2014年02月11日

NHKの「目上の人に「了解」は失礼?」とかいう記事がちょっとどうしようもない内容だった


色々とどうかと思ったので。

目上の人に「了解」は失礼?

そもそもなんでこんな記事が、仮にもNHKのニュース一覧にクレジットされているのかさっぱり分からないのですが。

上の記事には、大きく分けて三点の突っ込みどころがあります。

1.内容が完全に個人ブログの引用に立脚しているのに、引用元の詳細どころかリンクすら貼っていない
2.かつ、個人ブログに触れていながら、その個人ブログでの結論は一顧だにせず、都合のいい議論のトリガーとしてのみ利用している
3.内容自体が無根拠な覚醒作りを助長する内容になっており、生産性のかけらもない


仮にも公共放送の組織がやっている記事でこれは、全体的にアホですかと思うわけです。

まず第一に、突っ込むのもアホらしい基本的な部分なんですが、
ネットで話題になっているのは「『了解』は失礼か?」というタイトルのブログ記事で、この記事に反応して「「目上には『了解』ではなく『承知』を使う」は誤用」というタイトルのブログ記事も注目を集めました。
いや、「注目を集めました」じゃねえよ。

勿論、公共のニュースから個人ブログにリンクを張ることは、色々と面倒くさい問題をはらみます。公共性の高い場所から個人の領域に視線を集めるわけですから、場合によっては個人ブログに迷惑をかけることもありえますし、引用の要件とか面倒な問題だってあるでしょう。

ただ、それは、「そもそも公共放送が個人ブログの議論だけを下敷きにコンテンツを作るのはどうなの」という方向で解決するべき問題であって、「色々面倒だから内容だけつまみ食い的に引用してリンクはしないでおこう」という方向で解決するべき問題ではありません。引用したからには引用元を示さなくてはいけません。それが出来ないなら引用するべきではありません。こんなもんは基礎のキです。

勿論ネタ元のブログはぐぐれば一瞬で引けます。いずれもはてなの著名ブログですね。

「了解」は失礼か?
「目上には「了解」ではなく「承知」を使う」は誤用

で、二点目、三点目の問題なんですが。

上記はてなブログではいずれも注釈されていますが、「了解が失礼かどうか」とか「承知を使うべきかどうか」というのは謎理論以外の何者でもなく、端的に言って単なる「覚醒作り」です。

なぜ上のような議論が謎理論なのかは、それぞれ上記のブログで論じられているのでここでは繰り返しません。ただ、一点、アスペ日記様から引用させていただきます。(斜字は筆者)
少し前のマナー本には、そんなことは書いてありません。

たとえば、2003年のこれだけは知っておきたい! 改訂版 ビジネス・マナーハンドブックには、次のようにあります。

しかしそうしたルールができていない社外の人からのメールを受信したときには、「メール、受けとりました」「その件、了解しました」など、簡単でよいからすぐに返信し、…

また、2005年の「こんなことも知らないの? 大人のマナー常識513」というマナー本には、次のような記述があります。

内容に疑問のあるときにはその点を記して送信しますが、そうでなければ「メール拝見しました。○○の件は了解しました」などと簡単な返信でかまいません。

問題なのは、「了解は目上の人に対して使う言葉としては失礼」といった理屈が、「そうだったのか!」といった「覚醒」を誘う点でキャッチー故に受けやすいということであり、その為に飯の種や注目の種として利用され勝ちであるということ。ひいては、「一部の人間の飯の種の為に日本語のニュアンスが左右されてしまう」ということが、個人的に大変気に入らないわけなのです。

今回「マナー本」という存在があちこちで示唆されているのは、上記を単純に裏づけしていることだといえるでしょう。

マナー本に、「今まであなたが使っていた言葉は、実は失礼な表現なんですよ!」とぶち上げれば注目を引きますし、売れます。「そうだったのか!」という覚醒は、コンテンツの薬味として非常に優秀だから。これ自体はまあ、気に入らないけれどどうしようもないことではあります。

以前、似たような記事を書きました。以下です。

安易な「気付き」には身構えた方がいいよなあ、という話


まあ、確かに、言葉のニュアンスが時代によって変わること自体は仕方がないことなんですよ。言葉は変わりますし、誤用は使い続けられれば定着します。言語は生き物です。生き物の変化を止めることは出来ません。

ただ、私自身は、新たな言葉が作られる、ないし自然発生的に言葉の誤用が定着する、といった点で言葉が変わる点については全然問題ないと思いますが、人為的に、既存の言葉を否定する形で言葉のニュアンスを変えようとする向きには抵抗します。その理由は、単純に「一部の人間の利益の為に言葉が変えられる」のが気に食わないからです。


その上、仮にも公共放送たるNHKまでそんなしょうもないことに肩入れしやがってアホですか、というのが今回の記事を書いた動機です。

今回のNHKの記事、上記のブログに触れるなら、せめて「了解も承知もニュアンスの変化はあるが、元々はいずれも間違いではなかった」「どちらも謙譲語でも尊敬語でもなく、言葉としての立ち位置に本来差はない」ということは最低限抑えていなければならないところでした。上記はてなダイアリーのお二方は、いずれも「了解より承知を使うべき」というセンテンスに疑義を示されている立ち位置です。

ところが実際は、引用の体裁に目をつぶるとしても、

・リンクを伴わない個人ブログからのつまみ食い(しかもわざわざ結論を外している)
・NHKの身内による、マッチポンプ的な「了解は失礼かも」寄りの浅い言説
・最終的に「承知の方が無難」とかいう浅い結論


という割とどうしようもない構成になっております。浅さのジェットストリームアタックです。

これで、NHKという影響力の高い公共的な言説によって、更に「目上の人に了解は使わない方がいい」という人為的な縛りが加速することになります。元ネタに対するリスペクトの薄さ、都合のいい議論誘導まで含めて、ちょっとどうなんですかね、と思わざるを得ない点が多々あるわけです。

別に放送内容の方向性については文句はいいませんから、せめて日本語の扱いについては真摯であって欲しいなあ、という提言をもって、本エントリーの〆とさせていただきます。

今日言いたいことは以上です。
posted by しんざき at 14:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
昨日(2014.02.11)の朝日新聞|生活|ひととき|に某幼稚園では園児に対し「何々しなさい」ではなく「何々しましょう」という言い方をしているという投稿あり
『とげとげ言葉』を見つけ出して排除しようとしている人々がいるそうだ
何だか通底するところがあるような話である
[594]

Posted by 伍玖肆 at 2014年02月12日 06:57
個人的には「承知しました。」より「了解しました。」をよく使うなぁ。

上司の私が部下に「君は態度を改めたなさい!」と叱ったところ、部下が「了解!」って軽く返事したならなんか馬鹿にされた気がしないでもない。
かと言って、「承知しました!」と胸を張って返事されても馬鹿にされたように感じるから、これはもうニュアンスの問題でしょう。
Posted by ジロー at 2014年02月15日 14:43
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