2013年08月22日
少年誌・青年誌の料理漫画には「最初から強い主人公」が多いような気がした
承前:エリア88に見る、少年漫画的「さすが」というカタルシス または「最初から強い主人公」のお話
少年漫画や青年漫画において、「主人公が少しずつ強くなっていく」のか、「主人公が最初から強い」のかという問題は、お話の構造の根源にかかわる、結構大きな問題だと思うのだが。
最近ジャンプで連載されている「食戟のソーマ」を読んでいて、「そういえば」とふと思いついたのだが、料理漫画って「主人公が最初から料理の腕最強」というものがかなり多いような気がする。
私がざっくり考えた感じ、「主人公のレベル」という点から考えた料理漫画って多分3パターンあって、
A.主人公の料理の腕自体も最強、ないし極めて高いし、それ以外の要素も基本的にハイレベルで「成長」は描写されない
B.主人公の料理の腕自体は最強、ないし極めて高いが、店での地位とか経験とか、他の要素には不足があり徐々に成長していく
C.主人公の料理の腕は大したことがなく、漫画の展開の中で少しずつ腕前が向上していく
AとBは、「成長」「主人公のレベルアップ」というものが主要な要素として描写されるかどうかというだけの違いであって、基本的に同じ構造だ。主人公の「料理の腕前」というものは、チート級・天才、ないし凄い才能の所有者として描写され、根本的には最初から完成されている。
例えば「料理のテーマが意外で苦戦する」とか、「それに対して新たな解決法を閃く」とか、「強敵に敗北する」といった展開がない訳ではない(つまり、逆転のカタルシスは捨象されない)が、主人公の料理レベルは最初から高止まりしており、大きく成長するような描写はない。
Aの漫画には、例えばザ・シェフや中華一番。多分美味しんぼやミスター味っ子や鉄鍋のジャン、華麗なる食卓や大使閣下の料理人、やや微妙だが焼き立て!ジャパンなんかもこちらに含めるべきなんじゃあるまいか。
それに対して、「料理だけは凄いんだけど、他の点(経験とか、実績とか、地位とか)が不足している為、成長要素は主軸の一つになる」というのがBのカテゴリーだ。こちらには、例えばバンビ〜ノ!、天才料理少年味の助、ラーメン発見伝やらーめん才遊記、微妙だが将太の寿司なんかも多分こっちに入ると思う。他にも色々あるだろう。
AとBの振り分けは正直なところ微妙だが、基本的に「料理の腕は凄い」という主人公ばかりで、料理の腕前自体は成長描写の主軸にならない、という点は共通している、気がする。
で、例えば格闘漫画とかスポーツ漫画では割と一般的な「C」に当てはまる料理漫画というのが、他のジャンルに比べるとかなり少ないようだ。
昨日Twitterで話題に挙がった際、すぐ挙がったタイトルは「味いちもんめ」。他、主人公が最初は素人なタカラの膳なんかも挙がったが、A、Bに比べると「主人公の料理レベルが、最初は低いところから少しずつ上がっていく」少年漫画・青年漫画というものは少ないような気がする。
何でか、ということを考えてみる。
私が考えてみた理由は三つ。
1.料理の腕前の描写が、基本的には「食べた人のリアクション」で表現されるから。
「凄く美味い」ないし「凄く不味い」料理を食べた時のリアクションというものは描きやすいが、その中間は書きにくい。つまり、「主人公が少しずつレベルアップ」という展開を描写すること自体が結構難しい、という理由。
2.料理自体、ある程度以上のレベルになると「味覚」であるとか「センス」であるとか、先天的な資質に帰せられる部分が強くなってくるから。
先天的な資質というものは成長対象ではない為、同じく「少しずつレベルアップ」という展開を描写することが難しい、という理由。
3.基礎的な部分での料理のレベルアップという描写が、非常に地味でありカタルシスを得にくいから。
「基礎的な部分での料理のレベルアップ」というものは、生活と密着しているだけにリアルに描かざるを得ず、例えば格闘漫画における修行とか、スポーツ漫画における特訓のような形での「レベルアップのカタルシス」というものを描写しにくい。要するに絵ヅラが地味な為、少年漫画や青年漫画的に面白い漫画にしにくい、という理由。
これは勿論、もっと大人向けの、生活と密着したような等身大料理漫画には当てはまらない話だと思う。わざわざ「少年誌・青年誌」という注釈をつけたのはこれが理由であり、女性向け漫画や生活系漫画、エッセイ漫画などでは、「普通の主人公がちょっとずつ料理の腕前を向上させていく」というような漫画は多分色々あるだろう。私の狭い観測範囲ではあまりタイトルを挙げられないが。
と、いうような理由を考えてみた。妥当なのかどうかは知らない。
簡単にまとめてみると、
・少年誌や青年誌の料理漫画には、「最初から料理の腕凄い」系主人公がかなり多いような気がする
・成長描写のむずかしさとか、成長過程の地味さといったものが理由としては大きそう
・「美味しそうな料理」をリアクション抜きで単体で描くって本当に難しそうだし、出来る漫画家さんは凄い
・原作の味っ子はそこまででもなかったのに、アニメ版味っ子のあの異様なリアクション芸は一体なんですか
・ところで、ザ・シェフの味沢のチートっぷりはオマージュ元のブラックジャックを越えていると思う
という、特に結論ともいえないようなどうでもいい結論が出るのである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。

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1については、寿司というジャンルは、握り方、包丁による切付け、盛付け等、料理人の腕前が分かりやすい要素を出しやすい分野であったからでしょう。但し、この点については、話数が進むにつれ、「柏手」等リアクション要素が多くなっているのは確かです。
2については、寿司漫画において、上記寿司の握り方、包丁による切付け、盛付け等は、努力に起因する技術も重要視されるからであると思料します。また、作者は、本作については、純朴な少年が努力によって、困難を超えることをテーマにしている節があり、努力面を重視していたという要素もあるかと思います。
3については、上記の通り、本作のテーマは、純朴な少年が努力によって、困難を超えることにあると見受けられるところ、カタルシスは、敵対する側の卑怯な行為と主人公の純粋さとのギャップ、及び主人公による困難の打破で得ようとしているように思われます。
中華一番も将太の寿司に近いですが、主人公の舌というチートスペックがあったことから、短期間でAまで行った印象です。主人公は、別雑誌収録時代に特級厨師という料理人における頂点の称号を得ており、それ以降はハイレベルであることが前提として話が進んでおります。
アニメ化を担当した今川監督のせいです。
将太の寿司でも大使閣下の料理人でも中華一番でも、
彼が演出した場合は同じように原作度外視の演出になると思われます。
(ただ、味っ子はあの過激な演出があったからこそ、こうやって名前を知られるようになったのも有りますが)
基本的に、少年漫画で主人公の成長を丁寧に描きすぎるとダレて打ち切りになるので、
スポーツマンガとかで成長を描く場合も、
「一点突破的なポテンシャルのある主人公が、コツを覚えて、
あるいは仲間を得て、トップクラスと短期間でやりあえるようになる」
という展開が多いと思います。
最近の作品だと「ダイヤのA」や「ハイキュー」なんかがそうですね。
しかも、料理漫画の「基本」って描写して面白くなりそうな気がしませんし。
この辺、「将太の寿司」は、この辺寿司にフォーカスすることで、
マニアックな知識・技術に対して主人公が謎をといていく形式にしていましたが、
それでも基本の基本は最初の北海道編である程度できちゃったことにしてますしね。
ちなみに、Cの例として、ライバル(講談社)で連載中の「ヘルズキッチン」をあげておきます。
これは、成長を描くのがタルくなるのを、「天才的な料理能力を持つ悪魔に憑かれる」
事によって避けています(料理版ネウロと思えばあながち間違いではない感じ)。
城アラキ系のは一般誌に入ってしまいますかね?
あの系統の
「一般人はひれ伏す腕前だけど、超一流のプロには明らかな欠点が見えていて、自分でもそれをコンプレックスに思っている」
「よって普段は美味しんぼ的に定番展開を連打しつつ、節目で成長回をはさむ事で緊張感を維持」
という設定は非常に便利なので、テンプレの一つにならないかと思うんですがどうでしょ?