚えています。
あーー分かります。思わずのけぞっちゃったりとか、あれ今でもやる人いるもんなあ。
>大学時代に友達んとこで、徹夜でダラダラとメガドラ版をやった思い出がよみがえります(意外と良く出来てた)。
グラフィックと操作性どっちか、という感じでしたよね。どの移植版も。
そんな中、さすがにX68000は凄かったですけど。
>さいとう7さん
>やっぱし「リアル」って「体験」とはイコールじゃないんですね。実感。
それは前から強く感じてます。最近のゲームでも色々。
>私が「リアル」を一番意識したゲームは「ミッドナイト・ランディング」でしたねえ。
タイトーですねえ。私は残念なことに先にトップランディングをやっちゃったんですが、あれもなんか、「一歩踏み越えた」ゲームの一つだった様な気がします。
「電車でGO!」の直系の祖先ですかね?