2013年05月04日
レトロゲーム万里を往く その116 「隠れキャラ」にまつわるエトセトラ
「隠れキャラの歴史」みたいなものがあるような気がする。
かつて、ファミコン時代のほんの一時期。「隠れキャラ」というものがゲームのメインステージの一角を飾っていた時代があった。
通常のゲームの流れからは浮いた、おまけ要素。お話的には何の必然性もない、ボーナス要素。何の気もなくキャラクターを操作していたら、突如画面に浮かびあがる意外性。
恐らく、淵源は「ゼビウス」におけるソルやスペシャルフラッグであるとか、パックマンにおけるフルーツターゲット辺りにあるのだろう。当初「隠れキャラ」は、単純に、「条件を満たさないと出現しない得点アイテム」だった。単純に、少年たちの宝探し欲求を満たすものだった。
その流れは、例えばレッキングクルーにおけるゴールデンハンマーやサンタクロース、ディグダグにおけるベジタブルターゲットなどにも続いていた、と思う。
当時、隠れキャラは、スパイスだった。隠し味であり、小道具だった。見つけられると嬉しいし、いいことがある。けれど主役ではない。メインコンテンツではない。飽くまでおまけ。
私が記憶する限り、はっきりと「隠れキャラ」がスターダムに上がってきたのは、「スターフォース」におけるクレオパトラだった筈だ。「謎の地上絵」と、隠された100万点キャラクター。最後に残されたゴーデス大陸の謎。コロコロコミックなどの漫画とタイアップして、ちびっこ達の心を捉えた隠し要素。あのわくわく感は本当に物凄かった。
多分なのだが、あの頃、ゲームメーカーは「雑誌などとタイアップした隠れキャラのコンテンツ力」をはっきりと認識したのではないか。
コンテンツとしての「隠れキャラ」を設定することには、様々なメリットがあった。
・ゲームに「謎解き」「宝探し」的な彩りを加えることが出来る
・少年たちの話しのネタになり、販促の一助となる
・ゲーム雑誌の重要なネタになり、ゲーム雑誌や攻略本を買う原動力の一つとなる
・まだ隠れキャラがいるのではないか?どうすれば隠れキャラが出るのか?といった、遊び続ける楽しさ、遊び続ける動機の一つとなる
これらのメリットは、「ゲームの中身とはあまり関係のない」、いわば「浮いた」隠れキャラをゲームに追加させる、十分な動機となった。ドルアーガなんかはまた全然話が別だが、当時「ちょっとした隠れキャラ」が一つの目玉となっていたゲームは、枚挙に暇がない。特にハドソンが得意としていた筈だ。
例えば、チャレンジャーにおけるクジラであるとか。
忍者ハットリくんにおける高橋名人であるとか。
ボンバーマンにおける中本プログラマーやデゼニマンであるとか。
あるいは、ジャイロダインにおける「目」や人魚であるとか。
ヴォルガードIIにおけるファミコンコントローラーであるとか。グーニーズにおけるスピルバーグ監督であるとか。
覚えていらっしゃる方も多いと思うのだが、上記はみーんな、当時の雑誌やゲーム攻略本で、目玉コンテンツの一角として扱われていたものばかりである。それらは、時には「思わせぶりなヒントと衝撃的な画像」で。時には雑誌の袋とじで、時にはコロコロコミックの漫画で、存在を示唆され、あるいは暴かれていた。
これは飽くまで邪推なのだが、当時、ゲームが殆ど完成してから、「付け加えとして」隠れキャラが設定されていたことは、かなり頻繁にあった筈だ。その情報が雑誌に流れ、共存共栄のコンテンツとしてタッグを張る。一つの黄金パターンだったと言っていい。
で、いつ頃からかはっきりとは分からないのだが、こういった「ゲームの中身とは全く関係がない、ボーナスアイテムとしての隠れキャラ」は、段々クローズアップされる機会が少なくなっていった、ように思う。87年代辺りになってくると、既に隠れキャラは「目玉」ではなく、昔と同じように、スパイス、おまけ要素に戻りつつあった。
勝手な推測だが、多分理由は幾つかあって、
・ゲームにおける隠しフィーチャーが一般的なものになり過ぎ、コンテンツとしてメインを張るのは難しくなった
・迷宮組曲やソロモンの鍵など、ゲームの中核部分に宝探し的要素があるタイトルが増えた
といったところが大きいのではないか。
「裏技」というものの一般化も含めて、ある程度以降の時期のファミコンゲームからは、隠しフィーチャーが全く入っていないゲームを探す方が難しくなってしまった。ファミマガに、毎号50個弱の「ウル技」が載る時代だ。そりゃ、個別の隠れキャラがいちいちメインコンテンツにはならないだろう。この流れは現在でも変わらない。
ゲームが「隠しフィーチャー」を設けることは、いつからか「ふつー」のことに過ぎなくなったのだ。
いずれにせよ、「隠れキャラ」がゲームのメインステージに君臨していた時代は、ファミコンというステージにおいてはそれ程長くなかった。85年後半から86年台くらいだったのではないか。
その遠い遠い後。再び「隠れキャラ」がゲームのメインコンテンツの一角になる時が来た。
そう。それは格闘ゲーム。格闘ゲームにおける「隠しボス」であり、「隠し使用キャラクター」であり、「隠し超必殺技」。
豪鬼乱入条件の、デュラル使用コマンドの、ルガール使用コマンドの、龍虎乱舞使用コマンドの、あの頃のゲーメストの紙面は、確かに86年台の盛り上がりを思い起こさせるものだった。歴史は繰り返すものなんだなあ、と当時しみじみ感じ入ったものだ。
そこから考えると、近い将来、再び「隠れキャラ」が業界を賑わせることもあるのではないかと思ったりもするのだが、まあそれは別のお話。
とりとめもない話になったが、今日はこの辺で項を収めたいと思う。
次回は多分タイトルものです。
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基本ノーヒントで様々な条件が用意されているのが毎作恒例になってまして、
ツイッターや2chなどで憶測やガセも含んだ様々な情報が飛び交うのはまさにかつての隠し要素を彷彿とさせます。
しかもそれを出す手段が明らかにソーシャル的。
音ゲー始めて14年になりますが、正直これじゃやる気も失せてくるってもんですよ。