諸事情あって詳細はぼかさせて頂くが、以前、割と眼前で以下の様な経緯を見た。
1.ある漫画ファンの人が、漫画家の方をTwitterでフォロー。
2.ある時、7割褒め言葉、3割要望、みたいなreplyを送る
3.その漫画家の方が、3割要望の部分を批判・非難と受け取ったらしく、ややキツい言い方で回答のreplyを返す
4.何ツイートかやり取りがあり、喧嘩とまではいかないが、あまり友好的でない雰囲気になってしまう
5.そのかなり後、ファンの人が「あんな人だとは思わなかった」的な発言と共にフォロー外し。その漫画自体についても否定的発言。
歯切れが悪い書き方になってしまっているのは勘弁して頂きたい。ただ、まあ、この例に限らず割とよく見る光景だとは思う。
論点は幾つかある。別にどちらが悪いという訳でもない、結果的にはお互いちょっとずつ許容量とか優しさとか抑えが足りなかっただけの事例だとは思うのだが、ちょっと思う所があった。
まず前提として、優れたクリエイターが人格者であるとは限らない、というかむしろ人格者などではない場合の方が遥かに多いし、それ以前に人格者である必要など全くない、ということを挙げておきたい。
クリエイターは、「いい人かどうか」ではなく、「どんな素晴らしい創作物を作っているか」という軸で評価されるべきだ。それはフィールドに関係ない。漫画だろうが、小説だろうが、映画だろうが、音楽だろうが同じことだ。
創作物と人格が全くの無関係とは言わないが、人格者しか創作物が評価されないような世界になったら、漫画業界や小説業界はホント―にエラいことになってしまう。「嫉妬深いし大人げないから」という理由で手塚治虫先生が評価されない世界を想像してみれば良い。
問題なのは、
・今の時代、クリエイターとファンの敷居がかつてない程に下がっていること
・人格と創作物を切り離せない人は案外多いということ
・「ファンと創作者」という関係であってもSNSの上では単なる人間関係の一形態であり、上手く付き合っていく為にはお互いある程度の度量と最低限の良識が必要、ということ
大体上記三点である。
上の例で言えば、「3.その漫画家の方が、3割要望の部分を批判・非難と受け取ったらしく、ややキツい言い方で回答のreplyを返す」の時点で漫画家さんが過剰反応をしたことは事実だろう。好評よりも悪評に敏感なのは人間の性だとは言え、ある程度スルー力がないとSNSを渡っていくのは難しい、とも思う。
一方で、「なんか喧嘩みたいになっちゃったけどそれと作品は別だし」と割り切れないファンの方の方も、余計なお世話だろうが、個人的にはやや残念感がある。
Twitterを非常にうまく使っている創作者の方、というのは勿論たくさんいる。私の観測範囲では、例えば島本和彦先生や藤田和日郎先生は、凄い勢いでファンの方と色んなやり取りをされている。おそらく心無いツイートが来ることもあるのだろうが、問題なくスルーされているのだろうと想像出来る。
一方、例えばゆうきまさみ先生は、ファンの方とのやり取りをそこまで精力的に行われているという印象はないが、同じく心無いツイートにはスルー力を発揮されているのだろう、と思われる。同じようなスタンスの創作者さんも多分多いだろう。
ただ、言うまでもないことだが、皆さんが皆さんそういう「大人な」SNSの使いかたを出来る訳ではないのだ。これは勿論、創作者さんの側だけではなく、ファンの側にも同じことが言える。
創作をしていて、SNSにいる人でいれば、「批判・非難」というものは必ずくるし、その中には「心無い言葉」というものも必ず含まれている。断言出来る。これはSNSを使っている限り、決して回避出来ない問題だ。
そういった反応に対してスルー力を発揮することを苦手とされる方も勿論いるし、炎上とまではいかないまでも、何かしらの「大人げない」騒ぎを起こしてしまう人も当然いる。これは仕方がないことだ。誤解を招きそうな言い方だが、「大人げない創作者さん」というのはたくさんいるし、ある意味「大人げないからこそ創作が出来ている」という人も中にはいる。そうした方全てにSNSの利用を禁止する訳にもいかない。
だからこそ、そういった「大人げなさ」を眼前で観測した時、その創作者さん、ひいてはその創作物にマイナスなイメージを抱いてしまうのも、勿体ないことなんじゃないかなあ、と私は思うのだ。
あなたは、「「いい人」が創作したものを読みたい」のだろうか?それとも、「いい人かどうかはどうでもいいから、とにかく素晴らしい創作物が読みたい」のだろうか?
自分では後者のつもりでも、実は前者だった、という人は案外いる。後者だ、と断言出来ない人は、好きな創作者さんをフォローしない方が、もしかすると無難かも知れない。
2013年01月14日

この記事へのトラックバック
私は完全にお客さん側の立場の人間であり、Twitterなどでは作家さんをフォローしたりしています。
その私が感じることとしては、まずSNS上でのファンとのやりとりが決して1対1のものではないという部分に作家側と読者側に感じるギャップがあるのだと思います。
というのも、私が作家さんのいわゆる「大人げない発言」を知る機会として最も多いのは、フォローしていない作家さんの発言がリツイートされたり、別のサイトに掲載されていたりと、こちら側の意図とは無関係な場合が圧倒的に多いのです。
今の時代に全てのメディアからの情報を断つことは難しく、メディアを利用している以上、受け手の意図とは関係なくそういった情報は伝わってしまいます。
しんざき様が仰っているようにSNS上での作家さんの発言の受け取り方は人によって違うのだと思いますが、少なくとも私に関しては作家さんのSNSを、もはや「作品の一部」として見ています。
例えば、他の業界でも歌手やスポーツ選手などの場合、本業とは別にキャラクターを求められる機会が非常に多いです。そして、今やSNS上で作家さんに求められているのは、タレントやスポーツ選手と同じものなのだと思います。
私は、作家さんのSNSを見て作品自体を嫌いになってしまう場合もありますが、逆に作家さん自身への興味から作品を読んでみるということもあります。
作家の方々がこの状況をどう感じているのかは分かりませんが、私は決してネガティブなものだとは感じていません。私がSNSで作家さんをフォローするのは、その作品がどういう思考をした人がどのように考えて創ったのかを知りたいからです。だから作家さんに大人げない発言があったとしてもそれを含めた作品が好きであれば全く問題ありません。そうでない人は作品から離れていってしまうのかもしれませんが。
・・・・長々と失礼致しました。
私としても常々思うところがあった話題だったので、気の赴くままに文章を書いてしまいました。
結局私が言いたかったのは「作家さんのSNSを作品の一部と受け取る人もいる」ということと、「それは決してネガティブな傾向ではなく、これが新しい創作のスタイルなのではないか」、と考えているということでした。
数多くある意見の内の一つとして受け取って頂ければ幸いです。
http://togetter.com/li/335070
@作家さん達はtwitterを知名度UPの為に使っている。
A人に見てもらい評価され初めて利益の出る商売である。
以上の事から、少なからず公の場では客に媚びるべきではないかな〜と思いますね。
それができないならフォローうんぬんの前に作家さんがtwitterをやらないほうが良いかと思います。
言いたい事、やりたい事を自由にできる仕事なんてまずありませんからね。
嫌なら見るなが通用するのはよほど恵まれた人のみしかできないと思います。
やはり知名度がモノを言う世界だと思うので、twitterを利用しない手は無いとも思いますが。
@が違ったらごめんなさい。ただその場合はトラブル回避の為に、別名や鍵付きにする事をおすすめします。
そもそも評価の基準がおかしい。
クロマルはクリエイターの人格と創作物は密接な関係があると考える者ですが、数ある創作物の一片だけを指して創作者の人格を推し量れるものではないし、短時間のやりとりで人を理解するのも難しい。
創作物とは創作者の一面を表すものであって全面を表すものではない。さらに人の物事に対する感じ方・考え方は人によって違う。そんな中でどうやって「そんな人」だとわかったのか。
行動も言葉も文章も、人が己を表す一面でしかない。
人は人の心を覗けない。だからこそ数多くの言葉を重ねる必要があるのです。
ただ去り際の捨て台詞はカッコ悪いですね。文章の最後は作品への絶賛で埋め尽くした方が要望も通りやすいと思いますし、大人げない対応をとった罪悪感を引き立たせます。要は勝ち逃げできるということです
そもそもおっしゃられている「クリエイター」なる存在がいまいち良く分からない。
漫画家にしろ、小説家にしろ、それぞれの分野でご飯を食べている「プロフェッショナル」であるのならば、当然のことながらその活動は商業活動である筈だ。
極論すれば、サラリーマンと変わらない存在である。またサラリーマンの仕事(営業や企画のみならず)にも「クリエイティブ」な側面はある。
そして当然の事ながら、サラリーマンは「どんなに素晴らしい仕事をしているか」だけでは評価されない。
なぜ「クリエイター」なる存在「だけ」は『「どんな素晴らしい創作物を作っているか」という軸で評価されるべき』なのかいまいち良く分からない。
>人格者しか創作物が評価されないような世界になったら、漫画業界や小説業界はホント―にエラいことになってしまう。
とあるがいささか極論すぎる。人が何を評価するかはその人によるものだ。
普通の味のラーメンだが、店の雰囲気が良い処、尖った味を出す店だが店員の態度や雰囲気が最悪の処。
どちらを評価するべきかなどを誰が決められるというのか。そんなことを決めてしまえば、それこそ「ホント―にエラいことになってしまう」
>・今の時代、クリエイターとファンの敷居がかつてない程に下がっていること
>・人格と創作物を切り離せない人は案外多いということ
>・「ファンと創作者」という関係であってもSNSの上では単なる人間関係の一形態であり、上手く付き合っていく為にはお互いある程度の度量と最低限の良識が必要、ということ
ソーシャルネットワークにおける「クリエイター」とはそもそもなんなのだろうか。たとえば富士鷹という漫画がいたとして、その人のツイッターをなぜ見るのかといえば、その人の作品が好きだからではないだろうか。逆にいえば、「ネット上で漫画家富士鷹と名乗る人格」は「創作物と切り離せない」存在なのではないだろうか。
富士鷹ではなく、漫画家というプロフィールを隠した本人のアカウントに来る人と、漫画家富士鷹のアカウントに来る人は別の人と考えるべきだ。
その上で言うが、商業活動をする「プロフェッショナル」が、自分の創作物を背負った上で不用意に発言すれば、当然その創作物にマイナスのイメージは伝播する。それを否定するのははっきりいってナンセンスだ。
プライベートとパブリックの問題である。肩書きを名乗る以上、そのアカウントはパブリックな性格を持たざるを得ない。
故に例に出された漫画家のような「プロフェッショナル」はパブリックな影響を考えてファンとの関係を良いものにしようとしているのではないだろうか。もちろん作者の人間的な資質も否定しない。
もちろんパブリックなアカウントでプライベートなつぶやきをしていけないというわけではない。しかし、それをどう受け止められるか、それによってどんな問題が起きるかは少なくとも「プロフェッショナル」なら考えなければならない。
仮に破滅的な人格破綻者であったとしても、それを公言する必要は無い筈だ。心無い反応をわざわざする必要もない。
パブリックな性質を持つアカウントでした発言を受け手がパブリックな発言と取るのは当たり前の事だろう。
「人格と創作物を切り離せない人」というのは我々受け手ではなくおっしゃられる所の「クリエイター」の方なのではないだろうか。
そのことに無自覚な「クリエイター」はプライベートとパブリックを見失ってしまう。その結果、ファンを失う事もある。本が売れなくなることもあるだろう。
その結果だけを切り出して「クリエイターが変なことを言ったり大人げない事を言っても許してあげようね」とか「嫌なら見ない方がいいね」とする生温かい姿勢が「素晴らしい創作物」を作りだすとは思えない。
漫画「孤独のグルメ」で、素晴らしいハンバーグ煮込みを出す店の話がある。食事はおいしそうなのに、店主の乱暴な振る舞いによって主人公は食欲を無くしてしまい、半分も食べられずに店を出てしまう。別に店の裏や、閉店後にやっていればなんの問題もなかったはずだ。パブリックとプライベートとはそういう問題である。
私は作者のSNSを見て作品を買った事、読んだ事を後悔した事が何度かある。
そういうこともあって、そもそもあまりツイッター等は追いかけていないが、アマプロ創作の界隈で今回の話題が『アテクシ「クリエイター」だから生意気な事を言ってもいい』とでも言いたげな使い方をされていて、ここの本文論調もそう取れる部分があったので個人として思う事を述べさせて頂いた。
しかし、創作物の出来次第で多くの物事は問題にしならない、というスタンスを誰にでも求めるのは難しいと思いますね。
それは受け手側、つまりファンが何を望んでいるのか、という100%個人的な問題ですから。
ブログ主さんの言う「『いい人』が創作したものを読みたい」のだろうか?それとも、『いい人かどうかはどうでもいいから、とにかく素晴らしい創作物が読みたい』」のか、というのは一人ひとりが胸のうちで決断を下すべきことで、ブログ主さんが後者のスタンスでその姿勢を誰かにすすめることはできても、それを絶対的なものにするのは無理があるでしょう。
やはりその辺は意見が違うものですし、暴言メールを千通送りつけるとかでなく、Twitterでそっとブロックする分にはなんら害はありません。
それに、どこのジャンルでも人格というものは大事です。
私の好きなジャンルであるサッカー、プロレス、傭兵、いずれの職業でも「日本人の言う和が大事」という趣旨の発言を頻繁にみかけます。
ただでさえ幅広い人々に知られる作家という職業の特殊性、SNSがひろまる現代社会の状況など単純に比較はできませんが、やはり人格の合う合わないというものは抜かすことの出来ない視点だと思います。
ブログで取り上げられている事例は人格というよりはちょっとした誤解が招いたことですが、作家側にも慎重な立ち回りが必要ではないかと考えています。
作品を閲覧するユーザーに「お客様気質」の人らが増えてるんでしょうね。
「人格がー」とか「不愉快な発言がー」とかくだらない。
媚を売って作品売るならホストにでもなったほうがマシというもんです。
作者ってのは「ファンになってほしい」なんて頼んでませんよ、
大体は勝手にファンになって勝手に嫌って勝手に批判してるだけです。
なんで一円にもならないSNSでの発言まで「ファン」とか自称する人間に
とやかく言われなきゃならんのかと。
物事を別けて考えれない頭のかたい人間ほどうるさく喚き散らしますよね。
個人的に好きな作家は奇矯な人が多いてのもあるけど。
そういうのをwikiやら伝聞で見聞きする分にはネタとして面白いけど、直接そういう手痛い発言を食らうような環境に身は置きたくないね。
そういう意味で、必要以上に作家当人に近づくのが作品をより楽しむ術であるとは到底思えない。
レストランでの食事であれば、店員の態度が云々、というのも確かであろうが、通販で食品を買うのであれば、その生産者の人格がどうとか、気にせんでしょう。
もっと言うなら、デザインがウリの工業製品のデザイナーの人格を気にして、そのメーカーの商品を好んで買ってる人いるんですかね?
創作物には人格が出るのであれば、工業製品のデザインにも、そのデザイナーの人格は反映される。マスプロだからと言って、最大公約数的なデザインのものばかりではない。(性能面での設計であれば、また別だけど)
知ってしまえば気になるのも確か。なら、無理に知る必要性もあまり感じない。
そういうわけで、自分も好きな作品の作家さんや、音楽関係なんかの「表現者」へのフォローは一切しておりません。
私自身、日々創作と商売の狭間で精神をすり減らし、ついツイッターなどで言わなくてもいいことを言ってしまいそうになります。
だからほとんどツイートしていません。
皮肉なのは、もし、漫画家や作家が、
「ツイッターは商売と切り離せないものだと理解しているから、わきまえて発現しています」だから、「キャラ作ってます」と言うと、多分多くの方が、がっかりするのではということです。
素でいてほしい。そうではありませんか?
素でいても、自分の愛するあの作品の内容にさらに説得力を与える人柄であってほしい。そうではないですか?
だから確かめたいのでは?
無様なのは観たくないけど、器用すぎるのは作家らしくない、不器用な程よい作家性を素で見せてほしい、という要望のショー。それがSNSだと思っています。
それがわかるので、夢を壊さないように、素であるフリをした上で、トラブルを回避しています。
器用に立ち回れる大人な作家というキャラが好かれるかどうかは、また別の問題なのです。
私たちには、プロデューサーが必要です。
なにしろニーズがあるのは、「本物のの不器用さ」ではないのですから。
気持ちは分かるんです。「今この同じ時間同じ世界同じ国」に「素敵な人がいる」と思えるのは心地よいものですから。
けど作家側からすれば、自分がアイドルのようにみられるなんて思ってる人はあまりいない。
そこに悲しい乖離の可能性があるわけで。
僕の意見としては、「その乖離にショックを受けてその人の作品も一緒に嫌いになったなら、それはそれでいいじゃん。この世には他にも作品はたくさんある」です。残念だったね、で終了。
初めは好きだったけど嫌いな面がみえてからは全部嫌いになった……なんて人間関係では普通にあること。
「作品も作家も一緒くたに考える」ことは“常に害”ではなく、両方が満たされたときの快感は計り知れないでしょう。
ガサツの一言しか浮かばないんですけどね
そんなのに一分の理があるみたいに語られること自体、悲しい事です
それが、ツールが公的な性格を持つということなんでしょうけども
「サイン会や同人誌即売会で作家本人を見たら、イメージと違ってショックを受けた」
というのと構造は一緒ですから。
ほとんどの人は「そんなもんだよね」と切り離せるでしょうけど、どうしても切り離せない人は、それからも幸せに人生を歩んでいくために「まとめて忘れる」ことができるなら、それが早くてシンプルです。
それだと人間的成長を否定していると思われるかも知れませんが、結局そこにも成長できる人と成長できない人がいて、後者が人生の有限の時間をなるべく無駄にしないためにも有効な手段として存在するべきで。
それでもなお悲しいと思われるなら、そういった「ごく少数の精神的不器用な読み手」を許容できないご自身の不器用さを反省することも考慮に入れるべきかもしれません。
クロマルの次に書かれた方(PNが無いので)の言いたいことを見て、見落としがちなことだなぁ、と思いました。
それとは別に、やはり、ツイッターという場において肩書きや身分、階級などは人と人との優劣を決めるものではないと考えます。
過去に某俳優がフジテレビの韓流推しに対してツイッターで批判的な意見を述べたこともありました。そのときはフジテレビ側が罰とも取れる対処をしました。それを見た世間一般は『ツイッター内での発信でも身元が判明していれば危うい言動は避けるべき』と思ったでしょう。
罪と罰
ここでズレが生じます。罰とは罪ある者が受ける、これが一般的な解釈だと思いますが某俳優に対して罰を執行したのは世間ではなく、大衆でもなく、テレビ局です。善悪の裁定はテレビ局が判断したのです。
罰を受け、その原因がツイッターでの発言だとしても罪の所在はテレビ局の判断で左右されたわけです。
しかしそれを見た大衆は『罰を受ける者は悪い人だ』と考えてしまいます。
ビジネスでツイッターをする人ならともかく、人と人とかツイートしあう場で肩書きがどうだ身分がどうだ階級がどうだという理由で特別な対応を求めることが正しいツイッターの使い方なのかどうか。自分は自由に好きな事が発信できて、特定の肩書きを持つ人にはそれを許さないという姿勢が善いものなのか。
単行本に収録された本編がどんなに作品として素晴らしくてもあとがきで作者があんま大人げない事ぶっちゃけてたら萎えるのと同じ
まあ見たくないならあとがき糊付けするか切り取るかすりゃいいんだけど
それで本編の価値は変わらないわけだし
mixiやfbやtwitterもやってない俺には関係なかった
言動が良くも悪くも影響を広める可能性を意識するとなれば双方がお互いにって事になるべきだろうね
SNSもそれと同じ営業の場所だと考えてやった方がいいんだと思います
それができない・嫌だというなら最初から手を出さないか別の名前でやればいいだけのことだと思います
少なくとも漫画家としての名前を出しているということは、その名前による効果を期待しているということでしょうから
じゃあ客の立場はというと、こちらはこちらで周囲から引かれたり面倒な人だと思われたりする覚悟はいるんですよね
実際自分の好きな作家や作品に対して否定的なことを書いている人には一歩引いたりしますから
双方にSNSはみんなが見てる公共の場であるという自覚が必要であり、感情的なところでタイトルの通りなんでしょうね
>「ツイッターは商売と切り離せないものだと理解しているから、わきまえて発現しています」だから、「キャラ作ってます」と言うと、
>多分多くの方が、がっかりするのではということです。
>素でいてほしい。そうではありませんか?
違います。
ペンネーム某としての貴方と、本名某としての貴方は社会的に別人である事を認識しなければいけません。
本名某としての言葉を、ペンネーム某を冠するSNSで放ってはなりません。
きちんと仮面を被って下さい。
そしてそれを暴露する事無く暴露される事無く、墓場まで持って行って下さい。
露呈しなかった嘘は、本人以外にとっては嘘ではありません。それが事実となります。
ネットという公衆の場でペンネームを使い発言する以上、その立場や作品と切り離す事は不可能であり、寧ろ不自然です。
ペンネーム某の名を使うのであれば、その社会的役割を演じ切って下さい。
それが娯楽を提供するエンターテイナーの責任です。
もしペンネーム某に相応しくない発言をどうしてもしたいのであれば、別の名を使って発言すれば良いのです。
恐らくペンネームでも本名でもない「ぺぺ」の名を使い内心を発言した、貴方の様に。
その業者やデザイナーがその身分を明かしてブログやらtwitterやらをやっていて
非常識な言動をしているなら私はゲンナリして買うのやめますね。
身分を明かさずなんか言ってる分には別にいいんですが。
別に好きなように発言してもいいと思うんです。
発言に対してガッカリして離れていくファンに「仕方ないね」と思えるなら。
一部の方が「好きなように発言するけどファンはやめるな」「嫌なら見るな」で済ませようとするからまた反発があるのであって。
言いたい事を好きなように言いたいけどファンが離れるのが嫌なら
全然別の名前でブログなりtwitterなり作ったらいいんじゃないですか。
漫画などのメディアは目利きではない一般大衆を相手にしているからなおさらでしょう。
それに、「作品の良さで性格の悪さをカバーする」という考え方になりすぎると、「作品の良さ」が政治的な意味を持つようになるので、作品の良さを「純粋に」判断できなくなることは簡単に予想されます。
それに、さらに裏をかくコンセプトがあらわれた時には、一発で足元をすくわれることでしょう。
多分あなたは、誰よりも、作品と作者の性格を結びつけて考えていると思われます。
「普通の人」って誰だよw
「普通の人でない人」には作品の優劣「だけ」評価できますってか?
すげーな「普通の人でない人」ってのはwww
作者がどんだけお行儀悪くとも
そんなこと知らなけりゃ作品だけ楽しむってのは出来るだろ
てかクリエイター様はよ
作者と作品の評価を混同しがちなクズどもが多いってことをよく分かってんなら
それだけのリスクを意識してSNS使うのが当然だろ
アホ言ってんじゃねえよ
手前の言葉に責任持てねえ奴がよくもまあSNS使ってられるよなw
それ以前になんでクリエイターになれたかも分からんがwww
或いはクリーンな政治家、というイメージ戦略にも似ています
もしくはうまく行ってると思っていたパートナーの浮気発覚なんかも類似でしょうかね
知らなきゃよかった、ということはたくさんあります
知らなきゃ続くはずだった平穏な時間、という期待していた未来への喪失感と、好感を抱いていた過去の自分に対する裏切りからの怒り
作家さんとか俳優さんとか、すごい人ほどギャップもすごそうだし、当人も辛いでしょうね
昔の人気ドラマなんかでは上手い悪役さんが街中で罵られたり、酷い嫌がせされたりしたそうです
今もあんまり変わらないのかもしれないです
人の感情に分け入る物を作るのを仕事にしている人には、反発も批判もされずスルーされるより、某かの感情を持たれてるだけマシなんではと思います
クリエーター気取りでいる同人作家が主題の事を喜々として話しているのはクソだと思う。
あいつらエログロツイートして反応楽しんでいる生き物だからな。
今はファンの言葉が作者にまで安易に届くようになったけど、
失望して「ファンを辞める」「本を買わなくなる」を黙ってする人間は昔から多数いた訳で
ファンは嫌悪を口に出すことを自重出来たとしても、一度感じた感情を捨てることは難しいから
結局失望したならさっさと黙って離れるのがお互いの為だと思うなあ…
割り切れないものは割り切れないと知ってる人間はある意味賢明だよ、我慢出来れば偉いってものじゃないし嫌なものは嫌だよ
脊髄反射とかお互い後足で砂かけたり捨て台詞吐くのはそりゃ下品だと思うけどね
これは確実。
こちらに非が無いにもかかわらず
たった一人のフォロワーに
深刻な危害を加えられる事がある。
ここに限って謂えば
「百利あって一害あり」が致命傷になり得る。
墓穴を掘り晩節を汚す作者も多い。
作品は好きで人格は嫌いったって、その嫌いな人の嗜好と思考で作品は出来ている。
作家だからって日常も呟くからこの言い分もおかしい。
嫌なら読者がSNSを見なきゃ良いだけじゃないですか?
というかこれは芸能人やスポーツ選手も含めて、そこそこから超有名人の全員にあてはまる事だと思う。
ファンの理想や権利も分かりますけど、何かを作り出す人も一人の人間で、長所も短所も考え方もあって、ファンの都合の良い道具ではない。とも言いたい。
昔の有名作家(音楽、文豪などなど)の私生活も目を覆う状態だった人も少なくはないです。当時はSNSなんてない。しかし、結局掘り返されて公開されてる。で、がっかりされる。
そう思うとファンもファンだ。
そもそも「自分はこんなの書いてます」なんてツイッターでもSNSでも言う必要なんかないのに吹聴すること自体
『創作物なんかじゃなく俺個人を見て!』という卑しい自己顕示欲でしかない
面白いことを思いついたのなら一瞬で書き込んであぶくのように消えてしまうツイートなどではなく、
メモでもしてから、いかに作品に活かせるかを考えるべき
実際に読んでいるかどうかも怪しいネット民()なんかよりアカウントも持たない無言の読者視聴者に向けてこそ『創作者の人格』に価値が生まれると思う
ファンなら何を言ってもいい、作者にどんな非人間的強要も許される
こういうのが危険だから作品とクリエイターを分けた方がいいよねって事でしょ
もちろん人格と創作物は切り離してみるべきだとは思いますけど……
しかし、「人格と創作物を切り離せず、幻滅してしまった人」に文句を言う資格は誰にもないでしょう。それはその人の勝手です。
作者側はもちろんSNSは公共の場なんだということを理解したうえで発言しているんでしょうから、それがどう受け取られても構わないはずです。
そういう心構えが出来ていないんだとしたら問題だと思います。必ずしも寛容な人ばかりではないといことを理解しないと。見たくないのに見てしまうというケースもありますしね。
要は自己責任ですよ。作者側も受け手側も。
受け手が作者の人柄に幻滅する? 嫌なら見なければいいんです。
作者側は自分の発言でファンが減っても、その見方についてどうこう言う資格はない。嫌なら発言を慎めばいいんです。
クリエイターといっても一人の人間ですからね。
時にはイラッとして過激なことを発言することもある。
それを過剰に批判する必要はない。
そしてそれをクリエイターだからといって大目にみる必要もないわけです。