「ある編集者の気になるノート」様より。
ブログの終着駅は、やっぱり本なのか。
始発駅はネットでも、終着駅は本という構図は、まだまだ続く気がする。
うーん。
ココログブックスコンテストといい、ココログは「ブログ→出版」という方向にかなりの可能性を見出している様だ。
ココログに限らず、ブログや掲示板ネタの書籍化話は最近枚挙に暇がない。少々残念でもあり、一方でしょうがないのかな、という気もする。
ココログ出版からはちょっと話が逸れるが、残念というのは、ネット発の情報を固形物にしないままに採算に乗せる方法は、未だに誰も思いついていないらしい、ということだ。
ネットでお金をとって情報を見せる手法は色々とあるが、いい具合に採算に載っているものの話はあんまり聞こえない。固定して儲けられるというと、せいぜい一部のあざとい手法のアダルトページが存在するのみだ。Webコミックもネット文庫も、芳しい評判は聞かない。これはもう、元々インターネットにオープンソース的な要素が多々あったこと、「ネットの情報は無料」という意識がこれだけ根付いている中では、ある程度仕方ないことであるかも知れない。
とはいえ、本来なら、ネット上の著作物を書籍化してお金をとる、という方法はあんまり理想的ではないんじゃないかなーと私は思う。理由は二点ある。
・元々の著作物がネット上に存在する為、その著作物が読めない人向けの出版、あるいは何らかの付加価値をつけた「差分商法」にならざるを得ないから
・出版するということ自体が、かなりのコストとリスクを伴うから
上はまあ、そのまんま。下は勿論どんな書籍でもそうなのだが、ちょっとこの場合特殊だ。ブログの書籍化というのは、当然ブログが普及するに従って上の条件が厳しくなっていく。つまり、ブログの認知度が上がれば上がる程、「ネットで読めるんだからわざわざ買う必要ないや」と考える人が増えていく。そして、当然のことながら売れれば売れる程ブログの認知度は上がる。構造的に先細りが運命づけられているのだ。
それに従ってつけなくてはならない「付加価値」の必要性も必然的に高まっていく訳だが、そのコストに見合うだけの売上は取れるのか、という問題が多分大きい。「電車男」が持っていた「ものめずらしさ」という強力な武器を失いつつある今、ジャンルとしての将来性には多少疑問符がつくんではないかと思う。勿論編集の仕方にもよるのだろうが。
では、一つ目の条件を緩和する為には一体どうすればいいのか。勿論解答は一つで、「発掘作業」に希少性を持たせればいい。つまり、なかなか知られていない、埋もれがちの面白いブログを発掘する、という作業が必要になる。ブログ人気が翳ったという話も聞かないではないが、ブログの数自体は未だに増え続けている。増えたブログの数を「煙幕」として用い、その中から知られざる名ブログを書籍化することが出来れば、ブログの書籍化には一定の需要が見込めるだろう。
ただ、上記の「発掘型」のやり方も、難しいといえば難しい。
ブログを書籍化することにメリットがあるとしたら、多分最大のものは
・「面白い」ということが分かりやすい
ということに尽きる。
まあどんな商品でもある程度一緒なのだが、本を出版するというのはギャンブルである。ある本が売れるかどうかは、出してみないと分からない。例え編集者が「いける!」と思った本であっても、市場には全く受け入れられませんでした、という場合はままある。リスクが大きいのだ。
だが、ブログの場合はある程度「売れる」かどうかの指標がある。TBやコメント、そしてアクセス数である。コメント数が多いブログが常に面白いブログであるとは限らないが、面白いブログには大抵の場合固定客がつく。上記の指標を見れば、その文章が市場に受け入れられるかどうかをある程度正確に判断出来るという訳だ。
ブログに限らず、ネットでは「読者の反応」を非常に「生」で近い形で見ることが出来るというメリットがある。発売前から無料で市場調査出来る様なものだ。固定客を売り上げの対象として計上することも可能だ。電車男にせよ妻が浮気しますにせよ、面白い話に人が群がっている、という構図があったからこそ書籍化された訳である。
で、逆説的だが、先ほどの「発掘」をこのメリットが邪魔する。当たり前のことだが、目につきやすい「面白いブログ」というのは人口に膾炙している。先ほどの「ブログが広まれば広まる程、ネット上で読んでしまう人が増える」まさにその対象なのだ。つまり、ネット著作物を書籍化することの最大のメリットを利用すると、先述の「先細り構造」から何時まで経っても逃れられない可能性が高い。この辺のパラドックスを整合させられるかどうかが、ネット発書籍の一つの関門になるのではないかと思う。
で、話はやっとの思いでココログに戻る。残念ながらというべきなのか、「ココログブックスコンテスト」の方は、様々ネットでお話を伺うに、あまり「埋もれた名ブログ」探しという方向にはなっていなかった様だ。今回のこの「ココログ出版」が、ココログの「発掘」の一環だとしたら面白いなーと思うのだが、どんなものだろうか。
その固定客のうち、実際に本を買う人はどれくらいいるでしょうか。
小林Scrap Book:http://blog.heartlogic.jp/archives/000570.html
によると、
『ブロガーには「オラが村の仲間が出てる」と本を買ってしまう傾向がある』
そうです。
確かに書籍化に限らず、自分の知っているブログが本に載っていると、本を書く人は多いような気がしますが、しょっちゅうコメントを残す人がたくさんいたとして、そのうち何人が本を買うのか、というとそんなに買わないんじゃないかな、と思うんですよ。
鬼嫁が10万冊売れたらしいですけど、ネットで読めるものを紙媒体で買う人がいた事が、僕にはちょっと意外でした。
だいたい、エコの観点からも時代に逆行しているわけで。
今はまだ、話題になっているブログをそのまま書籍化するだけで、ある程度は売れるかもしれないけれど、そのうち
話題性だけでは売れなくなるから、書籍にするに当たって高い付加価値をつけなければならなくなるでしょうね。
>ネットで読めるものを紙媒体で買う人がいた事が、僕にはちょっと意外でした。
同感です。ただ、私やえっけんさんの様な「日常的にネット上でかなりの分量の文章を読んでいる人」と、そこまで「ネットヘビースモーカー」でない人の感覚って多分結構違うと思うんですよ。
ネットでそんなたくさん文章なんか読めるか、という感覚の人が話題性で本を買うと。で、この需要はネットで日常的に文章を読む人が増えていくにつれて減っていくと。私にはそんな図に見えます。
あ、これもネタに出来るな。
>その固定客のうち、実際に本を買う人はどれくらいいるでしょうか。
>そのうち何人が本を買うのか、というとそんなに買わないんじゃないかな、と思うんですよ。
現在のところはまだ、ブログが本になるという「レアケース」に対するご祝儀というかもの珍しさというか、そういった形で本を買うブログ読者は案外いるんじゃないかという気もします。
まあ、それにしても「固定客」は飽くまで市場調査のサンプルですよね。おっしゃる通り、実際に販売数に貢献する人がどれだけいるかは疑問だと思います。
>だいたい、エコの観点からも時代に逆行しているわけで。
あ、いかん。その視点は完全に抜けてました。そりゃそうですよね。本ってエラい量の紙を使いますし。
ただ、「紙媒体がなくなる日」ってのはまだかなり未来のことでしょうし、個人的にもなくなって欲しくはないんですけどね。
私はネットで読めるテキストでも、出版されているものを時々は買ったりしますね。やっぱりハンドリング(携帯性とか)が良いですから。
あとは作者達にたいする、サポートの意味合いですかね。好きな作家のは次も読みたいですから、気兼ねなく書ける環境づくりに寄与できればと。
本を買うときは、半分は「装丁・挿画」「レイアウト・組版」「ハンドリング性」に支払っているという感覚です。
あとはやっぱり「手で触れるモノ」の魅力というか魔力ですかね。所有欲。本質はコンテンツの中身だとはわかっているんですけどね。
岡田斗司夫氏は出版済みの自作をWEB公開する試みをしていますね。
http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/lib.html
ネットと商業出版の兼ね合いは、現状のままでも
・ネット→儲からないけどローコスト
・出版→コスト高。ハイリスクだけど質が充実
という住み分けが出来ていくんじゃないかと思っています。
もちろん、ネットで稼げるビジネスモデルが出来て欲しいのは同感ですが。
私としてはネットも大好きですが、やっぱり紙媒体も良いもんだなと思います。
アナログレコードがなんだかんだいって今だ生き残っているように、紙媒体も規模の縮小はあったとしても、確実に今後も残っていくものでしょうね。
>やっぱりハンドリング(携帯性とか)が良いですから。
>あとはやっぱり「手で触れるモノ」の魅力というか魔力ですかね。所有欲。
なるほど、そういう需要は勿論あるでしょうね。となると、一定のラインの需要は消えないのかな。
私なんかは、やっぱり「ネットでも読める内容」と「ネットでは読めない普通の本」を比べると、ハンドリングの良さを犠牲にしても後者を手にとってしまうんですが。
>という住み分けが出来ていくんじゃないかと思っています。
どうなんでしょう。住み分けといいますか、ちょっと危惧しているのは、「ブロガーにとっての最終目標は書籍化」「でも編集者側から見ると全然売れない商品になってしまったことが分かりきっている」みたいな意識の差が出来てしまうかも知れない、ということなんですが。