形を変えた「チャレンジャー」なのではないか、などと思うわけなのである。
実は、私にとってはドラえもんはライバルである。私は、ファミコンにおけるハドソンの三大名作は「迷宮組曲、ボンバーマン、サラダの国のトマト姫」だと考えており、かつその中でもトップは迷宮組曲だと考えており、迷宮組曲がハドソンゲーでありながら当時あまりピックアップされなかった理由は、「高橋名人の冒険島(1986年9月12日)」と「ドラえもん(1986年12月12日)」という二大ミリオンセラーに挟まれていたからではないか、と思い込んでいるからである。
とはいえ、勿論ファミコン初期におけるハドソンの存在は巨大であり、後々「ドラえもんゲーに外れなし」と一部のファミコンゲーマーに言わしめるに至った、そのスタート地点である本作の存在は、やはり無視出来るものではない。
「ドラえもん」。アクションゲーム・シューティングゲーム。1986年12月12日、ハドソンよりファミコンで発売。「ステージが進むごとにゲームが全く変わる」ということが一つのウリとされており、全体的に底堅い面白さと、当然のように強力なタッグを組んだコロコロコミックの販促などもあり、110万本以上を売り上げるミリオンヒット作となった。
当時キャラクターゲームに注力していたメーカーはいくつかあるが、国民的キャラクターである「ドラえもん」のゲームがバンダイではなくハドソンから発売されたことには、勿論コロコロコミックとハドソンの緊密なタッグが背景にあったことではあろうが、なかなか興味深い現象だったと思える。ハドソンは90年以降、「桃太郎」や「ボンバーマン」「高橋名人」などの一部のキャラクターを軸にしたゲームに注力し続けることになるわけだが、その遠因には「忍者ハットリくん」やこのゲームによる成功体験があったりするんじゃないかなあ、と私は考えている。
1987年以降、「ミッキーマウス不思議の国の大冒険」や「桃太郎伝説」を境に、ハドソンが徐々にPCエンジンに軸足を移していったことを考えれば、「ハドソンがファミコンのみに注力していた時代の、終わり間際の作品」としてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。
参考ページとして、Wikipediaのページを挙げておく。
Wikipedia:ドラえもん (ファミコン)
さて、ゲームの話をしよう。
・常識はずれの「ゲームのバラエティ」。
ゲームとしての「ドラえもん」の最大の特徴は、やはり「ステージによってゲームが変わること」だといえるだろう。
ワールド1、「開拓編」は、ゼルダのようなトップビュー画面と、マリオのようなサイドビュー画面が入り混じった探検型アクションゲーム。
ワールド2、「魔境編」は、縦スクロールと横スクロールが入れ替わり立ち代り出現する、まるで「沙羅曼蛇」のようなシューティングゲーム。
ワールド3、「海底編」は、持てる数に制限のあるアイテムを入れ替えながら、ボス敵のいる部屋を目指すパズル的アクションゲーム。
まさしく子供向け番組の展開のように、「とにかく子供を飽きさせない」という思考が、そのゲーム作りの基底にあったのではないか、と私は考えている。
どのステージも、正直単体でみればそこまで強烈な印象はないが、それぞれはっきりとした「ウリ」をアピールしていたのが印象的だった。
例えば開拓編であれば、様々な隠しアイテムを軸にした探索要素とパワーアップ要素。最初は攻撃手段すら持っていないドラえもんだが、「ショックガン」や「空気砲」「強力うちわ」などを見つけることが出来ればどんどん攻撃手段がパワーアップするし、あちらこちらに隠された「ドラやき」や「キャンディー」「ミルク」などを集めていけば、体力が回復したり弾数が増えたりといった特典を得ることが出来た。
基本的には、開拓編の「ウリ」は「宝探し要素」だった、といってしまっていいと思う。複雑な手順を踏まないと出てこない「隠しキャラ」なども用意されており、雑誌とのタイアップによって情報を小出しにファミコン小僧達を釣る、伝統の隠しキャラ商法も黄金期だった筈だ。
一方、「魔境編」ははっきりと「グラディウス」を意識した、オプション(ジャイアンやスネ夫)を生かした地形との戦い、という要素が主軸だったと思う。巧みに弾を回避し、地形をかわし、敵を狙い撃つ、古きよき横シュー伝統の操作感が二面のウリだ。敵の攻撃は正直開拓編よりも遥かに激しく、ノーダメージで進むのは至難の業だ。当時のファミッ子の中にも、「魔境編をクリア出来ない」という子は割りといたと思う。
そして、最終面となる「海底編」も、これまたかなりの高難度だった。小部屋が幾つも連なった迷宮状のマップ。先に進むための「通り抜けフープ」や「カギ」「お守り」などのアイテムと、通常は一個、取り寄せバッグを持てば二個という、持ち運べるアイテムの個数制限。迷宮のあちこちに閉じ込められているのび太、スネ夫、ジャイアンを連れてこなくては最後の鍵を開けることは出来ず、中ボスであるオクトパスは強力で、しずかちゃんの前に立ちふさがるラスボスポセイドンの攻撃も激しい。難度だけから言えば、当時中学生のお兄ちゃんくらいでもそれなりにてこずったのではないだろうか。
一見ソフトなキャラクターものの中に、明確に用意された「展開の多彩さ」「面ごとのアピールポイント」「様々な隠しキャラ」「面を追うごとに増してくる難度」などの要素。見えてくるのは、「ターゲットとなる子供たちにどうやって飽きずに遊んでもらうか」「雑誌とのタイアップをどう生かすか」という、明示的な「ゲームを売る」戦略だ。この当時、ファミコン業界の中心の一角を担っていたハドソンの、一つの本気がこのゲームに表現されている、と考えるべきではないだろうか。
ドラえもんというと、とかく海底編のドラミちゃん出現裏技が取り沙汰されやすいが、ここにも「意図的に裏技を仕込むことによる広告戦略」があったのではないか、と私は考えている。マイクには「ハドソーン」と叫ぼうが「ファミマガー」と叫ぼうが結果は同じなので注意が必要である。
・多彩展開のご先祖様は?
ちょっと、時代背景の話をする。
この当時、1986年という年は、「RPG」というジャンルが強力な力を備え始めた、言ってみれば過渡期だった。ゲームの大容量化に伴い、アクションゲームの主軸も、「ワープマン」や「クルクルランド」のような固定画面型アクションゲームから、「東海道五十三次」や「がんばれゴエモン」「影の伝説」のようなスクロールアクションへと移り変わっていた。ゲームは長くなり、当然のことながらゲーム自体も複雑さを増してきていた。それでも、「ステージが進むごとにゲームが完全に変わる」というゲームは、当時はっきりと異色だった筈だ。
さて、「ステージが進むごとにゲーム展開が変わる」という点で、ファミコンにおける草分け作品はなんだったろう?
厳密を期すならば、ここでは「デビルワールド」あるいは「ハイパーオリンピック」の名を挙げるべきなのかも知れない。しかし、私はこう思う。「展開の多彩さ」をファミコンに初めて持ち込んだタイトル、それは「チャレンジャー」なのだ、と。
チャレンジャーは、いわずと知れたファミコン初期の名作アクションである。ハドソンから発売されたのが1985年10月。「インディ・ジョーンズ」を意識していると思われる、考古学者の主人公「チャレンジャー」が挑むのは、「ブラッディワッカー」のボスドン・ワルドラド。
「チャレンジャー」においても、ハドソンは「ステージごとにくるくると変わるゲーム展開」を用意していた。ステージ1は、暴走する列車の屋根の上と車内を進む、サイドビュー横スクロールアクション。ステージ2は、トップビューの探索型アクション。ステージ3と4は、固定画面内でアイテムを集めるダンジョン探索アクション。
私は、「ドラえもん」の原点は「チャレンジャー」にある、と思う。根底にある、「展開を多彩にすることで子供を飽きさせない」というハドソン共通の精神。むしろ「チャレンジャーでは出来なかったことを詰め込まれたのがドラえもん」という要素も、全くないとは言えないのではないか。
・ところで魔境編のステージ2のBGMがめっさいい曲なんですが。
【楽譜】ファミコン版ドラえもん 魔境編その2
なんか明らかにこの曲だけ他のアニメ調の曲と雰囲気違うんですが、なんなんでしょうコレは。ここだけ作った人違ったりしないですか。
ということで、また随分長くなってしまったので今回はこの辺りで筆を置く。次回はまたもうちょっと時代を下るかも。
2012年11月05日

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一方で、1面が一番好きな人・いやいや3面こそが至高…と、個々人の嗜好が良く表れるゲームですね。
ドラえもんというゲームは自身のゲーム指向を知る良い機会となりますね。