さてさて、前回「エンディングの呪縛」の続きである。実は話はこれからだ。続きものなのでちょっといつもより速いペースで。
前回までの結論は、「エンディングを「おまけ」ととるか「結末」ととるかは、ほぼゲームのストーリー性に依存する」ということだった。つまりは、ストーリー性が主軸にあるゲームであれば、エンディングが評価対象になるのはもっともだ、となる訳である。
そこで、今回は「ストーリー性」というものをテーマにもうちょっと話を進めてみたいと思う。ゲームは遊びなのか、物語なのか?少なくとも私の感覚では遊びだと言い切るところだが、どうも最近はそうともいいきれない節がある。
前回と同じく、まずは昔話から。家庭用ゲームにストーリー性が持ち込まれたのは、一体どの辺りからなのだろうか。
ファミコンに限ってみれば、ゲーム中に明確に「ストーリー」を露出させ始めたのは、多分前回でも出た「ドルアーガの塔」だったのではないかと思う。ヒロインを助け出す為、アイテムを集めながら塔を登っていく主人公。そこには確かに、一本筋の通った「ストーリー」というものがあった。おそらく「ラスボス」の登場もこのゲームが初だろう(スパルタンXのミスターXをラスボスと見なさなければの話だが)。
勿論それ以前の「ゼビウス」や「マッピー」などにもストーリーは存在したが、それはゲーム中での流れとしては表現されていなかった。バンゲリングベイもヴォルガードIIも同じである。
その後、ポートピア連続殺人事件やゼルダの伝説、ドラクエなどのRPGの登場を経て、ゲーム業界ははっきりと「ストーリー性」というツールの有効性を認識していく。この時点では勿論ストーリーは「おまけ」あるいは「スパイス」であって、ゲームとして面白くないゲームは売れはしなかったのだが、それでも87年辺りからだんだんとループゲームが減っていったのは事実である。この辺の構造を見てみると、まずはRPGやAVGから始まったストーリー性の波が、徐々にアクションゲームやシューティングゲームなどにも持ち込まれている様に見える。
この傾向に関しては、前回コメント欄でも頂いたが、「ゲームの大容量化」という現象の影響も大きいだろう。ゲームが長くなるに従って、「続き」や「結末」というものを作る必要が生じる。また、プレイヤーに遊んでもらう為に「メリハリ」というものも必要になってくる。エンディングという名の「目的」がないゲームは段々と遊んでもらえなくなっていったのである。
ちょっとわき道に逸れるが、86年から87年というのはファミコン業界としては面白い年代で、色々な実験的作品が発売されている。特に、複数のジャンルをくっつけて発売しようとした作品が多い。例えば、シューティングにアドベンチャー要素を持ち込んだ「スーパーゼビウス」や「スーパースターフォース」。アクション+AVGの「グーニーズ2」ACT+RPGの「ドラゴンスレイヤーIV」「月風魔伝」。RPG+AVGの「クレオパトラの魔宝」などなど、その他微妙なものから名作まで諸々である。
では次に、ゲームにストーリー性を持ち込んだ場合のメリット・デメリットについて考察してみよう。取り敢えずは、ジャンルという問題をシカトして話すのでご了承頂きたい。
まずはメリットから。開発者側が、ストーリー性というものをゲームに持ち込むことによって得られるメリットは以下の様な感じではないか。
・プレイヤーに、ゲームに対する積極的な感情移入を可能にする。
・「続きが見たい」という継続欲求を喚起する。
・ ゲームの展開の起伏に説得力をもたせることが出来る。
デメリットは、
・ゲーム自体の質が良かったとしても、「ストーリーの良し悪し」という主観的要素で全体的な出来にケチがつく場合がある。
ぱっと思いつく限りではこれくらいだろうか。シナリオライターの商品性とかストーリーに合わせた音楽との連携とか、細かいところではもうちょっと色々とあるだろうが。
メリットの中では、一つ目二つ目は当然として、三つ目が大きいと思える。アクションゲームやシューティングゲームの最大の敵は単調さだ。プレイヤーに「飽きさせない」為には、展開を激しくするのが一番手っ取り早い。ゲーム中にストーリーがあれば、ごくごく自然に様々な展開をデザインすることが出来る。すなわち、ゲームにメリハリが出来る。
一方、デメリットの方も見過ごすことは出来ない。小説にせよドラマにせよ、100%の読者に支持される物語はこの世に存在しない。ストーリーの好みというものは非常に幅広いのだ。とある恋愛小説を好む人は、とある冒険小説は大嫌いかも知れない。音楽と同じで、物語の好みに普遍性はない。ストーリーが前面に出てくれば出てくる程、ゲームの出来に関わらず「ストーリーの出来によって」評価が分かれるのはこれが原因だ。
ともかくストーリー性という要素は、上手く使えばゲームの評価を飛躍的に上げることの出来る小道具な訳だ。
小道具。そう、小道具の内はまだいいのだ。つまり、ストーリーが「おまけ」でいられる内は世の中平和なのである。
前回のエントリーには有りがたいことに結構反響を頂いており、幾つか興味深く読ませて頂いた。エンディングをおまけと見なす方も重要な評価対象とみなす方もいらしたし、ストーリーの件に言及してくださる方もいた。そして、ストーリーというものを一番の評価ポイントにしている、という方も当然いた。これだけ長いこと、ジャンル無関係にストーリーを前面に打ち出したゲームが発売され続けていれば当然だろう。
だがゲームという媒体は、ストーリーを「一番の売り」にするには実はあんまり向いていない。
理由は実に単純である。ゲームの最大の特徴である「操作が出来る」ということ自体が、「ストーリー」という一本の流れにおいては既にノイズだからだ。
以下、しばらく原則論になる。例外も数多あるだろうが、まずは読んで頂きたい。
ジャンルにもよるのだが、「ストーリー」というものは原則的に完結したものだ。起承転結とでもいうか、最初から最後までが大きな一本の流れになっていて初めて、「完結」という名の感動が得られる。そして、ある一定の方向の流れの中では、その中で自由に動き回るプレイターの存在はノイズでしかない。
例えばRPGなら、昔から使い古された言葉だが、「自由度」という話があるので分かり易いかも知れない。プレイヤーに出来ることが多ければ多い程、一本筋の通ったストーリーは作りにくくなる。そして、ストーリーを見せようとすればする程、自由度は減少する傾向がある。「遊び」と「物語」の両立。SFC時代辺りから何度も何度も論じられ、そして結論が出ていないジレンマだ。勿論これらのジレンマをものともせず、「素晴らしいストーリーと面白さ」という評価を勝ち得たゲームもあるが、それは全体から見ればどこまでも例外である。
RPGだけの問題ではない。例えば格闘ゲームの場合、初心者が操る最強の格闘家が、上級者の操るヨワヨワオナゴキャラにあっさりパーフェクト負けしてしまうのはストーリーから見れば実におかしい。最近多いストーリー性の高いシューティングゲームでも、世界を救うはずの主人公が一面であっさり死んでしまうのはストーリー的にどうなんだ、という話にもなる。勿論これは単なる例であり、この辺であげている例はストーリーを「おまけ」「小道具」として用いているから問題はないのだが、「ゲームとストーリーの共存」の難しさの、一つの証左にはなるだろう。
これらの問題に対抗する為に編み出された手法が、例えばストーリー性と自由度を両立させようとした「マルチシナリオ」「マルチエンディング」だったり、ゲーム性を殺してストーリーのみを生かした「サウンドノベル」だったりする訳だ。これらがそれぞれどうこうというのは、各論になるのでここでは題材にしない。やる人が面白ければそれで勝ちである。
つまり、サウンドノベルや一部のAVGなどの例外を除けば、「ストーリーが売り」というゲームの存在にはそもそも無理があるのだ。オーディオに例えれば、ノイズ混ざりまくりのCDを一枚聴く様なものだ。結果的にCDのメロディがあまりに綺麗だったから名盤扱いされることはあるかも知れないが、音楽CDとしてはそれはどうなん、という評価は免れないだろう。
今回の結論としては、こういうことになる。
・ストーリーは、小道具として有効に使われると実にいい感じにゲームの出来に寄与するが、前面に出ると「好み」という主観的な物差しに著しく弱い。
・ゲーム自体が、一部の例外を除いて、ストーリーを表現する媒体としてはあまり向いていない。
さてさて、相変わらずエラい勢いで長くなってしまった。多分次が最後になる。今回の話を踏まえて、「エンディング」の話に戻る予定である。意味があるんだかないんだか微妙なテーマに改めて全力で切り込んでみたい。
2005年03月30日

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[ゲーム考]エンディング
Excerpt: 似たようなことを考える人はいるものだなぁ。と、思いましたが、いや、私よりもしっかり分析して書いておられます。以前、というのを書きましたが、RPGの登場による、ゲーム業界への影響もあったのだなぁと、気付..
Weblog: Try to Star -星に挑め!
Tracked: 2005-03-31 03:51
という点についてはかなり強く同意します。
これまでの人生で相当数のゲームで遊んできましたが、数十年たっても強く私の記憶に残っているのは、音楽とシステムです。
“ストーリーがよかったよな”と思ったゲームでも音楽が頭の中で完全に再現されるほどにははっきり覚えていないですし。
結局、テレビゲームの趣味としての立ち位置ってどの辺にあるんだろう?などとたまに考えます。
「映画みたいなものを目指したゲーム」って、映画には絶対に勝てないんですよね。そこがなんとも勿体無いなあと。
>数十年たっても強く私の記憶に残っているのは、音楽とシステムです。
レトロゲームの音楽の記憶吸着力には物凄いものがありますね。初期ナムコの色んなゲームとか。
『ストーリーに対してゲーム操作がノイズ』だから『ストーリーを一番の売りにするのは向いてない』。
最近のポケモンBWを思い出してしまいました。
いろんなキャラクターがいろんな思いを話し、物語を進めるために主人公が歩いていました。
ものすごく一本道でした。
ゲーム部分を取り去って『ポケモン 外伝』ってアニメか漫画にすればいいんじゃないか?と思いました。
確かにストーリーだけでいいならゲーム操作はいらない。
『ゲームをしたい人』にとっては、ストーリーが出しゃばるのがものすごく邪魔だったんですね。
ゲーム性とストーリーのバランスを取れば、ファイアーエムブレムやドラクエシリーズのように『ゲームをやりたい!進めたい!』に繋がるのでしょうね。
大したストーリーでもないのに、マリオやドルアーガは「あ、助けなきゃ。」ってゲームをする理由になるからすごいですよね(笑)