2005年03月22日

ブログと議論のエトセトラ

中学の頃、何の時間だったか忘れたが、ディベートの授業を受けたことがある。

議論のやり方とか細かい話には立ち入らなかったのだが、その時はなかなか面白いやり方だと感じ、今でもたまに思い出す。全体として「自分が反対する立場に立って議論する」というものだったのだ。議論を専門的に勉強されている方にはごく当たり前のスタンスなのだろうが、当時の私にはなかなか新鮮だった。

確か当時のテーマは「死刑制度に賛成か反対か」というものだった様な覚えがある。私は基本的に死刑制度賛成論者だったので(イヤな中学生だが)代表として死刑制度に反対する立場に立って議論をすることになった。これがなかなか苦戦した。死刑制度に反対する立場の人の思考などろくに仕入れていなかったので、口先三寸の意見しか出てこないのだ。

当時の先生の言葉を思い出す。「自分の考えに反対する奴の口を借りて、自分を論破出来るくらいでないと、ろくな議論は出来ない」と。以来、私の考え方の基本というか根底はここにある様な気がする。といってもやはり、自分が「正論」と考えている考え方に対して反論するのは相変わらず難しい。ということで、なんかしつこいしつこいと思われそうな予感もあるが、またしてもむだづかいにっき様のエントリー絡み。えっけんさんの書かれる文章はつくづく良質な為に、ついつい色々と考えてみたくなってしまう。Web上絡み酒なのかも知れない。元の「絵文禄ことのは」様のエントリーもあわせて、ブログでの「議論」についてのお話。この話題について全部に目を通した訳ではないので、いわゆる「既出」が含まれていたらすいません。

まず、むだづかいにっき様のエントリーから。
批判や反論……オトナの対処法は?
 ただ、ちょっと手に余るのは、「自分が考えていることと違う、だからおまえの言っていることは間違っている」という、全く説得力のない指摘も多いことで、何の根拠も示さずに「おまえはダメだ」などと言われても、こちらとしては対応のしようがないわけです。


ポイントは二つくらいに絞れるだろう。

・「悪口」と「批判」の線引きについて
・「議論下手」というのはそもそも何者か

私が興味深く思っているのは専ら後者の問題である。
前者については定義をどうするか以上の問題ではないが、基本的には既に結論が出ているのではないかと思う。

悪口と批判の線引きは、根拠の明確性に拠る。

○○が□□で、結果的にこうなるからお前はおかしい、というのは多分批判だろう。前段がない、単に「お前はおかしい」だけなら悪口だ。お前はおかしい、の部分がバカに変わってもアホに変わっても、相手の母親の臍部の形状に関わる非難に変わってもそんなに違和感はない。

一般的な認識かどうかは知らないが、そんなにおかしくもない定義ではないかと思う。上記にも引用したが、えっけんさんの論点と被る。

で、問題の後者。議論下手というものは一体何ですか、という話。

まず、議論とは一体何の為に存在するか。どーも、根本的にこの辺りのスタンスから噛み合っていない人がいる様な気がする。

そもそも議論は「調伏」ではない。場合によっては相手の意見や立場を変えることもあるかも知れないが、少なくとも唯一解が存在しない問題に限っていえば、相手の意見を変えることが目的で議論をするのは邪道と言ってしまうべきなのではないかと思うのだ。これ、私は常識だと思っていたのだが、いわゆる「コメント炎上現象」とか見てみると、そうでもないのだろうか。

じゃあ議論は何の為にあるかというと、お互いの思考を深める為にやるもんだと、少なくとも私はそう思う。

前者の問題と絡むのだが、相手の「ここがおかしい」という内容だけでは議論にも批判にもなりはしない。その「ここがおかしい」の根拠が曖昧な場合はそもそも論外なのだが、根拠が明確な場合であっても、「じゃあナニが正しいのよ?」という部分がなければ思考は深まり様がない。当たり前だ、校正は間違ったところを指摘しただけで終わりではない。少なくとも、批判をふっかけた側にとっての「正論」を持ち出さないことには話が進まない。

「正論」と「正論」がぶつかり合うことで形が変わり、話や思考が深まっていく。議論に「喧嘩として面白い」という以外の特長があるとすればそれだろう。

つまり、例え「批判」の土俵に乗っている言葉であっても、そこから議論になり得るものとなり得ないもの、という二種類に分けることが出来そうだ。

以上は前提条件。その上で、もう一つ問題がある。その「正論」は、議論をふっかける相手の「痛い所」をついているかどうか?

ここでいう「痛い所」というのは、いわゆる「矛盾」ではない。

ブログというものは、議論用のツールとしては結構特殊な代物である。即時性と永続性をあわせもっている。つまり、雑誌や新聞と違ってTBをすれば一瞬で相手に議論をふっかけることが出来るが、ディベートと違って自分が吐いた言葉はいつまでも残り、非常に参照しやすい。

この二条件は、良い方にも悪い方にも働く。つまり、相手の論点をじっくりと吟味・咀嚼することが可能な一方、枝葉末節に目がいきやすいのだ。

批判や反論……オトナの対処法は?
 また、批判する際も、相手の発言の一部しか読まずに、「ここがおかしい」とその一点のみを取り上げて突っつきまわす人が多いものですが、


えっけんさんのおっしゃるこれは、おそらくこの条件が悪い方に働いた例ではないかと思う。一概に読解力が低いものだとは、私は思わない。つまり、「相手を打ち負かしてやろう」という意識が心のどこかにある為に、「ブログ」という立地を利用して、まず「弱点」から探してしまっているのではないかと考えられるのである。これはおそらく「議論下手」の重要な要件だ。

相手にとってみれば、自分が本当にいいたいこと(堅牢である場合が多い)の部分はすっ飛ばされて「どうでもいい」ことを指摘されてもげっそりするだけである。批判をふっかける立場からすると、「相手の本当にいいたいこと」は打ち負かすには安定しすぎていて、正面から喧嘩を売るにはてこずりそうな感を受けることが多い。その結果、ブログの永続性をいいことに、「枝葉」から矛盾点を拾い上げようとする。

何でもかんでも総ブログ化計画様:【募集09】批判や反論……オトナの対処法は?
 また、ちょっとツッコまれやすい内容の記事を公開すると、そこに大量のコメントが押し寄せて、ブログを書いている人が怒り、それでまた大騒ぎになる……という現象が、最近は「コメント炎上」と呼ばれるようです。


多分これ、構図としてはこうなるのではあるまいか。

1.相手を論破したい、打ち負かしたいという意識の存在
2.相手のブログを隅々まで読み、細かい矛盾点発見
3.細かい矛盾点を指摘。相手、どうでもいいことなのでシカト
4.論破したつもりになって大騒ぎ

勿論、皆が皆こうという訳ではない。また、コメントする側とエントリーを書く側の立場が逆であることも多い。が、いわゆる「コメント炎上」現象などを見ていると、こういう構図は結構頻繁に見られる様に思う。

どうせ議論をするのなら、メインテーマにきちんと沿いたいものだ。その為にこそ、相手の立場に明確にたって物事を見ているというのも有用なことだと思う。冒頭の「先生の言葉」然りである。


つまりブログの議論について、私の言いたいことを総括するとどうなるかというと。

・根拠を失った単なる悪口であれば、穏やかかつ爽やかな笑顔で優しくスルーすべきである

・議論をどうせするならば、相手の「本当にいいたいこと」に切り込むべきである

・それはそれで矛盾点を突っ込まれることは普通にあると思うので、笑ってごまかす技術は常に磨いておくべきである

いやはや、つくづく議論は難しい。私など、こてんこてんに論破されるのが怖くて喧嘩などとても売れたものではない。皆様、私の矛盾点を指摘する時には出来たら優しい口調でお願い出来ますと嬉しいです。

posted by しんざき at 16:03 | Comment(6) | TrackBack(4) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
その昔、短大の英語部でディベートしてましたよ。
当時「ああ言えば上祐」さんは関東大学英語連盟のお偉いさんでして、大学の大きな講堂の壇上に立ち、
『皆さん、このmanualの4ページを見てください』なんて言ってるのを見て、
『さすが早稲田理工ESS、日本語の文脈に出てくる単語なのにマニュアルじゃなくmanualって巻き舌なんだー。』
と、訳のわからない関心をしてました。
Posted by keko at 2005年03月23日 01:20
>kekoさん
コメントありがとうございます。

>当時「ああ言えば上祐」さんは関東大学英語連盟のお偉いさんでして、大学の大きな講堂の壇上に立ち、

なんとっ。それはまたある意味貴重な機会でしたね。どんな内容だったんでしょうか。

>日本語の文脈に出てくる単語なのにマニュアルじゃなくmanualって巻き舌なんだー。

私も、たまーに標準語の文脈なのにエセ関西弁が出ることがあります。同じ様な現象でしょうか。
Posted by しんざき at 2005年03月23日 11:08
僕が思うのは、ネット上で議論を始める人間の多くは、相手の主張を、「読んでいない」、あるいは、読解力がないのか、相手の主張を理解していない・自分の都合の良いように(つか、自分が攻撃しやすいように)曲解するものです。

あ、これ、自分のことも含めてなんですけど。

そんなわけで、仕掛けられた当方としましては、記事に書いてあることを何度も持ち出して、さりげなく「本文中でも触れられているのですが」とか、「何度もいうように」と、「オマエ、それ、激しく既出!」を遠まわしに言っているのですが、なにせ相手は「読んでいない」モノだから、自分の主張を認めさせるまでは、何度も繰り返す、これ堂々巡り。
Posted by えっけん at 2005年03月24日 00:08
>ネット上で議論を始める人間の多くは、相手の主張を、「読んでいない」、あるいは、読解力がないのか、相手の主張を理解していない・自分の都合の良いように(つか、自分が攻撃しやすいように)曲解するものです。

うーむ。そもそも「理解の準備が出来てない」人たち、ということでしょうか。なんといいますか、私には「読んでないのに何で議論が始められるの?」という意識があったりするんですが、難しいですね。
どうせなら「噛みあう」議論をしたいものですよね。

>自分の主張を認めさせるまでは、何度も繰り返す、これ堂々巡り。

いつも非常にお疲れ様です。
Posted by しんざき at 2005年03月24日 01:04
おはようございます。

>どんな内容だったんでしょうか。

あの時は大学対抗ディベート大会の日程説明だったと思います。(詰まらないレスですみません)
私が1年の時、彼はESS界では有名なディベーターでしたが、4年生で現役を引退して大会運営やジャッジなどをしていたのです。
ディベートの理論や戦術について話す時もありましたから、そんな内容なら巻き舌もアリだと思うんですけどね。

>何度も繰り返す、これ堂々巡り。

ご迷惑をおかけいたしました。申し訳ないです。

>私には「読んでないのに何で議論が始められるの?」という意識があったりするんですが、難しいですね。

本当に、難しいです。

関連記事?です。
えっけん氏の所で、暴れてしまいました。ごめんなさい。
http://blog.goo.ne.jp/simauma_dx/e/a4a4ad40e20c4c044faa880ae975038f

ああー、また書いてるけどもう知らないっ!
「具体的に」って言っただろー!と呟いて見る。
Posted by keko at 2005年03月24日 07:35
>kekoさん
>ディベートの理論や戦術について話す時もありましたから、そんな内容なら巻き舌もアリだと思うんですけどね。

なるほど、言語としての説得力を増す為の巻き舌という訳ですね。例えるなら「いばらき」ではなく「いばぁるるるぁきぃいーー」のような。奥が深い。このネタで1個エントリーが書けそうな気がします。

>ああー、また書いてるけどもう知らないっ!
>「具体的に」って言っただろー!と呟いて見る。

おーー。これはまた。なんというか、ちょっと違った意味で炎上していますね。すいません対岸的な視点で。
怒涛のコメント量全てに目を通してはいないんですが、良かったら私もその内お邪魔しますので混ぜて下さい。
Posted by しんざき at 2005年03月24日 13:50
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