改めて思ったこと。
先日、奥様の所用によって、私が一人で子ども達を見る機会が2回くらいあった。メンバー構成は、長男(6歳)、長女(1歳10ヵ月)、次女(1歳10ヵ月)の3人パーティーである。
長女次女は、暫く前から歩いたり走りまわったりといった自立行動型突進幼女にランクアップしており、かなり行動が凶悪化している。
取り敢えず引っ張れるものは引っ張り落とす。箱はひっくり返す。絵本は「おぶちぇー(読んで、の意)」と言いながら私の顔面に叩きつける。重くなってきたおむつはズボンごと脱いで下半身すっ裸になる。私が寝転がっていると、取り敢えず腹の上に乗ってびょんびょん飛んでは私の腹にヒップアタックをくらわす。私が「ぐぇ」とか声を出すと、振り返って罪のない顔で「らいじょうぶー?」と言う。最近覚えた言葉だ。
自分でダメージを与えて、自分で「らいじょうぶー?」と心配する。これを、通常世の中ではマッチポンプと呼ぶ。
ということで、流石の私も割と長女次女にかかりっきりになった。
で、この間息子さんは慣れたもので、そこまで私に「遊んでー」と言うでもなく、プラレールで遊んだりレゴで遊んだりトムとジェリーのDVDを観たりしていたのだが。
この時私は、いかん、と思った。これは息子さんに甘えている、と。
「ごめんなー、(長男の名前)。パパなかなかあそべなくてー」
「うん、さびしいけど、しかたないねー」
ここで、「寂しい」けど「仕方ない」というのを両方言語化出来るところは、息子さんの凄いところだ、と思う。とはいえ、「さびしい」という感情が厳然と存在することに変わりはない。私と奥様両方いれば、どちらかが(主に私が)長男につきっきりになることも出来るが、普段、私が仕事中などそうもいかないだろう。
以前から、「下に双子がいる」「親が双子にかかりきりになる」ということによる、長男の寂しさ、不公平感というものについてはかなり気にしていた。だから、色々な工夫をして、「長男びいき」をしているつもりではいた。
・「子どもリーダー」という役職を作って、「(息子さんの名前)はこどもリーダーだからなー」「流石こどもリーダーだなあ」と、ことあるごとに強調したり、褒めてあげたりする。
・「にいにを見習うんだぞー?」「ほら、にいにはちゃんとやってるよー」と、長男を持ち上げる形で長女次女に言い聞かせる。
・リビングに長男エリアを作る。そこには柵を設けて、長女次女は入れないようにする。プラレールとか作って遊んでいる。
・機会を作って一対一で遊びにいく。銭湯にいったり、サイクリングにいったり、電車旅にいったり、ゲーム会にいったり。
・甘えられる時は甘えさせてあげる。あと、じいじばあばの家にたまに泊まりに行かせて、目いっぱい甘えさせてもらう。
こんな感じで、ある程度「特別扱い」することで、少しでも普段の寂しさ、不公平感というものを薄めてあげられればいいなあ、と改めて思った。
実際、正しい、というか適しているのかはよく分からない。何はともあれ、「自分も愛されているんだ」という認識だけは、息子さんがずっと失わないで済むようにしてあげたいなあ、と心から思う。
今日書きたいことはそれくらい。
2013年11月08日
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こういうのって多分、すごくいい事だと思います。
私は末っ子で、子供の頃ちょっと問題があって親に迷惑かけっぱなしでした。
やっぱり、それが上の兄弟にはツラく感じられたようで、兄弟の仲も最悪って感じで私自身もツラい思いをしました。
今は全然仲良し兄弟ですけど、もし親の行動でこういう兄弟確執とか、長男の寂しさが軽減されるなら、やれる事はなるべくしてあげたいですよね。
私にはまだ子供はいませんが、末っ子目線でそう思いました。
貴重なコメントありがとうございます。
兄妹同士もわだかまりなく仲良く出来るようにしてあげたいと思っております。