2013年10月10日
何故「ネガティブ」な人が無理に「ポジティブ」にならなくちゃいけないのかよく分からん
「ポジティブ・ネガティブ」とか「プラス思考・マイナス思考」とかいう言葉も結構いー加減なマジックワードでして、厳密に定義しないままいー加減に書くので「いわゆる」をつけて読んでいただければと思うんですが。
持って生まれた性格や、長年馴染んできた考え方を変えるのって、物凄く大変だしストレスになると思うんですよ。自分を一度バラして再構築するような作業ですしね。物凄いコストがかかる。物凄いコストがかかる割に、根本から改善出来る保証はない。というか、根本から改善出来る可能性は割と低い。
で、「ネガティブな自分を変えよう!」とか、「ポジティブになれば人生楽しいよ!」といったことを喧伝する方は、その辺のコストについてはちゃんと考慮してるのかなー、と、たまに疑問に思うことがあります。
「ポジティブになれば」とか簡単に言うけどそれめっちゃ難しいことなんじゃないの、と。それによって得られるかも知れないリターンは、本当にその為に費やすコストに見合うもんなの、と。それによって軽減されるかも知れないストレスは、本当にその為に発生するストレスより大きいの、と。
そもそもネガティブとか後ろ向きな考え方ってそんなに悪いことなんでしょうか。期待値を低く抑える、リスクを大目に見積もるという思考法は、戦略的にはどんな分野でも普通に行われていることであって、一面的に批判されるようなことではありません。それが、人間の性格や思考法という若干あやふやな分野に入った瞬間に、「ダメなもの」「直さなくてはいけないもの」という扱いになってしまうことは、私の理解出来る範疇を越えています。
以下、書きたいことを箇条書きにまとめると、以下のようになります。
・性格を変えるのはすっげー大変なことなんだから、ネガティブな人は無理にポジティブになろうとするよりも、思考法はそのままに上手く生きることを考えた方がコストパフォーマンスがいいのではないだろうか
・「ポジティブにならなくてはいけない」という観念を持っている人の中には、「ネガティブよくない」的な外的刷り込みによってそう考えるようになった人が割といたりするんではないか
・それって本来余計なお世話だよね
・確かにネガティブな思考法の為にストレスを感じる場面やりターンを逸する場面ってありそうだけど、それでリスクを避けてる場面とかも多分あるんじゃないんですか
・そもそも自称ポジティブ思考な人の中には「ポジティブな俺を見せつけたい」という上から目線とか「単純にネガティブな人見てるとイライラする」という個人の感情で動いている人もいそうな気がするので気を付けるといいような気がします
うん、議論もへったくれもなさそうなテーマなので特に補足なしでいいか、とも思うわけですが。
ただ、最後にちゃぶ台をひっくり返すようですが、人間の性格なんてそう簡単に「ポジティブ/ネガティブ」にひっ括れるようなもんじゃないとも思うんですよねー。同じテーマ、同じ人でも、気分によっていい方に考えることもあれば、悪い方に考えることもあるでしょう。その辺、そもそも「ポジティブな人」「ネガティブな人」という言葉自体に若干の懐疑を感じないでもありません。
何にせよ、「ポジティブ」「ネガティブ」という言葉に無暗に囚われるのもバカらしいし、あんまマジックワードにこだわり過ぎない方が平穏な日々を過ごせるんじゃねーの、という程度の適当な結論で頁を閉じたいと思います。
今日書きたいことは以上です。
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ポジティブすぎるのも、ネガティブすぎるのもね
Excerpt: こういう話は絶対値の問題だと思っています。 何故「ネガティブ」な人が無理に「ポジティブ」にならなくちゃいけないのかよく分からん: 不倒城 プラスだろうがマイナスだろうが。 話を単純化すれば、「行き過..
Weblog: (旧姓)タケルンバ卿日記
Tracked: 2013-10-11 10:22
・心配事をずっと考えてしまう→ネガティブ思考
別の言い方では、諦めずに挑戦し続けるポジティブ思考に?
・ループ思考を脱するために頭を切り替える→ポジティブ思考
別の言い方では「諦めた」というネガティブ思考?
いろいろ考えたが、ポジティブもネガティブもよくわからん。
結論としては
「ネガティブもポジティブも割と表裏一体な気がする」
「ポジティブを説く人の話は、『お前肉ばっか食ってないで野菜も食えよ』程度の話なんじゃ? バランスか」
「ぶっちゃけ考えるの面倒。どうでもいい」
ポジティブなメンタルはないと思う
本来、人間はその時点で生存しているなら
自然な状態であるだけで即ちポジティブであって
無理して性格変えようものなら外面は如何にポジティブでも
その実、凄くネガティブな状態・思考回路だと思う
他人と関わる時にどう振舞ったら得するかだと思う
生活の上でプラスにネガティブ思考はあると思います。
ただ、認知の歪みと呼ばれる病的なネガティブ思考がありまして
それを放置すると最悪死に至る&生活する上でとても不便なものになります。
ポジティブになる必要はありませんが、そこは直した方が良いでしょう。
認知治療という改善方法も確立されてますしね。
上っ面だけポジティブを取り繕っても本来の自分との摩擦が大きくなるだけで、長期的に見て損だと思う。
それに小4で気づいて考え方のベクトルを少しずらす方向で自己改造してきたけど、完成するまで15年かかったもんな。
ポジティブ思考の人をネガティブに引きこむ傾向があると思うんだよね
だから、ポジティブの人はその対抗策としてネガティブをポジティブに変えたがる
周りに迷惑をかけるからに決まってんだろ。
ネガティブは更なるネガティブを呼ぶ。
負の連鎖。
自分から運気を悪くしていることも分からないとは。何か起きても、他人のせいにするなよ。
そこからすると、「ネガティブではダメだ!」という主張そのものが、ネガティブ(否定的)な発想なんじゃないかと思います。
「アンチ・ネガティブ」とでも言いましょうか。
「ポジティブになろう!」という喧伝は、「自分は自分でいいんだ」と自己を肯定し、自信を持つ事の大切さを、手を変え品を変え言葉を変え、訴えるものなのだと思います。ただ、「ポジティブ/ネガティブ」という言葉が、それをボヤケさせてしまっている気がしますが。
逆に「期待値を高く設定し、リスクを無視して見積もるという思考法」をポジティブと言うわけでもないのです。
それらは単に「計算が出来ない」「先を予想できない」といったモノに分類されるものです。
同じ危険度・同じ利得を算出していて、やる価値・利得があると判断されていることを、やめようとするのがネガティブなんです。
同じ危険度・同じ利得を算出していて、やる価値・利得がないと判断されていることを、強行しようとするのがポジティブなんです。
じつは、どっちもグループとか複数でやると問題になることなんですね。
何もしたくないなら、ステージに最初からあがらなければよいわけなのに、
ステージにあがってから、実は何もしたくないってのが、問題で、ネガティブ
については、ステージから去れが有効なんです。
なんでも出来るはずだ、なんでもやればよいというポジティブについても、
同様に失敗して去ることになるのですが、これは自発的に去ることになるので、
どうこうする必要もない。
結果、ネガティブは叩き出さないとだめ、ポジティブは勝手にはずれていく。
だから、ネガティブは叩き出さないと消えないので、出て行けと第三者に言われるわけです。
で、コメント欄にも書いてる人がいますけどクソポジティブは目立つ失敗して勝手に消えます。クソネガティブは何もしない分大きい失敗をしないので、少しでも改善してもらうか、さもなければいなくなってもらわないといけないわけですよ。
ポジティブさやネガティブさがそれぞれ仕事や生活に役立つことはままありますけど、ポジネガ関係なくそれを上手く使えるほど能力のある人は問題なく周りに受け入れられてると思います。
そうでない人はどうにかしなさいよ、ってことなんじゃないですかね
言い続けると本当に叶うこともあるから気を付けなきゃいけない。
本当に、あなたの身近にそういうことを言う人はいるのでしょうか?
自分のネガティブな部分が悪いと思い込んで極端な意見をフィルタリングしている可能性は?
最初に「改善」という言葉を使っているので意識的にかは分りませんがそういう偏見が入っているような気がします。
かく言う僕はそういう偏見を持っています。そして(2極に分類すること自体好きではないのですが)どちらかというとネガティブ気質です。
自分の性格には割と開き直ってしまっているのですが、ポジティブになることを強要する人は考えてみれば実はあまりいませんでした。
一般的なレベルで「元気出せよ!」「お前考え方が暗いな・・・」などと言う人はいましたけど。
ポジティブな人同士でも普通に交わす会話です。
少々鬱を患った頃、周囲が気を遣ってこういった言い方をしなくなりました。
「ネガティヴはダメだから!! ポジティヴに!!」
って考え方自体が、相当ネガティヴだと思う。
逆に、最悪の事態を想定しとけば、結果は絶対にプラス方向だから、常に最悪の事態を想定しておく…
という人の方がポジティヴに見える
ファッション的に、言葉面に左右されぎてる感があるよ
その中で問題なのはそこから出来ない理由ばかり挙げて、生産的なことを何もしない人が居る事ではないでしょうか?
仮に大きなリスクがあるなら、あることを前提にどうすれば上手くいくか考えることが大事ではないでしょうか?
そこで拒み耳を塞ぎ、目を閉じて、思考を止めて生きる者に対して正当な理由があるとは思えません。
前者の前提となるのは「暗く落ち込んでいる人はかわいそうである」「後ろ向きな要因を根拠に行動されることは周りの迷惑になりやすい」ということですが
後者の前提では「暗く落ち込んでいる状態でも人は満足している」「後ろ向きな要因を根拠に行動することは周りに影響を与えない」となっています。
ここがずれていると「カレーって美味しいよね」「いや、サッカーしてるほうが楽しいよ」みたいな会話になります。
なので、同じ考えを持った人がいると分かって嬉しかったし、先日私を否定してきた方にもぜひこの考えを知って欲しいなと思いました。
しかし、他人からネガティブ思考だと思われる人間は往々にして、発言がネガティブで生産的でない。問題は思考でなく話し方だ。
http://www.youtube.com/watch?v=AV7gCbfDyhc
今聴いても悪くないなあ。
スマイルセラピーを受けてみましょう。
かなり考え方が変わると思います。
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そもそもこれが超ポジティヴ思考
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そもそもこれが超ポジティヴ思考