長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。
子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。
我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。
息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。
ん、色々?
私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。
実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは「えー、わかんないよー」とか「覚えてないよー」といった難色の示し方をする為、私が話の方向性を変えて、息子さんと先生や友達の間で起きたことの話を聞くのが定型パターンだ。
この展開について深く考えていなかった私は、彼が単純に「幼稚園の話」をするのがイヤなのかなーなどと思っていたのだが、ふと奥様が横から口を挟んだ一言で謎が解けた。
奥様はこういった。
「開かれた質問だから答えにくいんじゃない?」
臨床心理士であり、元スクールカウンセラーである奥様は、するっと心理学用語を使うことがある。開かれた質問というのは、話者に自由な応答を促す、具体的な方向性が定められていない質問、のことである筈だ。
この時ようやく、息子さんが「いろいろ聞かないでよ」と言った意味が分かった。
彼の頭の中では、「幼稚園で起きたこと」というのは、「色々」としか形容しようがない、非常に雑然とした状態で蓄積されている。それは、友達と遊んだ記憶であり、先生のお話を聞いた記憶であり、歌を歌った記憶であり、お弁当を食べた記憶だ。
「幼稚園で起きたこと」というのはそれら全てを包括した言葉であり、一言で「幼稚園で起きたこと」と聞かれても、彼にとっては「色々起きたこと」について一遍に聞かれているようにしか受け取ることが出来ない、ということだったのだ。いや、多分、だが。
大人は、例えば「今日会社であったこと」という漠然としたテーマについて、自分で適当に一つを抽出して、適当に四捨五入した内容を話すことが出来る。それは、相手が求めているのが単なるイメージ的な総括であり、「会社であった全て」について聞きたい訳ではない、ということが分かっているからだ。
しかし、子供はその前提を承知していない。「幼稚園であったこと」というのは、基本的には、幼稚園で起きた全て、を指す。その為、「色々あった」ということをどう説明していいか分からず、途方に暮れてしまっていた、というのが彼の難色の正体だったのではないか、と私は思ったのである。
そこで私が、質問を「幼稚園で、休み時間になった時どんな遊びをしたか」に変えると、息子さんは喜んで、幼稚園で今流行っている「どろけい」について話し出してくれた。曰く、遊ぶ人数は場合によって違う。先生がどろぼうの基地を地面に書いてくれる。先生が一緒に混じることもある。今日は警察で何人捕まえた。とても楽しかった。
質問を具体的な方向に変えること自体はいつものことだが、今までその理由は「なんとなく」だった。ただ、私は今まで重大な勘違いをしており、彼は決して「幼稚園について話すのがイヤ」だった訳ではなかったのである。具体的に、こちらが何を知りたいのか提示してあげれば、彼にはそれに応じて伝えたいことが溢れる程あったのである。
これを今までしっかり認識していなかったことについては、反省することしきりである。
「質問をする時は具体的に」というのは、インタビューやコミュニケーションの基礎のキの一つである。そして、それは決して大人同士だけの話ではなく、子供にも、あるいは子供にこそ、大人以上にポイントを明確にした質問をする必要がある、ということを、私は今日学んだ。
もちろん、時には「開かれた質問」が有用な場合もあるだろうし、それが子供の表現力の形成に必要な場面もあるだろうが、「今自分が具体的な質問をしていない」という自覚なしに開かれた質問をするのは、それは単なる大人側の錯誤だ。
上記のような展開を受けて、私は当面「幼稚園で何があった?」とは聞かないことにした。同じく、彼が小学校にいってからも、「今日学校で何があった?」とはなるべく聞かないようにしよう、と思う。
自分がどんなテーマについて聞きたいのか、ちゃんと考えよう。で、そのテーマから、息子さんが言いたいことをどんどん引っ張り出そう。大人の側だけが、毎度「今日あったこと」という漠然としたテーマを子供に押し付けて楽をするのはやめよう。
私に関する限り、そんな風に思った。
2013年02月26日
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[雑記]かんたんな反省のしかた
Excerpt: いつも楽しく拝読させていただいているしんざきさんのブログ「不倒城」でこんなエントリーがあがっていました。 不倒城:「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由 いつもながら息子..
Weblog: 寿屋_おひっこし
Tracked: 2013-03-10 10:29
たまに行くお店の人とか喫煙所でたまに顔合わせるとか、
微妙に顔なじみって人に多いかも。
きいてる方が特に○○について興味があるわけでなく、
社交辞令で質問してるのがわかるとイラッとします。
そういうときはこっちも漠然と答えます。
「うん、まあまあだったよ〜」
とか。
薄いコミュニケーションの成立。。。
発端は確かに開かれた質問だったからなのかもしれないですが、あの手この手で質問される束縛感から、最終的に尋問されている気分になり何度も喧嘩になりました。
母親からすれば、息子と日常会話をしたいだけかもしれませんが、ほんとに苦痛でしたね。
個人的経験からの推測で申し訳ないですか、今後具体的な質問に切り替えても息子さんが不快感を示す可能性は高いです。本当に幼稚園でのことを話すことが嫌なのかもしれません。
男の子、というか男は漠然としたオチのない会話が苦手だし、嫌なことがあったら隠したいし、自分の日常に対してあれこれ口出しされる、介入される、束縛されるのが本当に嫌なんです。
質問の仕方以前にそういう距離感のようなものが上手くとれていないのではないでしょうか?
母親からすれば寂しいでしょうけど…
息子さんが幼稚園の年中さんで既にマルチタスクみたいな思考回路を持ってることなどもそうなのですが・・・。(これは優秀な息子さんですね。という褒め言葉でもあるのですが)
なるほど納得。私の息子もまったく同じ反応でした。
小学校に上がってからは、私が子供だった頃の失敗談を聞きたがるようになりましたね。
子育てって楽しいですよね!
あ、嫁さんは大変みたいですが。。。
なので、記事を読んで妙にしっくりときて、確かにそういうことかも知れないと思いました。元々自分のことを話すのが苦手な子どもだったので、そういう広い範囲の質問に圧迫感を感じていたのでしょう。自分が親になったとき、子どもとの会話を気を付けないといけないですね。
それは、違う。
私が苦手だと感じたのは「質問者がどの事象について聞きたいかが不明だから」で、流石にここまで自分の考えを言語化できるようになったのは高校生くらいになってからですが、感じていることはお子さんと一緒なんでしょうね。
コメント欄でも何人かいらっしゃいますが、多くの人が子供の頃にきっと「嫌だなー」と感じたことがあったはずなのに、大人になると忘れちゃうんですよね。
余談ですが、子供の頃母親に「テストどうだった?」と聞かれたので、正直に「あまりできなかった」と答えたところ、朝っぱらから盛大に怒鳴られブチ切れられたことがあります。そこで「この人はできなかったと言うと怒るのだな」と理解、その後のテストで再びデキが悪いと予想がついたものの「結構解けた、割とできた」と回答、のち、テストの結果を見て母親が深刻に悩み、私はデキが悪いであろうと予想していたので「悩んでる(笑)」とほくそ笑む、という出来事がありました。
奥様がカウンセラーならそんなヘマはしないでしょうが、威圧されると子供は平気で嘘をつくので注意が必要です、お子さんはそんな小賢しい真似しないかもしれませんが(笑)。
「きょう、○○くんと喧嘩した?」
「した!」と。。
「きょうも△△くんにいじめられたの?」
「いいや、もう△△くんと仲良くなったよ!」って嬉しそうに言っていたのを思い出しました。
具体的に聞くと、具体的なこたえが返ってきていたような気がします。
わたしのどこが好き? って言われると困るのと同じですがな
ちゃんと読めばそうじゃないことはわかるけどねえ。
そこまで言わなくてもいいんだけどな、と思い具体的な質問に切り替えたりしていましたが、、、
このエントリを読んで、非常に納得しました。
確かに、難易度の高い質問だったのですね。
自分自身も話下手なので「質問の基礎」参考になります(^^;
早速、娘に試してみようと思います。
ありがとうございます。
私は今、中等学校(中・高校)英語科教員を目指して大学にいるのですが、(実習前の)模擬授業における生徒への質問で、指導教員からいつも「その問いは広い。生徒は理解しないし、何も返さないよ」、と怒られています。
幼少期ならなおさらなんでしょうね。気を付けなければ。
私は今も、書かれている通りの理由で、こういう質問は正直苦手。相手がどのレベルの深さの「イメージ的な総括」を求めているのか、はずすこともしょっちゅう。
会話ってキャッチボールってよく言いますが
投げるところを限定しなきゃいけないというのも窮屈ですね。
テキストにおこしてみるとわかりますが、日常会話って相当いいかげんですよね。
それも日本語のいい部分だと思っています。
今の子供はそのファジーさに引っ掛かってしまうとは意外でした。
限定してあげると喜んで話すというなら尚更意外です。
自分が子供の頃なら好き勝手にしゃべりたいトピックを理論立てすることなく無茶苦茶に話していたと思います。
質問を適当にして怠けることは気をつけなきゃいけませんが、
若い子のコミュニケーション不全の前兆がこのエピソードに少し見える気がしました。
そうなんだ!具体的に、でしたんですね!
いろいろ相談している「臨床心理士」さんは教えてくれませんでした→意地悪!
最近は自分でも少しは工夫して「今日の○○くんは?」とか「今日の先生、機嫌よかった?」などと会話するようにしつつありました。これで、よかあったんだ〜と嬉しく?なりました。
のではなく、「色々あった」ということを全部説明するのを非常に面倒に感じた
ではないですかね
そうですね、すごく面倒だと感じた記憶があります。
もう少し絞って欲しい…
分析的な見方はよくわからんけど、話題がないのに強引に話しかけて来て、その上こっちに話題を作らせようとしてウゼー。これがコミュ障か。みたいにずっと思ってた。
すごいわかる。だからこそ、楽しく読ませてもらってる訳ですが♪
みたいな質問も同じ、という気がする。
一言で言えるかっつーの。しかもそんなガサツな質問する馬鹿を納得させられるような明快な回答をよ。
言って聞かせなきゃ分からない奴は、
言って聞かせても分かってない。
例えば、昨日言ってたナントカちゃん、風邪治って来たかな。とか、発表会あるって言ってたよね、うまくいった?とか。。
日々相手の話を聞いて興味関心や生活環境をしっかり把握してれば、そういう質問になるんでは。インタビュアーも事前にしっかり情報収集してからいい質問で相手の話を引き出しますよね。
学校とかで、いじめについてどう思いますか。とか、世界平和についてどう思いますか。とか漠然としたテーマで作文書かされるのに閉口するのと、同じ感覚じゃないかな。
偉そうにすみません、自分の子は知的障害がありまだ一日あったことを話で知るという経験がなくて、こんなお風呂のやり取りは憧れです。
この質問を繰り返していると、まるで楽しいことがないとだめなように思い、楽しいことがなかったときでもあったかのように嘘を言うようになる気がしますね。
> 日々相手の話を聞いて興味関心や生活環境をしっかり把握してれば、そういう質問になるんでは。インタビュアーも事前にしっかり情報収集してからいい質問で相手の話を引き出しますよね。
聞く側が楽しようとしすぎなんですよね。
普段大して興味もないくせに浅い考えで聞いて、回答側に負担を強いる。そして明日には忘れてまたいつか同じことを聞く。嫌われる父親の典型ではないでしょうか。
それに尽きますよね。「相手が答えやすい質問を考えてあげる」という視点は、持てない人はずっと持てないです。
そういう人は、会話がキャッチボールに例えられる理由を分かってないんです。
相手が捕りやすいように投げてあげる、ということなのに。
ただ順番にポンポンと言葉を発すれば、それが会話だと思ってるんでしょう。
「訊く」ってことは「相手の思考を中断『させて』、考え『させて』、答え『させる』」ってことなんだから、たとえ自分の子供相手だろうと、適当じゃ失礼なんですよね。
これ、忘れがちなので意識します。。