ただし気のせいである可能性は非常に高い。
息子さんが夜寝る前に帰れた時、私は息子さんに「お話」をせがまれる。もう2年以上前くらいから続いている、電車擬人化系ハートフルストーリー「総武線のそうちゃん」のお話である。
息子さんが電車好きだったから始めたお話であって、
で、特に最近は、息子さんが「ある程度長いストーリー」を求めるようになってきたので、続きものの長編冒険そうちゃんのお話、息子さんが言うところの「そうちゃん大冒険」のお話をすることが多い。これももう結構回を重ねており、今までにそうちゃんが行ったところというと、
・海
・宇宙
・月
・深海
・地底世界
・恐竜がいる世界
・無人島
・火星
・北極
・南極
・エアーズロック
・南米
・ジャングル
・砂漠
・小さくなっておもちゃの世界
・栃木
など非常に多岐に渡っており、まさに大長編ドラえもんかという話な訳である。ちなみに、全て通勤客は乗ったままという設定である。通勤客めっちゃ大変。
で、ふと気が付くと「次はそうちゃんをどんな突拍子もない場所で冒険させよう?」という発想の仕方をしている訳なのだが。
以前、最近の大長編ドラえもんについて、こんな批判を見た記憶がある。
・「ドラえもん達をどんな世界で冒険させよう?」という、言ってみれば舞台立ての発想が先に立っており、本来核となるべき「子どもに夢を見せてあげる」というところが置いてけぼりになっている
うろ覚えなので細かいところは勘弁して頂きたい。とにかく上記のような批判だ。
上記が妥当な批判なのかどうかは分からないが、私について言えば、確かにそういう「先に舞台を考える」という思考ループに陥っていることは否定出来ない。
本来あるべき「総武線のそうちゃん」とは一体なんなのか?それは純粋に、電車が好きだった息子さんに「もし電車が友達になったら」という夢を与えてあげる為の創作ではなかったのか。そのスタート地点をおろそかにしてしまっては本末転倒なのではないか?と思ったけれど私別に脚本家でもなんでもないしそこまで深く考えなくていいや。この段落無し。
ということで、藤子F先生亡き今、長編ドラえもんを描き続けているスタッフのみなさんも大変だろうなあ、という程度のあたりさわりのない結句にてこの記事を締めたい。
仕事に戻ります。お疲れ様です。
エントリのタイトルから自分が連想したのはローリング女史の『ハリー・ポッター』シリーズですね。
あれだけの物語を破綻無く最初から考えていられたとしたらびっくりです。……多分、文章化する上で加筆修正や伏線になり切らなかった部分を削ったりしてるはずでしょうが……と、自分も少々趣味で文章を書くので、そんな負け惜しみを言ってみたり。
自分も子供の頃、親に読み聞かせや、昔話のパロディを話してもらったりしていたのを覚えています。「舞台立ての発想が先」が是か非かは私には分かりませんが、しんざきさんのがんばりには本当に頭が下がります。息子さんも幸せな事でしょう。
もしかすると本当に幸せなのは息子さんにお話を聞かせている時のしんざき氏かもしれませんよ