2012年11月01日

政治家は「暴言をしたかどうか」ではなく、政治能力で評価されなくてはいけない

ふと思ったこと。

以前、近畿地方の某政治家の暴言に対して、「即刻辞任に値する暴言」という指摘を見たことがあった。


第一感としては、私は「暴言 = 辞任」という図式はおかしい、と思った。

政治家が「暴言を吐いたから辞めるべきだ」というのは、それはおかしい。政治家の仕事は政治なのだから、政治を執り行う能力で評価され、政治を執り行う能力の不足によって辞任するべきだ。そういった正当な評価が今まで行われてこなかったからこそ、今政治の舞台が混乱しているのだろうに。

汚い言葉は、使うだけで説得力を下げると思うし、批判されるべきだとも思う。ただ、その時批判されるのは、暴言それ自体ではなく、暴言を行ったことによって露わになった、その人の伝達能力、ないし感情を抑制する能力の低さ、でなくてはいけない。でなければ言葉狩りの一部メディアとレベルは変わらない。


しかし、本来政治家の評価基準となるべき、「政治を執り行う能力の多寡」という評価は、果たして可能なのだろうか。

政治能力、政治家としての能力とはなんだろう。

・発言を的確に伝える力
・相手の発言意図を的確に読み取る力
・政策を考案する力、あるいは政策を考案するスタッフを統括する力
・有利不利を的確に把握する力
・有利になる手は何かを判断する力
・複数の勢力の利害調整をする力
・責任感の強さ
・様々な場面に冷静に対処する力


色々思いつきはするが、明確に定義することはなかなか難しそうだ。どういうポジションにあって、どういう職務をするかによっても、どんな能力が必要とされるかは変わってくるだろう。

本来、政治家の評価というのは、こういった「その職務を執り行うにあたって、適切な能力を持っているかどうか」でなくてはいけない。そして、「暴言を行ったかどうか」ではなく、「その職務を行うだけの能力がなかったから」辞任しなくてはいけない。

しかし、様々な報道、情報を当たっていても、上記のような判断をするだけの情報がなかなか出てこない、というのが現状のように思える。街頭で話を聞いているだけでは、なかなか上記のような能力の多寡を判断することは難しい。

となると、本来は政治報道にこういった情報を期待するのが筋、ということになる筈だ。


安易なメディア批判に着地させたくはないのだが、「ある政治家が、どういう能力に秀でていて、どういった能力に劣っているのか」という報道を、少なくとも大手新聞を漁っている限りでは、なかなか見る機会がないように思う。根拠の欠如した批判か、根拠の欠如した賞賛か、あるいは裏金批判、暴言批判ばかり、という印象がある。

政治家の身辺がクリーンかどうか、というのは、確かに重要なことかも知れない。しかし、それ以外に評価基準がない、ということになれば、その方が収賄問題よりも遥かに問題だ。


何故そういう情報ばかりが露出するかというと、そういう情報が受けるからだ。


となれば、「政治家の能力を評価する報道」「政治家の能力についての情報」を、我々はもっと求めるべきなのではないだろうか。


どんなことでも、「正しく評価する」というのは重要であり、かつ、難しい。しかし、有能な人材に仕事をしてもらう為には、そうしなくてはいけない。

そんな風に思った。

posted by しんざき at 12:34 | Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
しんざき氏が挙げた要点の下5つに対しての言ですが、そういった判断が出来る人間が暴言を吐くはずがないと考えます。
ボクシングのカウンターじゃあるまいし、付け入る隙をわざわざ作る必要などないのです。

責を受けると知りながらなぜ愚行を行うのか。
極端な例でいえば、罰を受けるのになぜ犯罪を起こすのか。これに似ています。
このとき重要なのは動機です。たとえ犯罪者になろうとも、罰を受けようとも、それ以上の何かを得ようとしたのなら少なくとも本人にとっては目的に達する手段として行動したと理解が出来ます。

では暴言ならどうでしょうか?その時その場面で通常の話し方をせず、暴言を放つ意味がどこにあったのでしょうか。そう、暴言でなくてはならなかった理由が。

今は下火になりましたが以前は『オタクはキレやすく犯罪を起こしやすい』という風潮がありました。クロマルはゲームオタク・マニアの部類なので嫌な風潮だと感じていました。
これは一部のオタクが犯罪を犯したためにオタク全体が犯罪者集団のように思われたためです。
政治家の暴言も同じです。一部の政治家の暴言が全体の政治家のイメージの悪化、さらには政治不信を招くおそれが十分にあるので危惧しているのでしょう。
Posted by クロマル at 2012年11月02日 07:58
>汚い言葉は、使うだけで説得力を下げると思うし、批判されるべきだとも思う。ただ、その時批判されるのは、暴言それ自体ではなく、 暴言を行ったことによって露わになった、その人の伝達能力、ないし感情を抑制する能力の低さ 、でなくてはいけない。でなければ言葉狩りの一部メディアとレベルは変わらない。

と書かれているとおり、暴言が本来必要とされる能力の不足を表していることは、しんざきさんもわかってらっしゃるかと。
単純に暴言即辞任、という方針やメディアの論調に危惧を抱いてるのでしょう。

言葉狩りが、結局差別に対するアンチテーゼとして発した言葉すらも規制してしまい、本来の意図として通じない(つまり、差別はいかがなものか、という提案そのものが伝えられない)、というのはよく見聞きする話で、そういうレベルに落ちてしまってないか?という意味合いで、同様に感じています。
Posted by Kenz at 2012年11月02日 11:00
>>kenz氏

クロマルは理解ができません。仮に伝達能力や感情抑制能力の低さを指摘して何になるのでしょう。次にどう展開するのでしょう。
一般人の暴言なら大衆には様々な人がいる、の一言で済みますが政治家は民主制で選出された者です。国民の期待を背負っているという自覚があれば暴言など出るはずもありません。
その政治家に能力の不足を追及して何が得られるのでしょうか?

例を挙げるのはクロマルのクセなので申し訳ないですが、たとえば自分の子供が同級または同窓の子供を殴って傷つけた場合、叱り方はどうしますか?
@人を殴るということがどれほどひどいことか、どれほど悲しいことかを強調する

A人を殴ってしまう心の弱さを責める。心を強くするよう求める。

B他の方法

どれが効果的でしょうか?
結局、能力の低さを指摘するのは事の重大性を認識させた後の話なんです。それを飛ばして追及しても意味も成果も無いんです。
Posted by クロマル at 2012年11月02日 12:47
>>クロマルさん

一番の問題は一般人が政治家を知る為の耳や目となっているマスコミが偏った評価しかしていないことと、
その情報だけでものごとが動いていることです。

あなたの例えで言えば、同級生を殴ったことで学校や近所中で大騒ぎになり、
あなたの子供が一方的に悪者扱いされて学校や街から追い出されるのです。
暴言で辞めるという認識はそれくらい本来の罪と対処がかけ離れていると私は思います。

そもそも辞めるという行為自体、政治的には何の責任も解決力も持ってません。
もし仮に暴言を吐く政治家にそれほどの問題があるなら、
それを頻繁に選出するシステム自体に致命的な問題があるはずで、問われるならまずはそこでしょう。
Posted by 通りすがり at 2012年11月02日 13:41
テレビというものは面白いもので題材はどの局も同じです ただ、切り口や喋る人が違うだけで同じ題材が同じような順番で流れます この不自然さに慣れているせいか、テレビで叩かれている人はみんな同じ一人の人物、となります 雑誌や書籍には疎いので解りませんが、こんな状態なのにどこが先進国なんだろうと、庶民はコタツで思います
Posted by よし at 2012年11月03日 22:25
マスコミの弊害でもありますが、「それが本当に暴言なのか」と言う部分もありますかね。
文脈全体で見れば「言い方はちょっときついけど当たり前の事を言っているに過ぎない」事も、その部分だけ抜き出して何度も何度もやられれば、その部分だけが独り歩きしてしまいます。

また、別に何でもない事でも報道のさじ加減次第でどうにでもなる事も有ります。

例えば能力のある部下に権限と責任を与えて仕事を任せるのは適材適所と言う観点からも妥当ですが、これをやると「丸投げ」だと批判される。じゃあ自分が主導でやろうとすれば「独裁」だと言われる。
言われる方からしてみれば「じゃあどないせえっちゅうねん」と愚痴りたくもなるでしょう。
そんなのはかつての安倍政権・麻生政権時代のマスコミの論調を思い出せば幾らでもある事でしょう。


これは自分自身思っている事ですが「なんか政治家に理想求め過ぎなんじゃねーの?」です。
政治家ったって一人の人間。マスコミの「(都合の良い事だけを)報道する自由」、「(都合の悪い事を)報道しない自由」、「(都合の良いように切り貼りする)編集権」に晒され続けて耐えられるなら、それはもう人間じゃない別の「何か」ですよ。そして人間ではない「何か」に人間の政治はできません。


日本が民主主義の代議制と言う政治形態を是としている以上、選出される政治家のレベルはそれを選出する有権者のレベルから外れる事は有りません。

結局は有権者自身が成長するしかないんですよ。先ずは教育とメディアリテラシーの熟成ですかね。
出来なければ? 国が亡び、ひいては自分も滅ぶだけです。


最後に。
マスコミの論調で庶民感覚とか良く言われますが、はっきり言って「馬鹿じゃねーの?」です。
国の舵取りを行う国会議員は、庶民感覚なんて低いレベルで政治を考えるべきじゃない。
時に国民に犠牲を強いる決断をせざるを得ない事が有るから、それを説明し納得して貰うために「庶民感覚」を理解しておく必要は有りますが、それをベースにしてしまうのは愚の骨頂です。
Posted by crow改め鴉鳥 at 2012年11月06日 07:43
>>クロマルさん

>その政治家に能力の不足を追及して何が得られるのでしょうか?

それがはっきりした上で、責任の取り方を問われるべきではないか、という話だと思っています。
それが辞任という形になるにせよ、
暴言->辞任
ではなく、
暴言->暴言を吐いたことによって露呈した能力不足->辞任
とすべきであろうと。

これによって、暴言を吐いたとして、それが能力不足の露呈につながらなければ、必ずしも責任を問う必要はないだろう、とも思います。

ま、現実にそういう事態がどうおきるのか、というのはありますが、文脈無視しての言葉狩になるのは、あまりにも不毛。

逆に暴言さえ吐かなければ、となり婉曲で慇懃無礼な振舞いをするような人物も、それが聞く側に不快感を与えるのであれば、能力の不足、と言えるわけで。

また、責任を取る=辞任の公式というのも、短絡的な気がしますし。

怒鳴り散らすだけの上司も、正しいことを言うけれど、イチイチ癇に障る言い方をする上司も、上司として適切か、と言われれば不適切で、なぜか、と言えば、部下が気持ちよく能力を発揮する環境を作れないからに他ならない、と思うのです。
Posted by Kenz at 2012年11月09日 16:29
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