2012年05月29日

Webにおける「失言狩り」について、考えたこと

別にここ最近の話ではないし、結局「著名人の失言」「悪役退治」というのはコンテンツとして非常に優良なんだ、ということなんだろうけれど。

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上記リンクを読んで、ちょっと思ったこと。飽くまでトリガーなので、上記リンクの事例に対してどうこういう話ではないことをお断りしておく。

まず先に、言いたいことを箇条書きにしてみる。

・かつて、マスメディアを批判する際の文脈として、「失言をセンセーショナルに取沙汰するばかりで本質的な報道をしない」というものがあった。よくある文脈だったし、それなりに説得力もあったと思う。私個人も、失言報道って、それが政治家のものだろうが芸能人のものだろうがあんまり好きではなかった。

・それに対して、「マスコミの偏った報道に対するカウンターとしてのWeb」に期待する向きというのはかつてあったと思うし、私の中にも、どこかにそういう意識はあった。

・ただ、これも別にここ最近の話ではないが、「失言批判」というのはWebにおいてもセンセーショナルに大盛り上がりなのであり、Webだろうがマスコミだろうが、やっぱり受ける話題というのは一緒なんだよね、という諦めに近い認識をもっている。

・失言報道というものは、失言が基本的に「怒りを煽る」ものであり、「憤ると気持ちいい」「憤りの対象に対して、正義の立場から攻撃するのが気持ちいい」という側面がある為、コンテンツとして非常に強力だと思う。

・結局、Webも数あるメディアの一つなのであり、煽りたい人は煽るし、偏る時は偏るのであって、利用者としては情報をきちんと取捨選択しないといけないですね、という当たり前の結論に落ち着くのかも知れない。



以下は補足。

一つ前提を置いておきたいのだが、失言内容、また失言者を擁護する意図はない(そもそも冒頭リンクの話者が誰なのか、失礼ながら私は知らないが)。また、批判するべきではない、と言っている訳ではない。

失言に問題があるかないかと言われれば、そんなもんはあるに決まっている。失言をした話者に問題があるかと言われれば、それもある場合が多いのだろう。意識がなければ言葉には出ない。そこから考えると、失言に対しては一定の批判が加えられるべきではある。


私が考える論点は、

・失言狩りがセンセーショナルな「受ける」文脈で行われ、他に評価、ないし議論するべき重要な点が押し流されてしまうことに対する不快と、「マスコミのカウンターメディアとしてのWeb」という幻想

という二点である。


簡単に整理していこう。


これはwebマスコミ問わず、いわゆる「失言狩り」というもの全てに共通した話だが、失言報道というものは本当にごく一部の「センテンス」だけを切り取って、そこをセンセーショナルに煽り立てる形で行われるのが常である。その為、全体の文脈が隠蔽されたり、本来もっと議論するべきところが押し流されたりする頻度がきわめて高い。

例えば政治家の失言報道であれば、本来政策議論が行われていた筈のところ、その中でぽろっと出てきた失言だけがクローズアップされまくり、政策議論が完全に置いてけぼりにされる、というのは極めて「よくある」光景である。お時間あったら下記リンクを参照されると良い。

政治家の失言、不適切発言まとめ


一方、例えばTwitterのようなミニブログでは、もともと発言が細かい単位で切り分けられるので、全体の文脈の中で「問題がある部分」だけが切り取られ、クローズアップされる傾向が強い。この文化はいまいち好きになれない。

繰り返すが、失言の下敷きにはその人の意識がある訳であって、その点失言は問題なしとしない。ただ、それに対する批判は、飽くまで全体を認識した上で、更に重要な問題がないかどうかを考慮しながらなされるべきだ。


失言は、多くの場合、聞いた人の憤りを呼ぶような内容である。憤りを煽られ、憤りの対象を攻撃することは、とても楽しい。とても気持ちいい。だから、失言報道は受ける。それはよくわかる。


けれど、ただ単純に同じ歯車を回すだけであれば、Webの独自性というものは存在しない。


少なくとも、今迄マスコミの失言報道に苦々しさを感じたことがある人であれば、Webにおける「失言切り取り」にも同じものを感じる筈だ。そして、「切り取らないで」失言を批判する向きは今でもある筈だし、そうした動きがもっとメジャーになってもいい筈だ。

つまり、少なくともWebにおいては、「失言自体ではなく、失言を含めた全体を検討・批判する」「失言の背景を検討し、批判するに値しない失言であれば放っておく」というあり方が一般的になってくれないもんかなあ、と私は考えているのだ。


既存メディアと違う場所が、Webにあっていいんじゃないか、と、そんな風に思う。


今日はこれくらいで。

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posted by しんざき at 12:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
メディアやウェブに限らず、おそらく「日本人の国民性」なんだろうと思う。
「世間の目」というサウロンみたいなものがあるので、まわりにものすごい気を使いながら生き、また同時に自分がその世間の目となり、まわりの人を監視する。そういう行動を強制しあってる。
粗探し社会、減点評価社会。
SNSなんてものは格好の餌食。
Posted by sis at 2012年05月29日 19:54
Webというのは単にシステムでしかないので、
そこに価値観を求めるのであれば、
コミュニティを形成しブランド化していくしかないのでは
Posted by at 2012年05月29日 20:44
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