ある創作屋さんが、昔はどんな創作物を読んでいたのかに興味がある。
人間の成長過程っていうのは複雑なものだ。どんな人でも、自分を確立するまでの間に何かしらの「先人」の影響を受けている。全く他からの影響を受けていない人というのはいない。
どーも、創作者が「○○の影響を受けて」とか言うと悪い印象にとられてしまうことが多い気がするが、これは「パクリ」というものに対する悪印象がよっぽど強いからなのだろうか。確かにあからさまなパクリは創作屋失格だとは思うが、生まれてこのかた全く何の創作物も読まずに創作やってる人ってのはそう滅多にいるもんでもないのだ。「影響を受けた創作物」というのはもっとオープンでもいいと思うんだが、どんなものだろうか。
まあ、ある漫画を読んで「あ、この作者さん、○○意識してるかな」とか勝手に推測するのもなかなか面白いものだ。したり顔で解説するとすげえ勢いで嫌われそうだが。
それはそうと、標題の話である。上記の自分の言葉を借りれば、ちょっと嫌われそうな内容かも知れないとびくびくしつつ。
漆原友紀さんは、ご存知の方もあろうが、「蟲師」という漫画の作者さんである。ここ最近では一番の愛読漫画なのだが、ここでは「蟲師」について詳しく触れるのはやめておく。またいずれ。
漆原さんの短編集で、「フィラメント」という作品がある。「蟲師」の様な独特の世界観での短編がいくつも掲載されている一冊で、これはこれで実に私好みのいい雰囲気だったのだが。これを読んで私はちょっと得心がいった。あ、宮沢賢治なのかな、と。
「フィラメント」の巻頭二作は漆原さんの最近の作品なのだが、後半には初期作品が十何作だか収録されている。その随所随所に、なーんとなく賢治を思わせる言葉が並んでいたのである。実は私自身はそこまで賢治が好きな訳ではないのだが、もしも漆原さんの原体験に宮沢賢治があるとしたら、漆原さんというフィルターを通して「蟲師」という更に魅力的な形に変成されていく、その過程に実に実に興味がある。漆原さんがどんな読書生活を送っていたのか知りたいものだ。
ちょっと話は変わるが、以前蟲師をお貸しした知人が、こんな感想を下さった。「雰囲気はいいんだけど、どう読めばいいか分からない」と。なるほど、これは好みが分かれるところなんだな、と私は思った。
漫画というものは、「対立構造」の有無によって理解の方向が物凄く変わってくる。もう少しぶっちゃけた言い方をしてしまえば、「敵」がいる漫画は分かり易い。敵がいない漫画は分かりにくい。具体的には、ジャンプ系漫画よりはアフタヌーン系漫画の方が分かりにくい。まあゲームだろうが小説だろうが同じなのだが、絵という表現の関係からなのか、漫画というメディアではこの傾向は顕著だと思う。
言うまでもなく、漫画の良し悪しというのは面白いかどうかであって、分かり易いかどうかではない。もっとも、理解出来ない漫画を「面白い」と思う人は比較的少ない訳であって、対立構造の有無っていうのは結構重要な問題ではある。
「蟲師」には対立構造がない。たまーに物語上で「悪役」めいた人が出てくることもあるが、メインテーマは飽くまで人と蟲とのかかわりなのであって、蟲は悪役というよりは主役である。その点では「敵がいない漫画」だと言えるだろう。
敵がいない漫画が好きかどうかというのは、読解力とかそーゆー問題ではなくもう完全に好みである。敵がいる漫画の方が好きな人には、対立構造のないこの漫画は確かにあんまり面白くないだろうなあと。そんな結論のないことをだらだらと考えていた日曜日であった訳である。
取り敢えず「蟲師」、興味がおありの方にはご一読をお勧めする。嗜好にあうかどうかの保証はしないが。一言で言うとギンコがかっけーー。
一応リンクを。どうでもいいことだが、アフィリエイトではない。めんどーくさい。
「蟲師」一巻
フィラメント
2005年04月04日

蟲師は誰かの(というかしんざきさんの)家で読めばいいか、みたいな気分で。
宮沢賢治ってあまり感じなかったけど言われてみると、という感じも。
軍艦島行ってみたいな。そういえば免許合宿で知り合った人が、軍艦島につれってってくれる瀬渡しさんの電話番号、というのを教えてくれた。か、かけてみたい。
さらに今更ですが五十嵐大介の魔女はいいですよー。
蟲師の6巻は買いましたですよ。いつでもうぇるかむ。
賢治は、フィラメントはけっこーびしばしとそんな雰囲気を受けたんですが、どんな感じでしょーか。蟲師の方は分かりにくいけど、そのつもりで読んでみるとそんな解釈も出来ないではないかな、という程度の箇所がたまーに。
軍艦島、いーきーてーーえーー。かけてみーーれーー。今なんか補修中らしいですね。廃墟の雰囲気が損なわれなければいいんですが。