いわゆる著名なSF作家の方の作品で、私が初めて触れたのが「何かが道をやってくる」だった。濫読家だった兄の門前の小僧だ。
いつごろのことだったかの記憶は曖昧だが、まだ小学校、それも多分3,4年くらいの頃だったと思う。当時の自分には勿論邦訳は難しくて、けれど場面場面が妙に印象に残って、何度か読み返した。私がその後「ミステリー」的なものよりは「ホラー・ファンタジー」的なものを好むようになった、原体験のようなものだったかも知れない。
そのしばらく後、多分中学校に上がる前後の頃だったと思うのだが、「ウは宇宙船のウ」を読んだ。ここで多分私は、「ブラッドベリ」という人をはっきりと認識した、と思う。
私にとってのブラッドベリは、「霧笛」を書いた人であり、「霜と炎」を書いた人だった。これと前後して、「幼年期の終わり」や「夏への扉」「われはロボット」などにも手を出し、「海外SF」というのは私の好きなジャンルの一つになった。私にとって、ブラッドベリは「スタート地点」だった。
昨日、2012年6月6日、ブラッドベリが亡くなった。
作家レイ・ブラッドベリ氏が死去 米報道
「巨匠」とか「巨星」と呼ばれる人には一種の共通点があって、一つには名前が一般名詞に近くなり、呼び捨てにしてもあまり違和感がない。今現役で活躍されている作家の方などには、「先生」とつけないと落ち着かない時もあるが、ブラッドベリに「先生」などという言葉を付けるのは逆に気安すぎて畏れ多い。誰でも知っているが、決して手は届かないからこその「巨星」という言葉だ。
それでも、かつてミヒャエル・エンデの訃報に接した時、J・P・ホーガンの訃報に接した時、アーサー・C・クラークの訃報に接した時と同様、一種の喪失感がある。
こうして、順調に20世紀は終わっていくのだと思う。
ブラッドベリが、ダッドリー・ストーンのような心境で安らかな死を迎えられたことを願うのみである。
関連:海外SFを読んだことがない人に、海外SF入門としてお勧めしたい四冊
書評もどき:レイ・ブラッドベリ「十月はたそがれの国」
2012年06月07日

この記事へのトラックバック
SFに限らず新規開拓をしています 読書の偏りは自然なこととはいえ、出来れば色んな機会に知らない世界を覗きたいとも思います そういう時にこの記事に触れました 弔辞としての記事に不謹慎と知りながらも私は感謝しています 好きなことを言葉を尽くして書いている方の記事にはやはり力があります それが自分好みの文体で書いてあるなら尚更だと思うのです ブラッドベリという作家の、何一つ知らない人間へ新しいきっかけを作ることは、たぶん物書きを生業とした人への最高の弔辞だと私は思いますし、そんな機会がもし自分にきてしまったとしたら、私もやはり新崎さんと同じように何かを発信しないではいられないでしょう
ありがとうございました