2013年08月17日
息子さんが偉いなーと思ったことと、大人に対する信頼感のお話。
本当に本当にちょっとしたことなのだが、書いておきたくなったので書く。ちょっとしたことの割りに長いので、興味がある方だけどうぞ。
今日の夕食時の話である。近所のから揚げ専門店でから揚げを買ってきて、ゆで野菜やらサラダやら卵豆腐やら、バラエティ豊かな食卓であった。私は次女に、奥様は長女に、主に食事を与えていた。
長女次女はまだ一歳半である為、手づかみでがつがつ食べることも頻繁なのだが、その時はたまたま、何かの拍子に長男(6歳)が手を汚して、その後椅子の背で手を拭いたように見えた。すかさず奥様が「こーら」と言った。
「椅子で手拭いちゃ駄目でしょ?」
息子さんは、違うよー、と言った。後ろのタオルを取ろうとしただけだよ、と。
誤魔化している感じはなかったので、本人的に、椅子で手を拭こうという意図がないのは事実だったのだろう。
行動の意図と行動の結果が合致しないことはままある。で、行動の意図が良くないことである時はそれについて叱るべきだし、行動の結果が良くない時はそう明示してあげるべきだ。二つがワンセットでない場合、私も奥様もそれ程叱らない。
手を拭くつもりがないのは分かったけれど、椅子が汚れちゃうから気をつけな、ということで特に何事もなくその場は収まった。
その時私は、長男が偉いなーと思ったのでそう言った。確かこんな風な言い方をしたと思う。
「パパもママも、間違った叱り方をしちゃうことはあるから、その時ちゃんと「自分がどうするつもりだった」ってことが言えるのは偉いなあ」
ニュアンスとしてはそんな感じだ。
私は、「自分の考えはこうだ」とか、「自分の意図はこういうものだったんだ」と主張するのは大事なことだ、と思っている。私や奥様は、「意図と結果が両方叱るべきだった時」強く叱る傾向があると思うので、子供の意図を勘違いした場合、妥当な叱り方が出来ない。そういう時、子供が意図をちゃんと主張してくれることは良いことだし、とても大事なことだ。そう思っている。
ただ、その後、別の場所でこんな意見も聞いた。
「例えば学校とかでは、そういう時「言い訳するな」って怒られそうだし、そういう時の対処も教えた方がいいんじゃあ」であるとか、別の人からは「言い訳ばっかり上手になるんじゃあ」であるとか。
なるほど、そういう側面もあるのかも知れない。実際、話が通じない場面も世の中にはあるし、話が通じない人も世の中にはいる。時には意図について話さないことが良い結果を生むこともあるかも知れないし、言い訳をしない人が高く評価される場合もある。
ただ、それを考慮に入れた上で、私自身は上記の方針を変えることはなさそうだ。
大人は、少なくとも親は、まず第一に「世界に対する、大人に対する信頼感」というものを育ててあげないといけない、と思う。この場合、大事なのは、「話せば分かってくれるんだ」という信頼感だ。
確かに、「言い訳するな!」と怒る人、というのは実際にいる。話が通じない場面、話が通じない人とめぐり合うことはある。ただ、スタート地点から「言い訳するな!」と拒絶され続ければ、子供は反論しても無駄だと思って押し黙るだけになってしまい、大人に対しての信頼感の欠如に行き着いてしまう。言ってみれば、「意図を分かってもらうことに対する諦め」を学習してしまう、と思う。
それは多分、良くないことだ。
理不尽な場面に対応するためには、理不尽でない場面もあるんだ、という認識が必要なんじゃないか、と思っている。例えば学校で、例えば他の場面で、「言い訳するな!」と怒られることはあるかも知れないが、それに対応する方法は、多分その時学べばいい。少なくとも親は、「大人相手でも、ちゃんと話せば話は通じるんだ」ということを認識させてあげることに注力するべきなんじゃないか、と私は思った。
だから私は、子供の「言い訳」をしっかり聞き続けようと思う。その上で、子供の意図がやっぱり叱るべきものなのであれば、その時はきっちり叱る。
そんな具合で、ちょっとしたことをきっかけに、我が家での私の方針を再確認した。妥当な方針かどうかは分からないが、まあ息子さんなら、多少間違ったことを親がしても軌道修正してくれるだろう。
今日考えたことはそれくらい。

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