間違ってほめた子供は、けっこう大変なことになる
先に断っておく必要があるのだが、私の読み方と、ここで論じられているmedtoolzさんの言いたいことは、若干ずれていると思う。これは多分、スコープの違いが原因だ。
medtoolzさんは、絵画についての技術論やセミナー、コーチングなどに触れられている点から読み取る限り、多分子供といってもある程度大きな、例えば小学生以上の子が、技術を身につける際に気をつけなくてはいけないこと、といったスコープで語られているのではないかと思う。おそらく「親にとっての子育て」に限らない話の筈だ。
で、私の子供はまだ5歳と1歳未満であって、まだ技術習得について考えられる地点までたどり着いていない。その為、私のスコープは「技術習得やコーチングの前の、親にとっての「褒めて伸ばす」という育て方について」という多少偏った視点になる。
それを前提にした上で、私が思う「褒める時気をつけるべきこと」について考えてみたい。
成果に到達できなかった人に対して、その過程をほめてしまうと失敗するし、正しい工程を踏まずに、たまたまいい成果に到達できた人をほめてしまっても、同様に失敗する。「正しくほめる」ことは、だからほんとうに難しいし、全行程見張ってないといけないから恐ろしく面倒くさい
しつけの歩留まりみたいなので論じるのなら、親御さんがそこまで教育にリソースを割けず、なおかつ教育というものに対する知識や経験を欠いているのなら、ほめるよりも叱って叩くやり方をしたほうが、実は子供にとって安全なんじゃないかと思える多分これは、「本来「成功」というべきではないものを褒めてしまうことで、誤った成功体験をさせてしまうことによる弊害」という話に集約出来るんじゃないかなあ、と思った。
子供にとって「褒められる」という体験が非常に大きなものであることは間違いないと思うし、特に小さな子供は「褒められた」→「これは「いいこと」なんだ」という学習をする傾向が強い、と思う。少なくともうちの子はそうである。
となると、本来だったらあまり褒められたことではない行為を、間違って褒めてしまったりすると、間違った内容を成功体験として強く心に残してしまい、これが後々尾を引いたりする。これは多分普遍的な話だ。なんでもかんでも褒めればいいってもんじゃない、というのは全くその通りだ。「あ、これでいいんだ」と思って欲しい点を、的確に褒めないといけない。
そこから考えると、重要なことは
・「それは本当に褒めるべきことなのか真剣に考えること」
・「褒めるとして、「どこを褒めているのか」をきちんと伝えること」
なのではあるまいか。これを厳密に行わなくてはいけないとしたら、確かに「褒めるコスト」というものは非常に大きい。単純にコストを重視すると、「褒めるよりも叱った方が安定」という話も頷ける。
もっとも、教育ではなく親子の子育てという話であれば、関係は基本的に一対一なのであるし、コストを気にして向き合うような関係性であってはいけないだろう、と思う。私は、少なくとも、「偉い」と思ったらそれを褒めたい。
真剣に考えて、真剣に褒めること。その為に、真剣に向き合うこと。少なくとも親と子の一対一の関係であれば、これがとてもとても重要になることは論を俟たないだろう。真剣に褒める為には、真剣に向き合わなくてはいけない。なんでもかんでもホイホイ褒めればいいというものではない。これは肝に銘じておきたいと思う。
一方、
たぶん「正解のあるものをほめてはいけない」という原則があるんだと思う。正解が決まっているものには必ず序列が生まれて、ほめることと正解を否定することとがトレードオフの関係になってしまう。子育てのフィールドに限定して言えば、これは必ずしもそうとも言い切れないかも、と感じた。
小さい子は、まだ「正解を得る」以前に、「正解にたどり着く為にどんな努力をすればいいか」ということが分からない。「無駄な努力」が無駄であるかどうか以前に、まず「努力をすることの意味」が身についていない。
その為、「とりあえず努力をしてみる」という一つのスタンス、「コストをかけてみる」という一つのスタンスの存在は、最初に教えてあげないといけない。そのコストをかけるべきかかけないべきか、判断する前の問題なのだ。
だから、たとえ正解を出せなかったとしても、正解を出すために努力をしたとすれば、「その努力について」は褒めてあげるべきだ、と私は思う。より良い努力のし方を考える、つまり「無駄な努力と有益な努力の区別」をするのは、努力をすることの意味を知った後でいい。その為にも「「どこを褒めているのか」をきちんと伝えること」」は重要だと思う。
繰り返しになるが、medtoolzさんの言いたいことととは多分ずれていると思う。その上で、上記まとめを読んだ私が考えたことは、こんな風にまとめることが出来る。
・褒めるという行為が子供に及ぼす影響は非常に大きい。
・その為、なんでもかんでも褒めていたら、子供は本来成功体験ではないものまで成功体験として記憶してしまう。これはあんまりよろしくない。
・だから、親が子供を褒める時は、真剣に考えて、真剣に褒めなくてはいけない。
今後とも、息子さんや娘さんズと向き合うときは、真剣さを忘れないようにしたい、と思った。
今日はこれくらいで。
親って失敗は認められないんですかね?
それがたとえ、子供を間違った方向に育ててしまう失敗であったとしても。
まあ、なんか一回や二回褒め方を間違っていようが、そこの失敗から親子の関係性を直視できなければ、真剣に褒めるなんて無理なような気がしました。
叱ることも、ほめることも、失敗だらけだと思ったりです。
内容と趣旨が違うのですが、ちょっと最近思うところもありましたので、コメントさせていただきました。
>>親って失敗は認められないんですかね?
今の話題は『親にとっての「褒めて伸ばす」という育て方について』という視点からの話であって
今ここで子育ての失敗の定義について論じても仕方ないのではないですかね。
敢えて言えば、「そこの失敗から親子の関係性を直視」ということが「真剣に考える」部分なのだと思います。
特に重要と言われた以下の2点。
・「それは本当に褒めるべきことなのか真剣に考えること」
・「褒めるとして、「どこを褒めているのか」をきちんと伝えること」
今はまだ会話も成立しないので一方的に伝わっているはずと信じるだけですが、もう少し大きくなれば「伝わってるのかなー?」という疑問が親の方にハッキリ出てくるのだと思います。