タイトルで完結しているのだが。
以下のようなまとめを見た。
東電社長の退職金が5億円というデマを流したら、でかいブーメランが来たでござる。
「原発被害者のことを全く省みず、自己の保身のみに注力する東電社長」という、ひっじょーーーーに分かりやすい悪役。そういうニュースが起点になった騒動の顛末である。
上の話が実際にデマなのかどうか、という話は、本質的な問題ではない。
問題なのは、「明らかな悪役」がいる話を聞いた時、脊髄反射で頭に血を上らせてしまう人が多すぎるのではないか、という話である(上記リンクをちょっと下にスクロールすると大量に観察出来る)。
上の話は単なる一例だ。今年は震災絡みで特に多かったが、「一方的にどちらかが悪そうなニュース」を見た時、情報の妥当性を確かめる能力を極端に下げてしまう人はかなり多いように思う。
あるニュースを見た時、それが重大なものであればある程、1ステップソースを確かめる手間を踏むべきだ、というのは、勿論、「分かりやすい悪役がいる時」に限らない。どんなときでもそうだ。
ただ、「分かりやすい悪役がいるニュース」については、特にガードを高くすることを徹底すべきだ、と私は考えている。
理由は二つある。
・「分かりやすい悪役がいるニュース」は、感情を煽る力が高く、物凄い勢いで拡散されてしまうケースが多いから。
・「分かりやすい悪役」が実際にはおらず、単に誤報か、あるいは情報の偏向であるケースが割と多いから。
前者の理由については、皆様経験則としてご存知なのではないかと思う。分かりやすい悪役を見て、正義感を煽られてしまう人は非常に多い。彼らは、瞬間湯沸かし器の様に頭を沸騰させた上で、ソースの確認なく情報をがんがん広めてしまう。
それがデマなのかどうかは関係なく、「ソースの確認なく情報を広める」という行為は本来とても危険なのだが、ガードが下がった人はそんなことは気にしない。あたかもあしたのジョーのごときノーガード戦法である。カウンター狙いの戦術であるならまだしも、一般的には彼らのことを「猪突猛進」と呼ぶ。
後者の理由については、厳密な統計がある訳ではないのだが、どうも「あからさまな悪役」が登場するニュースというのは、誤報が混じっているか、情報が偏向しているかのどちらかであるケースが多いような気がしている。
例えば、やはり地震絡みのニュースだったが、こんなものもあった。パーマネントが残っていなかったのでまとめサイトからになってしまうが、
福島原発近くの病院で、医師らが高齢者を置き去りにして避難
福島・双葉病院にて患者を置き去りにして職員が逃げたという誤報
このニュースも、第一報が流れた時は、頭が沸騰した人たちがかなりの勢いで情報を拡散していたような記憶がある。
こんなのもあった。
「台湾は国家ではない」 台湾人留学生への震災補助金を拒否
5日付「自由時報」の台湾留学生に対する奨学金に関する報道について
政治や、国際関係が絡んだ偏向情報の中にも、「あからさまな悪役」がクローズアップされるケースは非常に多い。そして、それが妥当なニュースであるかどうかについては、慎重な判断が必要だ。
世の中は案外散文的なもので、何かしらのニュースがあった時、犯罪が絡むケースを別として、「明らかに悪い誰か」がいるケースというのは意外と少ない。「巨悪」は、案外いないものだ。いるのは同じ「普通の人」だけであり、「普通の人」であれば、思考回路がそれ程一般人と異なっている訳ではない。そして、普通の人であれば、「普通の倫理観」を持っていることの方が多い。そして、人間、自分の倫理観に背くことは案外やりにくい。
我々の世界は、「普通の人」によって作られている。これは、結構重要な認識なのではないかと私は思う。
問題なのは、「「巨悪」がいた方が受ける」ということなのではないか。
マスコミにせよ、Webメディアにせよ、Twitterの一般人にせよ、「自分が流した情報で注目を集めて影響力を高めたい」というのは万国共通の欲求だ。だからこそ、「受ける」情報を流したい。それは当然だ。
ただ、それが故に、「あからさまな悪い人」を作ってしまう、「あからさまな悪い人」がいるという構図に飛びついてしまう、そういう構図を演出してしまう、という傾向は、正直いろんな場所で見られているのではないか。
その結果が、デマの生成であったり、情報の偏向だったり、上のようなリンクに代表されるおかしなニュース群なのではないか、と私は思うのだ。
明らかなデマや偏向というのは本来論外だが、演出、あるいは意識しているかいないかというレベルの偏向すら、大きくクローズアップされるのが「ニュース」というものだ。
「分かりやすい悪役がいるという構図」に対してガードが下がるのは、情報を発信する側も、受信する側も同じ。
だからこそ、肝に銘じたい。
「分かりやすい悪役」など、そうそういるものではないのだ、と。
「分かりやすい悪役」がいるように思えた時は、まずは慎重に構えなくてはいけない、と。
そんな風に思う。
2011年10月11日
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普通はなんでも一歩待って考えるべきだけど、危機回避的な行動は、一瞬逡巡する事を許さない事があるから、思考する前に感情を動かすべきというような考えが働くんじゃないかと思う事があります
証拠改竄しちゃった主任検事
管理責任も問われず無罪になった局長
自分が一番悪いのに司法を叩いた係長
張本人なのに影に埋もれた制度悪用団体
世の中は99%の普通の人と1%の悪人でできている。
だから悪人が儲かる仕組みになってるのさ。
極端な話に飛びつきやすい人の性質というのは、現代に限ったことではないのかもしれません。
結局「分かりやすい悪役」に対して連帯するのは楽しいし、悪をくじき勝利に酔うのも気持ちがいい。
根源的な感情に基づく部分が強いので、なかなか言葉で説得するのは難しいと思います。
ルールが最大限活用されそうですね
A私たち人間は、都合の悪い事は(いっさい黙って無視、拒否する。
B私たち人間は、事実(物体)と思考作用(観念体系)である→思い込み、イデオロギー、信念、メンツを同じものだと思い込んでいます。
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これらを真から理解したら、騙されることなど皆無です。
悪役を決めてコメンテーターやタレントが全員でこき下ろし、たまに庇おうとする人がいると司会が無理やり流れを戻したり小馬鹿にしたりする。
昼食の横でずっと流されてるので、本当に不快でメシがまずい。ああいう番組どうにかならないもんですかね……。