別にちゃぶ台をひっくり返す意図はないのですが。
それ程メジャーとはいえない趣味を持った人々の界隈において、誰かが「このコミュニティは閉鎖的だ!」という言論をぶち上げると、いつの間にか「閉鎖的」という言葉が一人歩きして、かなりの波紋が生じるケースが多いように思います。
「確かに閉鎖的だ」「いや、そんなことはない」「敷居を下げるにはどうすればいいのか」「新規を取り込むにはいったいどうすればいいのか」などの言論が、マイナー趣味界隈では大盛り上がりです。
閉鎖的→新人を受け入れる空気がない→ジャンルないしコミュニティが衰退に向かっている、これはコミュニティとして解決しなくてはいけない問題
というように捉えられるのは、ある種の定型パターンです。
ただ、改めて考えると、これ若干おおげさな話のような気がします。
「閉鎖的」という言葉は一種のマジックワードでして、「よく考えると何も言っていない言葉」のひとつです。
字面通り「内向きに閉じている」という意味であるとすれば、内向きに閉じている要素がないサークルなんて世の中に一つも存在しません。同好の士が集まって、同じ趣味で楽しんでいる時点で、「まだその場所にいない人」にとってはそのサークルは内向きに閉じているに決まっているんです。それ自体は別に悪いことでもなんでもありません。
そこに「新たな人が入れるかどうか」というのはもっと色んな要素が山ほどつまった個別の問題でして、一言で片づけられる話ではありません。それを一概に「閉鎖的であるかないか」という一言だけで片づけるのは本来無理があります。更に、それを「ジャンルの衰退」「コミュニティの衰退」まで結びつけて語るのもやっぱり無理があります。
ただ、「内向きに閉じている要素がないサークルは存在しない」為に、「閉鎖的」という言葉は多かれ少なかれサークルの中の人に刺さります。「初心者に来て欲しい」「自分のコミュニティを広めたい」「趣味が合う人を増やしたい」というのは、どんなコミュニティでも共通して持っている欲求ですので、それを否定する言葉は恐れられる。それ自体は仕方ないのかも知れません。
とはいえ、
・「閉鎖的」ということが本当に悪いことなのか
・「閉鎖的」という言葉は具体的には何を指しているのか
・それは本来「閉鎖的」という言葉で概括せず、個別に解決するべき問題なのではないか
ということについては、考えてみてもいいような気がしましたですよ。
話は逸れますが、それ程メジャーとはいえない趣味フィールドにおいて、「初心者の人にお勧めしたい○○」であるとか、「初めて××をするならまずこれをやるべき」というような文言を投げても、大抵の場合大盛り上がりするような気がします。
自分で書いたこともあるので何ですが、これは何ですかね。いや、楽しいんですよ、「初心者向けの○○」考えるのって。それが本当に初心者の人に刺さるのかどうか、というのは非常に難しい問題なんですが。
まあ、みなさん色んな趣味で楽しみましょう、ということで、特に結論も出ませんが今日はこの辺で。
この記事へのトラックバック



閉鎖的というのは、どう見られていても関心ないという姿勢でもありますが、自分達はどうありたいかの願望というか覚悟があるのか危うい状態でして、日本の伝統文化ならいいんですけど、ヨーロッパ発祥の文化だと、アイデンティティの不確かになり得るのです。
加えて「自分の趣味を否定して欲しくない」という感情面が大きいのでは無いだろうか。
要するに「閉鎖的な趣味を持つ人」と思われたく無い的な。