2013年06月03日

とある人から、「インタビュアーの姿勢」に関して色々と教えてもらったことについて


昔話をします。


多分十年くらい前、私がまだとある出版社に時々お世話になっていた頃のことです。

一般的なのかどうかはよく分かりませんが、その出版社には明確な職位としての「編集者」という仕事はなく、大体の人が、編集者もするしライティングもするし取材して記事起こしもするし、というマルチタスクな人達でした。

その配分も人によって色々で、複数の作者さんをマネジメントしつつ原稿を書いてもらう仕事の分量が多い人もいれば、取材に行って、その内容を自分でテキストに起こす仕事が一番多い人もいて、当時また出版社のことを「編集者さんがたくさん仕事していて、作家さんや漫画家さんに原稿をもらってる」という程度にしかイメージしていなかった私には、結構カルチャーショックな世界でした。

別にこれが一般的な出版社の業態だなどとは全く思っていません。なにせ小さい会社だったので、明確な分業がなされないまま属人的に色んな仕事が回っている感じで、私もそんな仕事を回す人の端くれでした。バイトでしたけど。


ここでお話に出てくるTさんも、そんな中の一人でした。


当時35から40くらいの方だったと思います。Tさんはヘビースモーカーで、多い時は15分に一回くらい喫煙室に行っていました。どんなことでも非常に分かり易い話し方をされる方で、普段直接お話をする機会は殆どありませんでしたが、飲み会の席なんかでは学生バイトにも気さくに話しかけて下さって、色んなことを教わりました。


話は、Tさんの「インタビューノート」のことです。


Tさんは、取材記事を手掛けることが比較的多い方で、自分で取材に行くこともあれば、他人の取材記事の監修をすることもある方でした。

Tさんは、インタビューを伴う取材に行く時、インタビュー用のノートを必ず携帯していきました。

その中を見せてもらったことがあります。取材対象のやっている研究やそれについてのエピソード、用語について、会話の展開、時間配分などなどなど、色んなことがこと細かに記載されています。「びっしりと」というのが正しいように思われる、物凄い密度でした。

当時テープ起こしの仕事をすることがあった私は、不思議に思ってこう尋ねました。

すごい細かく書かれてますねー、と。けど、どうせ録音して後からテープ起こしするのに、なんでこんなに細かく書くんですか、と。


Tさんは、何言ってんだ馬鹿、と言いました。

明後日取材予定のインタビュー用のノートだよ、と。


Tさんのノートは本当に物凄くって、とにかく事前に、取材対象の専門分野についてを調べ尽くしているのです。Wikipediaなんかまだ日本語版が出てすぐくらいの頃で、インターネットだって今よりもずっと散らかっていて、おそらく殆どの事前取材を書籍で行われていた筈です。正直なところ、「これだけ書いて、これ以上聞くことなんてあるのか?」と思いました。


Tさんは、私の疑問に対して、「これがふつー」だと答えました。

ただネタになりそうなことを質問して、それに答えてもらうことがインタビューだと思ってる馬鹿にはなるな」と。「一方的に、分からないことを教えてもらう」なんてのはインタビューでもなんでもない、と。インタビューというのは、「分かっている上で、それについて記事になるような内容を、話し合いながら専門家の口を使って形作ってもらうことなんだ」と。


Tさんのインタビューは、将棋に似ていました。あれについて喋られたら、こう返す。ああ来たらこういく。事前にそういうデザイン、そういう計画をある程度ちゃんと考えておいて、それに沿ってインタビューを進めていく。それが、Tさんいわく「常識」ということだったのです。

当時の私にとってそれは常識ではありませんでしたのでびっくりしましたし、正直今でもそんなには分かっていないかも知れません。とはいえ、「ただネタになりそうなことを質問して、それに答えてもらうことがインタビューだと思ってる馬鹿」という言葉は今でも頭に残っています。


この話は、二つの側面を内包していると思います。


一つは、「インタビュアーとしてのあるべき姿」、という一つの指標。確かに、「分からないことを教えてもらう」という、ただそれだけでは、コンテンツにもなんにもなりません。ただ取材対象にぶら下がって、「教えてもらう」という態度でしかインタビューをしない人がいるとしたら、その人は批判の対象になって然るべきでしょう。

別にインタビューをちょくちょくするような仕事についている訳でもないですが、そういう意味で、Tさんの姿は私にとっての一つの「指標」になりました。


一方で、「自分の思う通りの展開を用意して、その方向に沿って取材対象に喋ってもらう」という、言ってみれば方向性を定めた報道態度については、特にWebでは批判も出るかも知れないなあ、と思いました。実際のところ、全く方向性を定めないで企画を定めるなんて無理な話だとはいえ、「方向性」が強く出過ぎてしまえば、時には取材対象の人が本当に言いたかったことから逸脱することもあるでしょうし、読者の誤解を生んでしまうこともあるかも知れません。実際、Tさんの書き方について、結構強引だなあと思ったこともありました。



何はともあれ、私はやがてその出版社さんから離れ、書くというお仕事を通じてお金を頂くこともなくなり、こうしてブログにだらだらてきとーなことを書き綴るだけの生活になって久しい訳ですが。最近、様々なところでインタビュー記事を読んで、ふと上のようなことを思い出したので書いてみました。



もうTさんには10年近くお会いしていませんが、今でも元気にご活躍されていることを心から祈ります。

posted by しんざき at 18:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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