2005年05月27日

レトロゲーム万里を往く その32 〜ゲームブックの「キャラゲー要素」〜


関係ないが、人狼BBSおもしれーー。生身の人間相手の推理だと、やはり充実度が違う。AVGの推理って結局相手はシナリオライター一人だからなぁ。

さてさて、ゲームブック話の続きである。取り敢えず一旦ここまでで打ち止め。レトロゲームとゲームブックの相似点ということで、ちょっと「キャラゲー」的要素を話題にしてみたい。ちなみに、自分でもあきれるくらい長文である。お暇な時にどうぞ。

キャラゲーというモンは色々複雑な問題を抱えている。多分本格的にネタにしたら、万里を往くを3回くらい書ける。取り敢えず今回は、キャラゲーというもの自体にはあんまり踏み込まないで話を進める。
前二回のリンクは下に。
レトロゲーム万里を往く その31 〜ゲームブックの「ゲーム性」〜
レトロゲーム万里を往く その30〜ゲームブック レトロゲームの奇妙な隣人〜



ファミコンと同じく、ゲームブックにも「キャラゲー」というものがある。この場合のキャラゲーというのは無論「原作持ち」のゲームブックのことであって、創元で言えば例えばドルアーガ、ワルキューレなどを始めとするナムコ系ゲームブックと、デュマレスト・サーガを元ネタにする「巨大コンピューターの謎」「惑星不時着」、それと愛らしい邪神群を元ネタにする「暗黒教団の陰謀」などがキャラゲーに当たる。
確か、何かのアニメだか漫画だかを元ネタにする「機竜魔の紋章」というゲームブックも発売予定だった筈だが、これは結局出版されなかった。

ファミコンのキャラゲーとレトロゲームのキャラゲーの最大の違いは、当然のことながら「持ち込まれる媒体」の違いである。

ファミコンにおけるキャラゲーは、漫画やアニメに出てくるキャラクターをゲーム化する、というのが基本的な構図であった。となると当然、そのコンセプトは「アニメの○○になって冒険してみたい」とか、「漫画で出てくる××という技を使ってみたい」などであって、追加エピソードに対する期待などはそれ程強くなかった筈である。漫画やアニメの方が、ストーリー的な描写力はファミコンより余程上だったのだから当然だ。

一方、ゲームブックにおけるキャラゲーは、そもそも持ち込まれる媒体が書籍である。ゲームが原作であるとすてば、ゲームの小説化と同等になる。その為、「キャラ」の魅力をより深めたり、様々な違うエピソードを見ることが出来るなど、ほぼ現在のノベライズに対して向けられる様な期待がユーザー側にあると考えていいだろう。つまり、「原作の展開や味わいを生かしつつ、よりキャラクターを掘り下げる・あるいはエピソードを充実させる」というのがキャラゲーとしての理想形の筈だ。

まあどちらにしても、「原作のファンが原作以外・原作以上の楽しみを求めて購入する」という点は共通していると考えていい。


では、キャラゲー視点からみた各ゲームブックの紹介を行ってみよう。


ドルアーガ三部作

個人的な評価だが、キャラゲーとしてみてもレベルは相当高いのではないかと思う。主人公は原作と同じ「ギル(ギルガメス)」。原作では語られなかった部分を小説部分がうまく補完しており、また原作と同じ展開が随所に見られる点もレベルが高い。

例えば時間が経つとウィルオーウィスプが出てくる面があったり、ウィルオーウィスプをよける指輪やクオックスを服従させるパールがあったり、四方八方からウィザードが襲ってくる面があったり。アイテムを手に入れる際にも色々な展開をクリアしなくてはならず、原作の難易度を彷彿とさせる。ドルアーガとの戦いも、ドルアーガが次々姿を変えていくあたりがキャラゲーとしても燃える展開である。流石にラストの隕石はちょっとやり過ぎかとも思うが、ゲームブックとしてみればこれ以上ないと思える程の名展開であった。

キャラゲーとして評価が分かれるとすれば、ギルの仲間であるオリジナルキャラクター・メスロンやタウルス、クルス達の存在と、ヒロインであるカイのあまりの影の薄さだろう。まあカイの影の薄さはともかく(原作通りとも言えるし)、メスロンやタウルスはかなりの人気が出たらしく、そのあとに続く「パンタクル」「ティーンズ・パンタクル」などでは主役級のキャラになったりもした。作品が更にコラボレーションの鎖を繋いでいった訳で、ドルアーガが名作と呼ばれる理由の一旦でもあろう。ちなみに、「スーパーブラックオニキス」にもさり気にこの二人が登場していた(医者と受付)


ワルキューレ三部作

ドルアーガとは幾つかの点で対照的な作品である。まず、なんといっても主人公がワルキューレではない。このゲームブックの主人公は、ヒーローに憧れる普通の村の少年である。ゾウナを倒そうとするワルキューレを追っかけて村を出る設定な訳だが、そのワルキューレが出てくるのは二巻の最後の最後であり、仲間になるのは最終巻の一部の間である。また、主人公他3人の仲間も全員オリジナルキャラであり、キャラゲー要素はそもそも薄いと言わざるを得ない。

ゲームブックとしての出来がどうかというと、これは実にオーソドックスである。戦闘のバランスも悪くないし、主人公の成長も順当だ。随所にゲームを意識した展開もあり、「最大のネタはゲーム自身」という、FCネタゲームブックの王道を行く内容になっている。
主要キャラ:サンディ(実は女の子)、ニスペン(大男)、アテナ(エスパー)。さりげなく絵が少女漫画風で濃かった覚えがある。


暗黒教団の陰謀

おそらくゲームブック史上最強の敵キャラが出てくる作品。主人公の能力値が10とか20やそこらなところ、ヒュドラとか深きものどもとか、一部の敵キャラのステータスが「千」とか「万」とか普通に設定されている。勝てるかボケと。いや、原作通りなのだが。

たとえてみるなら、主人公が村人なところ、敵キャラにごくナチュラルな顔をしてフリーザ様が収まっている様なものだと考えていいだろう。実際のところこれらの一部敵キャラは「罠」であって、出会って逃げられなければ終わり(逃げても終わりな場合が多い)である。ちなみに原作は、「クトゥルー神話」の2巻だか3巻だか、ダーレスが書いた短編群であろうと思う。

主要キャラクターは主人公とシュリュズベリィ博士、あと一部の邪神の皆様。前回で書いた致命的バグもあり、実際のところ攻略法を知らないとクリアするのは至難の業である。博士に会えた後は結構面白いのだが。


巨大コンピューターの謎

よく出来ている。元が「デュマレスト・サーガ」というSF小説であるだけに、キャラクターを深くするといった楽しみはそれ程ないが、純粋にゲームとして結構面白い。主人公のデュマレストのキャラクターも原作に忠実なハードボイルド的性格であり、イメージを壊す部分が殆どない。ただ、進め方を知っていれば開始5分でシャラナの護衛を始めることが出来、15分くらいでクリア出来てしまうのが難点といえば難点か。

主要キャラクターはデュマレストと前述のシャラナ(大金持ちのお嬢様、わがままで美人で予知能力者で誘拐属性という設定てんこ盛りのヒロイン)、他カザフ氏(シャラナの父親)など。サイバーや宇宙友愛教会といった、原作で登場した小道具がかなり有効に使われており、キャラゲーとしてみてもレベルはかなり高い。次作、「惑星不時着」も、要所要所に原作の展開を思わせる部分があってなかなか好きであった。不時着後よりは船内の方が好きだが。


ゼビウス

そもそも主人公がソルバルウに乗っていない為、必然的に「カピ」や「トーロイド」といった、原作の敵キャラがキャラゲー要素ということになる。(ちなみに、主人公は生身にライフルでこの辺の敵キャラを普通に打ち落とす)正直キャラゲー要素はかなり薄い。しいて言えばバキュラとかソルとか。前者は「バキュラ博士」が作った防護壁の名前で、後者は密林からわさわさわさっと伸びてくる巨大建造物。

この作品はどちらかというと、遠藤氏の手によるゼビウスのバックグラウンドストーリー「ファードラウド・サーガ」とのコラボレーションと考えるべきだろう。実際、ファードラウドを読んでいないと、ストーリー説明だけでは「?」な部分も割りと多い。読んでいると随所随所で割りと楽しめる。神殿(何故かアンドアジェネシスの形をしている)内の壁画のくだりとか、ラスコ・クラトーに似ているガンプであるとか、その辺りである。興味がある方はファードラウドもご併読されるべきかと思う。ちなみに祈りの言葉はイシュチェル。


ドラゴンバスター

主人公はクロービス、敵はドラゴン、助け出すのはセリア姫、助け出すにはセプター(杖)が必要、と、設定だけみればかなりゲームに忠実に作られている筈なのだが、何故か全体的に漂っている違和感がぬぐえない。そんなゲームブックである。キャラゲーとしての出来はやや微妙。

まず第一に、このゲームは「街」での生活と「迷宮」の探索が分けられているのだが、「街」での展開・キャラクターが、なんつーか非常に「濃い」のである。一般的に考えて、ドラゴンバスターの小説版において、街中でオカマ男が手招きをしてくる必要はあるだろうか。宿に泊まればモヒカン男と相部屋になり荷物を盗まれ、僧侶に話しかければ高額の寄付を要求され、迷宮ではワギャンランドのワギャンがバカにしてくるなど、全体的にどこか理不尽なイベントが多い印象がぬぐえない。この辺は古川尚美氏のセンスだろうか。まあ、好みが分かれる、という程度の理不尽さだから別に文句はないのだが。

ゲームブックとしては、「一度倒した敵が、二度目に会うと強くなる」というルールがかなり難易度を高くしている様に思った。それ以外は普通の出来かと思う。



と、創元の「キャラゲー」ゲームブックについて、私にとってのゲームブック代表格ということでざっと触れてみた。長文を読んでくださった方はありがとうございます。長くてすいません。

改めてまとめて見ると、「ゲームブック」という文化は、ファミコンと同時期に存在したからこそ輝いてしかるべきだった部分が大いにある様に思える。ファミコンで足りない「ストーリー」という部分をゲームブックが補完する、という形式は実に実にうまく回る様に思えただけに、それが部分的にしか実現しなかったことは些か惜しいとも思う。

まあ、取り敢えずは近年復刊されつつある諸々のゲームブックをニヤニヤと読みつつ、「二フルハイムのユリ」と「パンタクル2」の続編が出版されるのを期待したい。
posted by しんざき at 17:30 | Comment(5) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
はじめまして。
私が中学生か、小学生の頃でしょうか?
ゲームブックが非常に流行した時期で、ドラゴンクエスト三部作やゴエモンなどのファミコンゲームは言うに及ばず(双葉社でしたっけ?ファミコンものは)、グーニーズなどの映画作品もどんどんゲームブック化されていた時代でしたね。
最終的には、18禁モノまで現れて呆れた記憶があります。
Posted by POW at 2005年10月27日 00:32
>POWさん
コメントありがとうございます。

>(双葉社でしたっけ?ファミコンものは)
双葉社が多かったですねえ。FCのゲームは片っ端からGB化されてました。ファンタジーゾーンのゲームブックがなんとなく印象に残ってるんですが。

>グーニーズなどの映画作品
そういえば版権とかどうなってたんでしょうか。なんか二重に版権が設定されている気が。
Posted by しんざき at 2005年10月28日 08:24
一番はまってたのはファミスタのゲームブックでした。
多少のキャラゲー要素も……あったような、なかったような……。
Posted by フラスコ at 2005年11月02日 14:52
>フラスコさん
あー、ファミスタのGBってどんなんでしたっけ。ぴのとかかげきよとかは出てたかな?

ベストプレープロ野球の印象がかなり強くってどーもあやふやです。
Posted by しんざき at 2005年11月03日 21:51
たしかシューティングゲームのゲームブック作品と言えば、ゼビウス以外だと双葉社の「グラディウス」、「スペースハリアー」、「ファンタジーゾーン1&2」、ケイブンシャの「サラマンダ ラティス救出作戦」等がありましたね…。双葉のグラディウスに至っては本格派スペースオペラ的な作品に仕上がっており、イラストも加藤洋之&後藤啓介が担当し、巻頭の7ページだけでもすごく凝った設定資料も…。
Posted by マイケル村田 at 2016年02月21日 19:06
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