2012年11月21日
「三匹の子豚」のお母さん豚は、何故「力を合わせて家を建てなさい」と言わなかったのか
実は「三匹の子豚」が語っているのは、「生き残るには多様性が必要である」ということではないのか。
Wikipedia:三匹の子豚
最初に、「三匹の子豚」のあらすじを明確に しておこう。三匹の子豚は、時代や国によっ て様々なバージョンを有しているが、大筋は 以下の通りである筈だ。
1.お母さん豚が、三匹の子豚を自活させる為 に外の世界に送り出す。
2.三匹の子豚は三者三様の家を建てる。藁の 家、木の家、煉瓦の家である。
3.狼がやってくる。藁の家の子豚、木の家の 子豚は、家を狼に吹き飛ばされ、狼に食べら れてしまう。
4.煉瓦の家の子豚だけは狼に吹き飛ばされ ず、子豚は狼の裏をかいて、狼は熱湯の煮え たぎる鍋に落ちて釜茹でにされてしまう。
で、最近のバージョンだと、3で子豚が狼に 食べられず、4でも狼は単に熱湯に驚いて逃 げ出すだけで、結局「誰も死なない童話」に なっている場合が多い、らしい。私の家で息 子さんが読んでいたのもそのパターンであ る。まあ、バージョン違いの是々非々は取り 敢えずおいておいてよかろう。
まず最初に、まっとうな感覚の人はこう思う筈だ。「この三匹は、なんで同居しないのん?」と。
豚は、元来独立不羈の動物というわけではない。むしろ群れる動物である。草食動物の本能からしても、対肉食系野獣どもへの戦闘力からしても、本来「みんなで群れて暮らしましょう」の方が利にかなっている筈だ。
しかし、このお話において、豚どもの行動はそうなっていない。お母さん豚は三匹を別々に送り出すし、三匹は合流するでもなく、それぞれ好き勝手に自宅を建設する。
勿論、この理由は様々に妄想することが可能だ。
・単純に三匹の人間関係が険悪で家庭崩壊が間近だった
・お母さん豚の教育方針がスパルタンXだった
・一ヶ所に複数豚が定住するだけの食料が十分ではなかった為、別れて居住せざるを得なかった
・人頭税対策
ああ、豚社会も大変だな。と思ったりもするのだが、私個人はこれらの意見を採らない。
私は、「お母さん豚にはそうせざるを得ない理由があった」と考える。
仮に、彼ら三匹協力して、同居するための自宅を建てようとしたとしよう。三匹は、各々得意な建設術を持っている。それらを組み合わせて家屋を建設しようとする筈だ。
するとどうなるか。そう、家屋のどこかには必ず藁の部分が、どこかには必ず木の部分が出来て、そこは狼に対する致命的なセキュリティホールになる。狼が藁部分から侵入してきたが最後、三匹に残された道は「壊滅」の二文字だけであったろう。
そう、このお話において、狼に対抗しうるソリューションはたった一つ、「煉瓦純度100%の家を作るという」手段だけであったのだ。そのためには、三匹は力を合わせてはいけなかった。
三匹が力を合わせてもその力は三倍にはならず、どこかで必ず平均化する力が働く。これはどんな場合でも通じる話である。そして、三匹のうち一匹でも生き残れたのは、まさに彼らが「力を合わせなかった」故なのである。
生物が何故DNA を混合させようとするかというと、それは「多様性を作り出すため」だという。(参照:Wikipedia:遺伝的多様性)多様性がなければ、たった一種類のウィルスに、あるいはたった一度の環境の激変に、種族全体が全滅させられるかも知れない。だからこそ、生物は多様な形をとろうとし、多様性自体が生存への必要条件になるのだ。
この話は、まさに「敢えて合流せず、多様な家を建設することで一匹が生き残った」三匹のこぶたの話そのままではないか。200年以上前から存在した童話が、既にして生物の多様性の重要さを我々に示唆していたのだ。ああ、ジェイムズ・オーチャード・ハリウェル=フィリップスは讃うべきかな。
まとめてみよう。
・お母さん豚が敢えて三匹を別々に行動させたのは、実は生命の多様性に対する讃歌のメタファであり、三匹の全滅を避けるため、敢えて心を鬼にしての所作だったのではないかと思うが正直超どうでもいい
・3人集まっても力は三倍にはならない、というのは割りと一般的な話のような気もする
・「藁や木のような植物性資材の家より、煉瓦のような工業性資材の方を無条件で持ち上げるのは西欧的な思想だって話も昔読んだ記憶がある
・全然関係ないが、とんかつ・しゃぶしゃぶの店で「3びきのこぶた」っていう店名があったんだけど、あれ絶対店主狼だと思う
というような結論になるわけである。よかったですね。
今日はこの辺で。

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童謡・童話で傑作とされるものは初めて読み、2回目3回目と読んだときに初めて読んだ時には思いつかなかった解釈や教訓が得られるものだと考えます。
要は勧善懲悪を教え込むのではなく『何にでも取れる・何とでも取れる』多方面からの考え方を(主に子供に)提供してくれているのです。
しんざき氏の『3びきのこぶたの母親はなぜ〜』という疑問も著者が張った罠に掛かった証拠ですね。
その上でクロマルも罠に引っかかると。クロマルは困ったときには強いものに頼れ、という教訓に感じましたね。母親は実家にいるこぶた達に、強いものに頼れる有り難みを教えたかったのではないでしょうか。
まさに多様性の利点ですね。
東日本大震災での津波、熊本地震での繰り返しの揺れ、それらをパーフェクトに乗り切れる家屋は相当高額な建築コストになり極めて少数しか無いようです