少年漫画には、というか漫画には、読む人を「気持ちよくさせる」「満足させる」要素がたくさん含まれている。ここでは、フロイトに倣ってこれらの要素をカタルシスと呼ぼう。
一般的な戦闘もの少年漫画において、勿論カタルシスの種類はたくさんあるのだけれど、大きなものとして二つ、対照的なカタルシスがあると思う。
「まさか」のカタルシスと、「流石(さすが)」のカタルシスである。
「まさか」のカタルシスというのは、要するに逆転のカタルシスだ。最初周囲から見くびられていた主人公が、「まさか」と思われる中強敵を倒すことによる気持ちよさ。弱かった主人公が、努力して超強くなる気持ちよさ。大ピンチに陥った仲間チームが、「まさか」と思われる大逆転をして勝利を収める気持ちよさ。
まあ戦闘もの少年漫画なんか、最終的には予定調和的に主人公が勝つものが大多数だとは思うけれど。それでも、そこに至る「まさか」という気持ちよさを演出するのは作者の腕の見せ所であり、この気持ちよさの大小がその漫画の面白さに影響する部分は大きいと思う。
昔、「少年漫画の「爽快感」について、または「はじめの一歩」の構造問題」でもこの辺の話は書いた。お暇ならご一読頂けると幸い。
一方で、「まさか」のカタルシスに対して「流石」のカタルシスというものもあるよなーと思って、その為に例として思いついたのがエリア88なのである、という話なのだ。
・エリア88とは。
戦闘機漫画の超傑作ですので読んでない人は読むべきだと思います。
中東のアスラン王国の外人傭兵部隊、作戦区域の名をとって「エリア88」と呼ばれる百戦錬磨の戦闘機乗り達の群像劇。
詳しくはWikipediaでも。
・エリア88における主人公の特性。
一言でいうと、エリア88は超強い人たちの集団だし、その中でも風間真は最初から超強い。
この漫画において、主人公集団である傭兵部隊「エリア88」は全員が全員一騎当千のパイロット揃いであり、空戦能力では物語最序盤から最強である。これは、物語中盤以降、「プロジェクト4」などの強力な敵部隊が出てきた後も、基本的な構図としてはずっと変わらない。
そして、主人公である「風間真」は、物語の最初からエリア88のトップエースであり、「強い人たちの中でも特に強い人の一人」として描写されている。空戦能力で明確に「シン以上」として描写されているキャラクターは実は作中一人もいない(マリオとか微妙だが、生き残るのも能力の内、と明言されている)為、シンを「作品中最強」と考えてもおかしくはないだろう。
最強の主人公チームに最強の主人公。これがエリア88の主役勢である。
・エリア88における「カタルシス」の正体。
勿論最強だからといって無敵という訳ではなく、エリア88の傭兵たちや風間真は、時には苦戦するし時には撃墜される。補給が干上がって大ピンチになることもあるし、政治状況の変化によって、エリア88の存在自体が危うくなったりすることもある。そういった点で、細かい「逆転のカタルシス」はもちろんあるのだが、「周囲からみくびられている」ところからの逆転とか、「最初は弱い主人公が成長する」といった王道的逆転のカタルシスは、エリア88からほとんど切り捨てられているわけだ。
もし「逆転のカタルシス」を重視するのであれば、エリア88は「まだトップエースではなかった頃のシン」「戦闘機に乗り始めたばかりの頃のシン」が主人公でも成立した。当初は強くなかった主人公が、経験と努力を積んで強くなる、というのも少年漫画の一つの王道だ。
それに対して、「シンが最初から最強」であったことによって生まれた効果は幾つかあると思う。
一つは、物語描写上のリソース。「シンが強くなる」という過程を省いたことによって、エリア88序盤の物語展開は非常にシャープなものとなっている。「強いからといって即生き残れるわけではない」という傭兵部隊のシビアさとか、シンが傭兵部隊に入る経緯であるとか、傭兵部隊ならではの厳しい人間関係であるとか、色々なシビアな描写が物語当初から為されるのは、エリア88という漫画の重要な味の一つだ。これは、主人公が強くなる過程を描写しながらでは決して出来なかった描写だろう。
そしてもう一つが、「さすが」というカタルシスの存在、だと私は思うのである。
・少年漫画における「さすが」というカタルシスとは。
要は、「強い主人公・強い味方が期待通りの活躍をする」ということによる満足感。
最強の主人公キャラが圧倒的に敵をねじ伏せるという気持ちよさ。最強の味方チームが下馬評通りに優勝することによる気持ちよさ。
これは恐らく、「頼もしさ」とでもいうべき要素が根底にあるのではないか、と私は思う。あとは主人公、味方と自分を同一視した時の全能感とか。「凄いヤツ」という事前の評価を裏書きする楽しさとか。
エリア88において、シンや傭兵達は往々にして「流石」であるとか「噂通り」といった表現を使われたり、使ったりする。これは、作中で彼らに期待される役割が「最強の部隊」であり、かつその評価が満たされる活躍が描写された、という意味になる。まさにこれが、私の考える「流石というカタルシス」である。
こういったカタルシスは、勿論エリア88に限定されたものではなく、王道的な少年漫画でもいろんなところで描写されている。それは、主人公に対する頼もしい、あるいは超強力な先輩(例えばはじめの一歩における鷹村とか)であったり、あるいは時折登場するジョーカー的な味方キャラ(例えばるろうに剣心における比古清十郎とか)の活躍であったりする。
「主人公キャラが最初から強い」という漫画も当然色々あって、上で挙げたるろうに剣心だってそうだし、トライガンのヴァッシュも最初からガンマンとして最強だし、ヘルシングのアーカードなんかも最初から最後まで最強だし、他にもたくさんあると思う(勿論これは「主人公がそれ以上成長しない」という意味ではないし、「主人公がピンチにならない」という意味でもないが)。
そして、これらに通底する気持ちよさとして「流石」というカタルシスがある、と私は思っているわけである。
長くなったのでまとめてみよう。
・エリア88は超面白いので皆さん読みましょう。
・エリア88は「主人公が最初から強い」漫画であって、それでストーリーが深くなった部分とかあると思う。
・漫画には、「まさか」という逆転によって得られる気持ちよさと、「流石」という期待通りの展開によって得られる気持ちよさがある。
・「主人公が最初から強い」漫画では、「流石」という気持ちよさが結構大きいと思う。
・関係ないけど、シンをカテゴライズするとしたら「天然キザ」ではないかと声を大にして主張したい。
・サキがシンに「すまない、その塩とってくれないか?」と言う。シンは「投げるぜ、いいか?」といった後放り投げ、サキが受け取る。その何気ないシーンがなんとなく好きなので奥様にそう言ったら、「腐女子的資質があるってことだよ!」と突如興奮し始めた。やめろ!私に変な資質を見出すな!
なんか良くわからないけれどこんな感じにまとまったわけである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。
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(関連)
あと、シンと神崎が合わさったらしんざきになると思いましたおわり
そこに素人やアマチュアは存在しない。仮に居た(出てきた)としても「プロ」を引き立てる為に早々に御退場になる。
(例を挙げれば、記事内でも名前の出ているマリオなどですね)
ところで、「主人公の(技能的・精神的問わず)成長」と言う部分は省かれている変わりに、
途中から参戦するキム・アバがこのあたりの役にキャスティングされている気がします。
最初は泣き言も言う甘ったれのペーペーだったのが、終盤ではシンに認められるくらいの「戦士」に成長するわけで。
(小さいとはいえ一王国の王族(第四王子)が傭兵部隊にってのもどうなんだろうとも思わないでもないが)
と言うか、エンディングでまともに生き残ってたのってキムだけじゃね?
シンは……部分的(と言うには消えた期間が長いが)記憶喪失って、夢オチ並みにひでえ。
新谷作品は、「さすが」系はけっこう多いですね。
ファントム無頼やクレオパトラD.C.、砂漠の薔薇、ガッデム、ジェントル萬などなど。
凄腕だけど、様々な状況で、それを充分に発揮できない場所にいる、というか。(クレオは別、というかむしろなんでもアリな状況にぶち込んだ感がありますが)
最近のマンガでは、皆川亮二氏の作品がそれ系が多い気がする。
ベルセルクやヘルシングは海外でも人気ですし。
「さすが」系のカタルシスはいわゆるハードボイルド物のジャンルに通底するところがあるのでしょう。
映画なら「ターミネーター2」や「ボーン・アルティメイタム」なんかはまさしく「さすが」系の主人公ですからね。
「まさか」系の主人公だと展開がスロースタートにならざるを得ないので最近のジャンプでやるには「さすが」系の登場人物のバーターにするなど工夫する必要が出てきます。
もっとも、その「さすが」系の登場人物を描ききるには相応の実力が必要なのでハードルは高いですけどね。
精鋭部隊の中の精鋭そのもの
シンにも「まさか」の部分があって、それはあの華奢な容姿じゃないでしょうか?
「北斗の拳」のケンシロウみたいな最強のヒーローじゃなくて、体格では劣っているあの彼が…という、これもカタルシス?
ところでシンも指揮官として、男性として、大きく成長したと思いますが、それを「夢オチ」で白紙に戻したラストはいただけなかったです。(笑
世界最強の特殊部隊の一つ『SAS』や『SBS』の人たちも、軍人には見えない華奢なルックスです(*_*;
グルカ兵の人たちも華奢に見えます!!
ハリウッドスターの様な、筋肉お化けな人たち(米軍の通常部隊の人たち)は、持久力がないので、行軍時に身体が持たないそうです。
一晩で、30から60kmは、行軍する・・・
化けモンか!!
いつも楽しみにブログを拝見しております。
世代としては少ししんざきさまが上なのですが、
同じ子育て世代ということもあり、パパエレベーターの回は涙なくして読めませんでした。
しんざきさまのブログを参考に、我が家でも一回5円のレートでお手伝い始めました。(テーブルふき、おはしならべ、お風呂のせんぬき、お風呂そうじなど)
我が家は一人ですが、3人のお手伝い&給与管理をいかにされているかを考えると奥様本当に素晴らしい方ですね。奥様かわいいです。お会いしたことないですがいつもしんざきさまがおっしゃってるので間違いないです。
お手伝いその後もお時間あったらブログのお代にのせてください。
さて、本題ですが、
エリア88で塩を投げるとき、「投げるぞいいか」はサキの視力を危ぶんでいた時ではなかったでしょうか?
腐女子的要素よりは、まさに命をかける司令官の体が、特にパイロットの生命線たる視力が無事かをはかるための男と男の腹の探り合いに震える場面だったように記憶しているのですが、
すいません手元にないので全然検討違いだったら恥ずかしい限りです。
私は女性なので幼い頃は「シンのようにタフで仲間思いで責任感もある男の人と彼女の妻みたいな恋愛するか、セラとミッキーみたいな幸せな恋愛の仕方がしたいな」なんて憧れました。セラとミッキーは愛を全うして二人は同じタイミングで………ですが、このシーンも語らずにはおれないカタルシスが私にはあります。
長文失礼しました!
読んでいただけていたら幸いです❤
りん
どうもどうも。感想ありがとうございます。お手伝いはあの後も色々展開しておりますのでいずれまた書きます。
>エリア88で塩を投げるとき、「投げるぞいいか」はサキの視力を危ぶんでいた時ではなかったでしょうか?
時期的には、サキの視力低下の話は既に出ていましたし、シンもそれを知っていました。ただ、当該描写の時には、シンの表情は素のままでしたし、視力についての話は周辺では描写されていません。
なので、私自身は視力低下のことは意識されていなかったんじゃないかなーと思っていますが、視力を意識している、という読み方も出来るかなー、と思います。それは受け取り方それぞれでいいのではないかと。
セラとミッキーも色々描写が熱かったですよね。また書きたいです。