2013年02月04日

レトロゲーム万里を往く その113 ストリートファイターII

最初はガードすらろくに出来なかった。それで十分、十分過ぎる程面白かった。


そのゲームは、ゲーセンの一角に唐突に出現し、出現するなりギャラリーを集めまくった。物凄くでかいキャラが、物凄く派手なアクションと共に殴り、蹴り、ジャンプする、そのビジュアルは確かにギャラリーを集めるに十分なインパクトを有していた。

そして、程なくそのゲームは、見た目のインパクトからすら想像出来ない「深さ」「広さ」を備えたゲームだということを明らかにしていった。


私が初めてそのゲームを見た時の印象は、「ファイナルファイトのボス戦オンリーのゲーム」だったし、「すげーでかいキャラのイーアルカンフーかダブルドラゴン」だった。大して広い範囲ではないが、私の周囲の印象も、そこまで異ならなかったと思う。世間的にも、それ程少数派の認識ではなかったのではないだろうか。

まさかその後、そのゲームが、シリーズごとに勢力を広げに広げ、それまでは「おまけ要素」だった「対戦」という遊びをゲーセンのスタンダードとして、ゲーセン全体を「格闘ゲーム」で埋め尽くしてしまうことになるとは、私など夢にも思わなかった。


ストリートファイターII。対戦型アクションゲーム。1991年、カプコンよりアーケード版発売。ゲーセンでの爆発的ヒットを経て、スーパーファミコンを始めとする様々なハードに移植され、出るハード出るハードでキラーソフトとなった。


これに先立つ1987年、初代「ストリートファイター」は大ヒットとはいかず、カプコンは一度は「ファイナルファイト」への路線変更を行った。しかし、「改めて対戦格闘を」という方向で再度開発された本作は、ありとあらゆる事情を木端微塵にしてゲーセンを席巻し、「ストリートファイターII'」を経て対戦格闘というジャンルを確立してのけた。その構図は、丁度「テトリス」が落ち物パズルというジャンルを確立した構図と相似している。


「対戦ゲーム」というジャンル自体は、勿論遥か昔からあった。黎明期のスペースウォー!やPONGは言うまでもないとして、コンピューターゲームのあり方がある程度確立してからの話であれば、「対戦という遊び方」を初めてスタンダードにしたのは恐らく「マリオブラザーズ」なのではないかと思う。

その後も、例えばバルーンファイトやクルクルランド、キン肉マン・マッスルタッグマッチ、MSXの「ウォーロイド」、ソフトプロの「ブリーダー」から、バトルシティやカプセル戦記や熱血行進曲などなどなど、「対戦が熱い」ゲームというのは枚挙に暇がない。


ただ、私が考える限り、「対戦も出来る一人用ゲーム」が明確に「CPU戦も出来る対戦ゲーム」に変化したのは、「ストリートファイターII」の爆発的人気を経て「ストリートファイターII'」が発売された、その瞬間の出来事だった筈だ。「対戦格闘ゲーム」が誕生する瞬間だった。

以降、ゲームセンターの収益モデルと完全にマッチしたモデルをたった二作で完成させた「格ゲー」は、ほんの僅かな期間で業務用シーンのスターダムに上り詰めていくことになる。


とはいえ、まずはストIIの話だ。


ストリートファイターIIというゲームについては、多分、色んな人が色んな所で書き尽くしていると思う。私は、私が触れた記憶を中心に、「ストII」に関して思うところを書いてみたい。既出話は混じるだろうがご勘弁頂きたい。


・しんざきにとって、ストIIはどこが凄かったのか。

突き詰めて考えると、私が「このゲームすげえ!おもしれえ!!」と思ったポイントって、二つに集約されるんじゃないかと思う。

○ボタンが6つあったこと。
○上下ガードがあったこと。


少なくとも私にとっては、なにより重要だったのはこの二つだ。

一番にくるのは、「強パンチというボタンを押したら、ちゃんとなんか強そうなパンチが出ること」だった。


何度か書いているが、アクションゲームというジャンルの最大のキモは、「動かしていて面白いかどうか」だ。直感的で、自分の思ったようにキャラクターを動かせて、しかも動かすこと自体に爽快感があるアクションゲームは、もうそれだけで名作といっていい。


ストIIのキャラクターは、動かしていて面白かった。そして、操作や動きに説得力があった。「ああ、こうレバーを入れたらこう動くんだ。そりゃそうか」「ああ、このボタンを押せばこんな技が出るんだ。そりゃそうか」という、問答無用の納得感があった。

その納得感を演出している、もっとも端的なインターフェースが「6ボタン」だった。この6ボタンは、「Aボタン・Bボタン」でも「X/Y/B/Aボタン」でもなく、「弱・中・強パンチ」であり、「弱・中・強キック」であった。なんという、誤解の招きようのないインターフェースだろうか。「キャラクターが、自分の想像した通りに動く」という、一番基本的な部分を、6つのボタンという超絶バリエーションを交えて、しかも一切誤解を招くことなく作り上げている。

今から思えば簡単な話なようだが、恐らく開発当時、「ボタンの数こんなに多くするの?」という話は必ず出た筈だ。「シンプルなインターフェース」という言葉はとても魅力的だから。「シンプルである程とっつき易い」というのは、ゲームにおける一つの解答でもあるから。

しかし、「時にはシンプルイズベストとは限らない」というのが、ストIIが出してくれた最も端的な教訓の一つだった。

これが、たとえば「レバーと2・3ボタンの組み合わせ」というインターフェースだったらどうだったろうか。あるいは、前作ストリートファイターがそうだったように、「ボタンを押す強さによって技の強弱が決まる」というベラボースイッチ的ソリューションだったらどうだったろうか?勿論、言うまでもなく、それはそれで面白かっただろう。しかし、断言出来るが、初代ストII程の超絶ヒットを記録することは決してなかっただろう。何故なら、説得力を感じるまでに敷居があるから。強パンチを押したら強そうなパンチが出る、強キックを押したら強そうなキックが出る、というバリエーション溢れる納得感とはかけ離れているから。

超絶ビジュアルに誘われてふらふらとコインを入れてみたら、触り始めて10秒でわかる超絶納得感。少なくとも私にとっては、これこそが「ストリートファイターII」というゲームの面白さの源泉だった。6ボタンというインターフェースについては、ストIIが草分けだったのかどうか知らないが、「6ボタンが格ゲーブームの礎になった」というのは決して突飛な考えではないと思う。その後、勿論格ゲーは様々な操作系を送り出してきたが、全ては6ボタンを基準に、6ボタンを如何にアレンジするか、というところから始まったのである。まあ、突飛どころか既出も既出かも知れないが。


一方、これも今更言うまでもないことかも知れないが、上下ガードというシステムはとんでもなく奥深かった。

何しろ敵もがんがん攻撃してくるのだ。単にボタンを連打しているだけだとあっさりボコられる。じゃあどうすればいいの、というと、レバーを後ろに倒せばいいのだ。しかもこの時、上から攻撃が来たらまっすぐ後ろに、下から攻撃が来たら斜め後ろにレバーを倒さなくてはいけない。

ここに学習が生まれる。駆け引きが生まれる。相手に攻撃を当てるにはどうすればいいのか?相手の攻撃の隙をつけばいい。相手の攻撃の隙をつくにはどうすればいいのか?相手の攻撃をガードしてから反撃すればいい。格闘ゲームという扉をくぐったばかりのド素人が、最初に経験する気づき。以降、これがやがて足払い合戦や、飛び道具のけん制、スカシ投げなど、様々なテクニックに繋がる始めの一歩となる。


通常技キャンセル必殺技や連続技などの存在を知る、遠い遠い以前。「プレイヤーが勝手に色んなことに気づくインフラ」というものが、まずは「ストII」というゲームの基盤にあったことは間違いない、と思う。少なくとも私にとっては、そうだったのである。



・「対戦」というものはいつ始まったのか?

ところでしんざきが一番最初に選んだキャラは、どういうわけかブランカだった。理由はよく覚えていない。なんかジャンプが速かったから、とかそういう理由だったと思う。あと、ジャンプ大キックから頭突きにつなぐだけでお手軽に連続技が出来たから、という理由もあったかも知れない。

実のところ、しんざきが「対戦」というものに初めて触れたのは、ストIIもダッシュが出て、対戦台という筐体がゲーセンに姿を現して、その後のことだった。同じような人は案外多いのではないだろうか。

ストII時代は、対戦台はまだまだでかいゲーセンの特権だった、ように記憶している。そうでなくても「対戦」という遊びはそれなりに敷居が高く、まだしんざきは必殺技を出して喜んでいる段階だった。スクリューパイルを出せる人間がゲーセンに一人いるかいないか、そんな時代の話だ。一人用プレイヤーの行列が出来、ベガ様どころかバイソンにも滅多にたどり着けはしなかった。

で、ダッシュが出て、「あ、四天王が使える!」と思ってなんとなくバルログを選んで以来、私はバルログ使いである。この当時私は空中投げというものにはまっており、空中投げを使う為だけに春麗に手を出したり、ひたすらイズナだけ狙ってガイルにサマソで迎撃されまくったりしていた。馬鹿のひとつ覚えという言葉の生きた見本であった。


私がいたゲーセンは小さなゲーセンであった為、気づくのがだいぶ遅れたと思う。「キャラクターごとの相性」というものに気づき、意識し始めたのは、ダッシュがそろそろ発売されるかという頃だったし、この頃も頭で考えるばかりで、自分自身ではまだまだ対戦に入れていなかった。隣同士に座って行う対人戦の敷居は、当時まだ子供だった私には高かった。

リュウケンの波動昇竜をかいくぐるにはどうすればいいか?ダルシムのスライディングで下をくぐるか、ブランカの速い飛び込みで飛び込めばいい。けれど、ブランカではガイルの待ちに歯が立たない。じゃあどうするか?強い人は、なんか春麗で中パンチを連打していたり、ダルシムでソニックをくぐりつつ迎撃し返したりしている。なるほど、この戦法にはこういう返し方があるのか。じゃあこっちの戦法には。

「6ボタン」という操作系に裏打ちされたストIIの「広さ」が、色々な戦法、色々な戦い方を許容していたということが、キャラクター同士の戦いをものすごく深くしていたことは疑いない、と私は思う。これが、私にとって、中盤以降の「ストIIの最大の面白さ」だった。

とにかく、ストIIは広いのだ。キャラクターが色々動けるのだ。だから色々な戦い方があり、「強い」戦い方も「弱い」戦い方も等しく同じリングにあり、「強い」戦い方をどう攻略すればいいのか、まさにそこにいる相手を倒すために考える。


現在の「ダイヤグラム」に繋がる、「キャラクター攻略」の萌芽であったろう。「どれだけ考えれば相手より強くなれるのか?」これが、後々まで、対戦格闘のひとつのテーマであり続けたことは、ひとつ特筆すべきであると思う。キャラクターの相性がひっくり返り、ひっくり返り、ひっくり返り続けたあの展開の、どこまでがカプコンの計算通りだったのか、今となっては知る由もない。

で、いざダッシュになって対戦を始めたら、ベガさんのダブルニーハメ・サイコハメにハメられまくってひとつのトラウマになる訳なのですが。なんだアレ。まあターボでは弱体化されまくってましたけども。



そして、そこにあった「ゲーメスト」。

個人的には、この頃あったもう一つの出会いも、後々のゲーム人生に影響する重大なものだった。

ゲーセンの片隅のマガジンラックに入っていた、一冊の雑誌。そう、言わずと知れた「ゲーメスト」である。

ゲーメストという「ゲーセンのゲーム専門雑誌」の存在感、アーケード業界に及ぼした影響については、今更書くまでもないだろう。ベーマガと並んで、「ゲーメストが業界を作った」という側面は、言い過ぎでなく存在したと思う。あの当時、ゲーメストの格ゲー攻略コーナーはまさにバイブルだったし、超芸魂はバイブルの中に燦然と輝くネタの宝庫であった。

今ではザンギュラだとかインド人であるとか、どういう訳か誤植話ばかりがネタとしてWebに残っているように思うが、当時は豪鬼コマンド掲載時のアレとか小鉄コスプレのそれとか、とにかく黒歴史にはことかかない雑誌だったと思うし、攻略記事の深さであるとか、雑君保プ先生の四こまであるとか、異様にハイクオリティな投稿イラストであるとか、雑誌自体の面白さもとにかく群を抜いていたと思う。投稿コーナー出身の漫画家さんが多いのは有名な話だし、福田雄一郎氏のような文章ネタ氏にも凄まじいパワーが溢れていた。

ゲーメストで読んで面白そうだったからそのゲームを遊んでいたし、ゲーメストで読んで楽しそうだったから対戦をしていた。あそこまで雑誌に影響されていた時代は、後にも先にもなかったのではないだろうか。サムスピも、ワーヒーも、ストZEROも、少なくとも私にとって、全ては確かにゲーメストから始まったのだ。

ただし、「ベガのサイコハメ以外の戦法を紹介、ということで読んでみたらダブルニーハメだった」というアレは許さない、絶対にだ。

そして、ゲーメストのハイスコアコーナーだけを目標に、ダライアス外伝というゲームを遊ぶことになったのが私自身のもう一つの転機になるわけだが、まあそれはまた別の話。


ということで、大概長くなった。格ゲーについてはまだまだ色々と書くことがある為、ここで一回区切りたい。

次回はまた別のタイトルについて書くかも。
posted by しんざき at 23:37 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
ストリートファイターのテーブル筐体で6ボタンは既にありましたよ。
圧力センサーボタンを押す強さを弱・中・強の3つのボタンに振り分けたのが最初かと。
Posted by at 2013年02月16日 22:12
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