「そうだったのか!」「今まで俺が信じていたことは間違いだったのか!」という感覚は、それが自分の根幹を揺るがすようなものでない限り、実はとっても気持ちいい。
固定観念に触れない程度の気付き、というものは快感だ。覚醒欲求、とでもいうのか。それとも真実欲求、とでもいうのか。どんなジャンルでもそうだが、大体の人は「勘違いしていた自分からの脱却」「正しい知識を得たことによるレベルアップ」という感覚にわりと弱い。
という話を、以下のようなリンクを読んで考えた。
「間髪をいれず」が殺された日
そうなんですよね。
上記の記事を乱暴に要約してしまうと、「本来言葉は変化するものであって、「正しくはこう!」などということを希求することに意味などないのに、知ったかぶって「正しい日本語」などというものを主張する輩によって言葉狩りが発生してしまう」という問題提起になる、と思う。
この問題提起については、私は全面的に賛同する。私は日本語日本文学国語学を専攻していたが、教授を含めて、誰ひとりとして「日本語の乱れ」「正しい日本語」などと言うテーマで語ったことはなかった。言葉について勉強している人間程、言葉は生き物であり、「歴史的なあり方」こそあれ「正しいあり方」などというものはないということを知っている。1200年前の口語に比べて、100年前の日本語がどれだけ「乱れた」のかを調べてみれば良い。
だから私は、例えば「○○ってなんて読みが正しいの?」と聞かれたら、「元々は××と読まれてたみたいですが、まあ別にどっちでもいいと思いますよ」と答え、場合によっては「ただまあ、うるさい人がいるんで××と読んどいた方がいいかも知れないですね」と付け加える。面倒くさい話である。
「歴史的な日本語」を正確に追求した方がいい場面は、確かにある。けれど、それが言葉狩りを正当化する訳ではない。
単なる読み間違いだけの話ではなく、別に「的を得た」だろうが「役不足」だろうが「確信犯」だろうが「汚名挽回」だろうが「永遠と」だろうが、ガンガン使っていいと思うのだ(そもそも間違いなのかどうか検討が必要なものも混じっているが、それは一旦置く)。それが人口に膾炙すれば、それが新しい日本語になる。しなければ消える。それだけのことだ。言葉の代謝の一つである。
ちょっと一般論に落ちるのだが。
「実は間違っていた○○」というネタは、どんなジャンルであれとっても受けるのだ。時にはそれは医療ネタと結びついて「今まで信頼していた医療は間違っていた!医者はうそつきだ!」となって怪しげな医療もどき信仰を生み出したりするし、時にはそれは政治・歴史ネタと結びついて「政治家はうそつきだ!」「○○という歴史は嘘だった!われわれは騙されていた!」といった「覚醒した(様な気になっている)人」を大量生産したりする。
今回の話は、もしかするとそういった「覚醒」よりは若干影響度合いが少ないのかも知れない。それでも、悪質さというか、深刻さについてはそれに劣るものではない。
昔、似たような話を書いた。
「通説・権威を否定するメソッド」について。
問題なのは、「気付き」が「安易にウケる」為に、ウケたい人たちがあの手この手で「気付き」を安売りしようとすること、だと思う。「安易なウケ」を狙った結果、ファールラインを超えて、質の低い「気付きモドキ」がwebに氾濫する。
だからこそ、自衛の必要性を皆が認識するべきだ、と私は思う。
「あ、気付きを誘われてるな」と思ったら、一旦ガードを上げた方がいい。そこにあるのは、「今までの貴方は間違っていた!」という甘美な誘惑だ。だが、「そうか、そうだったのか!!」と果実を貪るのは、その味をよく確認してからでも遅くはない。
低質な「気付き」でお腹を壊す前に、まず「その気付きは妥当なのか」「誰が、何の為に気付かせようとしているのか」の確認。今の時代、そういう「毒見」も結構重要なのではないか。
2013年12月01日

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「味気ない」:あじけない× あじきない○
「齲歯」:うし× くし○ ←虫歯のこと。
「音信」:おんしん× いんしん○ ←母音(ぼいん)と言うものネ。
「較差:かくさ× こうさ○ ←「黄砂」かと思ってしまいます。
「間髪を容れず」:かんぱつをいれず× かんはつをいれず○ ←かん・はつをいれず、と開けて読む。
「拮抗」:きっこう× けっこう○
「固執」:こしつ× こしゅう○ ←これなんて、逆に間違って教えられた気もします。
「茶道」:さどう× ちゃどう○ ←本当? かえって笑われそう。
「詩歌」:しいか× しか○ ←う〜む、これも完全に逆に覚えていたぞ。
「刺客」:しかく(しきゃく)× せきかく(せっかく)○ ←しとしとピッチャン♪の歌も字余りになってしまう。
「消耗」:しょうもう× しょうこう○ ←焼香みたい。。。チ〜ン。
「情緒」:じょうちょ× じょうしょ○
「書籍」:しょせき× しょじゃく○
「出納」:すいとう× しゅつのう○ ←正しく読むと笑われそう。
「睡眠」:すいみん× すいめん○ ←そんなアホな。。。
「枢機卿」:すうききょう× すうきけい○
「杜撰」:ずさん× ずざん○
「設立」:せつりつ× せつりゅう○
「堪能」:たんのう× かんのう○
「蛇足」:だそく× じゃそく○ ←これまた、正しく読むと笑われそう。
「T字路」:てぃーじろ× ていじろ○(丁字路) ←「T」じゃなくて「丁」だった。。。
「貪欲」:どんよく× たんよく○
「捏造」:ねつぞう× でつぞう○
「比較」:ひかく× ひこう○
「必須」:ひっす× ひっしゅ○
「妄想」:もうそう× ぼうそう○
「湧出」:ゆうしゅつ× ようしゅつ○
「呂律」:ろれつ× りょりつ○
だからそんなのどうでもいいって書いてる記事だろうが・・・バカなの・・?
ちなみに、「こんなのもありますよ」さんのように「100%言い切らないで伝えて余韻を感じさせる」というのは、非常に日本的な表現の一つですね。それに対して、私のコメントのように逐一解説を入れるなんて、実際ヤボ中のヤボ。下の極みです。反省します。
フェンスを外す人 http://d.hatena.ne.jp/kkbt2/20120227/1330342207
を思い出しました。
例えば汚名挽回と言うのは自由だがそれならば本気で汚名挽回が汚名返上や名誉挽回よりよいと信じて使うべきであって、単に間違ったと認めるのが嫌だからなどという理由で正当化するのならばそれはただ単に間違いを認めるられない醜い姿でしかないと思う
ま、疑似科学の常とう手段ですしね。
かといって、常識ってのもあやふやなもんで、個人の常識だけでこういったものすべて拒絶するのも、それはそれで進化論を認めない創造科学の人達みたいになっちゃいそうですが。
つまりは、それに伴うバックデータを受けてがきちんと収集し精査しないといかんのでしょう。
言葉に関してのみ言えば、言葉なんてもんは時代、集団、情勢によっていくらでも変化するもんで、今の常識が過去、未来で非常識なんてのはザラだと思ってます。なので、あまり読み間違いには突っ込みいれないようにしてます。ま、あまりのもひどいと反射的に突っ込んでしまうけど。
なので、自分のスタンスはリンク元の人の立場とも、さらにそのネタ元の人達とも違ってるなぁ、と感じたのが正直なところ。
そのこと自体には全くその通りだと思いますし、言葉は時代によって変わっていくのも当たり前の話だと思います。
ただ、それまでの流れを守ろうとして「役不足は違うよ」と言う人がいてもいいと思います。
その両者のせめぎ合いから、自然とその時代の言葉が生まれ、逆に死んでいく言葉が消えていくんじゃないでしょうか。
なので、しんざきさんの仰りたいメインの事とは逸れてしまうと思いますが、私はああいう記事や情報は、それはそれで有意義だし
何事にもカウンターは必要という観点からすればむしろ必要かなと思います。
まぁ結局はしんざきさんと同じく、受け取り手側の意識が重要なのでしょうが。
「「安易な気付きに身構えた方がいい」という安易な気付き自体に身構えた上で書かれたのなら良いですね」
といった内容の皮肉コメントをもらいました。
まあ、そうだなあと思います。
確信というやつは単なる感覚で、安易な気付きでも重大な新発見でも感覚としては全く違いがないというかどちらも重大に感じるものなのです。
薬物中毒者が感じる幻覚の「確信」と変わりません。普段なら神が命令しようが何馬鹿言ってるんだと考える人も、「確信を伴う」命令には従ってしまいます。
そう理解して以来、私はそういう気付きを得た時にはテキストなどに起こして、blogなどには書かずにひと月くらい寝かせてから事実を検証するようにしています。
すぐ金になるような事でもなければ、その方が時間を無駄に使わず生きられるものだなあと実感してます。
が……「確立」(正:確率)と「魔方陣」(正:魔法陣)……お前らだけは許せんのじゃぁ……