ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。
「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。
子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、要はその分野が面白くない時、意味が分からない時、とにかくその勉強をしたくない時に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし口実なのであり、飽くまで手段であって目的ではない(ソースは俺)。
つまり、こういう言葉を言う時、その子供はそもそも「その知識が役に立つとは思っていない」のだ。「役に立つ」という言葉の意味にもよるが、もしかすると実際にそうなのかも知れない。身に着けても直接使わない知識というものは、実際ある。
だが、大人はそれを承知の上で、「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけないと思う。直接、その場で勉強をさせる為ではない。知識を身に着けることの重要さ、というものを教える為だ。
それを教えることは大人の義務であり、その教え方を考えることは大人の義務だ。少なくとも、「将来役に立つから黙ってやっておけ」などと言ってはいけない。
要は、「大人も思考放棄してはいけない」ということだ。少なくとも私はそう思う。
-----------------------------------------------------------------------
上記までで、実は書きたいことの半分は書いた。
で。じゃあ一体どういう風に教えればいいのか、という話なのだが。
以下、「子ども」という言葉は、私は小学校高学年から中学校くらいを想定して使っていることをご承知おきいただきたい。
多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない。将来というのは、大抵の子供にとって、今まで生きた年月と同じ程度の時間を積み上げないと届かない、曖昧模糊とした概念だ。「将来なりたい職業」といった、もやもやとした想像と一緒に想起される言葉だ。
子どもには、何か別の方法で、「今何の役に立つのか」「今まで何かの役に立ったのか」を伝えてあげないといけない。
そして、それ以上に、「役に立つ」という言葉自体の概念を広げてあげなくてはいけない。もしかするとこの方が重要かも知れない。
どういう教え方が刺さるのか、というのは子供それぞれ、年代にもよるし環境にもよると思うけれど、ざっくりした方向性はあると思う。以下は私の考えだが、実際に効果があるかどうかは分からないし、今後修正するかも知れない。
・「役に立つ」ということを指して、どういうことを想定しているのかを確認し、それ以外でも知識が生きてくる場面というものはあるのだ、ということを説明する。
・その上で、現実に、知識がどのような場面で生きているのか、を具体的に説明する。
・子供に、「すぐに役には立たないけれど、何らかの体験が後で役に立った」という、実際の成功体験をさせてあげる。
まず最初に。「何の役に立つの?」と言われた時、多分一番初めに確認しなくてはいけないのは、「役に立つ」の定義だ。
子どもはまだ視野がそこまで広くはないので、「役に立つ」といった時、それが指している対象は意外と狭かったり、曖昧だったりする。例えば「仕事をする時使うかどうか」といった、ごく限定されたフィールドであり、かつその「仕事」のイメージ自体が固まっていない場合は多い(ソースは俺)。
それに対して、「知識が役に立つ場面」というのは、勿論仕事上で役に立つ場合も多々あるだろうが、実際にはもっとずっと広範だ。「役に立つ」という言葉自体が示している広さ、というものを教えてあげないといけない。
例えば、「二次方程式なんて何の役に立つの?」と聞かれたとする。
まず直接的には、私はシステムの仕事をやっているので、コーディング上二次方程式の概念が出てくる部分は山のようにある。二次方程式を知っていないと解決出来ないロジック、というのも山のようにある。コーディングで使うこともあれば、二次曲線をグラフに書き出す必要に迫られることもある。これは、もっとも直接的に「役に立つ」場面だ。
次に、「二次方程式という概念」を知っていることによって学ぶことが出来たこと、というものもある。最も端的な例として、プログラムの変数。xやyに一時的に数字を代入する、という概念を知っているかどうかで、もっと違う知識を手に入れる為の鍵を持っているかどうかの分かれ目が発生する。
こういった、「違う知識にアクセスする為のパスポートとしての知識」というのは、とても重要な考え方だ。
あるいは、「世界史なんて何の役に立つの?」と聞かれたとする。
直接的には、例えば一部の金融の情報などを仕入れる時、あるいは誰かにリーチする為のレポートを書く時、バックボーンとなる知識がないと話にならない、というものがある。例えば、EUR圏経済の話をする時、ヨーロッパの国際情勢の複雑さ、ヨーロッパの各国がどんな風に絡み合ってきたか、というようなことをざっくりとでも知っていないと、訳が分からないことになる。これが日本史でも、アジア史でも同じようなことが言える。
一方、「歴史というものに対する考え方」の重要性。世界史を勉強して一番に学ばなくてはいけないのは、「物事には多面的な見方がある」ということだ。ある事実とそれに伴う解釈が、別のどこかから見ても同じ形になるとは限らない、ということ。こういった見方が出来るかどうかというのは、それこそ人間としての器に影響しかねない重大事となる。
ほんの、ほんの一例だが、他にも山のような具体例がある筈だ。直接に「その知識」を知っているかどうかということももちろん重要だが、それ以上に、その沿革。知識の身に着け方、他の知識へのリーチ、誤った知識からの防御。そういった様々な「知識の重要性」というものを、大人は子どもに伝えなくてはならない。
それともう一つ、重要かも知れないと私が思っていることが、
・子供に、「すぐに役には立たないけれど、何らかの体験や学習が後で役に立った」という、実際の成功体験をさせてあげる。
という、言ってみれば「成功体験の機会」を子どもに作ってあげること。
そういった、「後から芽が出る」という体験をたくさんしている子どもであれば、学習や勉強についても同じような受け取り方をしてくれるかも知れない。勿論押しつけではない程度に、私も機会があれば、自分の子どもとそういった話をしてみようかと思う。
さて、大概長くなった。昼休みもぼちぼち終わりなので、今日はこれくらいで。
2012年05月31日

この記事へのトラックバック
貧乏人が貧乏人を産むもう1つの理由
Excerpt: 最近は本当に自分の頭の悪さ、要領の悪さ等に辟易してます。 今年の目標TOEIC600点がどんどん遠のいていく。 毎日の生活に追われて勉強が出来ない、っていう言い訳をし始めています。 でも結局色んなブロ..
Weblog: 白雪姫症候群
Tracked: 2012-06-04 05:42
役に立たないと(真に)断言できるならやらなくてよい
Excerpt: 結構多くの人がそれぞれそれぞれの言葉で有為な見解を述べてくれていて、他人(ひと)が有為な言葉を紡いでくれた後で意見を述べるのは実に楽な「他人のふんどしで相撲を取る」ではあるが。 「こんなこと勉強して何..
Weblog: 物語り研究所「夢前案内人」
Tracked: 2012-06-07 13:06
勉強なんかしなくても良いという考えもある
Excerpt: 「何故勉強をしなければならないの」という勉強論を http://benkyonosho.blog.fc2.com/ で書き綴っているダンナです。今日は、以下の言葉に反応したいと思います。 勉強には他..
Weblog: 悟りの書:なぜ勉強しなければならないの?(はてな出張所)
Tracked: 2012-06-09 19:11
[メモ]「なぜ勉強するのか?」
Excerpt: 少し流行しているので、書いてみる。6つ。 1. 承認をめぐる闘争(威張るため、バカにされないため、知ったかぶるため、有名大学に入るため、有名企業に入るため、お金持ちになるため、等々) この点について..
Weblog: 科学と工学と哲学から、日常を考える
Tracked: 2012-06-10 12:42
必要なのは,勉強した内容がいかに役に立つのかを教えることではない。
「役に立つこと」じゃないと「勉強しない」という考え自体が間違いなのだ。
人が知的であるということは,それ自体ですばらしい価値がある。
子供には,そのことを第一に教えなければいけない。
だいたい,役に立つことでないと身につける価値がないというのなら,
チェスで世界一強い人間になることに何の価値があるのだ?
コンピューターの方がよほど強い打ち手であるのに。
100mを10秒で走ることに何の価値があるのだ?
車に乗ればもっと速く走れるのに。
写実的な絵を上手く描けたからといって何の価値があるのだ?
写真を撮った方がはるかに正確なのに。
人がもつ能力を,それがなんであれ,可能な限り向上させること。
教育は,それ自体を目的とするべきだ。
その結果身についた能力が役に立つものかどうかなんか,二の次三の次だ。
*
そして逆説的であるのだが。
「役に立つ知識」のみを学んで,
それ以外を全く学ばなかった者は,
本っ当に役に立たない。
それも事実だ。
それを端的に言い表した言葉としてとらえると,
冒頭の言葉も決して間違ってはいない。
私も、子供に対して論理的な大人の講釈を垂れることによって自己満足に浸ることだけは避けようと思っています。
「役に立つ」から始まって知に対する知見がそこからさらに深まり広がるならそれでよいのではないか。
ここに書かれていることが全てではない。それはわかっているはず。
なぜポケモン図鑑ではなく、元素周期表を暗記させられるのか、その論理で説明できますか?
『学ぶ』事には理由はいりませんが、
『学ばされる』事には相応の理由がありますよ。
私は、大雑把にいってしまえば、
『たとえ本人の役に立たなくても、それを学んだ人が多ければ社会の役に立つから』
がそれを学ばされる理由であると考えています。
偉大な科学者は社会を発展させますが、
偉大な科学者を育てるには、まず科学者の卵を大量に育てて選別しなきゃなりませんしね。
おバカ様ばかりだと、社員教育も一苦労で、国際競争力に難が生じますし。
まあ、そんな説明で子供が納得するかどうかは、また別の話ですが。
ポケモン図鑑を端から暗記してみせた子供に対して,
「そんなモノ覚えるぐらいなら周期表でも覚えろ」と叱る。
これ,子育てで絶対やっちゃいけない事の一つです。
どんなものであっても,子供の努力したことを,
親の価値観で否定してはいけません。
スタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブズのスピーチの,
「点をつなぐ」というエピソードを知っていますか?
大学にいってカリグラフィーの授業をとることは,
普通に考えると無駄な勉強です。けれどそれが役に立つこともあるのです。
一見無駄な勉強でも,それを何十個もやれば,
そのどれかが人生を変えることがあるのです。
何が役に立つか。そんなのは事前にはわかりません。
親にも子供にも。
何であれ,勉強を「役に立ちそうもないから」と言って,やめてしまう。
それはとても大きな損失です。
そしてそれをお子さんに実践されてる。
こうもわかりやすくまとめられるところも見習いたいです。
ストンと納得できて気持ちよかった。
バスケ部の子には「試合中には腕立て伏せなんてしないでしょ、じゃあなんで腕立て伏せなんてするの?」と。
生きていく中で、いろいろと考えたり判断をするときに、脳の基礎体力のない人間より、基礎体力のある人間のほうが、豊かな人生(試合)を送れるし、楽しいのだ、と。
そして、受験は一生懸命基礎練してきたやつを選ぶ儀式だ。基礎練に才能は関係ない、頑張っただけ、基礎体力はつくんだと教えてきました。
そんなことを思い出しましたのでコメントさせて頂きました。
まあ、基礎練って初めはつまらないですよねwスポーツも楽器も勉強も。
そして、例え金稼ぎに繋がらなくても「楽しいこと」そのものが「役に立つこと」であるということに気づかせてあげること。
人は生きるためだけに生きているのではなく、人生を楽しむためにも生きているのだから。
主にさ、にちゃんねらーって負かすことしか考えてないんだよ
「その内わかるから勉強しろ。100点取ったらプレステ3買ってやる」とか言えば良いと思います。
動機が不順でも、とにかくやらせればいいんです。その知識が役に立ったという成功体験なんかより、頑張って勉強すればいい結果になるという成功体験の方が大事だから。
前の方が書かれていた、基礎練というのがしっくりきます。
将来、具体的な夢が生まれて、その職業に就くため、あるいは就いてから努力しなければならなくなった場面で、努力が身を結んだという成功体験はモチベーションの維持につながります。
どう役に立つかなんてそんなもん役に立った場面で始めて気がつけばいいことで、具体的に教える必要は全くないと思います。
親としては、こんな風に自分の思いのたけを語る事で十分だと思いますが、教師としては、その子供に最適な説明をチョイスする事が必要だと思います。
書籍もいくつもあって、僕のホームページの参考文献にまとめてますのでよろしければ。
カテゴリが雑記であるのが勿体ないというか、他と分けていただけると、読者としても見やすいというか・・・・・ご検討いただけると幸いです。
理解できない事に対して説明する。
説明した事が理解できないので説明する。
説明した事に対する説明に対する説明… 無限循環。
知識の体系を持っていない(小さい)子供に説明するのは難しい。
記憶力も大切だし、視点の切り替も大切だし。
と、私は教わりました。
修正しました!
>バブシカさん
ご無沙汰してます!光栄です。
勉強なんて、本質的に絶対にしなくてはいけないものではないのです。
今の時代厳しいかもしれないけど、勉強しなくても生きていく方法はあります。
子供にそれを選ばせるんです。
「勉強が嫌なら、こういう仕事もある、こういう生き方がある。受験しなくても、いい高校に行かなくても、こんな方法で生きていく人もいる。そこでは確かに二次方程式は役に立たない。だけどその生き方はこういうしんどさがある。こういう危険性もある。」とちゃんと説明して、
「それで、お前はどっちにするんだ?」と本人に選ばせるんです。
大概の子は、「わかった、勉強するよ…」となります。
もしそこで別の道を選んだのなら、親はそれを精一杯応援すればいいじゃないですか。
算数ができずに買い物できますか?家計簿つけられますか?
国語ができずに基本的思考や、読み書きができますか?
勉強は、本質的に、絶対に、どんな生活をするにしても、必須です。
しかも教育を受けることは、文化的な国家に生きる人間としての権利です。
人は平等です。しかし差がついているでしょう。
それは何故か?
学問のすすめ、ですよ。
恐らく貴方がおっしゃりたいのは、「義務感」から嫌がる子のためではないかと愚考致しましたが、
敢えて書き込ませて戴きました…、ご気分を害されてしまいましたら申し訳ありません。
子供は「つまらない」や「役に立たない」といった言い方で、それを表現する場合もあると思います。
従って、アプローチの仕方も当然いろいろあって良いです。重要なのは「勉強すること=基礎的な知識を習得すること」に対するインセンティブを与えることではないでしょうか。なぜなら、知識はある程度体系立てて考えられないと役に立ちませんが、体系立て考えるためには膨大な基礎知識が必要となりるからです。また、習得すべき基礎知識は膨大であるが故に、習得には膨大な時間が必要となります。
社会に出ると体系的な考えが出来るかどうかによって、したくてもさせてもらえない(チャンスさえもらえない)という事が多々あります。そこに気づいてから小中学校の学習内容を独学で身に付けなくてはいけないとなると、社会生活を送る上で大変なハンディキャップになってしまいます。
私は、自分の子供には大学(誰もが校名を知っているレベルに限る)までは行かせたいと考えています。なぜなら、そこにたどり着くためには並々ならぬ学習量が必要であり、効率的な時間の使い方や無駄を省くという考え方が身につくからです。
子供を大学に行かせたい最大の理由は、その過程で得られた知識や、あれだけ努力したのだから何とかなるはずという経験(ある意味では自信)がその後の人生で確実に本人を助けてくれるということを、私が身をもって経験し、遅まきながらも心から親に感謝しているからです。社会に出ると勉強=基礎練、学力=基礎体力ということを体感できます。
また、一定以上の学力が必須条件となっている職種では、学力以外の能力がどれだけ優れていても、希望する職種に就業することは出来ません。つまり、厳然として学力が選抜条件となっている職種があり、そのような職種ほど時間単位の賃金が高いのもまた事実です。
子供にやる気があるにこしたことはありませんが、やる気がない場合は上記の理由から無理矢理にでもやらせる予定です。
蛇足ですが…、
私は、言えば誰もが感心してくださるような歴史と伝統ある大学にいますが、
全く勉強した覚えがありません。センター前にさすがに教科書一読。
進学校だったので、二次対策も授業でやってくれてましたし。
なので、基礎練が全く出来ていないんです。自信も経験もありません。
今になって、大変な損失を感じています…。
今のゆとり教育は恐ろしいですよ。そこまでレベルを下げてるんです。
是非お子様には、(学ぶ楽しさをお教えになったあとに)
お子様の教科書をチェックし、応用問題など出して、楽しませてあげてください。
私も中学校までは努力してもしなくても、進学校に入学できる程度の学力はあったのですが、親は最後の詰めまで手を抜かず全力で取り組む事を要求しました。そのおかげで、どこで「これだけやってダメなら仕方がないと感じる」(「諦める」と言い換えてもよいです)かという、自分の限界点を引き上げることが出来たと思っています。
私の通った高校はさくらさんの学校とは全く逆で、完全に生徒の自主性にまかせており、授業での受験対策はなかったと記憶しております。一方では、平均点が赤点という定期試験を平気で実施していて、今思えばやる気のある生徒にはどこまでも伸びて欲しいという教育方針だったのでしょう。親も高校生の息子には勉強しろとは言わなくなり、大学行きたければ勝手にやるだろうと、中学までと対応が一変し、高校ではほとんど勉強した記憶がありません。その結果、進学前の1年間で3年分の勉強をすることになりました。
ゆとり教育については、落ちこぼれを減らしたのは確かかもしれませんが、それはただ学習内容のハードルを下げただけに過ぎず、一定以上の学力を有する子供にとっては、新しいことを知り知識を掘り下げていく機会が減ってしまい、単に学習内容が減少する以上に大きな損失であっただろうと想像しています。
子供が勉強を楽しめるかは、周りの条件も影響するでしょうが、その子次第であり、もはやある種の才能だと考えています。一方で、勉強(仕事と置き換えても同じ)を楽めることと結果の善し悪しは必ずしも一致するとは限らないと思っていて、端的に投入した時間と学習の効率によると考えています(学力=学習時間×学習効率)。しかし、楽しみながら取り組めた方がその間のストレスも少ないですし、何よりもやりがいを感じると思いますので、楽しみながら勉強できるよう微力ではありますが学習環境を整えてあげたいと思います。
ちなみに、私が高校に入学したのは平成になった年ですので、ゆとり教育の対象年齢ではありません。
いまのとこと言う予定は全くないが。
リアルではお母さんやお父さんが知らずに何気ない言葉で子供のやる気をつんでいる。
それに「役に立つ」から広がる知性なんて大人の幻想。
やる価値はあると認めるけど、やってダメだったからいえます(他人の子供だけど)。
こどもの現実逃避の力は凄まじい。
結局99%の無駄にどうやって理由をつけるか。役に立たなくても勉強する。なぜか?
に対する答えは必要でしょう。
自分の子供なら言葉を尽くすより、手っ取り早い方法があるかも。子は親を見て育つのです。
無駄くさい
ウソでも無理矢理納得させるためのロジックを身につけろってこと?
そんなことして何になるのか理解できない。
たとえば実際に二次方程式が生活するうえで役に立ったことなどは皆無でした。
それはたまたま私が二次方程式を必要としない職に就いたからかもしれないが
だったら
職や生き方によってはまるで役に立たないけど
役に立つ職に就く可能性もあるってことを示唆してやればいいんじゃないのか?
そして子供に
今学んでることが将来役に立つか否かを判断させて
役に立たないからやめるって言うならやめさせればいいんじゃない?
仮に将来困ることがあったとしても
それは自業自得なんだし
実際に困ることなんかそうそう無いのが現状ですからね
おおよそ、こういう質問を考えあるいは答える人は「自分にとって」役立つかどうかで判断するのだと思います。
なぜ勉強しなければいけないのか(義務教育を受けなければならないのか)は国家に返答義務があるのであって、で親が答える必然性はないでしょうね。(わからないなぁ、でいいと思う)
勉強(つよくつとめる)する必要は本来はなく、好奇心の赴くままに本や辞書を読んだり聞いたりすることの方が大切だと思います。
興味のないことを何十時間教えられても頭にはいるわけないです。
でも、僕のHP読むより、次の書籍を読まれた方が、数学の有用性が分かるかもしれません。
細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本
僕自身は好きな本じゃないですが、お勧めできます。
ファラデー「コイルに磁石を抜き差しすると方位磁石の針が動きます」
記者「それが一体何の役に立つのですか」
ファラデー「あなた方はそのうちこの現象に対して税金をかけるでしょう」
結果は言うまでもなく明らかで電気がないと現代社会は成り立たないし、
現在でも発電のほとんどは磁石を動かすことに寄って行われている。
未来は誰にもわかりませんから・・・中高で習ったことが将来、どこでどう役に立つかわかりませんし。
むしろ、習ったことをどう活かすか。それは、分野が違ったとしても活かす方法はいくらでもあるのではないかと。
役に立たないけど、日本ではいい企業に就職するときに必要になるから勉強しろ
これが子供にも分かりやすいと思うけどね
そんなに言うなら勉強すんなよ、うぜぇ。
ただしそれで将来困った事になっても人のせいにするなよ?全部お前の責任だからな?絶対面倒見ないぞ?全部自分で決めたことだからな?勉強しようが就職しようが無職だろうが出て行ってもらうからな?
親:「じゃあ、これを覚えることが君の将来に何の為にもならないと思うの?」
子:「分からない…」
親:「それが分かるのはその勉強をある程度やった人だけだよ。それに人によってその勉強が重要なのかどうかも変わるしね」
親:「あとで自分の進みたい道にその勉強が必要だと分かった時、その勉強をしていなかったら、その夢を諦めるか、遠回りして勉強し直さなければならなくなるよ」
親:「今の君は勉強やスポーツで基礎を養うことのみやっていても誰も文句は言わないけれど、社会に出ればそうもいかない。もう勉強に費やせる時間はものすごく少なくなるよ」
親:「今は出来る事は何でも勉強しておく事が君の将来の選択肢を広げる事になると思うよ」
天気予報、時間を決める、お金のやりとり…。
数学は単なる方程式ではない。
ロジックであり、理性的な思考。
数学を使えば、どんな謎も解決できる。
仰る通り子供には漠然とした将来像しかない。
いずれパスポートとして必要になるよと言われても実感が沸かないでしょ普通。
本人が2次方程式が必要になる場面に直面しなければ無理だと思いますよ。
成功体験も概念としては分かりますが、勉強を偏食することは避けられないんじゃないですかね。
僕は理数系の教科は好きでしたが、その他は大嫌いでした。
その嫌いな教科について、当時はどうしてこんなことやらなきゃいけないのって気分でしたからね。
「こんなこと勉強してなんの役に立つの?」は役に立つ立たないじゃなくて、嫌いだからやりたくないというニュアンスが大きいと思う。
本来的にはしんざきさんの仰るように納得させる事が出来ればよいが、子供の見識では無理と思います。
こういう場合は大人(親?あるいは先生?)への信頼感に頼るしかないと思う。
「今までこの人の言う事は正しかった、だから今回の件もロジックは理解できないが正しいだろう」という感じ。
あるいはもっと単純に好き嫌いの話かもしれない。
「僕はこの人が好きだから、この人の言う事を信じる」とか
「この人は僕の事を心配してくれてると思うから、その言葉を信じる」みたいな。
そういう関係性なしには無理ですよ、きっと。
そのときの敵が炎系か氷系かは分からないが、後から取りなおすのは面倒だぞ。
社会で必要になることを学校で学べるように、教育プログラムを変えなきゃいけないけど、それを教えられる先生もほとんどいない。
とりあえず2012年06月04日 08:50の例えがシンプルでわかりやすいかも?
子どもは言葉数がまだ少ないので、理屈は通用しない気さえします
けれど、それがどんな種類の言葉でも、そこに気持が籠もってさえいれば、必ず伝わります
親に限らず大人が真剣に伝えよう、伝えたいと思う言葉なら、幾つの子どもでも伝わります
ですから、伝える時には注意が必要です
言葉と気持が一致しないと子どもは気持ちの方に重きを置きます
疑いや投げやり、怒りや見下し、苦々しい気持などは誤魔化せません
少しでもそれらが混じると、子どもは敏感にそちらを嗅ぎ分けます 大人が考えているよりも、子どもは相手、特に家庭内の大人の気持には反応します
役に立つか、という屁理屈は子どもが育ってきている証しではないでしょうか
それに乗らず、飄々と本筋に向かうよう耳だけでなく目から語りかけるような大人に子どもは憧れるものだと思います
そういう点では子供のうちに
>知識の身に着け方
は修得しておかないと将来困ることになりますね(実際自分が困ってるんですが)。知識へリーチする方法はグーグル検索でもなんでもあるので、問題はどうやって修得するかです。論文はネット上に転がってるけど、論文を読み解く力はそれなりに要ります。それは早いうちに得ておきたいですね。
金を稼ぐのが如何に大事で、また金がないと如何に惨めな逝き方をするかを説明すれば、小学校高学年くらいの理解力があれば勉強の必要性は判ると思う。
私もなんでこんなことを学ばなければならないか?とよく考えたものですが、勉強をせずに何をしてきたか、というと大したこともせずただ好きなことをして悪く言えば怠惰な生活を送っていました。今では後悔しています。
勉強で(本人にとって)一番大事なのは何かに対して努力する、頑張る、ということではないでしょうか。逆に言うと何かに対して必死に取り組んでいる人は学業がおろそかでも構わないとさえ思います。
努力している人は周りから見てもとても素敵に見えます。それは外見にも現れ、ひとつの魅力になります。人は頑張っている人が好きなのです。
勉強を通じ真面目に取り組んできた人は、必ずしもではありませんが、仕事に対しても熱心に取り組む人が多いように感じます。彼らは自分のために頑張ることの大切さを知っていますから。
効果的なのはわかるが、わが子がかわいいがための自己中心的なその場しのぎで、こんなだから根強い差別がなくならない。
下劣な目的で勉強をした人が増えすぎて、勉強したんだからいい暮らしができて当然、ホームレスは努力しなかった落伍者みたいな考えが蔓延しているのは間違っている。
こんな目的で大人になったら、得た地位を手放さないために、不正をしてでも保身に走る人間になります。
論理的に筋の通った答えとしては、確かに書かれてる通りだけれど、
子供に必要なのは勉強がイヤな気持ちを抑えて、「続ける気にさせてくれる」答え。
結局、本人が我慢して続けてみる他ないんだけれど・・・
だから答えは答える大人それぞれの考えでいいんじゃないか。「選択肢を広げる」とでも、
「頭のトレーニング」とでも、答える大人が経験的に思ってる答えでいい。
勉強し続けた後に、本人が本人なりの答えに行きつくこと、またそれを同じ経験を経た人と話し合う事、
それこそが勉強の本来の姿。
既に完成された「足し算の答え」与えることだけが教育じゃないよ。
こりゃ低学歴だな、ぶっ殺されても文句言えねえよ
役に立つことが確定していることは既に誰かが役に立つことを証明した事柄であって価値はない
確定していることは人を雇ってやらせておけばいいことでしかない
俺はするけどな