なんだか話題になっていたので釣られてみる。特に反論という訳ではないけれど、凄い憎悪だなあと思ったので、ちょっと緩和を試みたくなった。ブコメとか読んでないので既出の部分も多いかも知れないが、まあ気にしないことにする。
先に自分のポジションを明示しておくと、私は三児の父である。つまり、このエントリーの憎悪を投げつけられる側の人間である。
子供を作るのは鬼畜の所業
ロジックとして間違ったことは書かれていない。
ただ、「そういう表現も出来る」「そういう側面もある」ということを全て極端にネガティブな方向に振っていて、突き詰めると「世界滅べ」と言っている。「世界滅べ」というのは、気分が極端に落ち込んだときには割りと誰でも感じることなので、そういう点で共感と反応は得られやすいんだと思う。まあ、私もしっかり釣られている訳だが。
ただ、幾らなんでも表現が極端過ぎる、と思った点が何点かある。
例えば、
『子作りは子供への死の強制である』
つまり子作りは殺人であるという点について。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。ここのロジックをそのまま援用すれば、「壊れることが分かっていて作る行為は全て破壊行為だ」ということになる。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
構図として、「創作行為」の話をする。全ての創作行為は破壊行為だ。うん、突き詰めるとそういう側面もある。けど、創作行為を破壊行為と言い換えることに意味はないし、幾ら何でも「創作=破壊」という等式に普通の人はコミットしないよね。
それは何故かというと、創作によって生まれるプラスの部分を一切考慮していない等式だから。形あるものは全て壊れる。けれど、壊れる為に作られる為ではない。他に、作られる理由と、意味と、価値があるから作られる。
それと構図としては同じように、子供も、死ぬために産まれてくる訳ではない。産まれて、死ぬまでの間に、多くの子供は正負どちらも含めて様々な経験をするし、枝葉が分かれるように様々なものを生み出していく。そこには、意味と、価値がある。必ずある。
だから、一般論として、子作りは殺人ではない。突き詰めて考えるとそういう側面もあるけれど、そういう表現にコミットすることに意味はない。
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全ての苦痛は生まれる事によって生じます。これもロジックとしては正しいけれど極端な表現であって。
悲惨な状況を色々とイメージしてください。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
子供が悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
筆者が書いている通り、生きている限り、不幸になる可能性はあるし、「自分は不幸だ」と思う機会も必ずある。必ずだ。そこに親の責任があることも確かだし、それは確かに生まれなければ回避出来る。
ただ、これももうひとつの側面があって。
生きている限り、幸せになる可能性はあるし、「自分は幸せだ」と思う機会も必ずある。生まれなければ、このチャンスを生かすことは出来ない。生まれないことは、リスク回避であると同時に、機会損失でもある。
これは、不幸の定義がどうとか、幸せの定義がどうとか、そういうことは関係ない。ただ、「自分は不幸だ」と感じることもありえるし、「自分は幸せだ」と感じることもありえる、生まれてこなければどちらも得られない、というだけの話である。
リスクとリターンは表裏一体であって、どちらかだけをクローズアップすることに意味はない。リターンの話しかしない人は不公正かも知れないが、リスクの話しかしない人もそれと同じ程度には不公正だ。けれど、この筆者は、「不幸」の部分だけを目一杯クローズアップしている。機会損失の部分を完全に置いておくのは、流石に不公平というものだ。
親は、子供にとっての「リターン」をなるべく大きくする為に、精一杯努力する義務と責任がある。それは確かだし、その義務を放棄している親がいたとすれば、その親は非難に値する。けれど、その義務を放棄していない親にまで、「お前は鬼畜だ」という言葉を投げつけることには、私は賛成出来ない。
私は、子供が不幸な目にあったら、多分凄く苦しむと思う。だから、子供がなるべく幸福になれるよう全力を尽くす。それについては表明しておきたい。
ただまあ、この筆者がここまでの憎悪を抱くまでには、恐らく色々な経緯があるのだろうし、私にはその経緯は分からないから、「私は賛成しない」というだけに留めておくけれど。
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子供が欲しい方へ。それは当然だ。子供の都合で子供は生まれてこない。生命としては、子供は生まれてくる為に色んな努力を必死にするけれど、それは本能であって都合ではない。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
ただ、ここでも若干気になるのは、「都合」という言葉を非常に悪いイメージに振って使われておられるなあ、と思った点だ。
確かに、「愛の結晶」とかそういうもってまわった表現はあまり誠実ではないなあと思う点もあるけれど、「都合」という言葉を暗に「私利私欲」といった、まるで利益だけの為に子供を作っているような表現に誘導しようとしているのは、この次の表現を見ても分かる。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。子供を産むのは、親の都合だ。子供は、親が「子供が欲しい」と思ったから産まれてくる。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
ただ、まるで全ての親が「自分が利益を得る」為に子供を作っているかのような表現は、親としては聊か心外だ。むしろ、元記事の作者は、親がどんな利益を想定して子供を作ると思っているのか教えて欲しい。単に利益ということから金銭的なものを想定すると、子供を作ることで金銭的にプラスになる状況なんか殆どないと思うのだけれど。
勿論、私は自分の子供たちから様々なものをもらっている。仕事に対するモチベーションであるとか、笑顔を見たときのMP回復であるとか、遊んだときの運動不足解消であるとか、諸々。ただ、それを「利益」という一言で括るのは聊か公正ではないと思うし、その為だけに子供を作ったという風に表現されるのも心外だ。
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子供を作るなと書いてる訳でもない。いや、その、そういった次の段落で思いっきり
子供を作ることを是とすると不条理が生じるって書いてますやん・・・
子供を作ることを非としておくと不条理が説明できる
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断っておきたいのだが、私は単に、元記事の表現に対して「ロジックとして間違ってはいないけど、それはちょっと極端じゃない?」と思っただけであり、「だからみんな子供を産むべきだ」とは思っていないし、言っていない。子供を産むかどうかは、親が慎重に考えて決めることだ。
両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります。全くその通りだと思う。
子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
ただ、上記のように「作りたければ作ればいい」といっている割に、中身が「作るな」という方面にのみ極端に偏っていたので、若干真ん中に戻った視点も提示しておきたいな、と思った為この記事を書いた次第である。
それと。
上記の文言とは直接関係ないけれど、少なくとも私と私の奥様は、これからも、子供が「幸せだなあ」とか、「生まれてきて良かった」と思ってくれる様になる為に全力を尽くすつもりだし、自分の子供たちに、自分が与えられる限りの愛情を与え続けるつもりだ。それは表明しておきたい。
今日はこの辺で。
自分なんかに言わせれば
論者と自分とでは考え方が違い、「鬼畜」の定義が違う。よって論者から罵詈雑言を浴びようとも子作りは自己の判断で行う
と。
んで「そのロジックは間違っている!」って反論する人は恐らく詐欺師に騙されやすいひとだ。
「そのロジック食えんの?おいしいの?」ってひとはたぶん強く世の中を生きていける。
試験問題にぴったり
ちょっと失礼を…ご返答は不要で。
元記事拝見しました。
・人は生まれれば必ず死ぬ
・幸福になれるかどうかは運である
故に、子供を産むのは
・人ひとり殺すのと等価である
・人に不幸になるリスクを負わせているのと等価である
でしょうか。なかなか面白かったです。
善悪の基準は"子供の気持ちの良否"ですね。
死について。
親を殺人者と思う子供はそうそう滅多に居ないでしょう。
それに、歳をとるとあまり死ぬのも怖くなくなってくるものです。
私も、親や知人の骨も何度か拾いまして、死ぬのをあまり怖いとは感じなくなりました。
(苦痛は嫌ですが)
これは理屈ではないんでしょうね。
生について。
シンドイことは多いですし、他人の残酷さ・不条理さも何度も味わいます。
一方で、生まれたからには良い事もあるでしょう。
人生の終わり際になってどう思うかは、"その時"にならないとわかりません。
ググれば出て来ますが、良い思い出・普通の思い出・辛い思い出の割合は
どんなに壮絶な人生を送った人でも、6対3対1になるらしいです。
これだって、理屈ではなく"ただそうある"ものでしょう。
このお話、理屈で考える意味はあまりない気がしますね。
それに…
親がエゴイストなのは確かですが、子供にもエゴイストになるチャンスを与えています。
「取引」としては、それで十分じゃないかと思いました。
筆者がここまで偏った思考をする人間性を獲得するに至った生育環境に興味がある
元記事中でも少し触れられているけど、その辺りをもっと書いてくれないかなあ
ケフカもこんなこと言ってましたね。
筆者がこのような記事を書いたのはやっぱり世の中を極めて不条理かつ悲惨なものとして捉えているからなのかなと。
「セブン」でもサマセットが子供を堕ろした過去を告白するシーンがありますし。
もっともサマセットは「産みたければ愛情を持って育てろ」とも言ってますが。
詐欺だの何だのに限っては、だったらもう無視すればいいじゃんとしか
とりあえず俺の言いたい反論は概ねこの記事中で言ってくれたから
敢えてちょっと元記事の肩を持つ意見を言う
子供を産む行為が親のエゴってのは間違ってないんだから、親は子供に生んだ事を感謝しろとか大切にしろとか言っちゃ駄目だと思うわ
そこまで言うのは傲慢過ぎる
あとどんな子供が生まれてきても愛する覚悟を持つ事だな
>嫌なら死ねばいい
そういう問題かよ・・・。論点がズレてるし怖い
そもそも元記事の「子供を作るのは鬼畜の所業〜」以下の一連の文章のさらに元ネタは
以前、2ちゃんねるにあった↓
http://archive.2ch-ranking.net/dame/1332102808.html
このスレッドのシリーズのテンプレですよ。
増田のが本人か別人が投稿したものかは分かりませんが。
そのスレッドの主は30半ばで無職で童貞の男です。
大方の予想のだめ人間、もてない男の僻みというのは当ってますが
同時に彼は高校生時分に統合失調症やら潰瘍性大腸炎(難病指定)を患い、1〜2ヶ月固形物を食べられなかったりした事もあるようです。
そういった点ではこう言った思考を持つようになった事を多少理解できる部分もあります。
普通の人は〜とか、極論だ〜とか、
結局は多数決でしか語れない人間の意見など読む価値もない
話し(議論)の前提の部分であって意見を戦わせている部分はその”強制”が
「鬼畜」と思うのか「鬼畜にはならない」と思うのかのお互いの価値観の部分だから、
ロジックで反論しろと言うのは筋違いでしょ。
人間は誰なんでしょう?
不思議です。
自分の子供だからなんとかなると多寡をくくっているが、他人にこれをやったら犯罪ですよ。
自分に甘い論理の持ち主ですね。
人類70億もいながら、本末転倒な話の数の多いこと
子の思いひとつ親は理解できないしてやれない
貧乏も我慢もイヤほど知ってるはずなのに
敢えて拷問するようなことを。。
聡明だわぁ あいつらの脳ミソは宝の持ち腐れなんやなww
法律違反でもないし、世間一般で道徳違反でもない。
子どもが苦しみを抱える可能性がある?知るか。それでもこっちは生みたいんじゃ。言ってみればわがままだ。それを通して何が悪い。
とはいえ生まれてきてくれる子供は精一杯幸せにする。それですらこっちの自己満足だけどね。
さすがによく書けますよ。さすがに昔、いや、先祖以上の代からみだらな輩はいます。当然望んでない子供が生まれて、いじめや虐待なんてあるんだよ。さすがに都合よく”親に感謝してる”といえるバカもいるし。そりゃそうだろ。人の親なんて所詮は人の子供。当然何の障害もなく空気も読めない人をいじめてるようなリア充の勝ち組なんて簡単に子供がボコボコ作れるし。まともな躾なんてできるわけもない。もちろん虐待しか能がなく、愛情もなく、育ちの悪い家系はみんないじめも虐待もやってるよ。そのいじめや虐待を受けたり障害を持って生まれた子なんてみんな被虐待児。みんな目に見えない差別があるんだ、こんなもんでしょw
一方出産否定論は例え子供がどんな恵まれた状況にある場合でも適用できる完璧な論理展開。
だって死と老いと病と飢えなどの苦しみから生きている限り100%逃れられる者はいないんだからな。それ以外にも不幸、苦痛、苦悩を感じる事など無数にある。
一度産まれたら100%訪れる不幸と、訪れるかどうかも定かではない幸福の可能性なるものを比較して、「幸福の可能性もあるから否定はできない」って馬鹿なんですか?
「幸福になれるよう全力を尽くす」って、例えば社会で「努力しました!」とか言えば悲惨な結果になっても許されると思ってんの?どんだけ甘えてんだよこいつはw
「生きてれば悪い事もあれば良い事もあり、生まない事は良い可能性を子供から奪う」とか頭沸いてるのかよ。ギャンブルなら自分で結果責任を負う範囲内でやるべきなのに、出産はその結果を子供に強制してる時点で悪なんだよ。
なんだそれ。出産を肯定するに足る根拠理由があやふやだし、一般化もできないってwつまりどのような状況でも適用可能なロジックが否定論なのに対し、ロジックも糞もないのが肯定馬鹿という事が顕著に表れているなwそして肯定馬鹿のそれはご都合主義という。出産肯定馬鹿の主張はそのご都合主義ゆえに「不処理が生じる」と指摘してるのに、それすら理解できない脳みそは哀れ。
なんだそれ。出産を肯定するに足る根拠理由があやふやだし、一般化もできないってw
つまりどのような状況でも適用可能なロジックが否定論なのに対し、
ロジックも糞もないのが肯定馬鹿という事が顕著に表れているなw
そして肯定馬鹿のそれはご都合主義という。出産肯定馬鹿の主張はそのご都合主義ゆえに
「不処理が生じる」と指摘してるのに、それすら理解できない脳みそは哀れ。
パコパコやってドピュっと出して、そんな行為のどこに創作する労力なんてものがあるんだよ。
それに創作物の破壊と壮絶な苦痛を伴う子供の死を同列視してる時点で、もはや人を自分の都合で左右できる物としか見てないし、まさに糞親というものが鬼畜だの馬鹿だのと指摘される意味を実感できるなw
創作=育てるという意味であっても、それ以前の前提=産む事自体が根本的にダメなんだよボケ。
本当馬鹿だなこいつは。子供を産んでなければ子供はこの世界の不幸や苦痛や苦悩とは最初から無縁な訳で、馬鹿親が産んだからこそそういう目に遭ってしまう結果になるんだお。
自分で勝手に不幸を作り出しておいて、「俺は不幸にならない為に全力を尽くす!」とかなんだよそのマッチポンプはw「子供を守ろうと決意する俺ってカッケー!」なんてナルシスティックな自己満足はゲームの世界だけでやってろよw
慎重に考えるフリして何も考えず行動に移し、全てをうやむやにするお前みたいな馬鹿がウヨウヨ繁殖してるから完全否定論が出てくるんだよ。
結局、隙のない否定論に、どうでもいい内容のケチをつける事しか私には能がありません、と言う敗北宣言ですかw
しんざきさん家の様な息子さんor娘さんみたいにおもしろい体験がみんなでたくさんできればいいなぁ
馬鹿だよね・・・
だけど、私は誰かを怒ったり憎んだりなんてことはしたくない。なにより自分が生まれた事を悲劇にしたくない。
だから、この考え方を確実に否定できる強力な反論が欲しい。
世の中の親御さんがんばってくださいお願いします。
それは世の中の親御さんの能力による
協力な反論ができなければ、その人は人を動かす能力など無いということなのだろう
死にたいやつは勝手に死ねば。
生きたいやつは勝手に生きれば。
何をしても自由だ。この世界は。
↑の人の通り、みんな好きにやれよ。
結局、子供を通して将来自分が何を学ぶかなんだろ。
生んで学ぶか生まなくて学ぶ。
どちらも人生経験。それに尽きるんじゃないの?
「子供付き人生」
「子供なし人生」
各個人、それぞれ学びたいコースへお好きにどうぞ^^
じゃあ
奪いたいやつは勝手に奪っても
ころしたいやつは勝手にころしても
おかしたいやつは勝手におかしても
何をしてもいいんだな?好きにやっていいんだな?やったぜ。
はよう屑まみれになろうぜ。
1.人生は博打であり、自らの都合で子供を作ることは、子供が博打に失敗し不幸になる恐れを無視している、あるいは考えてないという客観的事実と
2.それに対して、(そんなことをする奴は)馬鹿、鬼畜なという価値判断が書かれています
そもそも、ロジック(論理)の話はしていません。
>リスクとリターンは表裏一体であって、どちらかだけをクローズアップすることに意味はない。リターンの話しかしない人は不公正かも知れないが、リスクの話しかしない人もそれと同じ程度には不公正だ。
そもそも博打である人生に強制的に子供を巻き込むことを非難しているのです。リスク、リターン以前の問題です。本人の了承も得ずに博打をさせ、リスクはあるがリターンもあるなどという方が不公正でしょう
>勿論、私は自分の子供たちから様々なものをもらっている。仕事に対するモチベーションであるとか、笑顔を見たときのMP回復であるとか、遊んだときの運動不足解消であるとか、諸々
この部分は、すべて自分の都合、利益です。都合、利益は金銭のことに限定して述べられているわけではありません。そして、元記事は自分の都合のために産むという行為を非難しているのです
最後の文には殊勝なことが書かれていますが、いくらあなた方が奮闘しようが、子供が不幸になる恐れはあります。これは客観的事実です。繰り返しになりますが、不幸になる恐れがあるのに、自分の都合で子供を産むということを元記事は非難しているのです
責任取れないのに産む親が大半だとは思うけどさ
クローズアップ?
人生 幸50%不幸50%とでも思ってるの??
すごい憎悪だなあ←所詮この程度にしか思ってないやつの論だな
また、コメントに「取引としては十分」とあったが親は子供の同意を得ることができないため取引としては成立しない。
最後に、出生主義者は反出主義を極論だとして非難する節があるが、極論だからといってこの主張が間違っているということにはならない。私には反出生主義の非の打ち所を見つけることが出来ない為、苦し紛れの反論を繰り出しているように見える。反出生主義とは僻みでも厨二病でもなく、普通に生きてきた人であってもこの理不尽な世を見渡せば、自然と思想として身につくものである。
自分はたしかに親から生まれてきたけども、こんなに深刻に人生を考えたこととかないわwwww
それと一緒で子どもはなんにも考えずに生まれてくるし人生を歩んでくでしょ
親の目線になった気であれこれ書きすぎ。子どもはそんなに利口じゃないし思慮深くもねーわ。
こんな話も出てこない。
俺は怖くて、両親に「何故産んだのか?」なんて聞けないけど、もし元記事に書いてあるようなことで散々悩み抜いた末、彼等なりに答えを導き出していて、その答えに俺自身も納得できたら、なんていうか満たされると思う。
地球にも寿命があるからだ
そんな地球の長い歴史の中で1万年程度のわれわれ人類の歴史は、ほんのチリほどでしかない
生命を繋ぐ根本的な目的の欠如の中での自己満足的行為の結果による苦の連鎖を大多数が論理的に否定できない人類レベルの低さ
死の強要でしょう。
3人も殺したというエゴの塊を自慢したいのかなあ。
で?
それで幸せになれなかったら、不幸になったらどうすんの?どう責任とんの?責任とれんの?
とれるわけねーよな。
反出生主義からの意見でぇす
議題に取りつかれてる視野の狭さってのもある
議論する場だから白黒はつけられないし
今後解決することもないだろうし
やりたいようにやれよ ってだけの話よねこれ
ぼく頭がお花畑なんでわっかんなーい
もう何十年前から脳の思考がとまってらっしゃるのでしょうか。
あなたは確実に、3人の人間を殺した、罪があります。
快楽におぼれたのか、無分別だったのか、著しい、想像力や知性の欠如ですね。
あなたは、何の断りもなく、他人に生老病死の苦痛を強いているわけです。
人生というものを少しは考えてみてください。勉学の教養、労働の教養。少しは、いやにおもったことはあるはず。自分がいやなものをあなたは他人に押し付けた上で、そのうしろめたさからうそぶいているのです。
うまれたときは、1円もありませんよね。火葬してもらうだけで最低5万円。その間、税金を支払いつづ得ないといけない。
そんな罰ゲームに他人を巻き込んでいて、よくもぬけぬけと、と思われますよ。
ガンガン人口減らして、早く人類を滅亡させよう!!
理屈ばっかりたって、自分の快楽ばっかりおいかけて、周りのことを想像する力がなくって、苦痛ばかり拡散するやつ。
Posted by at 2013年07月03日 10:25
↑
命をクジ引きの当たり外れのように扱う輩乙
死が怖い、苦痛を避けたいという防衛本能で仕方なく生きている人間がどれほどいるか
ここで反出生主義者を「モテナイ」「無職」と貶める輩たちこそ
子供が何等かの精神的な理由によって無職になったり、
ゆくゆくは反出生主義に感化されるようなことがあれば 虐 待 す る ん で す よ ね ?
多様性を認められないから、子供が自分の思い通りの人間に育たなければ
虐 待 す る ん で す よ ね?
反出生主義は倫理の最高到達地点であり真理です
反論する輩は全員、ヒトの命を平等に扱わない合理主義者と見做します
しません
人の内面を勝手にレッテル貼りしてる時点で議論の価値なし
結局ただのエゴだろ、それくらいは認めろよ
で、開き直ってそれの何が悪いと発狂するところ
までがテンプレwww
例えば、不細工でひどい目に合ってたら、「産みたい」なんて思わないし。そういう人の目を通したら悪に見えるよ。
逆に、それなりに青春とかしてたら産みたいと思うんじゃないの。
自分は不細工で、虐めで精神変になったから、もし自分のような人生を子供に経験させると考えたら、嫌だもの。
努力で外見は変わって、それなりにモテても、おかしくなった心は変わらないし、やっぱり人が怖くて嫌いだから。
きっとわからないよ。自分が戦争の飢えを知らないように、経験者にしかわからない。
たまに、他人の経験をわかったようなフリするけど、自分の経験がやっぱり全てだもの。
子供が欲しい人って、自分が好きであるかどうかな気がする。努力とかではなくて、それ以前の。
そりゃ「生きててよかった」と思うことがあるけど、割に合わない気がするの。
楽しいことばっかりじゃないよ。って言うのもわかる。嫌なことを克服することによる達成感とかもわかる。
結婚とかできるリア充気質な人って、産まれながらにそういうのを持ってる気がする。
自分の母親はリア充タイプだったから、「人が怖くなってレジに並べなくなる感覚」が、伝わらなかったな。
「子供が欲しい」って言う感覚が羨ましい。そういう自己肯定感が羨ましい、ホントに羨ましい。
「誰かを好きになる」とか「子供が欲しい」とかって、難しい理屈も無く、本能なのでしょうね。そういう感覚が羨ましい。精一杯人間してる。
博打って表現は、わかるな。
勝った側は「たまに負けるけど儲かるよ」って博打を薦めるだろうし、負けた側は「やめとけ、懲り懲りだよ」って止めるだろうから。
幸せを勝ちとったときの快感は気持ちいだろうなー。
リスクを負ってでも子供に味あわせてあげたい、分かち合いたいと思うよね。
もしお子さんが悩んでたら、しっかり悩みを聞いてあげてくださいね。
生まれなければ、そもそも子供が自ら死のうとしなくてすむんだよ。
「無責任に」産むのがエゴじゃないかってことでしょう。
自分が、「子供が欲しい」。「幸せな家庭を望んでる」から、「両親に孫見せたい」全部エゴじゃないのかと思います。
子育てとは償いのじゃないのかと思う。
一般庶民というのは金持ちのために働く奴隷でしかない。
一般庶民に幸福があると思ったら大間違いだ。
この世界は一般庶民の幸福のためにあるのではない。
娯楽は一般庶民の一時的な現実逃避のために存在するのであり、
その目的は一般庶民に辛い労働を続けるためのやる気を削がない為にある。
そして子供を産み育てるのが当然と洗脳されている一般庶民は子供を作り育てる。
しかし、その子供の末路は親と同じ奴隷なのである。
子供が社会に適応できない場合(子供が奴隷として適した行動をとらない場合)
親は子供を叱り、奴隷になれるように洗脳する。
このようにして世の中は金持ちの為に成り立っているのである。
この秘密は金持ちが集まる秘密結社から聞いたものだ。
それは、しょうがないですね。Blogを拝見しましたが、おこさまが、自発的に幸せと言っておられる根拠はなにひとつないですよね。
仮にそうでも、人生のメカニズムに気づいたら、いつまでいえるのか。
生まれてくる前の世界は幸福に満ちた楽園だった、って記憶でも持ってるんだろうか?
生まれてきた⇒幸福を望んだばっかりに世の中に絶望させられる
わかるか?幸福を知らなきゃ絶望もなかったんだ。何も感じずに何もなくて良かったんだ。
それを上げて落として!って子供はやられたんだよ。
せめて毒親殺しを社会が称賛しろ賛美しろ。それなら生まれてきた意味があるってもんだ。その後優しい里親に引き取られて相互に幸せになれる。
毒親から生まれたことは仕方ないとしても、その代り子供が望んだら毒親を殺すことを合法化しろ。負の連鎖は毒親一世代で止めろ
親は子どもが楽しいことを経験することを願って生むわけです。
半出生主義はその「苦しいこと」にばかり目を向けている、ということでしょう?
実はそこが本質なわけではないのです。
半出生主義の本質は「出生の強制性」です。
例えば楽しいゲームがあったとしましょう。人にそれを強制しますか?
いくら「この子に楽しいことを経験させてやろう、その間に経験することには価値があり、意味があることだ」
と思っても、それを強制するのは悪いことではないでしょうか?
そんなにみんながみんな無欲で他人に迷惑かけずエゴも通さず生きていけるのかよ
やめなかった個人の集合が、
その時代における「人間」である、
というだけなのだから。
人間が集団生活する中で、好きなようにやられちゃ困ることはルール化する(されている)でしょう。
でも出産については、親のエゴで毎日子供が産まれてきてるわけで、反出生主義の人が望むようなルールはない。 なぜでしょうね?
反出生主義の人はどういう社会にしたいんだろう?
しらねえ だれかなんとかしろ ってこと?
こうしたいって意見はこれくらい↓
"子供が望んだら毒親を殺すことを合法化"
どうやって実現するんつもりだろ?
そんなにみんながみんな無欲で他人に迷惑かけずエゴも通さず生きていけるのかよ
あいつがやってるから俺もやっていいじゃんって類の小学生並みの理論ですね
まああなたが子供に生を強制することが正しいという倫理観を持っている方であるなら納得できる意見ですが
こなし=独身組=童貞処女=非リア充=負け組←子供時代はいじめられっ子、被虐待児、毒親育ち
当たり前の論理じゃね?
理屈はあってたとしても実用性がない
だから どうしたいの?どうするの?と
「生まれてこなければ不幸じゃなかった!」って言ってれば
誰かがいい具合になんとかしてくれるとか期待してるの?
世の中基本残酷だよ。自分で変えなきゃなんにも変わんない。
>反出生主義は倫理の最高到達地点
ワロタ 子供のときにみんな思いつくことでしょ。スタート地点です。
じゃあどうしていくか?を考えない限り・・・以下略)
っと、やさぐれてみた。
なぜ大半の人は人を殺さないか?
それは法律で禁止されているからだ
大半の人は罰を受けたくない。だから殺さない
その程度のものだよ
そして、人を殺すことに比べ、子を産むことを控えるインセンティブはない
自分の利益が最大化するようみんな生きてる。いわばエゴ。
エゴがあるから競争するし社会は発展する。
「他人のために頑張る人だっている」とか言うかもしれないが、
それは"自分"の視点をどこに置くか の違い。
個人、家族・友人、所属組織、国、人類、地球
人間成長するとだんだん大きい視点で"自分"を持てるようになる。
エゴが暴走しないように集団社会では全体最適でルール化がされている。憲法、法律、さらに言えば小学校で習う「周りに迷惑をかけないようにしよう」みたいな道徳もその一つ。
エゴがダメとか言ってる人はルールだから で思考停止して何故そうなのかを考えてない。
で結局、子供生むのが気にいらねぇっ(親のエゴが暴走してる) っていうなら、どういうルールを付け加えたいの?となる。
そんなに熱心に語りたいことがあるのなら自分でブログ始めろよ。
冷や水ぶっかける人もいたもんだ。
反論書こうとしてる人が書けなくなっちゃうじゃん。
半出生手技射が散々ここで吠えてたのは棚上げしてるの。
それともあなたが反論を書こうとしてるの?
人間自体が欠陥だらけだけどね。
理性を持つ人間なら理解できるはずさ
この真理を必死に感情で否定するからまともに反論出来ないんだよ
それに産むのが自由ってのはあくまで、わからず屋に対して「それでもいいなら産めば?」だからな
自己都合を他者に強制する自由というものが、どういうことかわかるか?
これは産む自由=殺す自由=犯す自由、全てのあらゆる自由と同義だということを理解しろ
この真理を必死に感情で否定するからまともに反論出来ないんだよ
人生なんてそんなもんだし、そこに強制エントリさせてるのも分かっている。そこは否定してないし、反論してない。
なにか大発見したと思ってるみたいだが、子供のころにみんな気づくこと。当たり前のこと。
>これは産む自由=殺す自由=犯す自由、全てのあらゆる自由と同義だということを理解しろ
その通り、世の中残酷なくらい自由です。それがまず基本。みんな自己都合を他者に強制して生きてる。
もしかして誰かがやさしくしてくれるのが当たり前とか思ってるの?自分は人畜無害だとでも思ってるの?
で、集団生活する上で、殺す犯すは自由にされると困るから制限がかかってるね。でも産むのには制限がかかってないね。人生に強制エントリさせてるのは分かってるのになんでだろうね?じゃあどうすればいいんだろうね?どうするつもりなの?なにがしたいの?
@なにがなんでも絶対ダメ → 小学校の道徳で思考停止しちゃったカンジ?
Aいい場合もあるが産むことに関してはダメ → どんな利害を天秤にかけてそういってるの?
反反出生: ギャンブルに子供を強制エントリーさせている → 利害を考慮した結果、仕方ないと思います。
ってところか
でも誰に言ってるんだろう?あなたのお母さんに言ってねって思うけど。
産まれた子供が被害者なことに変わりはねぇんだよ
この完璧な理論を論破してみろよ
それでも我々は産まれたし産みます
以上
1)日々生まれてくる子供たち(つまり社会問題と捉えている)
2)反出生主義のひと(あなた自信)
1)だったら議論する価値もあるが、 2)だったら個人的な恨み(グチ)なんでママにでも言ってねってこと。
で反出生主義の主張の中身を見ていく
---産むことがダメな理由---
【人生は必ず幸せになれるわけではない、その人生を親の都合で子供に強要するのはダメだから!】
⇒幼稚w 前半は当たり前のこと。ここ反論してみろとかw。後半は自分目線だけ、なぜ現状産むことに制限がないか考えられてない。ダメだからでそれ以上掘り下げて考えられていない。強要はダメと小学校で習ったから のレベル。
---現状をどう変えるのか---
【毒親殺しを社会が称賛しろ賛美しろ。その後優しい里親に引き取られて相互に幸せになれる。】
⇒頭の中お花畑なの?人殺しを養子にしたい里親ってどんな人?社会が親殺しを認めるデメリットはどう考えてるんですか?
ようは自分中心の近視眼的な視点でしか考えられていない。
反出生主義とか言うと、世の中のことを考えてるようにも取れるが、実際の中身はあきれるくらい自分の愚痴。そして他力本願。
結局「俺は可哀想だから優しくしろ」って言ってるのと変わらない。アホらし。
というわけで、
反出生主義の主張は個人的なグチなので被害者ヅラはあなたのママにしようね。
ママ以外の人には被害者ヅラせず、「ボク可哀想なんでやさしくしてください」とお願いしようね。
あなたの理屈でいうと人類皆被害者だから、被害者にグチ言って突っかかるのはスジ違いでしょ。
「作る = 破壊行為」という滅茶苦茶な飛躍を前提にするんだったら、そりゃ反論の余地はないわ。そもそもその前提が極端すぎて成立してないんだよ。
反出生主義さんは「つくる(産む)=ギャンブル強制」。それでいいのですか?と言ってます。
それに対して前半部分に争点はない、後半部分に意見の相違があると整理されてきたと私は見ていました。
上記を踏まえずに最初の解釈だけ主張されるので、ふりだしに戻したと言われるのではないでしょうか?主張を読まずに、このような振り出し戻しは双方に失礼かと思いますよ。
これが反出生の主張の全てを表してる。
何がしたいのか、どうなってほしいのかを言わず、ただただ言いたいことを言うだけ。
すごく幼稚だけどw
相手の主張は読まないで言いたいこと言うだけ。
内容はちゃぶ台返しか既出意見のオウム返し。そもそもさんは何がしたいのかね?
んでも親がいない人はこの世に存在しないわけで。
だから全員”人の子”の立場で議論すればいんじゃね。(仮想)親 vs 子供(被害者?)で議論したってこの構図だとギャンブル強制参加させやがってって子供は言うだけ(ホントこどもだなw)。
議論するなら全員ギャンブル強制された子供の立場で。不満言いたいだけなら自分の親にどうぞ
子供産むなとまでは言わないけど、子供作るのに資格制度は作るべきだとは思う
容姿は数値化できるものじゃないから無理としても、年収や子供にかけてあげられるだけの十分な貯蓄や最低限の学歴なんかを定義して
その基準に満たない親は逮捕されて、子は施設に行かせるって方が良いとは思う
子供作る理由なんて、世間体や自分の人生に意味を持たせるためという本位を隠して、無理矢理正当化させただけに過ぎんだろうし
貧乏だったり容姿に恵まれてないのに子供作る奴なんて、子供作れば世間に一人前として見られるってのを免罪符に好き勝手言ってるだけだ
なんでそう思うのかすんごく不思議。さんざん言われてるように誰でも子供のころに思いつくこと。つまりこれまで人類の長い歴史の中でみんな思いついてきたこと。禿げしーーーく既出なの。それだったらとっくの昔に人類なくなってるでしょ。これまでと何が違うの?なにか状況が変わったの?僕が今思いついたからってだけでしょ。
>容姿は数値化できるものじゃないから無理としても、年収や子供にかけてあげられるだけの十分な貯蓄や最低限の学歴なんかを定義して
容姿?平安美人は今も美人か? 年収?貯蓄?学歴?なに言ってるの?戦争起きたらそんなもん吹っ飛ぶ。(黒船来たらでもいいが)
今の価値基準で最適化したらそれがひっくり帰ったときどうするんだろね。今は弱者だ無駄だと思われている人だって状況が変われば必要になるときはくる。だからその遺伝子を絶つなんてナンセンス。長い目で見れば進歩の過程には多様性が必要。ものすごく外的要因に か弱い社会を作りたいならそれでいいが。
面白い価値観だなー。子供いるだけで一人前と認められるコミュニティが存在するのかー。ふーん。まあ親のエゴである部分は否定しないけどー。自分の人生に意味?ふーん。
今生きている人間全員いずれ崩壊した世界の中で野垂れ死に、人類滅亡って話になっちゃうわけなんだけど
社会の恩恵どっぷり被って生きながら反出生言ってる人ってそのへん自覚したうえで主張してんのかな
俺は別に人類滅んでもいい? 頼んでもいないのに恩を着せるな?
耳を貸さない馬鹿が勝手に子供作って社会の存続を押し付けてるだけ?
敵がいないと自分も生きていけなくなるけど、どうせ敵はいなくならないからそうなる覚悟試される機会なんて訪れないし、
永遠に好き放題叩き続けられる!!
いやあ実にお気楽な主張ですねー^^
子供作るなと言ってるんじゃなくて子供作ることの罪を自覚しろと言ってるだけ?
特に目指している目標があるわけでもないけど親に説教はしたいし、
そのせいで無用なストレスかけようが足を引っ張ろうが、自分は知ったことじゃございません!!
もっとお気楽な主張ですねーーー^^^^^^
今生きている人間全員いずれ崩壊した世界の中で野垂れ死に、人類滅亡って話になっちゃうわけなんだけど
社会の恩恵どっぷり被って生きながら反出生言ってる人ってそのへん自覚したうえで主張してんのかな
ここまではいいね。ホンと自覚してるのかなって思う。
でも1手遅かった。子供作るのに資格制度を作って云々すでに言われている。
つまり選ばれた人間だけを残していくから人類滅亡にはならない。と思ってる。
その方法が稚拙でなーんも考えられてないけど。
でここ以下の文章は憶測の上に憶測を積み重ねちゃってるし意味が分からない。
まあ落ち着けって感じ。実際に述べられていることを元に話しないとまた
『必死に感情で否定するからまともな反論できないんだよ』となって逆戻り。
資格制度を作って云々については四つぐらい上のコメントの内容だけで十分な反論になってると思うし、
そもそもこれについては反出生の主張ではないと思うので、あんまり深入りする必要を感じない。
その代わり、反出生の主張に対して徹底的に反論する。
「人生というギャンブルへの参加を子供という他人へ同意なしに強制するのが出生だ」
シンプルかつキャッチーで、一見きわめてロジカルに見える反出生の常套句。
第一に。
人生をギャンブルに例えると、あたかも「1回/1セット限りの」ギャンブルに見える。その前提で物を言う人間が沢山いる。
最終的な「結果」を、単純にそれまでの勝ち負け(損得)の額面の足し引きで決めて、評価することができるようにも見える。
そうではないということをまず確認しなければならない。
1回/1セット限りのギャンブルの場合、単純な勝ち負けの足し引きで得られた最終的な利益/損失の総額が同じなら、
その過程でどんな勝ち方・負け方をしようが結果の評価には全く違いがない。
人生をギャンブルに例えるってことは損を不幸に、得を幸福に置き換えてるわけだけど。
人生全体を一つのまとまりとして見て、単純な足し引きで「あいつは幸福だった/不幸だった」と評価を下すことって、
できるの? できるわけねえだろ。できた気になってるのだとしたら単純化しすぎだ。
ずっと主観的に幸せに生きてきたけどある日突然事故に遭って苦しんで死ぬ人もいるし、ひたすら耐える日々がウン十年も続いて生きてきたけど晩年は落ち着いてて、それなりの満足感抱きながら死にました、って人もいる。
どっちが幸福/不幸だったか、それぞれどのくらい幸福/不幸だったか足し引きで判定できますか? っていう。
人生って過程そのものであって、足し引きした「結果」の評価なんてしようがない。「結果」自体が存在しないと言ってもいい。
元増田は最初こそ人生とは博打を「絶えず打ち続ける」ことだって言ってたけど、
いつの間にか「人生=リスクの大きなギャンブル」という非常に誤解を招きやすい結論を提示しちゃってる。
「絶えず(賭ける財物の種類がそれぞれ異なる)ギャンブルを打ち続けること」も、広義の「ギャンブル」には入るのかもしれん。
その意味で「嘘は」言ってない。でも「人生とはギャンブルだ」と言った時に真っ先に想起される、
典型的な「ギャンブル」のイメージと人生とでは、対応に齟齬をきたす点が非常に多い。
元の論題と例えが完全に対応しないこと自体は普通だが、この齟齬は出生を検討する上で無視できる類のものではない。
反出生は人生をギャンブルに例えることで、あたかも人生全体を一つのまとまりとして「結果」の評価ができるように言う。
子供がギャンブルに「負ける」=結果が「不幸」だったとして、その責任は出生により根本原因を作った親にあると主張する。
でも「幸福」「不幸」って、あくまで生きている(生きていた)人間のある一時期・あるいは一要素を切り取った上で、
その時その時の状態を指して形容する言葉(概念)でしかないし、それ以外のものに無理やり当て嵌めるのは欺瞞。
人生という過程の中で生まれた様々な幸福や不幸について、それぞれ個別に責任を誰か(自分含む)に帰すのが正しい。
だがこの個別の「幸福」「不幸」の切り取り方が大雑把に、大きな切り方になればなるほど言いがかりに近付く。
なんでそうなるかと言えば、理不尽の責任を「遠く」の原因に求め始めると、誰も誰を責めることもできなくなるから。
俺がそのへん歩いてる奴をいきなり襲って大怪我をさせたとして、そいつの親がそいつを産まなければ、
そいつは不幸にならなかったので、そいつの親が一番悪い。傷害罪でブチ込まれて俺が不幸になったら俺の親が悪い。
怪我した奴は俺に文句を言ってくるだろうが、本当に悪いのは俺じゃなくて奴の親なので奴は自分の親に文句を言うべき。
俺が不幸という状態にいる(いた)のは、親が俺に人生を押し付けたことがそもそもの原因。俺は悪くない。
しかしそもそも親が俺を産んだのは、祖父母が親に人生を押し付けたことがそもそもの原因。親は悪くない。
以下無限ループ。子子孫孫に至るまで不幸というリスクと行動の可能性を押し付けた祖先が一番悪い。みんな悪くない。
やってられるか。
こんなことにならないために、自由意志に基づく行動とその結果に対しては原則として「本人のせい」にしないといけない。
その代わり、「本人のせい」の及ぶ範囲を必要以上に拡大しない。出来事の「近く」で話を完結させる。
そうじゃないと、誰も何もできなくなる。ポケモンが流行ったことでいじめや骨折事故や窒息事故が起きた。
じゃあ、それなのにポケモンというコンテンツを続けてる開発者は、そのような今後も起こりうる悲劇を容認している鬼畜か?
そういう問いの立て方には何の意味もないだろうがよ。
反出生主義者って四六時中内輪で楽しそうに盛り上がってるサブカルインテリ独身男性も多い印象があるけど、
自分たちがどういう論理に立脚した主張してんのか分かってるのかな。あれでよく文化人気取ってられる。
お前らが大嫌いな表現規制に容易に転用しうる(というか既に近い論理が使われている)ロジックなんだよ。
にも関わらず、人生という「過程」をギャンブルに見立ててミスリードした上で、そこで生じたあらゆる不幸は親が悪いとする。
本人たちは自分が常識を疑わぬ大多数と違って物事をよく考えてると思ってるし、世の中の本質を突いた気になってるが、
実際には自由意志と責任追及の原理を親に対して「だけ」恣意的に厳しく適用しただけだ。
そんな陳腐な根拠しかないくせに、なんの落ち度もない大勢の親へ自信満々に人格攻撃をして何とも思っていない。
むしろ正義と論理的思考の体現者を気取っている。自分たちの主張が本当に認められたら人類が滅ぶことさえ気付かない。
最低だよ。
反出生主義者は、世の中のありとあらゆる意見集団の中でも最低最悪の連中だ。
まだ言いたいことあるけどとりあえず。
上の方のコメントで既にそれとなく指摘されてるし。
なんでも親のせいにしたら社会が成立しないだろ。
すげえ理論と思ってるみたいだけど半出生ってわかってないよね。
人のせいにしだすとキリがない。
反出生主義者は頭が悪い。
ほぼ同じだった……
またギャンブルかどうかは彼らの本質ではないのではないでしょうか?
『苦労のない人生はない。その人生に強制参加させられた被害者』と言うでしょうから、ここを掘り下げてもあまり意味がないと思います。
そういう考えもありますね(賛成もしないですが)とした上で、ではどうするのか?を議論したほうが有用に思います。突き詰めると人類滅亡とおっしゃられていることですし。
実務派からの意見でした。
反出生主義者の主張って、雑にまとめれば「親がひどい」と「子がかわいそう」の二つの次元の話がセットになってるわけね。
「親がひどい」側の主張は上に書いたことで否定した。「子がかわいそう」側の主張をまだ否定しきってないのは確かにそう。
でも、「子がかわいそう」側の主張も論理的に全否定可能です。つか上のコメで僕以外の人が既にある程度指摘してます。
人生がギャンブルかどうかが、あっちの主張の本質に「それほど」近くないのも確かです。
でもギャンブルに例えることで論点の見落としが沢山生じてるのも確かなので、そこをまず確認しました。
ではどうするのか? については、
「現状の価値観体系を維持した上で、現実に生じている個別の文脈に応じて対応する」が答えです。概ね現状維持。
結論から言えば、出生が「参加の強制」なのは事実です。
でも「強制参加させられた」ということ「だけ」で被害者だということには絶対になりません。
そもそも何も「書いてない」に等しいのが反出生の主張なのでなんとも・・・。
強制されてすることは本人の「自由な自己決定」によるものではなく「不当な侵害」になるから、が答えなわけだけど。
じゃあ、他人の「自由な自己決定」ないし「自由意志」を尊重しなければならない理由ってそもそも何? っていう。
結局のところ、自由な自己決定の尊重って、「本人の幸福(な状態)を実現する上での一要素」でしかないんだよね。
それが(ほぼ)留保なしに適用されてしかるべきなのは、成熟した自由意志を備えた(とされる)大人に対してだけ。
成熟した自由意志を備えた(とされる)大人の「自由な自己決定」を尊重するのは、それが本人に最大の幸福をもたらすから。
(大人になる前、という意味での)子供に対しては思考停止で完全適用できるものではないし、
実際どこまでいっても段階的にしか適用されない。自由意志は最初から無条件に想定されるものでも不変のものでもない。
同意なしに強制されるのが嫌なのは子供だって同じだけど、だからといってあらゆる場面で本人の意思を認めてたら、
今はいいけど将来かえって幸福から遠ざかる。だから全面的には認めない。そのぐらい「自由」の価値って相対的なもの。
たとえば子供の教育の上で、本人の同意を得ない(or得ることができない)強制というのは避けて通れない。
本人が明確に拒否を示していても(リスクを)強制しなければならないことだってあるし、拒否を尊重すべき場合もある。
強制を伴う綱引きは親に限った話ではなく、子供の教育や養育に関わる周囲の人(教師など)もしなければならなくなること。
綱引きが色んな要因で失敗して子供が不幸になる(大人になる前、なった後を問わず)こともごく普通にある。
別にそうしなくても困らないけど、赤ん坊を同意なしに車に乗せて、自動車事故というリスクが「存在する」ドライブに連れてく。
本人が明確に嫌がっている(この嫌がり方次第で具体的に天秤にかけて考える必要はある)授業への参加を強制する。
その結果、勉強が嫌になる可能性はある。不幸になるリスクの押し付けも、単純な自己都合への巻き込みも普通にある。
それら親や教師の行動を、同意を得ぬ強制・あらゆるリスクの押し付けだという理由「だけ」で否定できますか? と。
教育に関わる人へ過大な責任を負わせるべきでも、失敗したら無条件に責めるべきでも、教育自体を放棄すべきでもない。
独身男性の反出生はそういう構造の存在に全く想像力が回らない。自分だけは「手を汚さず」いられると思ってんだろうけど。
ただ、「自由に自己決定ができること」が本人の幸福において占めるウェイトは、大人になるにつれて増してくる。
自由意志が成熟していくにつれて自由な自己決定の価値は増していき、最終的には(原則)不可侵ですねという話になる。
でも、本人の幸福実現の一要素でしかなく、生まれた子供に対してさえ完全適用されない「自由な自己決定の尊重」を、
生まれる前の、そもそも自由意志を全く持たない「まだこの世に存在していない架空の子供」に対して適用する意味って、
何? なんで参加を強制しちゃいけないの? そもそも「参加の強制」か「不参加の強制」の二択でしかないんだよ?
「自由な自己決定の尊重」は幸福と全く別に独立した価値を認められるものでもなんでもないし、幸福の一部に過ぎないよ?
「まだこの世に存在しておらず、自由意志も持たない人間」の「自由な自己決定」を尊重すべきとする根拠って、なんなの?
「生まれる前の子供」と、成熟した自由意志を備えた(ということになっている)あなたは、同様に扱うべき存在ではないよ?
不幸になるリスクのある行動を強制させられたということ「だけ」をもって被害者と見做すと、わけわからんことになるのよね。
反出生は「自由な自己決定の尊重」になんか幸福や不幸とは全く独立した絶対の価値があるかのように思ってるんだけど、
どんな信仰なの? っていう。ニヒリズムのように見えて、実際には自分の信仰に無自覚なだけの不寛容なロマンチシズム。
彼らは何が「幸福」で何が「不幸」なのかという議論には立ち入らずに論理を組み立てたような気になってるけど、
思いっきり立ち入ってるんだよね、自由な自己決定の尊重「だけ」になぜか固有の価値を見出してる時点で。
あんたらが被害者意識を抱きながら生きているのだとして、自分の人生がリスク(不幸)の方に偏ってると感じてて、
ママのせいだと思うなら、現実に生じてる固有の文脈に沿った不幸の根拠をそれぞれ個別に挙げてママを責めればいい。
その限りでは被害者として振る舞うことに正当性が生まれるし、場合によっちゃ社会に制裁を求めるのも許容されうる。
でも、人生全体を一つに括りつつ、「生まれたこと」そのものをもって被害者ヅラするのは、ただのアホだよねって話。
さらに言えば、親の(子が自立するまでの人生を引き受け、幸福を期待して産んだ分の責任を越える)自由意志の行動が、
人生の中で訪れた幸福の「近い」原因だった場合、それは素直に感謝するのが望ましいよね(感謝「すべき」ではない)。
それとは別の不幸について「近い」原因を作ったのが親なら、その件について別個に責めることが否定されるわけでもない。
物事の固有の文脈や具体的な評価に立ち入らずに、リスク/リターン(不幸/幸福)を論じたふりをするのは欺瞞でしかない。
あと「出生は死の強制」についても同じような話。始まった人生には必ず終わりがあるとして、で? っていう。
幸福や不幸と「死」を分けて考えてて、しかも自殺を積極的に肯定してて、なんで「死」にマイナスの意味づけをしてるの?
死に伴う苦痛も、未知の状態への不安も、それは全部「不幸」(のリスク)に入るものじゃないの?
無敵の論理だと称するわりに、上記の「強制によらない自由な自己決定」信仰含め、ちょっと感覚的すぎじゃありません?
まとめ。反出生主義者の主張がおかしい最大の理由二つは、
・因果関係の区切り方がダブスタ丸出し
・自由な自己決定の価値をなぜか絶対視している
以上。まともな想像力かバランス感覚があれば、普通はこんな主張で他人を攻撃したりしない。
一応断っておくと僕も独身男性で、だからこそ怒ってました。たぶんもう二度と書き込みません。
感情に任せるあまり長ったらしく書きすぎたこと、攻撃的になりすぎたこと、言いすぎたこと、空気悪くしたこと、
これらは確かなので、謝ります。すみませんでした。
私は、反出生主義が、親を親だという理由「だけ」で無条件に鬼畜扱いすることと、
子が子であるという理由「だけ」で無条件に被害者扱いするのを否定しているのであって、
現実に具体的な不幸が生じている場合について、固有の文脈に沿って子供を被害者扱いすることを何ら否定してません。
というか、反出生の立場に立たないならどういうロジックで毒親の責任が肯定されるか、とっくのとうに書いてます。
クソ長いからって読まないのは勝手ですが、中途半端に読んで反論になってない反論をぶつけてくるのはやめてください。
「強制はダメ」信仰に逃げたり、漠然とした被害者意識の繰り返しで話を混ぜっ返したりするのは反論ではありません。
というか、あなたは今DQNや毒親の下で子供が絶望的な環境に置かれた状況に自ら話を限定しているわけですが、
そうじゃない親子関係なら別に構わないよってことなんですか?
だとしたらあなたが主張しようとしてるのは反出生主義じゃないし、最初からそう言ってください。
おしまい。
ちゃんとした反論が来ない限りは、今度こそもう二度と書き込まないと思います。
結局駄々です。
嫌だ嫌だと言って、対案が無い。もしくは対案に現実性がない。
全体主義。マジョリティ。社会の発展のために出生すべきと考える。子供は強制的に競い合うことになり人類は発展していく。それにより生じた問題は個別に対処していく。当然負けた側の不満は常に存在するためコントロールが必要となる。
反出生主義の駄々
個人主義。マイノリティ。社会の発展なんか知ったことではない。競い合うことを強要された子供は被害者。この世におきる問題はすべて生まれなければ起きないと短絡的に考える。だから出生反対。発展しない社会ではマイノリティにしわ寄せが真っ先に来る(自分が困る)ことまで思考は及んでいない。愚痴を言ってれば誰か解決してくれると思っている(自覚はない)。
あたまおかしいんですか?
あたまおかしいんですか?
自分は半出生主義寄りでしたが、この記事を読んで見つめなおすことが出来、少し揺らぎました。
その中で二点気になったことがあったので書いてみたいと思います。
まず一点目としてこの記事に以下の文章があります。
>親は、子供にとっての「リターン」をなるべく大きくする為に、精一杯努力する義務と責任がある。それは確かだし、その義務を放棄している親がいたとすれば、その親は非難に値する。
>私は、子供が不幸な目にあったら、多分凄く苦しむと思う。だから、子供がなるべく幸福になれるよう全力を尽くす。
とあり、これらは子育てにおいてとても良い心構えだと思いました。
義務や責任といった言葉は物事がうまく行っているときのための言葉というよりは、物事がうまく行かなくなったときの言葉であると思っています。
このお話の場合うまく行かなくなった場合というのは、「子供のための努力なんてやーめた」といって放棄してしまった場合のことだと思いますが、もしそうなったときにその責任は誰がとるか、もしくは誰が追及する必要があるのか、またどのようなことをして責任を果たしたものとするのか。
このあたりの点をどのようにお考えなのかが気になりました。
もしそのようなものがないとなると、マニフェストと政治責任の関係に似たものになってしまうのではないかと思いました。
二点目は微々たることなのですが、元のお話を「創作行為」に例えて作る側、使う側からのものの意味や価値を論じている部分がありますが、元の記事では作られる側、使われる側が感じる意味や価値について論じているという主体の相違に違和感を感じました。
周囲にとっての価値や意味を感じさせる人が、必ずしも周囲と同じくらい自分にとっての価値や意味を感じているとは限らないと思います。
この二点ついて気になったので投稿してみました。
スーパーマリオよりボリュームありますね。
すごいですね(適当な感想)
生まれてくる側は自分で選べることが何1つない
何もかもが押し付けそれで社会を生きなければならない
そんな状態に不満を持たない者がいますか
出生主義者は自分が満足することしか考えられないんですか
あなたは自分が満足することを考えないんですか?
他人が不満を持つことを自己の満足より重要視して身を引くのですね?
ご立派な考えですが人は皆そうではないしそうあるべきでもありません
くだらね
こんなところで相手が負けを認めるまで延々持論垂れ流してるのも相当な自己満足だよねー
そもそも君は誰かに相手をしてもらえているのかな
いろんな人がいるなーで済ませらんなのかね
普段そういうこと言ってる人ほど、いざとなったら全てを捨てて自分だけ助かろうと見苦しい真似するんだよな
不 毛
確かに仰る通りですが、子供のリターンを大きくする努力をすれば、リスクを与えたことが許される、というような論調には賛同できません。
この世に生まれた以上、程度の差はあれ、子供が何らかの不幸を感じることは確実です。たとえどんなにわずかでも、自分たちの都合で、何の責任も無い子供に不幸を与えることは間違いなく鬼畜の所業です。それは、いくら子供に多くの幸せを与えたからと言って許されるものではありません。
幸福を与えることで、不幸を与えたことを帳消しにできる、そんな考え方は明らかに間違っています。
そうなっていたらそもそも人間社会は成立していない
それほど人間社会が嫌なら一人で隅のほうでこっそり生きているべきだ
当たり前の話だが、社会がつぶれて困るのは半出生主義も同じこと。
だから、両者とも、どうすれば利害関係にあるものが利益を最大にのばせるかを長期的視点にたって考えるべき。
そういった視点があれば紆余曲折はあっても必ず落とし所が見つかるものだ。
ところが、半出生主義の「不幸にさせてはいけない」の繰り返ししかしないことを見ても明らかなように、半出生主義には、そうした観点がまったく欠落している。
一見生まれてくる子供のことを考えているようだが、彼らは社会の発展存続にはほとんど関心がなく、自己中心的に周囲に責任転嫁し被害者ヅラをしたいだけに見える。
くだらね
なるほど、つまりあんたは生まれてくる子供にこう言いたい訳だ。
「お前たちはこの世で様々な不幸を感じることになるだろう。病気になるかもしれないし、事故に遭うかもしれない。そして最後には必ず死ぬ。でも我慢してくれ。社会の発展存続のためには、お前たちが必要だから。」
というかあんたは、人間社会のために子供を産むのか?
それも大概狂ってると思うが…
自分たちの幸福のために産んでる奴らのほうがまだ好感が持てる
生まれてこなけりゃ不幸じゃなかったって言ってればだれか解決してくれんの?って言ってんじゃね?
ww んなやついるわけないだろ。
子供が不幸になるから産むのやめろと言ってるから
社会発展継続がなかったら、すでに生まれた不幸な子供はもっと不幸になると言ってんだろ?
社会保障は真っ先に縮小されるわな。
それともすでに親の都合で産まれてきちゃった不幸な子供はどうでもいいってこと?
そこのバランスをどう考えるの?
つまりあんたら(どうせ1つ前も2つ前も4つ前も同一人物だろうとは思うが)が言いたいのは、既に生まれてしまった人の老後の生活のために、新しく人を産むべきだということか?
その子供が産まれたことをどう感じるか考えもせずに?
今生きてる人間たちの老後を支えるために、その子供は人生の苦痛を味わわされるのか?
あんたら言ってることおかしいぞ…
そうやって悪循環を永遠に続けていくつもりかよ
ちゃんとした反論来ない限り二度と書き込まないだろうと言っておいてなんですが、
来る気配が思っていた以上に無いし、珍しく人がいるようなので。
それにしても、
>つまりあんたら(どうせ1つ前も2つ前も4つ前も同一人物だろうとは思うが)が言いたいのは、既に生まれてしまった人の老後の生活のために、新しく人を産むべきだということか?
>今生きてる人間たちの老後を支えるために、その子供は人生の苦痛を味わわされるのか?
次世代がゼロになることでのたれ死ぬのが、「老後」まで生き延びることのできた人間だけだと思ってらっしゃるんですね。
「少子化」レベルでさえこんなことになってるのに、自分自身の生活については当面無事だと思ってらっしゃるんですね。
その程度の見通しと覚悟で、
>そうやって悪循環を永遠に続けていくつもりかよ
などと問題提起してらっしゃるんですね。
リスクの強制だという普遍的事実「だけ」でやってはいけないこと扱いするのがそもそもナンセンスの極み、
自分自身を例外扱いした中途半端な相対化に基づく醜悪なナルシズムの発露でしかないので、
そもそも「社会の発展存続」に拘る必要もないと思いますが、改めて驚いてしまいました。
自分が何を主張してらっしゃるのか、本当に何も考えていないんですね。
あんたら言ってることおかしいぞ…
そうやって悪循環を永遠に続けていくつもりかよ
既に書かれてるけど、老後って。。想像力乏しいな。 昨日今日産まれた罪ない不幸な赤ん坊はどう考えるの?
悪循環続けないためにどうすればいいと思ってるの?おかしいって言ってれば解決すんの?
つまり、、
「子供を産むのが悪?産まなかったら俺たちみんな困るだろ。子供の感情なんて考慮してる余裕ねーんだよ!」
VS
「子供を産むのは倫理的に間違っているんだから産むべきじゃない。人類の未来なんて知ったことか。」
ってことか…
どっちも間違ってはいない気がするな
「人類の未来」と「自分の道徳的規範」、どっちに重きを置くかって話だろ
>昨日今日産まれた罪ない不幸な赤ん坊はどう考えるの?
じゃあ、その罪ない不幸な赤ん坊を救うために、また罪ない不幸な赤ん坊を産むってわけか?それが悪循環だっつってんだろ。
既に生まれてしまった人間たちは困るだろうが、逆に言えば、今生きてる人間たちが苦しめばこれから無限に起こるであろう苦痛は全て消滅するんだよ。
>その程度の見通しと覚悟で、
その程度の見通し?
最悪でも飢えて死ぬくらいのもんだろ?
もし本当に全ての人類が子供を産むことをやめるなら、俺は喜んで死んでやるよ。その程度の覚悟はある。
利害関係をどうやってまとめんの?
もし本当に人類が とか言ってるから他力本願でその程度って言われてるんちゃうの?
他力本願と言われても、他人が子供産むか産まねーかの問題なんだから他力本願するしかねーだろが
そもそも多少なりとも俺の意見を読んで考え改める奴がいるかもしれんからこういうとこに書き込みしてるわけで
喜んで死ぬ覚悟して書き込んでんだってw
くだらね
まぁハッキリ言ってしまうと、その時はまず確実に来ないわけですよね。少なくともあなたが生きている間は。
「少子化」レベルでさえ由々しき問題として世界中の国が解決に取り組んでて、殆どの人間はそれに異論がない、
集団自殺したいなどとは夢にも思っていない、そういう状況なわけです。
そう考えると「そうなったら俺は喜んで死んでやるよ、その程度の覚悟はある」って、
一見思い詰めた末の覚悟みたいですが、実のところ「言うだけ」なら非常に気楽でリスクの低い主張なんですよね。
だって、その「覚悟」を試される機会はまず訪れないんですもの。
僕はそもそも「社会の発展存続」に拘る必要などないと思ってますが、そこに批判が集中する理由はわかりますね。
実現不可能な理想を掲げ、どうせ居なくならない敵を一方的に攻撃し続け、安心して自分の「覚悟」をアピールできる。
そんな醜悪なナルシズムが見透かされてるからですよ。
別に俺は自分の覚悟の重さをアピールしたつもりはないぞ。自分でも「その程度」って書いてるだろうが。
ただ、もし俺の意見を述べることにもし覚悟が要求されるんだとしたら、「その程度」の覚悟で十分だと言ってるんだ。
人の発言の言葉尻捕らえて的外れな批判をするんじゃなく、俺の考えそのものに意見してくれんかなぁ…
そもそもあなたは「喜んで死ぬ覚悟」など微塵も持ち合わせていない、と言ってるんですよ。
喜んで死ぬ覚悟を「その程度」扱い、「最悪でも」飢えて死ぬくらい、今生きてる人間たちの「老後」を支えるために云々。
あなたの見通しは主張の重さに対してあまりにも甘すぎるし、現実に覚悟を試される機会がまず訪れないのをいいことに、
無敵の立場から無限に他人を相対化して叩こうとしているようにしか見えないんですよ。自分達だけを例外扱いしながら。
で、あなたの主張全体についてですが、一体どこにウェイトを置こうとしているのでしょうか。
出生が不幸になるリスクの強制だから? それとも、人生とはそもそも普遍的に不幸なものだという前提?
前者ならそれが如何にバカバカしいかはコメント欄の上の方で既にさんざん指摘した(された)し、後者だとしたら、
「そうですか、それがあなたの幸福観なんですね」
としか言いようがないです。そっちの方が、半端な相対化で客観性を装うよりかはまだ好感持てますがね。
生まれた瞬間からなんで対象外になるの?
突き詰めてくと『生まれた側』と『生む前の側』で利害が分かれるわな。反発もあるわな。
『生むことは不幸のリスクの押し付け』って
しつこくカキコしてたら反発があっても誰かがうまい事調整してくれるんか。
たいした覚悟や。いやマジがっかりでした。
俺の問題提起に覚悟が要求されるんだとしたら、「現実に試される機会がまず訪れない、あるもないも同じような」程度の覚悟で十分だと言ってるんだ。
実現不可能な理想、どうせ居なくならない敵、確かにその通りだが、少しでも理想に近づけることは出来るだろう。人のことを、攻撃したいだけのために無意味な行動をしているみたいに言うのはやめてくれ。
で、聞くが、散々人の覚悟について講釈垂れてきたあんたには、一体どんな覚悟があるっていうんだ?無敵の立場って、それはむしろ「実現できっこない」と開き直っているあんたの方じゃないのか?「どうせ実現出来ない理想の為に批判しても意味ねーんだよ」って言うことのどこに責任があるんだ?
俺の主張はもちろん前者だが、このスレのどの意見を読んでも、それがバカバカしいと納得できるような意見は書かれてなかったぞ
最後にもう一つ、あんたが使ってるところの「相対化」って言葉の意味がちょっとよく分からないんだが、そこんところを教えて頂きたい。
だから、そのための唯一の道が、人類が子供を産まないことだって言ってるんだよ。
もちろん、既に産まれてしまった子供達の不幸なんぞどうでもいいと言ってる訳じゃない。ただ、その不幸を軽減する方法として、新たに子供を産むっていうんなら、それは本末転倒だろうってこと。
子供を産まずに幸福を追求することは十分可能だろう。
>子供を産まずに幸福を追求することは十分可能だろう。
喋れば喋るほど認識の甘さが露呈していくの、本当に呆れてしまいますね。
無意味なだけでなく有害で危険だから叩いてるし相応の覚悟を要求してるんですよ。あなたの理想も行動も。
あなたの理想が実現されぬまま「近付いた」状態って、より一層の少子化ですよね。
別に子供を作らないのは個人の自由なわけですが、反出生のロジックが通った結果の少子化って、
今の少子化と意味が変わってきますよね。上の方で、まるで毒親を叩くための反出生だとでも言いたげな方がいましたが、
「そもそも親である時点で鬼畜なのだ」という価値観の恩恵を一番受けるのは、いったいどういう層の人間でしょうか。
「そもそも全ての労働とは奴隷労働である」みたいな相対化が肯定される時って、ブラック企業を正当化する文脈ですよね。
あなたの理想が中途半端に実現された時、果たしてこの社会に何が起こるでしょうか?
不幸になるリスクの強制はダメ、では強制がダメとされる理由はそもそも如何なるものでしょうか?
「リスクの強制はいかなる場合でも許されない」という厳しい水準の相対化において、論理的に否定されるのは出生だけ?
義務教育や表現の自由を社会が認めてるというのがどういうことなのか、まともに考えたことがありますか?
適用するのが不合理な水準の厳しい相対化は、それによって本当に解決すべきケースが矮小化されるのを防ぐためにも、
適用されるべきではない。まして相対化の矛先が自分へ向けられた瞬間に音を上げるようでは、フザけるなとしかならない。
あとは上の方の人達のコメント読んで、ご自分でお考えください。
>もちろん、既に産まれてしまった子供達の不幸なんぞどうでもいいと言ってる訳じゃない。ただ、その不幸を軽減する方法として、新たに子供を産むっていうんなら、それは本末転倒だろうってこと。
子供を産まずに幸福を追求することは十分可能だろう。
この文章、実に味わい深いですね。
人間は幸福を追求することで不幸を克服できる。なんて素晴らしい世界なんでしょう。
反出生主義者の言葉とは思えないです。
ま、それはともかく
>無意味なだけでなく有害で危険だから叩いてるし相応の覚悟を要求してるんですよ。あなたの理想も行動も。
>別に子供を作らないのは個人の自由なわけですが、
だから俺はまさしくその個人の自由というやつに訴えているんだが。子供を産む奴らを引っ捕らえて罰すべきだなんて言ったか?出産は悪であるという主張を理解して、不幸の拡大を止めて欲しいと言ってるんだよ。
>「リスクの強制はいかなる場合でも許されない」という厳しい水準の相対化において、論理的に否定されるのは出生だけ?
「いかなる場合でも許されない」なんて誰が言ったんだ?親が子供に対して強制するリスクは大きすぎる、と言ってるんだよ。どんな難病にかかるか分からない、どんな事故に遭うか分からない、しかも最後には必ず死ぬ。こんな大きなリスクを強制的に背負わせて許されていることが他にあるか?あったら教えてくれ。
>人間は幸福を追求することで不幸を克服できる。なんて素晴らしい世界なんでしょう。
これに関してはコメントするのも馬鹿馬鹿しいが…
マジでちゃんと文章を読んでくれとしか言い様が無い。
誰が不幸を克服できると言った?克服って言葉はどっから出てきた?ただ俺は、「幸福を追求する」を「不幸を出来るだけ減らそうとする」と同義で用いただけなんだが…
あんた全体的に人の話聞いてないみたいだな…
尤もらしい言葉を並べたてる前に、自分が反論しようとしている主張を正しく理解してくれ。
箇条書きにしますね。
・反出生主義のロジックで一番得をするのは毒親であり、少子化が一層進展しながら毒親は免罪されやすくなるという、
極めて不条理な結果しか反出生主義の「実現」からは導かれないので、反出生は主張それ自体が害悪。
・明らかに見通しも覚悟も欠けた人物が「人類滅亡したって俺は構わないし喜んで死んでやる」などと他者に嘯いて、
嫌悪感を抱かれずに済むと思っているその感覚が信じられない。再三言われているが、あまりにも想像力がなさすぎる。
・リスクに原因を求める行為はやろうと思えば無限に遡及できる(「ある行為から生じるリスク」は無限に発見できる)ので、
どこかで因果関係を切るしかない。そして、リスクの話しかしない人間はリターンの話しかしない人間と同程度には不誠実。
・自動車に乗って外に出るリスクは大きすぎる、と言ってるんだよ。いつ誰を轢き殺すか分からない、いつ誰を半身不随にするか分からない、しかも出生と違ってリスクを負わせているのは自分の子供だけじゃない、排気ガスも含めると何万人に被害を与えていることか。こんな大きなリスクを強制的に背負わせて許されていることが他にあるか? いくらでもありますね。
・既に生まれた人間の不幸をどうするのという問いに対するアンサーが「子供を産まずに幸福を追求する」って、
どれだけ馬鹿げているか本気で分からないんですか。「幸福の追求」が今生きてる人間の不幸に対するアンサーとして十分であるのなら、これから生まれてくる子供の不幸も同じ「幸福の追求」で対応できてしまいますね。何のための反出生すか?
・それ以前に、この文脈で「子供を産まずに幸福を追求することは十分可能」とはつまり、
「人類滅亡が確定したって幸福を追求することは十分可能」という主張なのですが、自覚ありますか?
どれだけ楽観的なこと言っているか、どれだけ具体的な「不幸」というものを過小評価しているか、分かってますか?
煽られるのが嫌なら、せめて煽られない程度のレベルの発言をしてください。
それすらできないのなら、あなたが無関係の他人をロジックで説得するのは諦めた方がいいと思います。
こんな程度のことをいちいち説明させないで欲しいんだが、あんたでも理解できるように一つ一つ丁寧に説明してやるから、その足りない頭でしっかりと考えてくれ。
>反出生主義のロジックで一番得をするのは毒親であり、少子化が一層進展しながら毒親は免罪されやすくなるという、
極めて不条理な結果しか反出生主義の「実現」からは導かれないので、反出生は主張それ自体が害悪。
それはあくまで過程であって、結果ではない。結果というのは、人類が滅亡し、全ての不幸が世界から消えた状態のことだ。
というかあんたの言によれば、その毒親達が得をするのはおかしいから、新たに毒親が生まれても仕方がないというわけか。泥棒が得をするのはおかしいから、俺たちも泥棒しようと言ってるのと同じだぞ。泥棒に対する正しい対処は、自分たちも泥棒することではなく、泥棒を取り締まり、泥棒が居なくなるように努力することだ。
>明らかに見通しも覚悟も欠けた人物が「人類滅亡したって俺は構わないし喜んで死んでやる」などと他者に嘯いて、
嫌悪感を抱かれずに済むと思っているその感覚が信じられない。再三言われているが、あまりにも想像力がなさすぎる。
明らかに見通しも覚悟も欠けた人物?どこらへんが「明らか」なんだ?俺の見通しと覚悟が欠けてるって、それはあんたの主観だろ。以上。
>リスクに原因を求める行為はやろうと思えば無限に遡及できる(「ある行為から生じるリスク」は無限に発見できる)ので、
どこかで因果関係を切るしかない。そして、リスクの話しかしない人間はリターンの話しかしない人間と同程度には不誠実。
ある人間の行為から生じるリスクの原因は、確かに無限に遡及することができる。しかし突き詰めていけば結局は「その人間を産んだこと」という行為が、全ての原因であることに行き着くはずだ。確かにここからもっと遡ることも可能だ。「その人間を産んだ親を産んだこと」、「更にその親を産んだこと」を全ての元凶とみなすこともできる。
だが、どっちにしろ、どこまで遡ったとしても、そのリスクの根底には、「産む」という行為があることには間違いがないだろう。因果関係を切る必要などない。ただ、その因果関係は「産む」という行為によって紡がれていることは確かだ。
>自動車に乗って外に出るリスクは大きすぎる、と言ってるんだよ。いつ誰を轢き殺すか分からない、いつ誰を半身不随にするか分からない、しかも出生と違ってリスクを負わせているのは自分の子供だけじゃない、排気ガスも含めると何万人に被害を与えていることか。こんな大きなリスクを強制的に背負わせて許されていることが他にあるか? いくらでもありますね。
自動車に乗って外に出るリスクと子供を産むリスクが同じ?本気で言っているのか?
まず子供を産んだ場合、100%子供は死ぬ。んで、日本人の場合、3人に一人が癌で苦しむことになる。
自動車で外出したら、必ず人を引き殺すのか?3分の1の確率で誰かを肺癌にするのか?もうちょっとよく考えてから発言しような。
そもそも、それらのリスクを軽減するために、人間社会は様々な努力をしている。運転にはもちろん免許が必要だし、スピード違反も飲酒運転も厳しく取り締まられる。一方、子供を産むのに免許はいらないし、あろうことか子供への暴力は「懲戒権」の名の下にある程度許されている。これでも同じと言えるか?
>既に生まれた人間の不幸をどうするのという問いに対するアンサーが「子供を産まずに幸福を追求する」って、
どれだけ馬鹿げているか本気で分からないんですか。「幸福の追求」が今生きてる人間の不幸に対するアンサーとして十分であるのなら、これから生まれてくる子供の不幸も同じ「幸福の追求」で対応できてしまいますね。何のための反出生すか?
十分であるなんて誰がが言ったんだ?産まれてしまった以上、どんな形であれ不幸を感じることは間違いないのだから、十分なアンサーなどある筈がない。十分なアンサーってのは不幸ゼロの状態を作るってことだからな。だからこそ子供を産むべきじゃないと言ってるんだ。
でもって、あんたが言うには、その不幸を軽減する(幸福を増やす)ためには子供が必要だから産んでもいいというわけか。だからその悪循環を止めなければならないと、何度言ったら分かるんだ。
一度産まれてしまった以上、子供を産もうが産むまいが、十分なアンサーなど与えられる筈がない。不幸になるのは確定してる。だったらまずは不幸の連鎖を止めて、その上で出来る限り不幸を軽減する努力をすればいい。幸福の追求ってのはそういうことだ。
>それ以前に、この文脈で「子供を産まずに幸福を追求することは十分可能」とはつまり、
「人類滅亡が確定したって幸福を追求することは十分可能」という主張なのですが、自覚ありますか?
どれだけ楽観的なこと言っているか、どれだけ具体的な「不幸」というものを過小評価しているか、分かってますか?
人類滅亡が確定したって幸福を追求することは十分可能、全くもってその通りだ。あんた「追求」って日本語の意味理解してるか?マジでこんな下らない話をさせないでくれ…こっちがバカみたいじゃないか…
確かに誰一人として子供を産まなかったら、人類は大変な苦境に立たされるだろう。多くの不幸が生まれるだろう。だがそんなものは、これから人類が続いていった場合に生まれる不幸の総計に比べたら、微々たるものじゃないのか?だからこそ出来る限り早く、不幸の連鎖を終わらせるべきじゃないか?俺が言ってるのは初めからそういうことだ。
これだけ丁寧に説明してやったんだから、反論してくるならじっくり読み込んで、多少なりともしっかりとした「ロジック」を用意してからにしてくれよ。
>俺の見通しと覚悟が欠けてるって、それはあんたの主観だろ。以上。
>だが、どっちにしろ、どこまで遡ったとしても、そのリスクの根底には、「産む」という行為があることには間違いがないだろう。因果関係を切る必要などない。ただ、その因果関係は「産む」という行為によって紡がれていることは確かだ。
>自動車で外出したら、必ず人を引き殺すのか?3分の1の確率で誰かを肺癌にするのか?もうちょっとよく考えてから発言しような。
そもそも、それらのリスクを軽減するために、人間社会は様々な努力をしている
>一度産まれてしまった以上、子供を産もうが産むまいが、十分なアンサーなど与えられる筈がない。不幸になるのは確定してる。だったらまずは不幸の連鎖を止めて、その上で出来る限り不幸を軽減する努力をすればいい。幸福の追求ってのはそういうことだ。
「相対化」というワードの(この文脈における)意味すら分からなかった上、未だにリスク(「不幸」側)の話から一歩も外に出ず、
なぜ反出生が蔓延すると毒親が免罪されることになるのかさえ察してなさそうな人に言っても仕方ないかもしれないけどね、
他者へ批判的に適用している相対化の水準と、自分に許している相対化の水準が噛み合ってなかったら、バカにされるのは当然なんですよ。発言者の人格と戦略と見通し、過去の発言との一貫性、全部セットで評価されるのが当たり前なんですよ。
なぜ因果関係は切らなきゃいけないのか、なぜリスクの話しかしないのが不誠実なのか分かってますか?
「自動車に乗るから事故が起きた」と同じノリで「生まれたから肺癌になった」を適用するというのが、
どういう基準を採用する行為なのか分かってますか?
その水準の相対化が自分の行動にも適用されたとして、あなた自身はそれを耐えられると本気でお思いですか?
「耐えられる」と胸を張って言えるような発言を自分がこれまでしてきたと本気でお思いですか?
昨年の11月末から12月初めにかけてここで書いたことの繰り返しになるんで、読んで頭を使ってください。
それと、ご自分の今までの発言をよく見直しましょうね。あと、このブログの元エントリもちゃんと読み返しましょうね。
今から見ると、注意すべき論点は元エントリの時点で概ねすでに指摘されてるんで。
>つまりあんたら(どうせ1つ前も2つ前も4つ前も同一人物だろうとは思うが)が言いたいのは、既に生まれてしまった人の老後の生活のために、新しく人を産むべきだということか?
>その程度の見通し?
最悪でも飢えて死ぬくらいのもんだろ?
もし本当に全ての人類が子供を産むことをやめるなら、俺は喜んで死んでやるよ。その程度の覚悟はある。
>他力本願と言われても、他人が子供産むか産まねーかの問題なんだから他力本願するしかねーだろが
そもそも多少なりとも俺の意見を読んで考え改める奴がいるかもしれんからこういうとこに書き込みしてるわけで
>俺の問題提起に覚悟が要求されるんだとしたら、「現実に試される機会がまず訪れない、あるもないも同じような」程度の覚悟で十分だと言ってるんだ。
>実現不可能な理想、どうせ居なくならない敵、確かにその通りだが、少しでも理想に近づけることは出来るだろう。
>俺の主張はもちろん前者だが
>それはあくまで過程であって、結果ではない。結果というのは、人類が滅亡し、全ての不幸が世界から消えた状態のことだ。
>泥棒に対する正しい対処は、自分たちも泥棒することではなく、泥棒を取り締まり、泥棒が居なくなるように努力することだ。
>そもそも、それらのリスクを軽減するために、人間社会は様々な努力をしている。
>確かに誰一人として子供を産まなかったら、人類は大変な苦境に立たされるだろう。多くの不幸が生まれるだろう。だがそんなものは、これから人類が続いていった場合に生まれる不幸の総計に比べたら、微々たるものじゃないのか?だからこそ出来る限り早く、不幸の連鎖を終わらせるべきじゃないか?俺が言ってるのは初めからそういうことだ。
で具体的に何をするの?
書き込み( ー`дー´)キリッ
ココがピークだな
世界はお前が観測していようがいまいが変わらないよ。
適当にうまいことやってるさ。
世界が気に入らない、でも自分で変える気はないんだろ?
じゃあ自分が目を閉じればいいだけさ。
さっさと行っちまえ。誰もついてきやしねえよ。
まず、どうして僕が
>で、あなたの主張全体についてですが、一体どこにウェイトを置こうとしているのでしょうか。
出生が不幸になるリスクの強制だから? それとも、人生とはそもそも普遍的に不幸なものだという前提?
と、わざわざあなたに聞いたのかから説明します。
ほとんどの反出生は前者で「強制はダメ」の一点張りなわけですね。ただどうもあなたの今までの言動は後者寄りに見えた。
>俺の主張はもちろん前者だが
ということですが、話を聞いていくとやっぱり後者なんだよなぁ、と。
ごくごくごくごく当たり前のことですが、人類滅亡による不幸の根絶って幸福の根絶でもありますよね。
「これ以上一人も生まれなければ今後全ての不幸をゼロにできる」というのは論理的に正しいわけですが、
だからといって無条件に「人類は滅亡すべきだ」とはならない。あなたがリスクの話しかしていない、というのはそういうこと。
それでもなお「人類は滅亡すべきだ」という主張がなされるとしたら、方向性は以下の二つになるわけですね。
@幸福・不幸をいっさい相対化して(したふりをして)「強制だからダメ」の一点に拘る、比較をしない(していないふりをする)
A具体的・主観的な評価として「不幸の方が幸福より重い」と主張する、不幸を幸福より重く見る、人生は普遍的に不幸
で、あなたの今までの発言というのは、
>「お前たちはこの世で様々な不幸を感じることになるだろう。病気になるかもしれないし、事故に遭うかもしれない。そして最後には必ず死ぬ。でも我慢してくれ。社会の発展存続のためには、お前たちが必要だから。」
>その子供が産まれたことをどう感じるか考えもせずに?
今生きてる人間たちの老後を支えるために、その子供は人生の苦痛を味わわされるのか?
と、どうも人生と苦痛・不幸をイコールで繋いでいる(幸福は捨象して構わないと思ってる)ようにしか見えない言動。そして、
>どんな難病にかかるか分からない、どんな事故に遭うか分からない、しかも最後には必ず死ぬ。こんな大きなリスクを強制的に背負わせて許されていることが他にあるか?あったら教えてくれ。
>まず子供を産んだ場合、100%子供は死ぬ。んで、日本人の場合、3人に一人が癌で苦しむことになる。
自動車で外出したら、必ず人を引き殺すのか?3分の1の確率で誰かを肺癌にするのか?
あなたの想定している「不幸」って、どうやら「死に際の苦痛」に集中しているみたいなんですよね。
肺癌という一般的な病気による死亡さえ(死ぬタイミングを問わずに)特筆すべき不幸として扱う基準において、
不幸でない死に際・幸福が不幸を上回る人生というのは果たして存在するのか、あったとして割合は、という話なんですよ。
そのくらいあなたは、人生における「不幸」を(幸福より)重く見ている。「不幸な人生」に入れるケースを広く取っている。
まず、あなたが「もちろん前者だ」と嘘をつきながら、そういう前提に(無自覚に)立っているということを確認しておきます。
ただ「人生どうあっても不幸」というだけでは「出生は悪」「人類は滅亡すべき」にはならない。ここに二つ目の飛躍があります。
ごくごくごくごく当たり前のことですが、難病だろうが事故だろうが、「生まれたこと」と無条件に直結してはいないわけです。
出生からそこに至るまで様々な中間要素、そしてリスクの軽減努力があるわけですよね。医学、生活習慣、社会保障etc……
僕が出した自動車の例えですが、
>「自動車に乗るから事故が起きた」と同じノリで「生まれたから肺癌になった」を適用するというのが、
これは不適切でしたね、撤回します。この二つの間には大した距離がない。この二つの基準はいずれも不合理だ。
「出生は誰かを3分の1の確率で肺癌にする行為だ」って、論理的に正しいようで凄まじく過酷な基準を前提にしてますよね。
間にある要素を全てスッ飛ばして責任追及している自覚ありますか? その基準を自分の行動に適用した場合、どうなる?
取るべき基準は「事故の原因が自分or相手orその時の個別的・社会的状況にあったから事故が起きた」です。肺癌も同様。
そもそも「事故のリスクが高いから自動車に乗るな」とならないのは、決して自動車に乗るリスクが低いからではなく、
そこまで言われなければならないほどリスクとリターンの間に距離がない(場合が多い)からですよね。そして、
>そもそも、それらのリスクを軽減するために、人間社会は様々な努力をしている。運転にはもちろん免許が必要だし、スピード違反も飲酒運転も厳しく取り締まられる。一方、子供を産むのに免許はいらないし、あろうことか子供への暴力は「懲戒権」の名の下にある程度許されている。これでも同じと言えるか?
軽減努力は出生にもあるわけで、その結果の少子化という側面もあるわけですよね。避妊や性教育の発展、虐待の防止策。
あなたは軽減努力の延長上に反出生があると思っているのかもしれませんが、全ッ然違いますよね。
車に乗ること自体をやめさせようとするのは車のリスクの軽減努力ではありませんし、ましてやめようと言っている本人が、
「車に乗るのをやめること」で新たに生じるリスクを全く想像してなかったとしたら、相当の嫌悪感を抱かれて当然ですよね。
中間的な要素や軽減努力全部すっ飛ばして「大本の原因」に責任を求める基準というのがいかに過酷なものか、
それを他人に適用するというのがどういうことか、自分自身の主張や行為がどんな加害性を孕んでるのか全く考えていない、
自分自身が「大本の原因」になる可能性に無頓着、それでいて他人には過酷な責任を求めているのがバレバレだからです。
なぜ自動車についての常識的な判断を出生には適用しないの? というのが、毒親と泥棒の例えについても同様に言えて、
>というかあんたの言によれば、その毒親達が得をするのはおかしいから、新たに毒親が生まれても仕方がないというわけか。泥棒が得をするのはおかしいから、俺たちも泥棒しようと言ってるのと同じだぞ。泥棒に対する正しい対処は、自分たちも泥棒することではなく、泥棒を取り締まり、泥棒が居なくなるように努力することだ。
泥棒に対する正しい対処が「泥棒を取り締まり、泥棒が居なくなるように努力する」ことなのと同様に、
毒親に対する正しい対処も「毒親を取り締まり、毒親が居なくなるように努力する」ことですよね。
全く通じていないようですが、なぜ反出生の蔓延で毒親が得をするかというと、
反出生というのは「毒親の定義をあらゆる親に広げる」性質のものだからですよ。泥棒の例えで言うならば、
泥棒を取り締まる・泥棒が出てくるのを防止するのではなく、あらゆる経済活動を泥棒扱いする、
あるいは「そもそも泥棒が出てこないように私有財産制度を廃止しよう!」って言ってるのが反出生です。
ここまでの例えに対するスタンスで既に、あなたが人の親に対して「だけ」過酷な基準を適用していること、
そもそも自分がどのような基準と価値観に拠って立っているのか全く自覚していなことは明らかなわけですが、
それでも「出生は悪だ、わかってほしい」と訴えかけて説得力を持てるとしたら、それはよっぽど徹底的に
@人生における不幸というものを重く見ている、あらゆる幸福の根絶を伴ってでも不幸の根絶を優先すべき
Aどんなにそれが厳しくても「あれなければこれなし」の関係がある限り「大本の原因」の加害性は捨象すべきでない
この二つの前提を高いレベルで一貫できた時だけです。
ところが、ところが、ところが、、、、、
続きます。
あなたの主張って、「未来の不幸を根絶するために俺達で集団自殺しようぜ」というものなわけですよね。
一つ上で書きましたが、
>車に乗ること自体をやめさせようとするのは車のリスクの軽減努力ではありませんし、ましてやめようと言っている本人が、
「車に乗るのをやめること」で新たに生じるリスクを全く想像してなかったとしたら、相当の嫌悪感を抱かれて当然ですよね。
これが「車に乗るのをやめる」どころか「人類を滅亡させる」に置き換わったのがあなたの主張なわけです。
既に散々散々散々散々言われていますが、
>つまりあんたら(どうせ1つ前も2つ前も4つ前も同一人物だろうとは思うが)が言いたいのは、既に生まれてしまった人の老後の生活のために、新しく人を産むべきだということか?
>最悪でも飢えて死ぬくらいのもんだろ?
>もし本当に全ての人類が子供を産むことをやめるなら、俺は喜んで死んでやるよ。その程度の覚悟はある。
すき好んで自殺することを選ぶ人ってそれほど多くはないわけですよね。
自殺率は上がってますが、無関係の他人のために自殺しているわけではなくて、多くの場合は自分のためなわけですよね。
自分自身の人生の意味や価値を低く見積もるのは本人の自由ですが、他人にそれを言われるのはかなり腹立ちますよね。
それでもなお「我々は集団自殺すべきだ」と呼びかけるのがあなたの主張なわけですよね。
そこで説得力を示せなかったばかりか、いざ集団自殺するとして、自殺を余儀なくされる人々の不満をどうやって鎮めるか、
どんな苦しみが待ち受けているか、対策を考えていないどころか、実態を想像する気すら全くなかったのだとしたら、
フザけるのもいい加減にしろ、俺達をナメるんじゃねぇ、という反応が殺到して当然だと思いませんか。
「反出生を理念に忠実に推し進めたら人類が滅亡する」ということさえ、言われて初めて気付いたフシがありますよね。
人類滅亡が確定したって「老後」までは死なずに済む、と昨日まで思っていた人間の言う「俺は喜んで死ぬ覚悟がある」に、
どんな説得力が宿ると思ってるんですか? なんで見通しと覚悟が要求されるのか、根本的に分かってないですよね?
一つ上の書き込みで確認した通り、あなたの主張は人生全般における「不幸」というものを重く見ないと成立しません。
「あれなければこれなし」を厳しく見る場合、当然あなたの主張の加害性とリスクについても同様の基準が適用されます。
にも拘らず「自分の主張が通った帰結として生じる不幸」がいかなるものか、過小評価どころか想像すらしていなかった。
他人(親)に厳しく自分に甘い、どころの話ではない。なんでそこに非難と軽蔑が集中しているのか、まだ分かりませんか?
>実現不可能な理想、どうせ居なくならない敵、確かにその通りだが、少しでも理想に近づけることは出来るだろう。
>それはあくまで過程であって、結果ではない。結果というのは、人類が滅亡し、全ての不幸が世界から消えた状態のことだ。
反出生という理想に「近付いた」状態というのは不幸の軽減などでは全くない、「より深刻な少子化と毒親の免罪」であって、
中途半端な実現は無意味どころか有害、まして完全な実現の可能性は皆無、なら反出生などというものは完全放棄すべき、
というのが僕の主張なんですよね。ところがあなたは、反出生を主張している本人でありながら、
理想に「近付いた」状態というのは具体的にいかなるものか、全く考えていなかった。
「実現可能性ないだろ」と言われたら「理想に近付けるだけでも意味がある」。実現可能性ないことは認めてるわけですね。
「『理想に近づける』だけってのはむしろ有害なんだよ」と指摘されたら「それはあくまで過程」。最初に戻り無限ループ。
過程にしか辿り着けない上にその過程は有害なんだからそもそも目指すのをやめろ、という話をしているの分かります?
どうしてそこまで「自分の主張の帰結として生じる不幸」へ想像力を巡らすことができないんですか?
人類滅亡してでも不幸をゼロにすべきと主張していながら、なぜ自分自身がもたらしうる不幸へそこまで鈍感になれるの?
極め付けはこれです。
>もちろん、既に産まれてしまった子供達の不幸なんぞどうでもいいと言ってる訳じゃない。ただ、その不幸を軽減する方法として、新たに子供を産むっていうんなら、それは本末転倒だろうってこと。
子供を産まずに幸福を追求することは十分可能だろう。
>一度産まれてしまった以上、子供を産もうが産むまいが、十分なアンサーなど与えられる筈がない。不幸になるのは確定してる。だったらまずは不幸の連鎖を止めて、その上で出来る限り不幸を軽減する努力をすればいい。幸福の追求ってのはそういうことだ。
>人類滅亡が確定したって幸福を追求することは十分可能、全くもってその通りだ。あんた「追求」って日本語の意味理解してるか?マジでこんな下らない話をさせないでくれ…こっちがバカみたいじゃないか…
実に正しい。あなたは実に論理的に正しいことを仰っていると思います。
正しさというのはいくらでも捏造できるものなんですよね。当該人物がその「正しい」発言をすることの倫理的評価とは別に。
殺人犯が遺族に「あなたの人生は終わっていない、幸福になれる」と言い放っても、発言内容自体は「正しい」んですよね。
十分なアンサーだと自分で思ってないのなら、ただでさえ「覚悟」を疑われきっているのに、なぜわざわざそれを口に出す?
集団自殺を呼び掛けていながらビジョンも覚悟も何一つないことを喋る度に露呈させてきた人物が、
人類滅亡が確定しても「老後」まで死なずに済むと昨日まで思っていながら「喜んで死ぬ覚悟がある」などと息巻いた人が、
このうえ「結論は間違ってない」と居直るのがどういうことなのか、分かってますか?
最後に、一番上の方にあるコメントを引用。
>元記事の『ロジックは間違っていない』ってのが悪意満々ですね。わかってやってるなら詐欺師に向いてる。
>んで「そのロジックは間違っている!」って反論する人は恐らく詐欺師に騙されやすいひとだ。
「そのロジック食えんの?おいしいの?」ってひとはたぶん強く世の中を生きていける。
>試験問題にぴったり
これが全てだと思います。
これ以上の長文はやめておきます。あとはギャラリーにお任せしますね。失礼いたしました。
@どういう世界にしたくて、(もう二度と子供が生まれない世界?)
Aそのために誰がどういう行動が必要で、(全ての人間が子供を生まないことを決意する?)
Bそれを実現するためには誰にどう働きかけていけばいいのか(全ての人間に対して子供を生むなと言い続ける?それで人間がその言葉に従う確証は?従う義務は?)
を明らかにしろよ。
特にこの3番目の条件があまりにも現実的でないから、夢物語の妄言吐きとして散々皮肉られてるのがわからない?
逆に言えば上の3つをはっきり俺たちにも理解できる形で主張してくれたらまともに聞く気にもなるよ
土日を使って読むのも疲れる超長文で延々といがみあう大人たち。
解り合えない二人。繰り返されるループ。
その果てに待つものは。
次回、まぼろしパンティ 第12話
「 パンツ対パンティ の巻 」
君は、刻の涙を見る。
そんな妄言吐いても意味無い、と言われればそれまでですが、それを言ってしまうと「そんな妄言吐いても意味ねーよ」って言うことにも意味なんて無いですから…
「子供を産まずに幸福を追求することは十分可能だろう」って、改めて本当に味わい深いというか、酷いというか、
上でも書いた通り論理的には「正しい」わけですが、あまりにも、あまりにも愚かというか、、、
要は「不幸を軽減するにはどうするか」に対して「不幸を軽減する努力をすればいい」と答えているわけですが、
その中身と具体策をこそ問われているわけで、、、
これだけは言わずにいられなくなった(今まで上手く言語化できてなかった)し、結局ここが全てだなと思ったので。
長文は控えます。
そんな親切な深謀遠慮な方々はぜひモニタの前でどや顔してないで、産婦人科に押しかけて出産をやめさせてあげて欲しい。一人でも不幸な人間を減らすために。
あ、部屋から出られないとか、人と面と向かって話せないとかなら別に無理強いは致しません。
そもそも世の既婚者が独り身に対して鬼のように攻撃的だからその延長なんだろうけど
やはり鬼畜の所業なのは間違いないですわ
反出生が叩かれるのは独り身だからじゃなく反出生だからだよ?
ぶっちゃけ反出生に独り身の代表ヅラされるのは不愉快極まりないよ?
いよいよ被害者ヅラしかやることなくなっちゃったのかな?
「価値」がおしなべて相対的=無常である、ってことは、良いことの方が少ない、より希少で有限で脆弱な要素をより価値がありより良い、としてるだけだから。
ならばやはり産まないほうが苦は減る。
産まれてしまってる人たちのために実践的なことを言うと、自殺出来ないなら、原始仏教の世界観とエートス、それに基づく瞑想の修行なんかは有効かもしれない。
一般的普遍性を志向する哲学的問題ではなくて、この問題のモチーフはむしろ個人的な実存にかかわる、文学的問題だよね。
反実仮想のルサンチマンに基づく、いわば趣味の問題だから、反出生「趣味」というべきでは?
そのうえで、現在の社会を規定してるのもやはり特定の趣味に過ぎない、そのような趣味の多数決による専制的支配は民主的でない、と反論すべきでは?
「社会・経済の解体」
要はこの2点に同意できるかどうか。
それが「恩恵」たりえてきたかは一概には言えず、おそらくそう思えてこなかった人達が反出生と言ってるのでその前提無視して頭ごなしに否定するのはずるいです。
そもそも、「自分で主体的に選び取ってこそ価値は価値たりえるし、そこではじめて責任も生ずる」という前提に同意してもらえるなら、産まれさせられることは絶対的に非主体的なことなのだから、産まれさせられただけの人間にとって自身が出生に加担する日までは何の「恩恵」も「価値」も「責任」もあり得るわけがない。暴力的に与えられ押し付けられ洗脳され選び取らされてきただけ。
なので上記のような「恩恵受けといて〜/育てて・産んでもらっておいて〜」式の、価値を前提してそこから演繹的に結論出すような言説は誤りです。
自殺やリスカする人に「親に貰った身体だろ」と怒っても「いやくれなんて頼んでない、いらなかったのに押し付けられただけ」と返されるのと同様です。
そうした返答が何故「甘え/屁理屈/言い訳」などと言い得るのか、出来るものなら論証してみせてください。それらの言葉自体が演繹的なものなんですけどね。
「そんなこと言えるのだって、今お前が生きてるから、産んでもらったからこそだろ」と言うことにどんな意味があるんですか?
産まれさせられて、その瞬間から絶対的に生きねばならず死なねばならなくなって、その全てが嫌だからこんなこと言ってて、でもだとしたらじゃあこんなこと思い言うためにこそ産まれ生きてるとでも? そんな馬鹿げた話があるかよ。
産まれなければこんなこと言わずに済んだ。つまり純粋に言いたくて言ってるのでない以上、そのようなメタ反論もナンセンスです。
あっ、いきなり罵倒されたからって僕を責めるのは筋違いだからね!
僕は子供作ってないし作る気もないし、出生に加担してない以上主体的に選び取ったことなんて何一つないもん!
産まれさせられただけの人間である僕の行動に何の「恩恵」も「価値」も「責任」もあり得るわけないよね!
僕だって純粋に君が馬鹿だって言いたくて言ったんじゃないもん。産まれなければこんなこと言わずに済んだんだ!
ましてや一般的な社会規範の恩恵なんて受けた覚えないし、価値観の押し付けは本当にやめてほしいよね!
いやぁホント人生はクソ! 出生に加担せず押し付けの法律だの社会規範だのは全部否定するに限るね!
もちろんあなたを責める気などないし、こちらの文章をよく読んで返してくれてるあなたの言葉も文字通りには全て正しいと思います。
そのうえで伺いたいのですが、あなたは結局なにを言いたいんですか? 頭悪くてすみません。
皮肉のつもりだったかもしれませんが、皮肉になってない気がします。仰る言葉通りなので。
僕のニヒリスティックな極論に従うならたしかにいきなり馬鹿と罵られてもあなたを責めるいわれはないですが、そしてそれでいいと思うのですが、そのことと、僕が馬鹿と言われうる根拠自体は別なはずで、あなたの言葉のなかにその根拠自体が明示されてない以上、ただの空疎な揚げ足とり、罵詈のための罵詈でしかないと考えてよろしいですか?
たしかに、「馬鹿」や「根拠」とか、そもそも言葉を使ってる時点で価値判断してて、価値を前提しない非演繹的な語りなどありえない、お前も既にとっくに価値で汚れてるし、お前が罵ってるものとお前は同じじゃないか、ということであればそのとおりですが、そういうナンセンスな自己矛盾を抱えてても、僕の言う事にも一理くらいはないですかね? そうも言いたくなる気持ちってことについて。
こういう超越的な問題では特に、自分が批判するものに自分も含まれちゃうのは仕方ない部分があると思います。
とはいえ僕の語りが未熟なのは確かで、それで不愉快な思いをさせてしまったのならすみませんでした。
でもじゃあ、自分もある意味では加担してしまってることについては、人間は批判できないとあなたは考えるわけですか?
原理主義を言い出す前に自分や周囲の人間の手がどれだけ汚れてるかを確かめておこうねっていう。
反出生主義の受けいれがたいところは、他人にまで自分の主義を押し付けてくること。これに尽きる。
別に主張の内容がなんであれ、(例えば「目玉焼きには醤油かソースか」であれ)相手の主張をこちらにもそうしろ、そうするのが当然だと押し付けられる、これに勝る嫌悪感はないんだよ。
反出生主義の人に集まってるヘイトは根源的には全てこういうところだということを自覚したら、もっと上手く説得する手段も思いつくんじゃないかな。
だからまあ、前も書きましたけど反出生「主義」ではなく反出生「趣味」として、世の流れに逆らう同好の集まりとして、存在し続けることに意味があるのかもしれませんね。多くの人達から鬱陶しがられても憎まれてもこういうところででもこういう話をし続けるってことにね。
こういう場があるってこと自体が、これから産まれてくる人達の中にもこういう考えになっちゃう人がいたら、その人にとっては慰めにならないとも限りませんからね。
んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。
これは聖書の中にある創造主の言葉です。
また私たち人類は動物をなどの生き物を服従さ
せるという役割も担っています。
聖書やイエスキリストを学ぶ事により真理を学ぶ事が出来ます。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)
で多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。」
これは聖書の中にある創造主の言葉です。
また私たち人類は動物をなどの生き物を服従さ
せるという役割も担っています。
聖書やイエスキリストを学ぶ事により真理を学ぶ事が出来ます。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)
その自覚ができずに「他人を手段にしてはいけない」の原理主義でマウント取ろうとする馬鹿の多さには困ったもんだけど。
世俗主義VS原理主義。
語るに落ちるね
要するに己がふがいなく惨めな人生を送ってきたツケやら鬱憤や不満を赤の他人のせいにして憂さ晴らししたいだけ(特に女(笑))
こういう馬鹿男増えてきてうんざりしてるからお前が喚かなくとも確実に非婚化傾向にありますよ
自分が親(女)を●したいっていう個人的な欲望を社会に肯定してもらいたいって気持ち悪いの極みなんだけど
こういう奴がストーカーサツ人とかレ プサツ人とかやらかすんだろうな
「俺を肯定しない社会(女)がおかしい!」とかヒスっちゃって
反社会的な存在の癖に、公に肯定してもらいたいという欲望を持つな
間違ってるのは社会じゃなくてお前だよポンコツ
そういう意味ではお前の親を十分糾弾してください「何で俺のようなゴミを生んだんだ!」ってね
貴方は人生の柵に病んでいる、なと100%確定しました。
貴方の人生の役目は、次の通りです。
子供を創る必要は特に有りません、ご安心し下さい。
食事をし、うんこをして下さい、以上です。
銀河系がなくなれば良いのかな?
私こメンタルの病気を持ってるので(親もメンタル病)子供は大好きですが諦めました。
私は生まれてきたくなかった(けど怖くて死ねなく、仕方なく生きてる状態、毎日薬漬けの人生)子供の頃は毎日父は暴れ毎日高校卒業して上京するまで苦しんだ。
だから、もし自分の子供が精神的な病気になり薬の影響で今まで簡単にできたことも出来なくなりリストラに会い自殺未遂etc...そんな生き地獄味わわせたくない、でも両親が健康で生きてることが素晴らしく子供にもこの素晴らしい世界を見せてあげたい、共に楽しみたい!っていうぐらい自信があったらこの世に生まれても良いのではないでしょうか?多少は苦労、悲しみなどありますがそのマイナスを踏み台にして幸せになれるのなら、とても良いことだと思います。誤字脱字あったら申し訳ありません。
銀河系がなくなれば良いのかな?
私、メンタルの病気を持ってるので(親もメンタル病)子供は大好きですが諦めました。
私は生まれてきたくなかった(けど怖くて死ねなく、仕方なく生きてる状態、毎日薬漬けの人生)子供の頃父は毎日というほど暴れ高校卒業して上京するまで苦しんだ。(上京したのは父から離れる為)
だから、もし自分の子供が精神的な病気になり薬の影響で今まで簡単にできたことも出来なくなりリストラに会い自殺未遂etc...そんな生き地獄味わわせたくない、でも両親が健康で生きてることが素晴らしく子供にもこの素晴らしい世界を見せてあげたい、共に楽しみたい!っていうぐらい自信があったらこの世に生まれても良いのではないでしょうか?多少は苦労、悲しみなどありますがそのマイナスを踏み台にして幸せになれるのなら、とても良いことだと思います。誤字脱字あったら申し訳ありません。
主さん消していただけたらありがたいです。
有難う御座います。
貴方が幸せになれる為の、最良のアドバイスを私なりに、今考えています。
6月8日頃に返信致します、お待ち下さい。
次の日には[次の日]の思い煩いがあるのです。
一日の悪い事はその日だけで十分です。
(マタイ 6:34)
そして、ほんのもう少しすれば、邪悪な者はいなくなる。
あなたは必ずその場所に注意を向けるが、彼はいない。
(詩編 37:10)
また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり、
もはや死はなく、嘆きも叫びも苦痛ももはやない。
以前のものは過ぎ去ったのである。
(啓示 21:4)
この時[神]はあなたの目からも涙をぬぐい去ってくださいます。
聖書の中で、この時とは近い将来のことを示しています。
利益というか資産ですね。
家だった買えば金は飛んでいきますし,維持費もかかる。でも気持ち的には利を得てますよね?
そのあたりすら理解出来ないと難しいのでは。
ならこの世に利益計算の結果じゃない行動は存在しないわな
人殺しをするのも人助けをするのもコメント書き込むのも反出生を訴えるのも
全て気持ち的に利を得るための自己満足であり利益を得るための行動ってことになる
実質何も言ってないに等しい、何の意味もない議論
斜めに構えて他人の偽善を得意気に嘲ることはしても
自分の足元にある死体の山には一生気付かないのが反出生主義者だからね
どうしようもないね
手に入れた子供もいつか手放さなきゃならなくなるけど
反出生主義者の場合は子供の味方ヅラをしつつ安全圏から小学生じみた道徳を語ってりゃいいだけだからね
楽な商売ですよ
うちの親は半分勝ちで半分負けだな。弟作ったのは勝ちだろうが、その分俺を作ったのはおお負けだな。
パチンカーで言うとこの昨日は十万買ってるけどこれまで百万負けてるみたいなもん
自分の不幸は、自分が背負って死ぬものだ。
すごいね。
一概に否定するのではなく、様ざまな考えを受け入れて考えてみるというのも楽しいのにね。
「人に迷惑をかけてはいけない」という主義は、かなり根強い。
誰も迷惑をかけられたくないから、この主義を共有したいのだ。
そして出生の強制性は、迷惑をかける可能性を感じさせる。
結果、反出生主義へとつながるのだと思う。
人を生むことの責任がわかっていないから、
こんな無責任なことを書けるんだと思う。
僕はこんな風に思うクソ人間は死ねばいいと思っている。
>自分の不幸は、自分が背負って死ぬものだ。
なんか無責任な物言いだが日本国内で起きている問題自体に関しては日本国民に責任があるからな。
「産んでやった」「育ててやった」「産まなきゃよかった」
こういう無責任で浅ましい人間が未だに跋扈しているから必要だと思うよ。
まず根本的な理屈を理解できてないからな、理解した上でどうする?という話になるわけでね。
これは勘違いして驕った人間をスタートラインに持ってくるのにはいい思想。
自分は反出生主義者ではないし期待値を上げて実質の事前同意と見なせるくらいの世界にするべきだと考える。
だけど大半の人間はそんなん知らんわって利己的に生きてるからな、そこでこういう思想が台頭するわけ。
まあある種の世界へのブーメランだな。
これ身内他人問わず言われたことあるよ。
育ててもらった癖に〜とかね。
うんざりする。
ただ産んだ子供が不幸だとしか思わない育ち方したなら、いくら幸福に思うような育て方したつもりだと言っても言い訳と責任逃れでしかないけどね
結果は産んで育ってみないとわからないことだが、どう育つかは親の与える教育や環境次第だし、それは子供は選べない、親に選択権があるんだから親が責任を背負うのは当然だしね
産むことは別にいいと思うが
不幸に育った子供の親は罪深いと思うね
大抵そういう親は出来の悪い子供に育って大変だとか被害者ぶってるけどね
つまり産むことが良いか悪いかは
個人個人の親子と結果の問題でしょう
空腹を自分の意思でコントロールできるのなら、件の論も成り立ちましょうが。
と、認識しているバカは死んでしまった方が世のためだ。
子供をつくるということは、子供を育てる責任を負うということだ。
その覚悟や、責任がない人間に子供を為す行為を行う資格はない。
気持ちの良いことがしたいだけというのであれば、
女性は卵巣を摘出した後、男性は性器切断した後、
好きなだけやリ続けばいい。
「人並み未満の苦労&人並み以上の知能」・・・自分の人生が幸せだから子供も当然幸せになると信じて疑わない。だから産む。
「人並み未満の苦労&人並み未満の知能」・・・何にも考えずに産む。自分の子供が苦労しても、自分に苦労の経験がないし、そもそも馬鹿だから全く助けてやれない。
「人並み以上の苦労&人並み未満の知能」・・・子供を産むことで自分を肯定するために産む。嗚呼。
人を押しのけて自分だけが上に行こうとする
そんな世界に嫌気がさして自分は降りると決めた
もちろん大切な子どもにそんな経験をさせたくない
たとえ頂点に立てる強い子でも、他人を押しのける人生を送るなら罪を重ねることになるので産まれなくていい
押しのけられる側の弱い子も、辛く苦しい一生となるだろうから産まれなくていい
結論としては産まれないのが一番幸せ
誰も傷つけなくてすむし搾取する必要もない
しかし、自分は短い人生を生きてきて、今のところ生まれなきゃよかったと思っている
他人(両親含む)からは恵まれた人生だと言われることもあった
楽しいことや幸せな時間もあったように思うが、不幸感や絶望感などのマイナスな感情に多くを占められていた
死にたいと思ったが勇気も行動力もなくだらだらと生きてきて今に至る
自分が生きている世界は辛いことがいっぱいで人にお勧めできるようなところじゃない
自分が感じてきた不幸や絶望を生まれてくるのかもわからない我が子に背負わせたくない
自分の今までの行いが遺伝することも考慮して、子を産むのは止そうという考えに至った
近々知り合いの子が生まれる
この地獄のような世界に親のエゴで産み落とされる可哀想な子に、少しでも幸せな時間が増えることを強く望む
仮定の話とはいえ「幸福になる可能性90%、不幸になる可能性10%」と挙げたなら、
その博打に乗らないのはリスク回避ではなく機会損失と言えるだろ
可能性の割合が逆転するならリスク回避とも言える
子どもの将来が明るいと考えるなら機会損失、暗いと考えるならリスク回避となる
結局は個人の価値観に依存する問題で、作る作らないは本人の価値観に基づいて決めること
「子ども作れ」って言ってくるおせっかい野郎と元記事の筆者のレベルは一緒だよ
ただ、何も考えず子ども作ってるやつがバカってことだけは全面同意
こう言っては何だが大学も出てなさそうだな
>こう言っては何だが大学も出てなさそうだな
あんた…恥かく前に調べてから書き込む癖つけたほうがいいぞ
まず己の頭脳の中の妄想の人格と生きてる人間の区別をつけよう
世の中残酷だわな
時代が進めば当然っちゃあ当然の流れなんだろう
殺人における被害者はその本人だが、破壊行為における被害者はそれによって不利益を被る第三者だからな。
子供の死を器物破損と同列に考えている文章に寒気がした。
こう考えれば誰でも二の足を踏む
人間ではなく子供を産むと思ってるからいい加減な判断が入ってしまうんでしょう
なんやかや言っても、これが全てのような気がする。
そうだな。会社でミスして散々怒られてもパパとママのせいだし、フケツにしてて女の子から嫌われてもパパとママのせいなんじゃあないかな。
子供であるお前はな〜んにも悪くないよ。
早いとこ自立して自分のケツぐらい自分で拭けるようになれればいいな。
それをわざわざあげつらってまあ
そりゃ子供3人います僕は前向きですといった方が他者の証人得られるだろうけど
理屈のレベルではせいぜい同等かそれ以下にしか感じないな
理性的な人間は繁殖力が低いから、淘汰されてしまうんだよ
ものが壊れるときに苦痛なんか生じないからね
やってて恥ずかしくないのかな
どこからこの執念が沸いてくるのやら・・・
結局、何一つ反論できてないのが痛すぎ
どこまで行っても子供を産むのは親のエゴでしかないし
子供が感謝する謂れはないって当たり前の話
ホンとに子供が一生安楽に食っていける程度の資産くらいは準備してから
産めばいいのにねーと思う
庶民が子供産んでも、人生の大半は食うためだけの活動で忙殺されるわけだし
人間を生んでも構わないんだって真剣に考えている
もしそうならサイコパスか頭がおかしいかのどちらか
鳥肌もん
軽い反出生主義と重い反出生主義を混同して欲しくない
つい近年まで末期患者に対して点滴のリスク(丘の上で溺死)が正当化されていた。
点滴に頼らない(緩やかな餓死)なら、尿毒症状からの安楽死になる。医療のない昔の人は多くの人がこの尿毒症からの安楽死で死ねたから苦痛に満ちてる訳ではない。
現代は過剰な医療行為と怠慢な医者のせいで死の過程が拷問になっている。
最近、末期ガンの患者に対して点滴ガイドラインは制定されたが、あくまでガイドラインであって罰則規定がない。
また末期ガンのみのガイドラインなので勤勉でない医者は、丘の上溺死させる患者を量産し続けるだろう。
あるはずだった人生がなくなってしまったと考えるんでしょうから。
わかります
みっともないですよ?
「私は再び、日の下で行なわれるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を。
彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。
私は、まだいのちがあって生きながらえている人よりは、すでに死んだ死人のほうに祝いを申し述べる。
また、この両者よりもっと良いのは、今までに存在しなかった者、
日の下で行なわれる悪いわざを見なかった者だ。」(伝道の書4:1-3)
って書いてあるからなあ…
やっぱり生まれてこない方が幸せだよ
チンコとマンコで物を考える奴と、頭で考える奴の議論が噛み合うわけない。
そもそも頭の悪い方が繁殖しやすい仕組みなんだよ。俺たちはバカの子孫なんだから諦めろ。
壊すことが悪いと扱われるとしたら、自分に所有権がないものです。
つまり、自分で作ったものは壊しても悪くないんですよ。
一方で、人に関しては自分で作ったものでも壊したらマズいのです。
こういう人間にも生殖能力がある
そういう世界で反出生主義が知られていないとか正気の沙汰ではない
反出生主義語るならせめてやたらめったら他人を罵倒せずに理性的に振舞えよ・・・
こういうエセ反出生主義者大嫌いだわ。
反論を思いつかないけど俺が嫌いだからダメと言いたい時に「それは極論だ」って言う人多いよね
>話し(議論)の前提の部分であって意見を戦わせている部分はその”強制”が
>「鬼畜」と思うのか「鬼畜にはならない」と思うのかのお互いの価値観の部分だから、
>ロジックで反論しろと言うのは筋違いでしょ。
死の強制が鬼畜でないと思う人達、怖いですね
自分のやりたいことをする。それが悪いとするならこの論者も悪よな。「反出生を広めたい」っていうわがままを通そうとしてるんだから。
人のことなんか放っとけよ
極端であることが悪いことを説明できなければ、「ロジックとして何も間違ったことは言っていない」だけ残ることになりますよ?
?????????????
存在しないものに対しての機会損失とは?
ん????????????????
ちなみに私は反出生主義者ではありません。
わかりやすい動画置いときますね。
https://www.youtube.com/watch?v=UiXfo0cwLGs
そもそも人間という存在自体が論理的な生き物じゃないんだから、反出征主義って人を人間でないものにしようとしている狂人
種の存続なんて本能でしかないのに
人間って不思議なもので苦痛も快楽に変えられる力を持っているんだよね(もちろんモノによる。拷問も快楽になるとかそういう話ではない)
登山とかマラソンとかが典型的でやってるときってホントに苦しいし、なんで金かけてしんどい思いするんだ・・アホなのか・・って思っちゃうけど、何故かそれが後々楽しくなってまたやりたいってなるんだよね
庶民なのに子供を作ってる奴は子供を虐待しているのと同じだしマジでクズだと思う。
容姿も才能も財力も大したことが無い奴が子供を作っても社会でボロ雑巾にされて捨てられるだけなんだわ。
こういう馬鹿の多いこと
これ例えるならホスト狂いのアホ女が「ホストに会えない僻みでしょ?」、アイドルオタクのキモオタが「アイドルに会えない僻みでしょ?」
って言ってるのと大差無いよね
アホはそれに価値が無いという前提を理解できない
そして今日も無駄な不幸を生み出すのだ、パコパコw
そもそも「親に感謝しろ」っていう風潮がある時点で「親のせい」であることは明らかなんですよね。悪い責任はとりたくないけど良い責任はとりたいみたいな親が多過ぎます。
「親に感謝しろ」って言うってことは、それほど親の影響力が大きいって認めてるってことです。都合が悪い時だけ「親のせいにするな」はないですよね。
ま、自己中で自分大好きじゃなきゃ子供なんて作りませんよね(笑)
いちいちこんなところに言いに来る辺り実際ひがみじゃん。