「ジョジョの奇妙な冒険」の話。多分既出なのだろうがまあいいや。
言うまでもなく、「ジョジョの奇妙な冒険」はとても面白い超有名少年漫画であり、ファンもアット―的に多い作品である。そして、皆様よくご存じの通り、ジョジョはストーリー毎に幾つかのブロックに分かれている。
第一部「ファントムブラッド」は、ジョナサン・ジョースターが主人公の、全ての始まりとなるお話。私連載開始当初読んでいたが、まさか序盤のあの展開が後にあんな怒涛の展開になるとは思いませんでしたよ。
第二部「戦闘潮流」は、ジョナサンの孫であるジョセフ・ジョースターが主人公の、「柱の男」たちとの戦いのお話。
第三部「スターダストクルセイダース」は、 空条承太郎が主人公の、「スタンド」をメインのギミックとした戦いのお話。
以下、第四部「ダイヤモンドは砕けない」第五部「黄金の風」第六部「ストーンオーシャン」にSTEEL BALL RUNと、どのブロックも大変面白い訳なのだが、今回考えたのは「第二部と第三部の、パワーバランスの対照性」というお話である。
一言で言うと、ジョジョの第二部と第三部では、敵・味方の戦力比が逆転している。
第二部において、主人公たちの敵は「柱の男」たちである。彼らの戦力は一言でいうとチートというレベルであって、正面からまともに戦えば、主人公はワムウやカーズ、エシディシどころかサンタナにすら勝てない。その為、ジョセフは知略を生かした絡め手、機略、奇策、心理戦を駆使して「柱の男」たちと戦う。
圧倒的な敵に対する知略戦。これがジョジョ第二部のコア要素である、ということは議論を俟たないだろう。
一方、ジョジョの第三部においては、敵戦力はDIOに組するスタンド使いたちである。そして、実は彼らの大部分は、主人公チームに対して戦力的に劣る。
承太郎のスタンドである「スター・プラチナ」を始めとして、主人公チームの戦力はチートとまでは言わないまでも相当充実しており、敵スタンド使いの大部分は、正面から戦った場合スタープラチナに殴り倒されて終わる。
恐らく、第三部の敵キャラ陣営で、「搦め手無しでまともに」主人公チームと戦い得る敵キャラクターというのは、ラバーソール、ヴァニラ・アイス、あとはDIOくらいなのではあるまいか。次点で、せいぜいペットショップとアヌビス神か(どちらも、主人公チーム全員を相手に戦うのは難しいと思うけど)
しかし、勿論「主人公側の方が戦力が上」であることは「楽勝」であることを意味しない。敵スタンド使いたちはあの手この手の搦め手や心理戦を駆使して、主人公チームを自分たちの土俵に引きずりこもうとする。ダービーは「ギャンブル」という舞台に乗らざるを得ない状況を作ったし、スティーリー・ダンはジョセフを人質にとったし、そもそも殆どのスタンド使いは正体を隠しており、主人公チームの前に当初姿を現さない。
そういった絡め手の数々を、主人公チームが時には知略で、時にはパワーで打ち砕く、というのが第三部の基本的な構図だ。
つまり、第二部と第三部では、「搦め手を使わざるを得ない側」が敵と主人公で入れ変わっている。この対称性はなかなか面白いなー、と思った。
また、もう一点第二部と第三部で対照的な点がある。ジョセフは修行したが、承太郎は修行していない。
第二部において、ジョセフは一応当初から波紋使いだったが、物語序盤は波紋の力が弱く、リサリサの元で修業をして初めて波紋を完全に使いこなせるようになった。言うまでもなく、「主人公が修行して強くなる」というのは、少年漫画の一つの王道だ。
一方、第三部において、承太郎は当初から強大な戦力として描写されており、劇中彼が「修行して大幅に強くなる」という描写は見られない。スタンドの概念を教えられたすぐ後にスタープラチナに「精密な模写」を行わせたりしており、とにかく飲み込みが速い。彼が劇中明確に「パワーアップ」したのはただ一場面、最終決戦での対「ワールド」戦のみである。
手前味噌だが、以前私が「エリア88に見る、少年漫画的「さすが」というカタルシス または「最初から強い主人公」のお話」で書いた際の言葉を使えば、第二部は「まさか」のカタルシスが重視されているのに対して、第三部では「流石」のカタルシスに寄っている」という言い方になるのかも知れない(勿論第三部でも「逆転」の場面は随所随所にあるのだが)。この点でも二部と三部は対照的であると思う。
もしかすると、第二部がいわゆる「王道的少年漫画のパワーバランス + 知略」という描かれ方をしたのに対し、第三部はそれを逆転した構図を当初から意識されていたのではあるまいか、などと推測する訳である。
まとめると。
・ジョジョの第二部と第三部では、主人公-敵側の戦力比が逆転している。
・戦力が弱い方は搦め手を使ってあの手この手で勝とうとする、というのはどちらも同じ。
・第二部に比べて、第三部は「主人公が最初から強い」漫画の一つだと思う。
・カプコンの格ゲー版ジョジョのHD版が出るらしいですね。チャカ使いでした。
・この前荒木先生の写真みたんですけどあの人本当に1960年生まれですか。
大体こんな感じのどうでもいい結論になるわけである。よかったですね。
以下は関連エントリー。
能力系の漫画がインフレしにくい理由。
2012年07月17日

この記事へのトラックバック
成長という描写はあるが修行という描写はちょっとしかない
なぜ私が2部が大好きで、3部が大嫌いかよくわかった。単に主人公側が強いのが嫌いだったんだ。なるほど。
また、2部は1vs1というシチュエーションが多いのに対して、3部は敵1人vs主人公チームというシチュエーションが多く見受けられます。だから敵もからめ手を使わざるおえない。或いは、からめ手が得意なキャラが刺客に選ばれたと思います。
ちなみに、3部で主人公達複数人に正面から戦って善戦した、タワーオブグレー、ホイールオブフォーチュンは、1vs1ならラバーソール、ヴァニラ・アイス、ペットショップ、アヌビス神らと同じく主人公らを倒しえたと思います。
肉弾戦ではスタープラチナに勝てないからこそ知略戦に持ち込む理由がある
主人公も知略型だとどっちも小細工を弄するヘタレ同士の戦いにしか見えない
目の付け所がシャープです
ヴァニラとDIOの強さはジョジョシリーズ全てを通じてトップクラスの強さでしょう
特に第三部開始時点でのディオの印象は、カーズの食糧でしかない雑魚で波紋で殴れば一撃死、という位置づけ。
そのディオにラスボスとしてのカリスマ性を持たせるには「今までの方法じゃ勝てないぞ」と思わせなければならないので、第二部のカーズとは違う方向からストレスを与えることになる。
すると必然、カタルシスも別方向に発生することになるのでしょう。
また主人公の体質もあるでしょうね。
ジョゼフは「努力して耐える」ことを最も嫌うタイプのキャラだったので、修行させるとハラハラドキドキできます。
でも丞太郎は「努力して耐える」姿がありありと想像できるので、修行させても上手くいく結果が見えてます。
主人公が逆なら、障害も逆で、乗り越え方が逆になるので、カタルシスも逆になるんでしょう。
そう考えると、そういう風に構成していたというより、キャラクターバランス的に自然とそうなったのではないかと思えてきます。
その後も、各部ごとに明確な差があり、一貫したテーマが人間賛歌でありながら多様性があって面白いですね、ジョジョは。
いや、ラバソはかなり搦手使いでしたけどね。
だからこそ花京院に化けて油断させる必要があったわけで。本当にまともに戦えるガチの強さがあったなら化ける必要がそもそも無いですしラストも普通に戦い続ければ良かっただけです。
そこは次点に挙げてるペットショップとアヌビス神の方が正解かと思われます。
どちらも小細工なしで真っ向から相手を追い詰めた正統派の強キャラでしたから。