ちょっと今からシャドウボクシングを始めようと思うのだが。
言いたいことを最初に要約すると、以下のようになる。既出かどうかは知らない。
・かつて「残業をたくさんする=真面目に仕事してる=仕事出来る」と評価する向き、というのはあったんだろう、と思う。もしかすると今でもあるのかも知れない。
・それに対するカウンター的な議論、「残業は本来よくないこと」という認識も、最近はある程度一般的になってきたような気がする。
・残業をたくさんすることと、仕事が出来ることはイコールで結びついてはいけない。これは当然の前提だ。
・一方、残業が多いからといって「仕事が出来ない」かというと、それも一概に言えることではない。残業容認へのカウンターとして「残業が多い人=仕事が出来ない人」というレッテリングを行うのも、端的に言ってやり過ぎだし、逆効果だと思う。
・どんな形態の残業であれ、それが発生してしまっているのは単に上司、ないし会社の責任であり、それ以上でも以下でもない、という認識が必要なのではないか。
うむ、言いたいことは一応全部言ったぞ。
以下は補足。
まず最初に自分の立場を明示しておくと、私は10人程のチームの責任者であり、部下の人たちをマネジメントする管理職である。そして、恥ずかしいことながら、部署内で残業が発生することも、ある程度はある。部下の方の残業時間が月30時間を越えるか越えないか、日々是戦いである。
で。次に、わら人形をひとつ設定する。つまり、
「残業をたくさんする人が「仕事を真面目にやっている人」として評価される」という基準である。
わら人形なので遠慮なく燃やしてしまうが、勿論この基準は論外だ。
最近は流石に少なくなってきたのだろうとは思うが、かつては確かに、上のような基準が見られる職場があった。この基準があったから、サービス残業などというおかしな言葉がまかり通ってきたし、残業を「せざるを得ない」ような空気も醸成されてきた。
この基準が、一般的に「いやその理屈はおかしい」と考えられるようになってきたのは、割と最近のことである筈だ。
「残業をたくさんしている」ことは、正当な報酬を支払われる対象になりこそすれ、褒められるべきことではない。なぜなら、仕事は本来業務時間の中で片付けられるべきものであり、そこをはみ出すというのは、どこかにタスクの割り振り上の間違いがあるということだから。これは前提だ。
次に、二つ目のわら人形を用意する。
多分上記の「残業の評価・強制」に対するカウンター的な反論からだとは思うのだが、最近、「残業が多い人=仕事できない人」とレッテリングをしようとする向き、というのも、往々にして見かけるような気がする。
これは、違う。間違いだ。
残業が発生するプロセスには、基本的には二つのパターンしかない。
1.本来残業は必要ないところ、非効率に発生してしまっている残業。いわゆる無駄残業、だらだら残業。
2.時間内に仕事が終わらない為、やむを得ず発生する残業。タスクに対する能力不足、ないしタスクの集中による純粋な手数不足。
この二つだ。
そして上記は、どちらも上司、ないし会社の責任で発生している残業である。
1については、そもそもそういう無駄残業が発生することを管理側が許容しているのがおかしい。仕事がないのにだらだら会社に残っている社員がいたら、上司は注意するべきだし、速やかに退勤させるべきだ。それが出来ないというのは、つまり部下の仕事状況を認識出来ていないということだ。
残業はコストであり、上司には明らかに無駄なコストをカットする責任がある。無駄残業を容認、ないし強制するような雰囲気があるのであれば、それはその会社自体がおかしい。
2については、純粋にタスクのコントロールミスであると認識するべきだ。遂行能力がない人に仕事を振るのは振った側の責任であり、残業をしなくてはいけない、つまり時間内に終える必要があるようなタスクであれば、時間内に出来る人を手配しなくてはいけない。一方、能力がある人に、時間内にさばけないようなタスクが集中するとしたら、それはタスク分散出来るだけの人手を用意出来ない組織の側の問題である。
勿論、人手はそう簡単に確保出来るものではないし、能力がある人がたけのこのように地面から生えてくれば苦労はしないのだから、2の状況が「ある程度やむを得ず」発生してしまうことはあるだろう。だが、これは飽くまで、「やむを得ず発生してしまっている、本来改善すべき状況」なのであり、上司、ないし組織の側が責任を追うべき問題なのである。これは原則論だが、原則は大事である。
それに対して、「残業が多い=その人が仕事出来ない」などという単純なレッテリングなどしてしまったら、組織の問題が隠蔽される結果にしかならない。組織の問題を個人の問題に矮小化してはいけないのだ。これは、どんな問題でも同じことであり、残業の問題も例外ではない。
残業の多寡と、その人の能力は関係ない。これは、プラスの意味でもマイナスの意味でも、同じセンテンスとして認識されるべきだ。
私自身、一人の管理者として、冒頭に書いたような恥ずかしい状況を抱えている。正直なところ、タスクの一部は属人化しており、一部の人に集中している。私はこれを反省しなくてはいけないし、なるべく速やかに解決しなくてはいけない。
ただ、管理者の端くれとして、「残業してるヤツは偉い」などというアホな認識を持ってはいけないのと同じように、「残業してるヤツは仕事が出来ない」などという厚顔無恥極まる認識を持たないようにしたいものだ。私はそう思っている。
今日書きたいこと、以上。
2013年11月26日

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や、割と本気で
そもそもクライアントの要望がきつくて
クライアントの予算がそもそも足らなくて
あー悪者どっかにいねーかなー
残業は上司 、管理する側、会社の責任だということは貴殿のおっしゃる通りです。
というか、当たり前のことで、それが前提です。
その上で、求められたことができなければ能力が低いという判定がされるのでは?
つまり、平均以下の場合は。
会社経営も、コストが大事です。
残業発生の責任は会社にある、しかし与えられた仕事を時間内にこなせない(常識的にこなせる範囲の仕事量として、ですよ)ならば、評価としては低くならざるを得ないですよね。
生活残業や付き合い残業といった無駄な残業は多く見られると思います。
職場の雰囲気で帰宅したくても帰宅できないっていう場面もあると思うし、そういうの含めて管理職っていうのはマネジメントするべきなんだと思いますね
残業を減らすには関連するシステム全体を見渡さなければ難しいと思えてきます。
順調にいけば流れているのですが、処理が集中したり、予想外の事象が発生すると、自然発生で起こるモノw
それに対する処置や処理は現場はいっぱいいっぱいなので、管理職が指揮するのが理想なんですがねぇ…
すべてが「ある程度の残業を必要としている」つまり、そもそもの定時時間と給与設定がまずおかしいって職種、決して少なくないと思いますよ。
製造系エンジニアなんて、ほとんどそうじゃない?
「所定時間」と「残業時間(休日残業含む)」という区別は、労働法がその法益を実現するために企業経営を制約するものである。
確かにその法益の立場から見ると、残業は悪である。
このブログエントリも、「残業は必要ない」、「やむを得ず発生する残業」の区別のみであると主張しているから、これに類する立場であろうと解釈できる。
だが、
売上あるいは利益といった、企業財務会計の観点から見れば、「残業これ即ち悪」とも言えない。
この観点から純粋に論理を辿れば、残業がコストではない場合は、すなわち残業代を支払わなくて良い条件下では、残業も最大限活用して売上を伸ばすべきだということになる。
また、残業というコストに見合う売上増(あるいはその他財務上の正のインパクト:残業コスト以上のコスト削減効果のある業務を残業で実施しいるとか)があれば、やはり残業は活用すべき、ということになる。
実際には、企業経営の財務的観点からだけではなく、従業員の側が、残業したくないとか、残業が多すぎて病んでしまうというデメリットがあるので(多くのサラリーマンはそうなのだろう)、上記メリットとデメリットの綱引きが現場で起きている。
この際、残業を疎んじる立場では、労働法の法益を主張し、「残業はそもそも不要なもの・基本的には避けるべきもの」という前提を置く。
その綱引きの結果、「この人にとっては、ある程度の残業レベルに留まるなら大きな問題ではないだろう」、という意識的・無意識的な結論がしばしば生じる。
それがその会社ひいては社会の空気となり、「ある程度の残業は発生するもの」という規範に苦しめられる従業員が増え、このブログのような整理が求められるまでに問題となってきた。
ところが、
残業分だけ余計に稼げるし、それを本人も喜んでやっている人のことまで「基本的に残業は不要なものだ」と無理やり断じて、止めようとする必要はない。
また、「自分の時間あたりの売上が損益分岐点を常に上回るような人材を育てる」ことを人材戦略の大前提とすれば、実際に残業する人が多かろうが少なかろうが、生産性が高い組織となる可能性は高い。
「くだらないビジネスのために残業させられる」状況や、「付き合い残業が蔓延している」状況は会社のためにも従業員のためにもならないが、かと言って、もっと寝食を忘れるようにして働き、その分の価値を社会に生み出し、その従業員も金銭的にも心理的にも報われるような会社と社員が増えるということも、今の日本社会が歓迎すべきことではないだろうか。こうしたサイクルにおいて残業が従業員の主体的な選択で為されているのであれば、なんら問題はない。
>この観点から純粋に論理を辿れば、残業がコストではない場合は、すなわち残業代を支払わなくて良い条件下では、残業も最大限活用して売上を伸ばすべきだということになる。
いや、そもそもその条件があり得ないだろう…「ただ働きさせる」というのは「正当な業務への報酬が支払われていない」ということなんだから。単純に雇用契約違反だ。
>残業分だけ余計に稼げるし、それを本人も喜んでやっている人のことまで「基本的に残業は不要なものだ」と無理やり断じて、止めようとする必要はない。
本当に「本人が喜んでやっている」なら酌量の余地はあるけれど、大抵の場合、そのロジックはブラックな経営者の方が使うものだと思うけどな。某飲食チェーンとか。
うーん。まともに議論する気があるなら、ちょっとググってみようよ。
「残業の例外」「残業代が不要」となる場合とは?
http://www.nakamura-j.jp/zangyou/dai5syou.html
>本当に「本人が喜んでやっている」なら酌量の余地はあるけれど、大抵の場合、そのロジックはブラックな経営者の方が使うものだと思うけどな。某飲食チェーンとか。
「大抵の場合」という立証も反証もできないあやふやな主張をしたいのなら、床屋談義の域を出ないね。
ここ最近、ブラック経営者がその理屈を押し付けてる状況がメディアを通じて「目立っている」という「印象」には、まあ賛成してあげられる。
でも上のコメで言ったのは、自発的に寝食を忘れて働く、それに価値を見いだせるような仕事と人が増えてもいいはずだよね、そのようなケースまでひっくるめて「残業=悪」という命題を絶対視するのもおかしいよね、ということに過ぎないので。
時間がかかってた時代)はたしかに、残業時間と有能さは比例してたかもしれない。
そういう仕事がかなり圧縮できるようになった今、仕事を効率化できずに残業を強要する
上司は無能の極みつっても過言じゃない。
結局、残業を美化してるのはそういう「昔」を若いころに経験した世代。(と、その金魚のフン)
部下が残業してる姿を見ることでようやく、自分が仕事をしてる実感を得るというはた迷惑な存在。
ていうかもっと単純に、
・一日の仕事のスケジュールを立てられない
・部下が終業時間内に終われるように割り振らない
人が、有能なはずがない訳でwwwww ですよね、ワタ・・・渡邊さん?
(どう考えても手法が時代遅れ、やり方がとにかくダサい、内容聞いてもまったく
モチベーションがあがらない、既に上司が部下にぶん投げて逃げてしまっているetc)
に対して、わざと時間をかけて仕事してるふりをする、ていう考えもあります。
いわゆる、
「今回は残念ながら成果になりませんでしたが、市場からのデータ収集及び
次回へのステップアップにはなったかと思います」とかいうやつです。
たとえ残業代でなくとも、テッキトーーーにカタカタやってるだけで
他より仕事してることにはなってるので、ある意味楽ですよwwww
ここがお前らの最前線なの?
もちろん、きちんと残業代が払われ、残業する本人が了承している限りでですが。
それを回避することが不可能であるというのがどの業種でも増えているのでは
ないかと思います。行き過ぎたのはブラック企業でしょうが、そこまで行かずとも
通常業務では終えられない量の仕事、あるいは終えられない人数不足など、
労働者側にはいかんともし難い問題が発生しているのが現状です。残業がコストと
認識され、それを減らす努力ができる優良企業が今後どのぐらい残って行くのか・・・
動作が遅いんですよ、コレ。
早くリプレイスしたいのに、させてくれない。
アホですよねえ。