ちょっと、自己分析の為の一人語りをします。あまり面白い話ではないかも知れません。
自慢話から始まります。
昔、あるゲームで、本気で「全国一」を目指したことがありました。1990年代の半ば頃、ほんの数か月くらいのことでした。
そのゲームの名前は「ダライアス外伝」です。
ぼちぼち受験勉強も始めなくてはいけないという時期に、「ダラ外の合間に人生をやっている」という生活を送っておりまして、よくまあ人生を踏み外さなかったものだと思います(ある意味踏み外したかも知れませんが)。
とにかくあの時期は、ダラ外以外のことは一切脳内になく、ありとあらゆるリソースをダライアス外伝に突っ込み、就寝の為に目を閉じたら瞼の裏で復活砲台稼ぎが始まり、それ程レベルが高くなかった為てきとーに乗り切れた高校の授業中には、教科書の問題の代わりにボスのパーツ破壊パターンを構築していた訳です。今でいう廃人に該当するかと思います。
その甲斐あってか、スコア集計が始まってまだそれ程間がない頃、ドサクサに紛れて一度だけ、私はあるゾーンで全国一位のスコアをとることが出来ました。雑誌を読んで、スコア欄を観て、「どぁーーー!」と叫びました。雑誌を読んで叫ぶ、というのは、もしかすると最初で最後の経験だったかも知れません。
翌月には一位に凄い差で置いていかれ、それ以降はどんなに頑張ってもカスることすら出来なくなりましたが。なにしろ、前月時点の全一スコアにすら追いつけないのですから勝負出来る訳がありません。端的に言って、限りなく奇跡に近いまぐれ当たりだったのだろうと思います。
あー、上には上がいるんだな、当たり前だよな、とも思いましたし、けれど物凄い達成感と満足感を感じもしました。大してゲームが上手くもない自分が、たった一度だけでもトップに立てた。トップ集団と勝負が出来た。ゲームやってて良かった、とも思いました。
多分、あの一件は、いい面でもあまり良くない面でも、私の精神に色んなものを残したと思います。
勿論、「一度切りの全一経験」は私の自信になりましたし、誇りになりました。まあ、私は元々自己評価と根拠のない自信が過剰な人間なので、既に積んである石塔にもう一個積むだけの意味しかなかったかも知れませんが。
一方、あんまりポジティブでないかも知れない影響として、「ゲームに上達したい」「他人に負けたくない」という欲求がかなり減少しました。「ゲームでトップに立ちたい」「トップ集団に入りたい」という欲求については完全に磨滅しました。
本来、ポジティブにあるべき話としては、「自分みたいな凡人でもトップ集団と勝負出来た」という成功体験があるのですから、「じゃあこの次も!」となるべきですよね。ところが、なってないんです、私の場合。
ゲームにおける燃え尽き症候群、という言い方はあんまり正しくないかも知れません。やる気はなくなっていないのです。今でも私は、ゲームを真剣に遊びますし、上手くなる為に頑張ることもありますし、上手くなる為に遊び、上手くなることに楽しさを感じます。
ただ、トップ集団や「激うまい人」達の中に入る為には必ず越えなくてはいけない一線というものがあって、今現在、どんなゲームでも、私はその一線に手をかけることが出来ていません。というか、手をかけようという気概がありません。多少は上手くなりたい癖に、上手くなる為に最後にしなくてはいけないところからは逃げ続けているのです。その結果、中途半端に上手くなって、「まあいいか、こんなもんで」と考えることが専らのように思います。
突き詰めて考えると、この原因は、ダラ外の全一経験にあるような気がします。
言ってしまえば私は、自分自身に「言い訳」をする時の強力な材料を手に入れてしまったのです。
トップ集団を目指すのはすげえ大変だし、とか。
トップ集団に入っても、どうせ上には上がいるし、とか。
一度はあんなに頑張ったんだし、もうあそこまで頑張らなくても、とか。
俺にはダラ外という過去の栄光があるし、とか。
過去の栄光ですよ、過去の。しかもほんの一回きりのまぐれ当たりです。それでも、私の中では、アレが物凄い「財産」になってしまっているんです。
ゲームは勿論遊びであり、遊びは楽しむ為にするものです。その意味で、私は今でも勿論ゲームを楽しみまくってはいるのですが、「すごく上手くなる為にハードルを設けて、そのハードルを越えようとする楽しさ」や、「ギリギリの勝負にガチで挑む楽しさ」みたいなものは、今、私は手放しているかも知れません。
社会人としては正しいことなのかも知れないですが、ゲーマーとしては堕落したような気がします。堕落天使です。
ところで。上記とは矛盾するようですが、私の中には、「上手くなりたい」「突き詰めてやり込みたい」「負けたくない」と真剣に思わなくなったら、一旦そのゲームからは離れるべきなんじゃないかなあ、という意識も、実はあったりします。
今日、@tororosobaさんのこの記事を読みました。
趣味は絞らないといけない話
まぁその、多分なんというか、自分の中で「何かを始めるならそれなりのポジションまで突き抜けなきゃならない」みたいな考え方があるんだろうなって思ってます。つまり、勝てる勝負をしよう、その為にしっかり自分の時間を投資出来る、それだけ楽しみのあるものにしよう、ということですよ。
僕が人狼を引退した理由ってのも、カメラをはじめないのと同じなんですよ。人狼は楽しいけど、なんか自分の中で上達するイメージが湧かなくなってしまったんです。やり抜くならセオリーを把握して、その中でログを取りながら相手の動きを探って、、みたいな丁寧な仕事をしていかないと行けないんですけど、多分僕はそこまでやれない。そこまでやりきれない(モチベーション的に)のであれば、多分これ以上上達しない(どっちかというと楽しい会話の中で粗捜しをするぐらいのイメージ)。であれば、中途半端にそれに時間を割くぐらいなら、「別の注力すべき事をやり抜くのにリソースを使おう」とか思ってしまう訳です。
ああうん、そうかなあ、そうなのかもなあ。
結構そんな風に共感したわけです。
まあ、冷静に、理性的に考えれば、今の私は三十過ぎの社会人ですし、おまけに三児の親です。「自分がゲームに上手くなる」ことよりも、「子ども達がやってみたい分野で、子ども達を伸ばしてあげる」方が、どう考えても優先度高いでしょう。当たり前です。
実際、サッカーやドミニオンを含め、今私は、長男が望む方向に長男を伸ばしてあげたいですし、伸ばしてあげられるよう努力しています。自分のことは二の次です。
ただ、私の中には今でもまだ「ゲーマー魂」の残滓みたいなものがあって、上に書かれたようなことをあれこれ考えたりする訳です。
なんか、もうちょっと整理した方がいいのかなあ。
特に結論が出る話ではないのですが、今、そんな風に考えています。
その残滓が長男さんにドミニオンを通じて受け継がれるわけですね。
俺の屍を越えてゆけ。
そういえば私も昔グランツーリスモのとあるコースで世界一を目指してましたね
数ヶ月でしたけど真剣にやって、結局2位までしか行けませんでした。
それ以来ずっと私は2位以下です・・・
と書いてて思い出しましたが、1位の奴はイタリア人かなんかだったんで、私日本一でしたね(笑)
こういう競い合いって楽しいですよね。
私はついに走り込みを夢に見て止めましたけど、熱中するものがあるって素敵な気がします。
自分も現在稼働中のゲームで底辺ながら全国ランキングに載ってはいるのですが、
「現時点で全国ランキングに載っていて、それはすぐに消滅するほどではない」ことと、
Twitter等で知り合った結果、
下手に全国1桁プレイヤーの化け物じみたプレイを見てしまったがために
「ああ、この域になるには色々捨てないとダメだな」という思いも出てきてしまったことで、
「現状維持」は目指せるのですが「更に上位」を目指す気合がなくなってしまいました…。
ある意味「我に返った」とも言えますが、
上を目指すというのは兎にも角にも業が深いものだと感じています。
ダライアス外伝は俺にとっても青春でした。
全一は流石に無理でしたが、とりあえず全ルートノーミス&1,000万点オーバークリアは出来るほどプレイしまくりました。
サターン版はプレイし過ぎてディスクが(以下略)
視界が開けると同時に迫り来るものの恐怖とか
含めなんか色んな気分が
ないまぜになりますよね〜
そういうとき個人の特性とか諸々が試されて
いたりして…って漫画みたいな話もありますが、
重要なのは、一度突き抜けられた人は
気分次第でまた同じような飛び方ができる
ことかと思います。
(何より経験がありますからね)
あと、一度勝っているんだから、
あとは好きに遊ぶっていう広い心、大人の余裕も
出てくるかと思います。
父親は背中で語る。
自分の趣味を持つのもいいことかなって思います。
世界一になるだけでなく、世界一で居続けるパワーの凄まじさ。
修羅の道すぎて私には到底無理だけど、いろいろと刺激は受けました。