2012年11月06日

漫画編集者さんのツイートまとめに見る、Twitterでの議論のむずかしさ

ちょっと前の話だが、こんなまとめを見た。

『漫画家になるには画力が必要』ツイートと漫画家先生方の反響

内容自体も興味深いし、恐らく編集者側に立つ方は多くの方が共感されるのではないかと思ったのだが、私は本題とはあまり関係ないところが一点、気にかかった。
僕が言っていること。×「漫画の面白さは画力が大部分をしめる」。×「少年漫画は画力を重視している」。○「新人作家さんは、自身が思っているよりも画力が足りない」。そういうことです。この話題すべて読者にもプロ漫画家にもあんまり関係ないです。すみません。

こういう注釈をわざわざ入れなくてはいけないところが、Twitter、あるいはWeb上での議論の難しいところだなー、と改めて思ったのである。

この注釈がツイートされた背景には、恐らく「漫画の面白さは画力が大部分をしめる」であるとか、「少年漫画は画力を重視している」といった主張であるものと受け取った人による、多くの見当違いなリプライ・言及があるものと推定出来る。

@betsumagaさんは一連のツイートの当初から「なかなか賞に入らない新人作家のみなさま」であるとか、「初期の段階では」といった言葉を使って、自分のツイートが対象を制限したものであることを明言されている。だというのに上記のような解釈をされてしまうことが、どうしても短いセンテンスが切り取られてクローズアップされ勝ちである、Twitterのようなミニブログで論を展開することの難しさを表しているなあ、と感じた次第。


ただ、注意しなくてはいけない点は幾つかある。

1.この一連のツイート自体が、「画力とは何か」という前提の共有が必要な、扱いが難しい案件であった
2.一部を取り上げて、筆者の意図が誤って伝わる場合があるのは別にTwitterに限らない


一点目。まとめの中でも述べられているが、この議論は、本来最初に「定義」と「その共有」が必要だった。

ここで語られている内容は、「漫画の面白さ」とか「連載漫画の特徴」といった議論のずーっとずーっと前、最初の入り口の部分での話である。「画力」と一言で言っても色々あるだろうとは思うが、ここで言われている「画力」というのは、漫画表現と結びつけて語る内容のものではない。その点、「画力」という若干曖昧な言葉が使われる時点で、難しい案件になることは運命づけられていたのかも知れない。

前提の共有を必要とする議論をミニブログで展開するのは結構無理がありますよね、ということが、まず最初に言えるのではないか。


二点目。「読む側が読みたいように読む」というのは端的に言って当然の前提であって、これは揶揄や批判にすらならない。実際のところ、読解には必ず自分の頭の翻訳が入るのであって、「自分が意図した読み方ではなく、論者が意図した読み方」を十全に出来る人など、そう滅多にいるものではない。これはTwitterだろうがニュースサイトだろうがテキストサイトだろうがブログだろうが同じことだと思う。

ただ、ブログのような長文の表現が出来る場所であれば、同じブロック内に「自分の意図」というものを念入りに詰め込むことで、少なくとも穴を小さくすることは出来るがTwitterのようなミニブログではそれは難しい。そういう側面もあるだろう。


ということで、別段結論が出る話でもないわけだが。Twitterとブログを掛け持ちしている人間として、自分の意図がなるべく言葉通り伝わるよう、精進しないとなあ、と思った次第である。

今日はこれくらいで。
posted by しんざき at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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