2013年08月09日

不倒城についてあれこれ

なんか最近ブログを続けるコツみたいな話をちらほら見かけるので何か偉そうなことを書いてみたくなったが、参考になりそうなことが一切書けそうにないし盲腸切って入院中でドラクラ三昧で今ウィザードのインフェルノソロで軽くぼこられてきたところだから、なんかブログのスタンス的なことを好きなように書く。

・不倒城は本当に倒れないか。

ブログを始めたのが2004年の11月なので、それに価値があるかどうかは別として、まあ、続いてはいる。9年くらい続いている。


・何故不倒城は倒れないか。

ごく単純に、やめたくなるような理由がないからである。
そこにはある種の開き直りがある。


・どんな開き直りか。

書きたくなった時に、書きたいことだけ、書きたいように書かせて頂きます。
なので、読みたいように、読みたいような解釈で読んでもらっていいです。誤読がどうとか文句は言いません。
ただし、何か反応を頂いても、何か違うなーと思ったり、特に返すことが思い浮かばなかったら何も反応しません(後者の方が多いです)。
「それ違うやろ」と言われたとして、明らかに間違いなら追記修正しますが、ちょっとでも「違わないんじゃね?」と思ったら私は気にしませんし、反応もしません。単に読み方や考え方の違いだと思います。
もっと上手く書けるかなー、と思ったら書き直します。既出とかそういうことはあんまり気にしません。


開き直りの内容を書き出してみると、大体以上のような内容になる。


・何故ブログをやめたくなるのか

なんとなくだが、ブログをやめたくなる人には、大きく二つのパターンがある気がする。

一つは、反応が薄くてやめたくなるパターン。
一つは、反応の内容が嫌でやめたくなるパターン。

「自分が書いたことが意図通りに伝わらないと嫌だ」という人は一定数いて、そういう人がブログを続けるのはそこそこ大変だと思う。

人間、プラスの反応がいくらあっても、マイナスの反応があればそっちばかりが気になってしまうものだ。そしって、マイナスの反応には、納得のいくものもあれば、納得のいかないもの、いわゆる「意図通りに伝わっていないような気がする反応」もある。それをいちいち気にしていると、大変に疲れる。

そもそも、言葉は意図通りに伝わらないものだから。意図通りに読んでもらえたとしたら、むしろそれに感謝するべきだから。意図通りに伝わらなかったら、また何度でも言い直せばいいから。

思考を言葉にする、というのは大変なハードルである。
そして、その言葉を読み取って自分の思考にする、というのも大変なハードルである。

国語のテストで、「ここには何が書いてあるのか」ということが問題になるのは、それを読み取ることが難しいからである。国語の文章題程には整っていない文章を読み解くことは、それに比してどれだけ手間だろう。

書いた意図がその通りに伝わる、ということは、だから、一つの幸運だ。書き手として、ハードルを越えられるように努力はするが、読み手にまで努力を要求するほど私は体育会系ではない。

だから私は、意図通りに読んでもらえれば、読解というハードルを飛び越えて意図を汲んでもらえてありがたいなーと思うようになったし、意図通りに読んでもらえなくても、まあ仕方ないんじゃねえの、と思うようになった。

大変ありがたいことに、こんな適当ブログでも読みに来て下さる方はいるし、ハードルを軽々と飛び越えて下さる方もいる。ありがたい限りである。

だから私は、ブログが嫌にならない。まあ、書きたい時にしか書かないので頻度はまちまちだが。すいません。


・ところで大事なことを書くと、

不倒城はレトロゲームブログなので、レトロゲーム記事がメインコンテンツであとはおまけです。よろしくお願いします。
posted by しんざき at 19:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック